令和7年4月15日
お題 「春恋」
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
夏の太陽がカーテンの隙間から差し込んだ
いつの間にか時計は正午前だ、ボンヤリと起き上がり完全オフの夏ボケ頭を揺らしながら之子は起き上がった。台所に向かい誰も居ないことに気付きながら氷水を煽り飲む。「母さんもばあーちゃんも早いなぁ」と、ばあーちゃんの愛猫「ゆき」にキャットフードを与えると、電話がなった。
桐子からだった。
「朝から二回目〜、やっと起きた?マジ」
「4時待ち合わせやからねぇ、よろしくやで〜」
「分かった〜」と受話器を置いたが、あと四時間くらいしかないことに気がついた。
「あちゃー、美容院行こうかと思ったけど無理か、これ」
子供の頃から行きつけのひと回り年上の従姉妹が経営する美容院に電話を入れた。
「今から行って1時間でセットできひん?」
「之子かいな、いきなり、今日は休みや」
「あっ、そうか月曜や、なあ、それなら予約ないやろ、髪やってぇ、今晩同窓会なんやんかぁ」と頼み込む。
「仕方ないなぁ、貸し切り料高いで」
「ええ〜」
「今から、来れる?」
「うん、20分ぐらいで行くわ」
「はいよ」
姉妹みたいに育った従姉は快く引き受けてくれた。之子は軽く牛乳とロールパンで空腹を満たすと身支度を軽く整え、暑さ盛の中自転車に飛び乗った。途中、迎え盆に行けなかった祖父と父の墓に手を合わせ、汗を滲ませながら店に入ったのが正午過ぎ、昼食を済ませた従姉が待っていてくれた。
誰も客の居ない店内で従姉と二人世間話をしながら一時間のはずが、たっぷり二時間話し込み店の時計は午後二時を指していた。
「マズイ、あと2時間やん、ごめん千代ちゃんいぬわ!」
「ほお、そうか、気つけて行きや」
ドタバタと店を後にした。
帰って、シャワーを浴びてもう一回セットして洋服選んでごちゃごちゃしてたら、遅刻確定か!慌てて家を出た。
表通り、約束の場所に、おこまと桐子を乗せたZが待っていた。
「お待たせ~」
「お待たせやないわ、十分遅刻やでぇ、おたけいてへんくて良かったな〜」
「おたけ、クラブ終わってから来るって」
「陸上部の顧問やってるんやっけ」
「そうよ、夏休みもお盆も学校に捧げとるわ」
「また、そんなこと言う」と桐子が言うと
「今頃、くしゃみしとるかな」
之子は、自分が待ち合わせに十分遅刻したことも忘れて、もうソワソワし始めていた。
そういえば、海内洋の家は海内卒業後両親は父親の実家がある岐阜に移り、ここには身内も居ないと噂を聞いたが、何処か民宿にでも宿泊しているのだろうか?
サンルーフから入る生暖かい送り南風(おくりまぜ)にさっきセットしたばかりの髪が流されるのを手で押さえながら 「なあ、サンルーフ閉めへん?髪ボサボサになるわ」と言うと、桐子が「それに暑いわ」と言った。
ポニーテールのまとめ髪のおこまは渋々自慢のサンルーフを閉めた。
エアコンの涼やかな風が届いて、之子と桐子は顔を見合わせて微笑んだ。
途中、買い物をして、「クロスロード」に着いたのは、午後五時前だった。
夏の赤い夕焼けがボンネットを熱くしていた。
つづく
「春恋」
まだあげ初めし前髪の
林檎のものに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と想いけり
やさしく白き手をのべて
林檎を我にあたへしは
薄紅色の秋の実に
人恋初めしはじめなり
ご存知 島崎藤村の「初恋」ですが、この詩曲がつけられ1971年に舟木一夫さんにより歌唱された有名な詩です。林檎の花の開花は桜の開花から二週間後で開花しはじめ、桜は花から葉桜へですが林檎は葉から花へ移り咲きます。小さな薄紅色の花は初恋に恥じらう少女を想わせて、きっと島崎藤村も可憐な林檎の花に春恋しはじめなりの少女を映し詩を詠んだのでしょう。やがて花の命は十日間ほどで過ぎ確実に受粉して赤い玉のような実を結びます。女性の儚さと優しさと強さを男性目線で謳ったとても美しい詩であります。
