令和7年4月3日
お題「君と」
「まだ見ぬ、波濤」 作 碧海 曽良
なんだかんだで、あの心細く降る雨と低い空を見あげた入社式から、あっという間に二年が経とうとしていた。大阪の老舗百貨店、バブル期全盛を極めたアパレルフロアーに、流行り出した女性ニュースキャスターみたいな格好をして立っているのが之子。自称するのは勝手のイヤ、わりとよくそう呼ばれている、なんちゃって安藤優子。本人なりきりさんだ。格好だけでもなく、馴染むのは早く売り上げも良かった。ひとりっ子育ちに有りがちな、借りてきた猫から、育った通りの暴れ猫に変身で走りまわっていた。
1989年1月7日(土)天候は雨
それは、昭和が終わった日。
もう、かなり以前からカウントダウンは始まっていたから、前の晩からテレビはつけたままだ。
午前6時33分 一斉に特別番組に切り替わった。之子も仕事の段取りがあったので、このニュースを観ていた。社会人ニ年目も終わろうとしていた。仕事にも一人暮らしにも慣れて、もうすぐ後輩がまた出来る。そんな浮ついた気持を戒めるような朝のニュース、「昭和が終わった」永遠に続くものなど何もない、ことをかの方は、我が子供たちに教えてくださいました。長過ぎた昭和、はじめと終わりの価値観のギャップたるや。その全てを包容された方が逝きました。之子は、お祖母ちゃん子でしたので明治34年生まれの昭和天皇と明治39年生まれの祖母を畏れ多くも勝手に重ねその向こうに、幼い頃に別れた祖父と父の面影を見る少女でありました。その頃にはもう、研修や展示会で、あの薄汚れた感じの東京へも一人で行くようになり、昨年は、皇居に訪れ昭和天皇御回復の記帳を祖母母の想いも込めて、記していたのでした。この、之子以外にも居たであろう、昭和という時代に良くも悪くも育まれ生きた人々、市井の日本人の記帳という細やかな心を裁く事件が後に起こりますが、この時はただ、田舎育ち明治生まれに育まれた子供は、本家のお祖父様が亡くなったような気持ちでテレビを観ていました。
1989年1月7日 午後2時36分
新しい元号「平成」が発表され、翌朝1989年1月8日より平成がスタートしました。
こうして、昭和は、64年という3世代4世代、4つくらいのゼネレーションが混在する時代でありましたが、幕を下ろしました。はじまったものはいつか終わる。昭和もまた、明治大正の人々に新しい時代と言われ生まれ、その明治もまた、新しい時代であったのです。今、はじまったばかりの「平成」という時代もいつの日にか終わり、新しい者たちに古い者と呼ばれる日が来るのだろうか?しかし、それも玉響。
日は暮れ、また昇り続ける限り、いつかは、新しいものは古いものと呼ばれる日が来るのだ…。
「諸行無常って、こういうこというのかなぁ、、、」
相変わらず、明治生まれと茶を啜りながら育った之子は、そんなことを考えてみる。
そうしてふと「ばあちゃん、天皇陛下の五つ下やけど、そういう年なんやねぇ、相変わらず口やかましく元気そうやけど」そう思いながら実家に電話をするのであった。
1989年1月7日 その日は、多くの企業が休みになり。之子の勤めるデパートも休業であった。朝礼には参加し黙祷をし売り場を片付け帰ったのはもう夕刻であった。
新聞を広げると、一面全面「昭和天皇防御」の文字で埋め尽くされていた。
鶫 之子22歳の年は明けた。
つづく
「君と」
君がため 嘘でも花は 咲きにけり
情は人のためならず
後書き
他人のせいにするのは簡単だから、とりあえず「わたしもぉ」「わたしもぉ」と言っておけば
いつでも、「そんなつもりじゃなかったの、あの人が、そう言ったから…」の自己弁護。そんなつもりはどんなつもりか?他人の意見の尻馬に乗って、都合わるくなったら逃げるの一番「わたしもぉ」にはそんな嫌らしさを感じてならない。私は良い人良い子って見せたいのが見え見え。そんなの意見じゃないからな、意見するときは「私は、…です」覚えとけ。
