あ~もう、どいつもこいつも面倒くさい
毎日毎日、体調不良でフラフラをアピールするあいつ
口を開けば「あーなんか調子悪くて」が口癖でかまってちゃんのあいつ
すぐ子どもが熱を出して、「すみませーん」と帰っていくあいつ
大丈夫でしょうか、間違ってないでしょうかとやたら心配ばかりのあいつ
なにか問題が発生する度に「前の職場ではこんなこと考えられないです」とやたらと前職の話ばかり出してくるあいつ
昼過ぎ、必ず「眠い...」「眠い...」を連発するあいつ
ほっんと毎日この繰り返しで、嫌になる
だけど今月でおしまい。
それぞれがそれぞれの場所へと戻ることになっている。
面倒くさいやつらばかりだったけど、これで結局ハッピーエンドかな。
朝、目覚める
いつものことだが、間近に視線を感じる
薄目を開けてそちらを見る
かわいい真っ直ぐな瞳
おはよう
人差し指でちょんとご挨拶
猫に見つめられるという日々を送って約3年
見つめられてついつい差し出すおやつにご飯
仕方ない、今日も差し上げるとするか...
わが子たちはそれぞれ、大人になってきた。仕事を持ち、稼ぎ、結婚こそまだしていないがパートナーを見つけ、独立して生活をしている。
自分が産んだのだから当たり前だけれど。わたしは彼らが生まれた時から知っている。
なんにもできなかったのにな...。
この25年ほどを振り返るとき、幼かった頃の彼らの姿を場面ごとに思い出し、そんなに昔のことでもないように思うが、確実に時は過ぎたのだなとも思う。
巣立って行くのは喜ぶべきことなのに、なんだこの寂しさは...。
わが子であることは一生変わりはない。一緒に過ごした日々はわたしのかけがえのない宝物だ。
彼らたちを産めたこと、親子でいられること、大したことではないけれど、わたしにとっては人生で一番誇れることだ。
特別な存在...それはまさにわが子たち。
いまは高校生になる娘。
彼女はわたしのおなかの中にいた時、一度死にかけたことがある。
三度の流産の後に授かった命...。
また流産かと思ったが1週間ほどの入院の後、わたしは自宅に戻った。おなかの子もなんとか留まってくれた。
その時、2階にあった寝室を1階の和室に移した。
以来、わたしの寝室はずーっと1階の和室。
娘は無事に生まれてきてわたしと一緒に就寝するようになった。
いつかは自分の部屋で一人で寝る!と言うと思って静観しているが、高校生になった今も、実はわたしの隣で毎日寝ている。
たまに、わたしとケンカして自分の部屋で寝ていることもあるけど、また戻ってくるのだ。
高校生にもなって、親と寝ているなんて、他人が聞いたら驚くだろうと思うけれど、こうやって一緒に寝ることも、この先そう長くは続かないことだろう。
ずっと隣で寝ていて欲しいけど、いつかはいなくなる...。嬉しいような寂しいような複雑な心境だ。
朝、ふと目覚めると、傍には愛猫たちがわたしが起きるのを今か今かと待ち構えている。朝ごはんを待っているのだ。
もうちょっと寝ていたい気持ちを跳ね除け、「おはよう」と猫たちにご挨拶。
愛猫たちにご飯をあげたら、洗濯機をセットし、お弁当作りに取り掛かる。
途中で娘に声をかけて、起きてくるのを確認したら、お弁当作りを再開しつつ、娘に「朝ごはんはなにを食べるの?」と尋ね、何かしらを準備する。
同時に自分用に湯を沸かし、豆乳ラテを作って、日中用には生姜紅茶を水筒に注ぎ入れ、娘の水筒には冷たいお茶を入れる。
洗濯物を干し、自分の身なりを整え...
猫さんたちがう〇ちをしたら片付けて、娘を駅まで車で送って行く。
わたしが仕事の日はそのまま職場へ向かい、仕事がなければ24時間スーパーへ向かう。
……とまあ、これがわたしの日常だ。
何事もない平穏な日。バタバタながらに穏やかな一日の始まりだ。
ただこれさえも当たり前にいつまでも続くわけじゃない。娘はそのうち社会人になり、わが家を巣立って行くだろう。愛猫たちも、いつかは別れの時がくるのだ。
わたし自身の命さえ永遠ではない。
今日もそのことを思い、この平穏な1日を生きようではないか。