春恋しはじめた林檎は花の時を終え実を結び秋のおとずれと深まりをその花と実を通して順序良く長く楽しめるます。
林檎の花の花言葉は「優先」「選ばれた恋」です。人恋初めしはじめなりですから、林檎の花は後に実り果実をつけるということに由来しているそうです。
人恋初めしはじめなり…青い春恋が順序を知り成長し実を結びますように✨️🌹
碧海 曽良
また、今夜
令和7年4月14日
お題 「未来図」
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
同窓会前夜祭がお開きになろうとしたのは日付が変わる少し前。「黒船」という、昔からあるジャズスナックであった。ここのマスターと之子の母之亜は同級生たまに、之亜母さんも飲みに来る店そこで強かに酔って候の三人を連れて帰るのは、おたけだ。まあ、見た通り真面目が洋服を着て歩いているような、おたけさんは下戸である。酒に飲まれてしまうのが、おこま。おこまは、もう明日の昼くらいまでは使いものになりそうにない。意外と強い桐子と飲み屋の娘で、あのばあーさんの孫娘だから、ここでも負けん気の強い之子は飄々である。で、運転手は、おたけ、少々カスタムされている車の運転に文句を言いながらも、きっちりとこなし三人を送り届け、おこまの家からは、おこまの母親に送ってもらい帰宅となった。
「んじゃ、明日夕方5時にクロスロードねえ」
それぞれに、そう口にして別れた。
「クロスロード」は彼女たちの母校の前に戦後すぐくらいからある洋食店。店主が趣味人で、昔からちょっと改まった時に使いたくなるようなモダンな赤レンガづくりの店に古い映画のBGMが流れる店内はノスタルジックが敷き詰められたような温かみのあるセピア色が基調のゆったりとくつろげる洋食屋である。
ここは、彼女たちいや、同級生女子は、みんな憧れる店で、謝恩会、同窓会、成人してからの初デートに結婚式の二次会と使われる。ここが、平成初の同窓会に使われることになるのは自然なことであった。
あまり、酔っていなかった之子は少し明日のことを考え、もの想いにふけりながら、大通りで三人と別れ潮風を感じながら自宅へ続く路地を歩いた。見上げた空には天の川が横たわり東京でも大阪でも見ることがない星屑の波がゆらゆらと揺らめいて見えた。
ふと、我に返ると家の灯りがついている、母にしては早くないか、、まだ午前0時前シンデレラは門限に間に合っているはずだ、「ばあーちゃんが起きてるってことか!」とたん夢見心地は一瞬にして覚めて、赤鬼のような、ばばあの顔が浮かんだ。
之子は、玄関からではなく裏庭に周り直接自分の部屋に向かおうとしたが、やっぱり「なんや、今帰ったんか!」という祖母の声に掴まえられた。「そんなとこから、コソコソ入るな!」と先ず言われ、説教くらうかと覚悟を決めたが、祖母は、久しぶりに之子の元気そうな顔を見ると安心したように笑い、「風呂入るか?」と聞いた、「ええよ、シャワーだけで」
「もう、母さん帰えるし、風呂入れるから入り、疲れとるやろ」何でもなく何時も通りの祖母の声と言葉と背中に之子は癒された。
風呂から、あがると母も帰っていて母が続いて入浴し、深夜まで鶫家の女三人のお喋りは続いた。
之子が、祖母が用意してくれた洗いたてのシーツとタオルケットに包まれて眠りに着いたのは夏の早い朝が明け始め空が白み始めたころだ、一瞬しんとした静寂が支配し夜と朝が入れ替わる木霊がコロコロと鳴く音を聴く。ムシりとする土用の空気が潤み草木が深呼吸して、ひんやりとした大気に包まれる、之子は窓を開ける明けの明星が輝いて見えた夏の朝を身いっぱいに伸びをして感じてから、布団に潜り込むと一瞬にして眠りの底に導かれた。遠くに新聞配達員が朝刊をポストに落とす音を聞いた。
平成元年8月14日 午前4時
つづく
「未来図」
卒業してから もう3度目の春
相変わらず そばにある 同じ笑顔
あの頃バイクで 飛ばした家までの道
今はルーフからの星を 見ながら走ってる
私をおろした後 角をまがるまで 見送ると
いつも ブレーキランプ5回点滅
ア・イ・シ・テ・ルのサイン…♪
