涙
「涙の数だけ強くなれるよ♪」とは、よく歌われるけど、実際心からそれを気づけるには、
心から泣いた、泣きたくなった経験が必要なのであろうと思っている。だから、早いうちに親しい身内の死を受けて悼み涙する気持ちを知ることや人生の挫折を経験することは大切なのだと、近頃テレビドラマの感想なんて読んでいるとつくづく思うのである。昔は、人と人の距離が近かった。家族や親戚近所には親しい年寄りは大勢いた。そんな年寄りの葬式を通して子供たちは、生まれたものなら命ある者なら必ず平等に訪れる死を学んでゆくのであった。
私の一番古い記憶は徳川十五代将軍徳川慶喜を子供の頃に見たとかいう明治生まれの近所の寺の和尚さまのお葬式であった。私はまだ未就学頃だと思われる頃の話し、おそらく和尚さまは明治半ば頃の生まれかな?徳川慶喜って大正2年に亡くなられたらしいから。 何しろ話しの面白い和尚さまの話しを聞くのが私は大好きであったが、和尚さまは死んでしまったからもう話しを聞くことは出来ないのだなぁと、そして、人の死とは、こんなものなのか、別れとはこんな風におとずれるものなのかと小さな子供ながらに実感した。昔は、葬式は葬儀場ではなく近所の親戚とか年寄りが中心になってあげていたから、近所周りの葬式にも子供たちは自然と出る経験を持つ。そんな風にして耐え難い最も近しい人の死を予行練習でもするように、繰り返し人を送り、涙を強さや優しさに変えて行くことを覚えるから、〇〇ロスなんて自尊の自意識の固まりみたいな言葉はあまり聞かなかった。あったとしても、人は我の為に逝った人の喪失に明け暮れることを恥じる。それが亡き人の心に寄り添う優しさだ。見送るものが辛いと同じほど逝く方も辛いのだから、その涙は自分の為に流すのではなく逝く人の為のものなのだ。だから逝く人が「泣かないで、私の為に笑って生きて」と言われれば、そうしなければならない。成仏できなくなるほど引き留めては行く道を間違う、真っすぐ阿弥陀様の元に行けるように。昔は90まで卒寿まで生きたら赤飯炊いて送り出すものであった。
それが強さであり優しさだと私に教えてくれた人がいた。確かにいた、けれどそれでも涙流れるのが今生の別れなのであろうと理解出来るのも、やはり不条理な別れを経験するからであろう。
「愛しい(かなしい)人」
その人は 眠るように逝った、その時を 分かったように、安らかに 旅立った。
身体は、まだ温もりがあった、夜半前のことだった。
私は何度も何度も、手を握り呼んだ。けれどもう、時間は残されていなかった。
彼女の小さな身体はより小さく硬くなって行き
別れは静かにおとずれた。
私は抱きしめているのになぜだが抱きしめられたような気がしていた。
ようやく 死亡宣告を受けた。
看護師さんがエンゼルケアをしてくださった。
私は、当時まだ11歳だった為にその時外に出て待っていた。
母と父と家族三人家に帰ったのは、夜半過ぎ。白い割烹着を着てシャンと立つ祖母と親戚たち近所の人たちが集まって待っていた。
時間は、慌ただしく過ぎた。
湯灌が始まった、湯灌とは遺体を洗い清めることだ。
その当時、私の故郷ではこれは家族でするものであり、だいたいは祖父母の葬儀で湯灌デビューする。私も祖父とのお別れを以前に済ませていたので二回目だった。ぬるま湯で死者の身体を拭いてゆく、故人に親しい人一人ひとりが順繰りに身体を拭いてゆく。何処を拭いても良いのだが、私は、どうしても母のお腹を拭きたい衝動にかられた。母は私を37歳の時に帝王切開で出産した、今からもう60年近く前のこと、母のお腹には物凄い傷跡が残っていて、子供の頃一緒にお風呂に入っては、その傷跡を触っていた。何故だか哀しいくらい愛おしくて、そして安らぎにも似た優しさと強さを感じるその傷跡に、私はもう一度触れる必要があると子供心に確信し、母のお腹の傷跡を最後に湯灌した。
不思議と涙は出なかった。それよりも母への畏敬の念が私の身体を心を抱きしめていた。
その夜は、母の隣で眠り、翌朝母の手に触れた時、人形みたいに硬くて冷たくて、もう母は居ないことを実感した。
私はこの時はじめて、悲鳴のような声をあげて泣いた。もう母の温もりに触れることが出来ないことを子供ながら分かり声をあげて泣いた。それが、私の涙というものの体験談だ。
あれから、随分時は過ぎ、私は親になり子を持って知る親の恩も経験し、気づけば母の年も父の年も追い越して、もっかババァの年に迫るべく追走中であるが、最近ボチボチ同年代の見送りをする回数が出来始め、また、生かされていることへの感謝を感じるようになると、さらに私をこの世に送り出し育ててくれた人たちへの
感謝が深まる。
どんな下手くそな愛し方であったとしても、愛は長さはなく、深さなのかと思うのである。それを読み解くには、やはり涙は必要で経験と年の功は必要であると思うのである。
人情を感じ取れる感受性は人生経験に比例する。
by 人生幸朗(笑)
令和7年3月29日
心幸
今日の後書き
