ホコリをかぶり、
色褪せた物があった。
手で払ってよく見ると
それは日記帳だった。
もう二度と書かないと
あの日閉ざされた日記。
私は物語を作るのが大好きで、
特に既に作った物語と
他の物語をそれとなく繋げるのが
本当に好きだった。
伏線を張っておくこともあれば、
思いつきで繋げることもあった。
物語を書いていたことは
ルーズリーフには収まらないくらい
幸せなひと時だった。
でも私も人だ。
どれだけ書きたいことが
頭に浮かんでも
上手く書き表せなかったり、
書きたいことすら浮かばなかったりと、
私はスランプになった。
あんなに物語を書くのが
好きだったのに
もうペンを握ることさえ
苦痛になっていた。
何を書いても
自分が納得する、
面白いと、
また書きたいと思えるような
満足いくものが書けなかった。
私の書いたものは
誰かに見せていたわけでは
なかったので、
私自身が満足しないと
意味が無かった。
好きだったことが
嫌いになりそうで、
好きなままでいたくて、
私は日記帳や
ルーズリーフに書いていた物語を
隠して閉ざしてしまった。
もう書かない。
いや、書けない、と。
"Good Midnight!"
ずっと忘れていた。
忘れようとしていた。
しかしいつも
頭のどこかで物語を作ろうとしていて、
切っても切れない
私の大切なことになっていた。
久しぶりに持つ
長時間書く用のペンは
何故かまだ感覚が手に馴染んでいた。
ベランダから見る夕焼け。
侵食していく夜の空。
全てが新鮮で綺麗に思えたのは
10代までだった。
何をしていてもため息ばかり。
毎日毎日
将来の不安しか持ち合わせていない。
そんな私の体温を
木枯らしが奪っていく。
外に出るのが怖いんだ。
近所ならまだマシだが、
遠出などは絶対に無理だ。
足がすくみ、汗が吹き出し、
鼓動が早くなり、
息が荒くなる。
だからベランダは
私と外を繋ぐ
外に1番近い場所。
そりゃあ近所の方が
もう外だし、
近いも何も外だし。
だけどベランダは部屋の一部で
なのに半分外。
きっぱりと別れていないのが
私にとっての気持ちのやり場になる。
不安な時、寂しい時、
夜空を見たい時、
なんとなくベランダがいい時。
カラカラと窓を開けたら
第2の家のような安心感。
"Good Midnight!"
ベランダに出るだけで
悩みが無くなる訳じゃないけど
逃げ道が増えただけだけど、
なんだかそれでも
いい気がしてくるんだ。
今夜くらい
真夜中を楽しんでもいいかって。
美しい景色に、
匂いに、
私は今感動している。
心を動かされている。
自然のど真ん中。
草原の中心では
草だけが風でなびき
草だけが私を包んでいた。
風の音と
遠くの方で微かに聞こえる小鳥の声。
静寂とまではいかない
この空間が
とても居心地のいい場所だった。
本音で構成された私を
私だけが見てあげて、
私だけが認めてあげれる。
互いに苦しめ合ってきた日常から
2人で少しだけはみ出して。
優しく抱きしめてあげて
撫でてあげて
涙を拭いてあげる。
私が誰でもいいから
誰かにしてもらいたかったこと、
全部私にやってあげる。
沢山褒めてあげる。
ずっと一緒にいてあげる。
不思議だ。
実際にもう1人の自分がいて、
その自分を労わっているわけでは
ないというのに
私は暖かくて満たされている。
草の匂い。
目を開ければ
光が私を眩しくさせる。
今の私には
太陽は少し暖かすぎるし、
眩しすぎるな。
"Good Midnight!"
ちょっと眠ってしまえば
こんなに眩しい真昼間は
真夜中に変わってしまうのだろうか。
確率とは、
状況とは、
世界とは、
全てからくりで操れる。
少し紐を引っ張れば
あるゲームでは逆転勝ち、
またある所では
騙され疑心暗鬼になる。
悪用しては
世界が壊れかねないからくりだが、
全てのからくりは私の手の中にある。
私が指を曲げるだけで、
伸ばすだけで、
世界も確率も
どんな勝ち勝負でも、
ひっくり返したり
傾けたりして
ぐらぐらに操れてしまう。
私は、
私の手の中に世界があることが
堪らなく嬉しかった。
ある時ふと
どのくらい操れば
天地がひっくり返るような事が
起きるのだろうと
気になってしまった。
好奇心は盛んなので
すぐに実験をした。
手を広げたり閉じたり、
手首を回したり振り上げたりして、
世界をどうにかしようとした。
なんと驚いた。
ある所では突如現れた怪獣が
人を食い散らかし、
またある所では
宇宙に吸引されるという
謎の現象が起こっていて、
異常な事態となっていた。
私は怖くなって震えた。
手の震えも止まらない。
そのせいで今も世界は変わっていく。
"Good Midnight!"
あぁ!
この世界はなんて
脆くて繊細で
壊れやすいんだ!
とても面白かった。
楽しかった。
幸せだった。
もっと大事に扱わないと
いけないなぁ。
愛らしい手の中のからくりを
見つめながら、
簡単に操られてしまう
この世界を
愛せずにはいられなかった。
またおうたね。
少し大きめのペットショップ。
犬猫はもちろん、
魚も売っていたので
いつかの思い出の中の
金魚を見つめていると、
あの時ぶつかってきた
狐に似た人がいた。
なんや、久しゅうなぁ。
あん時はほんますんません。
いえいえ、大丈夫ですよ。
律儀な人だなぁ。
随分前のことだし、
別に気にするようなことでも
無かった。
むしろ狐に似た人が
金魚すくいの金魚より
綺麗で見とれた思い出が強い。
それより…。
それよりあなたはどうしてここに?
しまった。
うっかり心の声が漏れた。
狐に似た人は少しキョトンとしてから、
あぁ、ここ近所やからねぇ、
ここよく来るんよ。
休日は人多くてかなわんけどねぇ。
ゆっくりとした
優しい話し声。
私もここよく来ます。
これも何かの縁だと思うのですが、
よければ今度お茶しませんか?
全く私は何を言っているんだ。
いくら綺麗な人だからって、
まぁでも、
1、2年くらい前に
たまたま出会っただけだから、
本当に縁かもしれないけれど。
ぱぁっと狐に似た人の顔が
笑顔になり、
ええの?
めっちゃ行きたいわぁ!
ペットショップの
魚が売ってあるコーナーで
名前も歳も知らない私たちは
連絡先を交換した。
"Good Midnight!"
思えばこの人に出会ったあの日から
1、2年ほど、
ふとこの人の事を思い出しては
金魚を見に来ていた。
何故かこの人は
狐に似ていて、
不思議な雰囲気を纏っていて、
とても綺麗だから。