下はいくらでも、ハラスメントだなんだと突き上げが出来るが、トップに立つと突き上げは出来ない。トップは常に孤独である、そして誰かがやらなきゃその企業は潰れる。そして、下を守って当然で、守れなければ、その企業の終わりを意味するのである。鼠は楽で良い、近頃は逆ハラスメントなんて言葉もあるが、それもやっぱり雇われだから言えることである。中小の一人で全部背負ってる社長が逆ハラスメントで社員訴えるなんて本末転倒なこと出来やしない。だから、いつも孤独で孤高の中小企業の社長たちだ、その者たちが日本経済を支えた。そんな時代も終わりを告げ社長が社員を逆ハラスメントで訴えるなんて、話も起こるのかねぇ、それが多様な価値観なんだろ、不公平はいけないからな。
世も末だ(笑)
令和7年4月2日
お題 「空に向かって」
「まだ見ぬ、波濤」
作 碧海 曽良
回想
1985年 3月3日
なごり雪が舞う堤防沿い、セーラー服のスカートを、春まだ浅い海を渡る風になびかせながら自転車を漕ぐ。スカートが、はためくのも気にせずに一心にペダルを踏む。潮騒は、やがて鶫之子(つぐみこゆき)の胸の高鳴りのように、ザワワザワワと波音を高める、小さな背中が視界に入り大きくなった。一旦やんだ、なごり雪が、また降り始めたことに気づいた之子は、嬉しそうに空を見上げてから、大きな声で、その背中に声をかけた。
「おはよー」
自転車を止めて振り返った、学生服の青年は、海内洋(かいだいひろし)追い着いた之子は自転車を止め自転車から降りて、もう一度「おはよ!雪やん」と叫び気味に言って笑った。「おお」どちらに対しての返事なのか、なごり雪なのか、おはよー!に対してなのか分からない返事を、ひとつ洋はして笑った。
「珍しいよね、三月に雪って、なごり雪やね!イルカやん!イルカ!」と、まくし立てる之子と黙って自転車を押しながら歩く洋。
春を待つ、なごり雪は、瀬戸内海の静かな海に消えて行く。
二人は並んで学校まで歩いた。
話題は、いつもと変わらない、昨日の深夜放送の話。之子が9割話して、洋は1割くらい。でも、その1割がとてもとても之子には大事。
之子は、大切そうに洋を見つめた。
潮風が二人の髪を撫で、潮騒が少し静かになった。ハラハラと、なごり雪は舞っていた。
卒業式の朝だった…。
回想
1988年 4月4日 早朝
外は雨が激しく降っていた。
「入社式に、これか…」
之子の部屋の電話が激しく鳴り静寂を打ち消し、微睡みから引きずり出される。
「もしもし」
「あっ、お母さん、解ってる、解ってるって、もう切るよ」
入社式の朝、起こしてくれたのは、聞き慣れた母からの声が聞こえる長ーいコードの家電だった。とたんに、なんだか今日の空模様のように、気分が憂鬱になった…いやいや、新生活への不安というより、激しいホームシックに之子は堕ちていた。
3月25日に家を出てはじめて大阪で一人暮らしを、はじめてから味わう寂しさに憂いていた。3月25日は母も来てくれて一人暮らしの準備を手伝ってくれたが、一人になると、とてつもなく寂しかった。と、いうのも生まれてこの20年母とは何時も一緒で、一卵性親子のように過ごして来た。けれど、之子は地元の短大を終え、母の希望に反旗をあげて、バブル全盛期の大阪へと足を踏み出したのである。
本当は、東京に行きたかった。高校時代あの、なごり雪の洋くんを追いかけて。
1985年東京の大学に出た洋くんと地元の短大に進んだ之子は暫く遠距離恋愛をしたが、「木綿のハンカチーフ」ヨロシク之子は失恋をした。その間に数度訪れた東京は、なんだか忙しく騒がしく、そして之子には汚い街に見えたのだった。東京に馴染んで行く洋くんを見るのも寂しかった。元来、呑気に育った天然のまだ20歳前の之子には東京はとても汚くて怖い街に思えた。