未来予想Ⅱ 作詞 吉田美和
確か、去年は「未来予想」でしたか?「未来図」とか言われると、どうしてもこの曲が口をつく。どんなことを書いたかは覚えていないけど、この歌詞を書いたのは始めてではないことは覚えている♪
ダイヤモンドと同じく、1989年巷に流れた曲。
ブレーキランプを連続で5回点滅させるのは、あの頃のカップルなら一度はやるのだが、あれ結構テクニックが要ると知っているのは当時の彼氏たちだろう。密かに練習して本番に挑んだ人を私は知っている。
きっと何年たっても こうして変わらぬ気持ちで
過ごしてゆけるのね あなたとだから
ずっと心に描く 未来予想図は
ほら 思った通りに かなえられてく…♪
それには、二人の努力も必要だけどねぇ✨️
と、あの頃の未来図に立って思うこと。
それに巡り合うのは、もう少し後の話🌟
まだ見ぬ、波濤。それは、未来図。
碧海 曽良
今日の後書き
そういえば、今日読んだ記事に「理解力、読解力の低い人に共通する口癖は”ヤバイ“」なのだそうだ。なるほどなぁと、納得した。何故ならSNSでよく「ヤバイ」と書き込んでた人を知っているが、あの人は、そうだったんだやっぱりと今更ながら納得させられた。
自分の印象は間違いではなかったのだと思い安心した🌾🦜🌙
ゆきやって犬か猫か?ハイジん家のヤギのゆきちゃんか?馬鹿なんじゃないキッショ🌾🌾
お大事に🌸
忘れものしたら、また、探しに行けば良いんだよ、人生は3歩進んで2歩下がる、つけた足跡には綺麗な花が咲くから、迷わない。後ろ向きに前進しても、前進には変わらないから。それも未来図と呼んでいいんじゃない(笑)
おやすいみ〜🐠
令和7年4月13日
お題 「ひとひら」
春の雨 ふるえて散るも さだめかな
和服を好むひとりの女が、冷たい菜種梅雨に散る桜を見上げていた。
「今年も、これで終わりかえ」
ひとひらの花弁は、ひとひらの雪のように舞いながら落ちた。
「雨が、雨が 降ったから…」
女は、約束の場所に行けなかった行かなかった。
10年前美大生だった少女が講師に憧れ、この楚々とした桜のような少女の花弁を散らした。
少女は、妊娠し堕胎し、メンヘラに陥り男に当てつけの、死ぬ気のないリストカットのような自殺未遂をする。もはや、100年の恋も覚めるであろう、重たいメンヘラに男は逃げた。
10年後 再会
少女は、この時を待っていたかのように、男の前に現れた。
見違えるほどに熟れた女を、男はどうしてももう一度手に入れたいと思った。
「会いたい」と電話をする。
それから狂ったように二人の関係は再燃する。
「あなたしか、受け入れられない」と女は言った。
やっと、男の離婚が成立した、もう一人いた愛人と結婚するためだ。やはりどれだけ美しい女になっても、メンヘラで男の部屋で手首を切るふりをするような女は本命にはなれない。男はまたしても女を捨てようとした。すると本命の愛人が諭すように言った。「別れましょう、今だったら、まだ好き。好きなまま別れさせて」
本命になる女となれない女の違い。
結局、本命の愛人にも、妻にも去られた男は、
寂しさのあまり、あの女の元へ、しかし全てを知った女は、ようやく長い夢から覚める。
一人になった男は春なのに仕舞い忘れた独居の部屋にあるコタツに入り。
「ずっと、君が好きだ、そばにいてほしい」と魔女に呪文でもかけられたように短い心の嘆きを呟き続ける。
満開の桜に冷えた春の雨が落ち、ひとひらの花弁が震えながら落ちた。
メンヘラ女の呪いの復讐は幕をおろしたように思われた。熱く熱く熱せられた薬缶は、白い湯気をあげ触ると火傷をするほどであったが、火からおろすと、ゆっくりと火気を忘れてゆくものである。
女の内なる自然は開花し、ひとひらの雪のような花弁が静に濡れた歩道に舞い落ちた。
が、しかして、男が最後に呟いた女は誰であったのであろう。誰であろうと、女たちには構わないのである。
それは、過ぎた日の話であるから。
作者 渡辺淳一 「ひとひらの雪」
リスペクトオマージュ 碧海 曽良
