時に人生とは残酷である。
私は友人の話を聞きながら、酷く同情していた。所謂、痴情のもつれである。
この友人には恋人がいた。
随分長い期間、惚気話に付き合ってきたし友人は相手に信頼を置いているのが手に取るようにわかったからこそ応援していた。
まあ、その相手の話を聞いていて引っ掛かることがなかったわけじゃない。だから正直、潤んだ声で「裏切られた…」という友人に対して、まぁそうか、と何処か冷静に受け止めていた。
応援していた、と先述したが実は私は何度か友人に「本当にいいのか」と声をかけていた。確信はなかったが、そう思わざるを得ないポイントが少なからずあったのだ。
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友人は事細かに話をするタイプである。状況や時系列などを詳細に話す。
他からは“話が長い”と一刀両断されることもあるらしい。
私は友人のあっちこっちする話を整理するのを謎解きのように楽しんでいたから長いと感じたことはなかったが、確かに電話の履歴は1時間は当たり前に超えてるものばかり。
だから友人は惚気話をするときも、相手に言われた言葉を一言一句違わずに伝えてきていた。
「あ、楽しいじゃなくて楽しくてしょうがないだったかな?」
なんて、正直どっちでもいいよって言いたくなるような訂正も少なくなかった。
だから相手が言った話を私は事細かに知っている。
私が引っかかったというところを一つ例を挙げると、「私の好きなところを10個教えて」というなんともまあこちらが恥ずかしくなるようなやり取りをしたという話のとき。
相手が挙げた好きなところのうち一つ、「家族や友達に紹介するのが恥ずかしくないくらいいい子」というのがあったらしい。
「…それはいつも通り一言一句違わず一緒なの?」と問うと
「え?うん勿論」と返ってきてあぁ…と肩を落とした。
───人に紹介する時に“恥ずかしいか”という評価軸があるタイプか。モラルのないことをしたとかではない限り、一緒にいる人のことを“恥ずかしい”と感じたことなんてないけどな。
非常識な行動をとる人と付き合った経験でもあったのだろうか。それにしたって、君は一緒にいて恥ずかしくないなんてこと相手に伝えるのはいかがなものか。
もしや、恋人を自分のスペックやアクセサリーという感覚でいるのではないか。
なんて、そんな一抹の不安を抱えながら、幸せそうに話す友人を眺めていた。
私は友人が再現する相手の言葉の端々に、相手の価値観や思想の根底が見え隠れする度に伝えるべきか迷い続けた。
だから私は「本当にいいのか」と見直すきっかけしか作れなかった。
強く押せなかったのは、その相手と向き合っているのは私ではなかったから。私のエゴで2人の関係について口出しはできなかった。
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友人に「相手に裏切られた」と言われた時、今までの私の判断はいかがなものだったのだろうか、もっと最善の方法があっただろうかと自分の過去の立ち振る舞いが頭をよぎった。
暫しの沈黙が続く。
その沈黙を破ったのは友人だった。
「ごめんね、応援してくれてたのに。聞いてくれてありがとう。」
そう言ってこの日は解散になった。
後日、友人から連絡をもらい、私は友人宅へ向かっていた。
何を話していいか分からなくなりそうだったから、話のネタになりそうな話題のお菓子を手土産に。
「いらっしゃい」と出迎えてくれた友人は付き物が落ちたようなスッキリした顔をしていた。
「いやぁ、付き合ってる時は楽しませてもらったし、結婚する前に相手のロクでもないところを知れたし。直後はショックだったけどさ、この経験で得たもの多いなぁってふと思えてさ。」
そう言ってブラックコーヒーを啜る。
「強いね」というと
「ふふ、でもそう思えてても感情が伴うかは別だからさ。しばらくは頼むよ。」
そういって友人は笑った。
この数日で友人はこの出来事をハッピーエンドに変えた。その上で、悲しさや辛さをさらけ出し人を頼れる。
私の手助けはいらなかったか、と手土産のはずのお菓子に私が先に手をつけた。
#ハッピーエンド
3/30/2024, 5:04:46 AM