なら、どうして、母の願い通りに「二十四の瞳」の若先生にならなかったのかといえば、怖さと裏腹にある都会への憧れ、1988年昭和63年バブル全盛期、瀬戸内の天然娘は、バブルの申し子となり、「木綿のハンカチーフ」さながら自分を振った男を見返すべく、小糠雨降る御堂筋に立つのであった。けれど、東京には、よう行かんのである。流行りのマヌカンヘアーにして肩パットで怒らせてみても、心の中は瀬戸内海の穏やかな水面を渡る鵯なのであった。
之子の母、鶫 之亜は島でスナックを経営しながら、夫亡き後、夫の母に手伝ってもらいながら、之子を育てた。最初こそ、自分の引いたレールの上を安全パイを生きて欲しいと願い、島の小学校の教師にすべく之子を育てたが、一転何があっても、決めたからには石の上にも3年泣き言、言わずにやって来いと之子の背中を叩いたのである。之子は、そういう風に真っすぐに育った。
「人間ハッタリが肝心やからね!セコセコせんとドンとやって来い!」と追い出し、今夜も田舎のスナックに立っているのであろう母。之子は、昨夜すぐに眠れなくて、大阪の夜空を見上げ涙が溢れないように言った
「大阪の星は小さいねぇ」
空は低く、川に映るネオンを反射して星はとても小さく遠かった。之子は布団を頭からすっぽり被って眠った。
つづく
この語は、1988年バブル全盛期、田舎から都会に飛び出した女の子が、バブルの申し子と呼ばれ、時代を謳歌し、本物に出会うまでの時代創作話である。
後書き
「空に向かって」
にじむ街の灯に
空を見あげた
泣いたら負けや
泣かへんで
空に向かって約束した
夢しか無いよな
時代(とき)やった
一度も誰も
憎まへんで
海に向かって嘘ついた
嘘も吐き通せば
本気の嘘やで
墓場まで持ってたる
負けへんで
自分に向かって約束した
碧海 曽良
「ごめんてね」ってさぁ、思ってもないのに口先だけで私優しい人間です装う為に言うのって一番図々しくて薄汚いよねぇ笑笑
「ごめんてね」って言ったら許さないと相手が悪くなるものね、許される為に口先だけで謝ってんじゃねえよ!笑笑 ちっとも相手の心に寄り添ってないよね笑笑 少年マンガ王ナルシストもキモ。
自分のせいではないことの処理が出来るようになって、はじめて一人前に仕事がデキる大人です。いつまでも自分のことで精一杯の萬年ペーペーでいたければ別ですが。
こんなもの くだらないから もうやめた
そう打ち込んで 桜映えUP 📸🌸
悪口は くだらないから と悪口
投稿せしは 正論気取る
無季 😜
一番アホなのは、我こそわーって、正論気取って、悪口の悪口に悪口投稿してる奴だわね笑笑どれもこれも悪口ざんす、解ってる?笑笑
「正義は簡単にひっくり返る…だから、永遠に正義はそれこそ有り得ない。けれど、受けた恩って生涯かわらない、その人の中で正義であり続ける」やなせたかしって、結局そういうことを書きたかったのではないかなぁ、、凄いよね🌟🤗
さあ、今夜も、下手な横好き一炊の夢はじめようかな🤡
今日も1日お疲れ様でした。
はじめまして
はじめまして、今日からはじめます。
今日はエイプリルフールですがあれって正午までなんですか?詳しく知らないけど笑笑
確か、去年の今日は、「四月バカ」って感じのお題だった記憶、実は二周目なんです(笑)
ここからは、今日のこと。
今日は、1日図書館でネタを集めてました。
グルグルグル浮かんでは消える、本を手にしてみたり、スマホを覗いてみたり、こんな休日がまた、人生に訪れるなんて想いもしなかった。あの頃は、スマホは無かったけど笑笑 根気は今よりあったかなぁ、、、(笑)
それから、そんな日があったことさえ忘れるような日が続き、気づいたら、ほら、また会えたあの日のわたし。
「またね、また来るね!」って、あの頃の私に話しかけたい、そんな気分。
ふふ、ということで、はじめますは後日公開。
今日もナナシ…。
二周目 4月1日
ああ〜、また、他人のせいにしてるわ笑笑
こんな僕にさせる君が悪いんだ!どんなけ他責思考なんだ笑笑
またね!