今日の冷たい桜散らしの雨に濡れる桜を見ていたら、どうしても、こちらを書きたくて一気に書いた、リスペクトオマージュなので原作とかなり違うはずですが、大まかリスペクトオマージュです。 今時の人がひとことで言えばどうしようもない男とどうしようもない女の話、だから文学。
現実の話じゃなく物語だから良い話。
こんなの、目くじら立てて読む野暮は、人の心のいろはも語れないって。だから、黒髪が白髪に一夜にして変わる人の心労も、親の心も慕う子の心も、説教の順序も解らないわけ。これを私は変えるつもりはない。何故なら、これに取られた言動を私は許さないと決めているから。ブーメランだと言うくせに、自分へのブーメランに泣き言言うなんて馬鹿げています。人に差した人指し指自分に向けろ(笑)
と、いうことで、今夜は「まだ見ぬ、波濤」はお休みさせて頂き、明日の午後から夜に2日分書こうと思っておりますので、宜しくお楽しみいただけると嬉しく思います。
それでは、また。
つけたし、あのさ。
「ひとひら」くらい検索せずに行こーや、日本人?こんな場所に文章書く人ならさ泣き笑い。
ひとひらの 雫こぼれる 春の宵
碧海 曽良
また、セラピストが沸いてるわ笑笑 そんなにセンセーと呼ばれたいのかなぁ?厄介な病だとか?木の芽時はねぇ、なんだか可哀想です。人のことより自分の内なる自然でも解放してください。他人のことは、その人にしか解りません。マウント取りはやめたほうが良いですよ、みっともないしキモいだけ笑笑。ナニ分かった気になってんだろ?それこそ言う権利あるのか?どの立場やねん笑笑 はい、君の好きなブーメラン。はい、また現実と物語ごっちゃの厄介な病気さんは「ひとひらの雪」も知りませんよーでしょうか、渡辺淳一のベストセラーです。
「まだ見ぬ、波濤」 4月13日分
四人は海岸線を抜け、このころリゾート開発とふるさと創生金で開発された海岸線に出来た小洒落たレジャー施設にある、カラオケボックスにいた。カラオケボックスは岡山発祥で、之子たちの故郷にも、1980年代半ば頃からあった。貨物運送用のトラックコンテナを改装し幾つも並べたようなスタイルであった。四人は新しくオープンしたカラオケボックスに入った。都会ではカラオケスナック一曲100円なんて頃。はじめてカラオケスナックデビューで歌った曲は、杏里の「オリビアを聴きながら」先輩とデュエットしたのは、とんねるずの「雨の西麻布」上司と仕方なくデュエットしたのが「居酒屋」そして女の子同士が集まればプリンセス・プリンセス、レベッカの最新曲からはじまって、聖子、明菜、キョンキョンで、アン・ルイスの取り合いで最後はピンク・レディ。
人の歌より自分の曲を探すのが忙しいとしごろ。
おこまが言った「ここの店、“よりみち”ってさぁ、なんか田舎の場末のスナックみたいやん」
相変わらず、女子トークだと辛辣な、おこまらしい意見。「みちくさとかぁ?」桐子が言った「ちょっと、演歌やな」ギャハハと四人で笑った。
3時間が、あっという間に過ぎて気づけば夕暮れ時。夕暮れの海岸を湘南ではないけどカーラジオから清志郎をガンガン鳴らして四人を乗せた白のフェアレディZは爆速した。
そして今度は本物の居酒屋へ最近進出したというチェーン店居酒屋へと向かう。途中これも都会から入って来た陸サーファーたちの誘いを無視して、四人は同窓会の前夜祭を決行した。
1930年代に始まった集団就職は1950年代にピークを迎え、1970年代に終演を迎える。所謂金の玉たちの時代は終わり、高度成長期も終わり、三種の神器も3C時代のカラーテレビ、クーラ、自家用車も手に入れた一般的家庭。バブル期に突入すると、田舎の極一般的な家庭の子供も大学へ進学する、一億総中流意識の時代。都会と田舎は近くなり、コンビニチェーン展開外食産業に量販店は、日本全国を何処に行っても同じ風景に変えて行くのである。
そんな時代の風を感じながら、彼女たちの青春時代は過ぎて行くのであった。
明日は同窓会
つづく
また、今夜〜👋
令和7年4月12日
お題 「風景」
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
1989年8月13日
天候は曇りだった。
少し蒸し暑い。
3月に帰り、GWにも帰り、お盆にも帰って来た。事態は色々変わり、GWには転職を祖母と母に告げ、祖母にはキック叱られ「3年は帰るな!」と言われて、それでも母から届く毎月の荷物には「ばあちゃんが心配しとるから」とか「ばあちゃんが…」こう言ったとか必ず記されていた。当のばあちゃんからは便りは無く電話しても、その電話にさえ出ない人だった。
明治生まれで一度は島から出て神戸の純喫茶で女給さんなんてのをしていたが、たまたま同郷の祖父と知り合い、当時には珍しい恋愛結婚をして神戸で新婚生活をおくり、五人の子供を授かったが長男は夭折。次男と下に三人の女の子を生した、その末娘が之子の母親之亜である(ノア)なんてハイカラな名前はもちろんノアの方舟からで、その頃神戸でテイラーをしていた祖父の仕事柄、教会に行くことも多く末娘にそんな名前を父である之子の祖父がつけて、その一字をもらい、祖父が一番下の孫娘に命名、之子の母之亜が37才の年の暮に産んだのが之子と書いて(ゆきこ)珍しく島に雪の降った日の夕刻に産声をあげたことから「ゆきこ」と名付けられた。そのゴッドファーザーは戦争末期故郷に妻と娘たちを連れ帰り児童養護施設を開いた。戦死した之子の伯父にあたる次男と夭折した長男の菩提を弔い、末娘の高齢出産を見届け、その子に名前をつけてから二人の息子の待つ冥土へと旅立った。それから、之子の祖母は、結婚12年目にして子供が授かった妻と一人娘を遺して義父である之子の祖父を追うように海で死んだ。児童養護施設で一時預かっていた戦争孤児だった之子の父亡き後、夫が遺した児童養護施設を切り盛りしながら、之子たち親子の世話も纏めてした。気丈夫な人で人前で涙は決して見せない人で、息子たちの死も夫の死も、そしてこの時はまだ知らぬ娘たちの死も涙ひとつ溢さず堪忍袋の緖をキュッと固く締めて堪える人であった。あの、戦争を越えた人達は計り知れなく強く、そして逞しくずるい。情が薄いわけでは決してないし、ドライなんて安ぽい語彙力の対極みたいな言葉で表現出来る様なものではなく寧ろ情が深いからこそ、強かであるのだ、これを強情と云うのであろう。
後年まで之子のDNAに刻み込まれる想いは、この祖母に由来する。
之子は、小さいが背筋のシャンとした死ぬ間際までシャンとした祖母を敬愛していた。がしかし、若い頃は少々鬱陶しく感じた時期も正直あった。幼い頃は躾にも厳しく特に食事の仕方には、箸の上げ下ろしは勿論、箸使いから食べ残すな!残すならはじめから箸をつけるな!女の子なのだから綺麗に食べろと、それは煩かった。おかげでこの祖母が育てた女は、血の繋がった身内だけでも之子母娘合わせて7人居るのだが、皆食べ物の好き嫌いなく綺麗に食べる。特にその中で最年少であった之子は故郷を出てから何度となく魚の食べ方だけはよく褒められた。良くも悪くも明治気質の「がいなばあちゃん」であった、之子の祖母名を、鶫 小梅さん。「そんな可愛らしい小鳥さんみたいなもんじゃないわな、どっちかというと猛禽類だわ」と小言を言いながらかどうか、之子は、そそくさと荷物を部屋に入れ、ばあーちゃんに呼び止められぬうち、家を出た。
おこまが運転する白のフェアレディZが海岸線を走って来るのが見えた。之子は急いで自宅を出ようとした、店を開ける前の母が来て「あんた、帰ったら声くらいかけんか!なにをコソコソしとる」「ああ、もう、おこまらが迎えに来るから、いぬわ!」「こんばんは、帰るん?」「多分、遅なるわ、晩ごはんいらんし」そう言い終えて、家を飛び出た。
之子の家は大通りには面しておらず、おこまが帰省する時にだけ使用する愛車白のフェアレディZは、辻向かいの大通りまで出なければ家の前までは入ることが出来なかった。
之子は、慌てて家を出た。
既に、三人が陣取った車は、之子を待っていた。助手席に、おたか、桐子と之子は後部座席だ。
夏の乾いたアスファルトに低めの爆音ひとつ、そういえば、車体もちょっと低目だ。
気づいた之子が「おこま車イジった?」