じーぃ じーぃ じーぃ🎦
只今、調整中。
またね! また、明日。
またね!は、また会うためのオマジナイ(笑)
呪いだなんて終わってるねぇ、可哀想に(笑)
幸せな結末は、あちからやって来ない。マイナスシンキングじゃあ、そりゃあ幸せな結末は無いから安心して、要らないんでしょ幸せな結末なんて、大丈夫あなたは幸せな結末なん得られないから…って言われたいんだよね、その文脈。それは誰のせいでもないから、お願いすることじゃないし解ってもらうものでもない。やめて!言わないでくれ!解って!どんなけ他責思考やねんて考えてみ笑笑
幸せは自分の心が決めるもの、幸せな結末は自分でつかむもの、人にお願いするものではない。てか、表現力が…頑張って笑笑
中身はまだない、なんにもないねぇ(笑)
なんにもないから、また会いたい人も居ないしまた会う必要もない、約束もいらない。
そんな人は「i am nothing.」 きっと頭の中にも心の中にも、なんにもない、中身が空っぽな空虚どこまでもつづく砂漠、潤す水もない。
そんな人には必要のない言葉だから笑笑
これからだからなんだよ笑笑 解るの笑笑
人生の裏表、起き上がりこぼし(不倒翁)に込めた親の想い…。「またね、何度でもまたね」
関西でも、女の子は「ほな、またね」イントネーション違うけどね笑笑 「またなぁー」使うのは下町の、オバハンかオッサンかガキwww
そんなにカリカリしないの🤬←こんな顔して、それこそ子供が可哀想www で恥ずかしくないの?だわ。
極端は、束縛される僕ちゃんを育てます。悪いことを知るから善行が大事と学ぶんですよ。子供を、ひ弱なモヤシに育てて、36歳無職ママにパンツ洗ってもらってますみたいな息子ちゃん育てないでねwww 社会のお荷物になるからwww 社会のお荷物、社会に謝罪www
許されるために謝るな!悪いと思ってないんだろ?親に社会に、おんぶに抱っこニート大センセー様www 中身空っぽあんちゃんに譲る気はない、お願いばっかり与えてもらうことばかり当たり前みたいに言ってないで、欲しければ奪い取れ。正義は…なんだっけ?逆転する、正義は簡単にひっくり返ってしまう。決してひっくり返らない正義ってなんだ?あの台詞はなかなかで、流石プロ。
解って!寄り添って!与えて!の受動的ではなくて、自分がの能動的態度で「マットレスで組め!」だ。よーく考えろ!www 解って!のうちは、君の春はまだ遠い。御下がりの与えられたものに囲まれてふんぞり返るなよwww
昨日今日は寒い、引きこもりの君には解るまいwww
また、そんなに他人任せのくせに、他人の目ばかり気にして(笑) イメージばかり気にするの?そんなに他人に良く思われたい?そのくせ私のこと解って!多様な価値観認めて寄り添って個性?どっちだよ?それとも、それは自分や自分の子供に対してだけか?笑笑 そりゃあ疲れるだろうね。個性を貫きたいなら孤独を怖れるな!多様な価値観というなら他人の個性を認めなきゃ、優しくあれていないし、寄り添ってもないよねぇ大センセーwww 自慰行為みたいな一行飛ばしの当て擦りが関の山ならも少し上手に書いてやらなきゃ、猫さん哀れ。
「またね!」こんなに無垢な言葉を汚す同朋の荒んだ心を赦してやってください言葉の神様。
声に出して読みたい日本語です「またね!」
さてさて、今夜は…。
今日はナナシ
春風とともに
1つ 人より力もち