「そう、なんやって、こんなん生徒に見つかったら」と、おたかが言うと「まあ、まあ そう言わんと、四人揃うなんて久しぶりやん」とおこまが声をあげた。四人揃うのは本当に久しぶりで、まだそれぞれが呑気な学生時代に遡ってしまうのではないだろうか。
海岸線を走るZは注目を集めた。海岸には都会から来たと、ひと目で分かるサーファーが、このころから増え始めていた。何故地元の若者でないと分かるかといえば、地元の人間は若者であっても、この頃までは、お盆に海水浴する者はいいからだ。
都会から来た、陸サーファーたちを尻目に、おこまは車をわざと目立つように走らせ楽しんでいた。
8月の風が、彼女たちを抱きしめて、ステレオタイプの毎日が地平線の彼方に消えて行くようであった。
平成元年 22才の夏休み
「景色」
あなたとわたしの見る景色は違うから
ねえ、気がついて欲しいのよ早く。
そして、諦めて欲しい。
退屈なイルミネーションも都会のノイズも、わたしには癒してあげられないから、他をあたって。
残念だけどね、わたしあなたの景色全然興味ないんだ。
わたしのイマジネーションのコンパスは自由に砂の嵐の中を駆け回り遥かなオアシスに辿り着くから。
だから、追いかけてもそれは異次元のパラレルワールドだから、あなたとわたしの景色は重ならないと気づいて。
写真はセピア色に変わる時が来て、今の青さを懐かしく想い出したら、その時は少し同じ景色が見えるかも知れない。
いい、覚えておいてね、今、という同じ時間同じものを見ても私たちが見ている景色って同じじゃないから。良かっわ、あなたと同じ景色が見えなくて。
あなたにだけは、じゃあねと、手を振るわ。
きっと、精々した景色が見えると思うから。
後書き
はい、また現実と作り話ごっちゃにしてるう、砂漠の馬鹿さん、「まだ見ぬ、波濤」は、碧海 曽良の引き出しの中にある、いろんな物語を混ぜて作った作り話だからね、納得してねぇ😁
世間狭いと自分の実体験視点だけでしかないように思いがちかもですが、人間60年近くやってると、いろんな人を見、人の物語も聞きます。ネタだけは、まだまだ沢山あるのです🌾
ネタだけはね〜ぇ。
令和7年4月11日
お題 「君と僕」
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
冷たい水面に 素足をひたして
見上げるスカイスクレイパー
好きな服着てるだけ 悪いことしてないよ
金のハンドルで 街を飛びまわれ
楽しむことにくぎづけ
ブラウン管(テレビねぇw)じゃわからない
景色が見たい
針がおりる瞬間の 胸の鼓動焼き付けろ
それは素敵なコレクション もっともっと並べたい
ダイアモンドだね いくつもの場面
うまく言えないけど 宝物だよ
あの時感じた 予感は本物
嗚呼 今 私を動かしている そんな気持ち
いくつか出会って 順序も覚えたけれど
はじめて電話する時には いつも震える
プレゼントの山 埋もれもがいても
まだ 死ぬわけにいかない
欲張りなのは 生まれつき
パーティーは これから
耳で溶けて流れ込む 媚薬たちを閉じ込めろ
コインなんかじゃ売れない 愛をくれてもあげない
ベルトをしめてプロペラまわし
大地を蹴って とびあがるぞ
なんにも知らない 子供に戻って
やり直したい夜も たまにあるけど
あの時感じた 気持は本物
今 私を動かしてる そんな気持ち
1989年の4月にリリースされた、プリンセス・プリンセスの「ダイアモンド」は之子のテーマ曲みたいに、いつも替え歌鼻歌を口ずさんでいた。例えば松田聖子の「制服」と「蒼いフォトグラフ」が10代のテーマ曲なら20代はじめは「ダイアモンド」と「世界で一番暑い夏」だ。それこそ中学時代に憧れた「22才の別れ」はバブル世代には古かった。実際22才になった之子は彼女の気持を解るような解らないような解りたくないようなそんな気持ちであった。
そんな之子は今、おこまと共に大阪行きの新幹線の中にいる。何故なら突然先輩の申し出でこの新米社員がお盆真っ只中の13.14.15.16の4連休という、バブル期のデパートでは考えられない夏休みをゲットしたのだ。その先輩は個人売り上げが非常に厳しい状況にあり、集客が見込めるお盆休み、ほぼほぼ夏のバーゲンは終わり初秋ものの立ち上げの時期ではあるが、世の中の夏休みが終わるまで自分の夏休みを見送ると戦闘態勢に出た、そのお鉢が之子に回って来たのである。もちろん、その期間の個人売り上げは無いから、休みの順序取り方もこのころはデパートカーストの順序と掟があり、掟破りには個人売り上げという掟に従う型が必至であった。営業スマイルのひとつも出来ぬ者や、使い分けも出来ぬような者は、パワハラでも虐めでもなく、休み返上となる、まさしく「24時間働けますか」数字実力本位のシビアな現実であった。
8月12日午後9時 おりしも土曜日🌟
シンデレラエキスプレスで賑わう西の玄関口、品川駅でシュウマイ弁当を買い新幹線に乗り込んだ。まだ、明石海峡大橋が工事着工されたばかりの1989年大阪で1泊して、あくる朝南港からフェリーで帰る。
海内洋も同窓会に出席するために、このコースを使うのだろうか?之子の胸は盆時期の離岸流のように騒いだ。
つづく
⚠️クイズやってる訳やないよ〜🌾 之子の故郷を当ててもプレゼントの山は有りませんので、ご苦労さん。これは、昭和の終わり頃の田舎から都会に出た女の子の架空の物語です🌟 あの頃都会は遠かった。「望郷」という故郷の個性を性格形成に色濃く残す、最後の世代の物語です。今、現実に思いつくそこに行っても彼女たちは架空の妖精なので居ません笑笑 残念。砂漠の馬鹿はここまで言わなきゃ解らない(;´д`)トホホ…
「君と僕」
僕は君が嫌いだよ。
今、この世で一番嫌いと言ってもいい。
人を憎むと穴二つだと教えられて来たし、人を許せない心が一番哀れだとも教えられて来た。けれど、今、ここではっきりさせておく
「僕は、この世で一番君が嫌いで」
「僕は、君を許さない」
何故なら、その方が僕の心に正直で嘘がなく真っ直ぐで正論で正しく自分の心に寄り添ったことだからだ。
僕は日常生活において、「人を恨んで生きる奴は損をする」と教えられて、子供たちにもそう教えて来たので、ここで、祖父祖母ご先祖様父母子供たちに謝らなければならない。「許されるために簡単に口先だけで謝るな」とも教えられて教えて生きて来たので、心底よくよく考えてのことだ。
「僕は、君がこの世で一番嫌いだ」そして
「君を、決して許さない」
誰だか解るかい?
そう君だよ、君だセンセーwww
実際、僕にこの世で一番嫌われても、決して許されなくても、どうということはない。
しかし、これから先に、君が泣いたり具合が悪くて沈み込んだり弱音を吐いたりしている時はこの世の何処か片隅に「ザマァ」と思っている人間が一人は、確実に居るということを、ここに記しておく。
君へのデス・ノート
たまには、こういうのも書いてみたwww
後書き
去年はな〜。
今頃🌸のことをよく書いた、そしたら君は花は🌸ばかりじゃないとかなんとか逆張りしてたんだよ知ってるよ僕は🌾
今年は花は桜かい🌸🌾🦜🌙
他人様にはよく逆張りとかいう言葉を何かにつけて使いたがる君だけど、君は自分のことは全然見えていないみたいだね。何時も他責思考で、他罰的で自分を肯定できないとか言いながら、誰かに肯定してもらうまで解って!って🤬←こんな顔してへばりつく🌾🦜🌙人に向けた人差し指は自分に向けろ🌾🦜🌙
たかだか、こんな顔も知らない名前も名乗り合わないような場所で他人様を自分の正義感とかいう暴力でのネット私刑の暇つぶし他罰的で他責思考な吊し上げて裁く砂漠の馬鹿🌾🦜🌙
そんなところも大嫌いさwww
あなたの視線?誰でも自分の視線でしかものは見れません。どれほど自分は主観にとらわれないと思ってみても、AIでもない人間は所詮自分の視線でしかものを言えません誰でも。それが人間の味です。あなたの視線でと上から言ってるあなたの視線でどうぞ🌾 自分を多数において「私もぉ」と多数派の人のかげで声大きな声で、少数派を裁いて裁いて悦に入る暇つぶししていないで、「私は、」とStand aloneで意見が言えると違う視線が得れますよ🌾🦜🌙