2つ ふるさと後にして
3つ 未来の大物だ
大ちゃん アッチョレ 人気ものwww
てんてん てんかの 大センセーwww
4つ 弱気は見せないで
5つ いつでも 猛勉強
きたえぬけぬけ お勉強
6つ むしゃくしゃするときは
大ちゃん アッチョレ 顔真っ赤🤬←で
アンチョレ 音頭で湯気をあげ
てんてん てんかの 大センセーwww
大ちゃん数え唄 作詞 石本美由起
替え歌 心幸
1.2.3.4.…数えあげると物事を客観的に捉えているように思うのかな?どう読んでも主観的でしかなく、個人的な趣向しか伝わって来ませんが笑笑 実に幼稚に思いますね。それは、あなたの感想?解らなかったことですよねwww それを物語のせいにしていては駄目ですよ。解らないから嫌いは幼稚ですから、正直に解らなくて、ただ嫌いの方が素直です。けれど、終わったものにゴチャゴチャ言うなら、解らなくても答え出なくても考え続けてくださいな。人生経験を積めば解る日が来るやも知れません。考えることをヤメルナ!と、あなたの大好きなセンセーも仰有っておられたから。まあ、頑張って吠えていてくだーいwww まったく、ストーカーが気質丸出しで気持ち悪いわwww お大事に。
さて、話もどして、大ちゃん数え唄。
明日から、4月新年度 この桜咲く春風と共に
新しい土地へ、新しい人生へ旅立つ人もいらっしゃるかと思います。この、4月始まりの新年度、世界共通ではないと知った時、日本スタイルが絶対好いと思った日は遠い日のことですが、一部欧米スタイルをとする西洋かぶれ意見に流されず日本は日本のやり方を通して欲しいという考えですが、明日から新しい一歩を踏み出す皆さまに桜の花びらのような小さな幸せが沢山舞い落ち幸せの絨毯が敷き詰められますことをお祈りいたします。
短編
「春風とともに、山の音」
川端康成原作「山の音」オマージュ
山の奥深くの根雪をとかす春風とともに、地響きのような、地から湧き上がり足の爪先踵からジンジンと突き上げるような、山の音を尾形は聴いていた。自らの老いを自覚しその山の音に魂をかき乱される。じっと耐える、どんよりと生温かい春の夜の闇の彼方から響く山の音。
復員兵の堕落した息子は、今夜も帰らない。同居している息子の新妻喜久子は、帰らぬ夫を今夜も待ち、まだ起きているようだ。新婚夫婦の部屋から溢れる灯りをボンヤリ縁側に座る尾形は見つめていた。振り返ると妻はもう寝入り微かな鼾が縁側にいる尾形の耳にも届いた。還暦を過ぎた尾形は最近物忘れをするようになり、別段身体にこれといった不調はないのだが、友達の訃報も届く近頃、漠然とした不安を感じていた。
或夜、あの地鳴りのような山の音を耳にしたのであった。それからというもの、まるで死亡宣告でも受けたような恐怖を感じていたのであった。
息子の嫁、喜久子は、ほっそりと長身の色白な娘で喜久子を見ると尾形は妻保子の姉を思い出すのであった。保子の姉は若い頃の尾形の憧れであったが、若くしてこの世を去ってしまった。以来心にそっと恋慕の情を仕舞い、妹である保子と結婚した。
息子は、二年ほど前に喜久子と結婚したが、堅物で几帳面な喜久子とは、肌が合わないらしく、もう外に愛人をつくり帰らない日が続いているのであったが、そんなこんなが、男の負い目と女の引け目に何か変化を与えたのか、夫婦生活が性急になったようで、土の下の虫が動き出す啓蟄の深夜今まで聞いたことのなかったような喜久子の慟哭の声を尾形は聞くのである。喜久子を不憫に思った舅尾形は、息子の愛人を調べ家を訪れる。
尾形の家には、嫁に出したはずの長女がコブ付きで出戻り、妻は我が娘孫可愛さで、後ろめたさを姑の立場を使い、嫁である喜久子にあたる。そんな中、夫に愛人がいると知り深夜に慟哭しても昼間は楚々と家に仕える喜久子に不憫を越えた気づいてはならないような音を感じる尾形なのであった。
喜久子への淡い恋心を自覚する尾形。喜久子もまた、舅の優しさに、辛い身の上を寄せ慕っていた。
そんな中、尾形は自分たちと息子夫婦は別居すべきと考え、喜久子に切り出し、息子の愛人宅へ向かう。愛人は、戦争未亡人で、荒んだ顔を寂しさと悲観的な青白い顔に漂わせた病弱気な女であった。そして尾形は、この愛人がもうすでに息子の子を堕胎までしていることを知らされる。そればかりか、息子の醜態、酒を飲んでの暴力、そして何より喜久子のことを、「子供過ぎて抱けない」とこぼしていると知り、純粋な生娘のまま嫁に来た喜久子に対する侮辱に我が息子のことながら怒りを収めることに必死であった。
息子は、あの戦争から帰って、どこか変わった。おそらく、愛人もあの戦争で、変えられたのであろう。尾形の最初の息子は、昔は、小さな動物や花を愛でる男であったが、今は、なぜか刹那に春風ともに吹きすさぶ夜中に舞う桜吹雪のような狂気を感じるのである。
優しくありたい息子であったため、戦地で見たものはあまりにも過酷であったのか、息子は心の傷病兵であったのだ。愛人もまた、夫を戦争に奪われ人生を狂わされた、心の戦災婦人であったのだろう、二人は同病相憐れむで惹かれ合い貪り合ったのか、、尾形は無情に拳を握り締めた。
お茶を嗜む喜久子は夫の全てを承知し、慈童面を顔にあて、舅を迎えた。喜久子の能面に隠れた小さな顔の顎から喉元へ涙が流れる。喜久子は離婚を決意し、「もし、あのひとと別れてもお舅さま(おとうさま)とお茶をしたい」と小声で囁いた。
結局、尾形は堕胎費用、愛人への見舞金手切れ金を用意し、息子を諭した。息子は「喜久子は自由だと、お父さんから伝えてやってください」と言った。尾形は出戻り娘の夫、義理の息子の心中騒動を思い出し苦笑いした。「長女も離婚した、喜久子さんも自由だ、喜久子さんもっと自由におなりなさい」そう言った。その瞬間、春風とともに鳩が飛びた立ち、その音が天からの音のように聞こえた。喜久子は鳩を見送りながら、
「わたしは、自由でしょうか」と涙ぐんだ。
ご存知文豪川端康成氏の傑作を罰当たりにも端折りアレンジし季節も春に変更(本物は夏のお話し)その他諸々でしたが、この話、要は昼メロな話で御座んすが、これが川端康成の才筆にかかれば、「山の音」クラッシックに聞こえちゃう。でもな、山の音を感じる感受性がないと文豪の言葉も、モーツァルトにもショパンにも聞こえない訳だか、数え唄で解らないところ数えあげるアンチョレ音頭やってもさ、伝わらないものは伝わらない解らないものは解らない訳だ。「解ってーぇ」でも「解らせてーぇ」でもなく「考えろ!」な訳だが、人間諦めが肝心な時もある(笑)別にあんたに解られなくても、文豪もプロは困らない。
読者も視聴者も、おめーだけじゃねぇんだよ!
まあ、考えるのは自由だから、考えてたらwww
それでは、またね 🌸 See You.
令和7年3月31日
心幸