誰でも自分のことには甘くなりがちですが、あまりにも、アリが巣でもこしらえそうなくらいの甘さですね。チェちゃんに飼われてるホルモン焼き屋の小鉄みたいな笑笑 人間関係をつくれる笑笑 いや、人間関係は選びましょう笑笑 なんでもいい人間関係はつくれるとは言わない笑笑 ガラクタの寄せ集め。 ブレーンちごてブーメラン頭に突き刺さってますよ笑笑 日曜劇場ならぬ、ひとり劇場ですか笑笑小鉄さん、、なんちゃって笑笑 お大事に笑笑 ああ、本当にアホと病人は相手しないと決めたので。教えといてあげる、私はあんたを嫌っているんじゃなくて、お生憎様、嫌う値打ちもないと思っていて馬鹿にしている、残念(笑)ネットしか人間関係が無いって可哀想だと思っている。もし引きこもりの中高生でなく、人の親になるような年の世代ならゾッとする。
飾りじゃないのよ涙は♪
私は泣いたことがない…
それは本当の恋をしていないから
いつか、本当の恋人に会えるとき
私の世界が変わるとき
私 泣いたりするんじゃないかと感じてる〜♪
井上陽水はメンヘラの心を掴んだねぇ(笑)
お涙頂戴大嫌い、恋なんかしない涙なんか流さない…厨二病か〜笑笑。
でもな、「男はめったなことで泣くもんじゃない」とは確かに言う。
これは、明治生まれの爺さんと婆さんの躾であったから。昔は女に生まれることも業だったけど、男に生まれることも大層な業だった。かと言ってそれが多様性の無いことだとは、私は思わない。むしろ昔は自由だったと感じるからだ。「男はめったなことで泣くもんじゃない」そんなこと言われて育った叔父さんが、婆さんの葬式に目を擦って涙を堪えていたのを、誰も笑いもしなければ、もっと泣けとも泣くなとも言わずに杯交わす。それが優しさで寄り添うってこと。それはそれで綺麗な背中なんですよ。そんなことを泣く方が良いとかどうとかメンタル解ってるセンセーみたいに、決めつける不粋さよな〜。
「本当、昔の男は泣かないんです」そんな価値観はそんな価値観であったっていいじゃない。
だから、男の涙には値打ちがあるんです。いい年の男がビービー泣くもんじゃないとは思っています、そう言われて育ったから。でも、そんな人でも泣くんだな人知れずと思った時、こっちの涙腺もやられるしね。
最も、嫌らしいのが「泣いて良いのよ」って然りげ無いマウント、寄り添ってあげるでしょ〜、優しい人でしょ〜なやつ。
そんなもん、他人に言われるもんじゃないわ笑
高倉健か〜?いや、菅原文太がイイ〜。
作家?ここにはそんな大センセーがいらっしゃるのか? 作家を自称する自惚れ屋なら目に出来そうだが、プロはタダで自分の小ネタもコメントも披露しないでは?と思っているが笑笑
それが、プロの気位だと思っているが笑笑
プロと素人の違いは
「春風に 才筆披露の 請求書」
おそ松さん
私?わたしは、ど素人の一炊の夢です(笑)
「減らず口!」花に舌打ち はい、凡人
おそ松さん✌️
では、また今夜〜🐠
小さな幸せ
「a little happy.」少し幸せそうにしてみて。
いつも、ネガティブマインドのあなたに、世界が灰色で、いつも私は被害者の寂しいあなたに
少し、心が痛んでいる歪んでいるあなたに。
幸運の女神が言いました。
嘘も吐き通せば真実になる。
みんな、多かれ少なかれ傷を抱えて不幸せ不運を抱え素知らぬふりで、躓いて倒れても起き上がり歩きだし笑う。戦火の中の子供たちほどよく笑う。守られて腫れ物にでも触るかのように、祀り上げられている子供ほど笑わない。
「a little happy」少し幸せそうにしてみて。
そうすればきっと「a little happiness」小さな幸せが訪れるから、幸運のおまじない。
「a little happy」少し幸せそうにしてみて。
「little happy」ちょっと嬉しいを集めて「happy forever」ずーっと幸せ。
幸運の女神は言いました。
「桜咲く」
もう、ここ1週間くらい春爛漫通り過ぎてますよ、確かに暑さ寒さも彼岸までと言いますが、お彼岸前とはえらい違いで、ちょっと極端なのは時代のせいでしょうかね。昨日は春爛漫飛び越え初夏の陽気であったし、今日は雨でしたが生暖かい雨でした「春雨じゃ…」なんて感じでしょうか?しかしこういう雨に濡れると風邪をひきやすい、どうかお身体ご自愛ください。引きこもりさんは外に、お出にならないから、まだ春爛漫は遠いのかしらね笑笑 そちらもお大事にwww
やがて、一変に桜は咲き散るのでしょう。梅は寒さの浅春に凛として咲き、この頃春爛漫に静かに旬を終え、派手に散らずに静かに朽ちる。折れた枝でも生命力の強い梅はその樹皮から水分を吸い上げ花を咲かせる。折れたり曲がったり歪んだりしながらでも、花を咲かせ続ける折り梅は見事に美しい。そんなことを想う春爛漫の雨でした。
小さな梅は小さな幸せと小さな春を告げて、季節は、浅春から向春へそして桜花へと移る、桜は別れを想像させ物悲しくも感じます。
「散る桜 残る桜も 散る桜」ですぞ 良寛和尚辞世の句。良寛和尚は曹洞宗の僧侶で、有名な歌人です、、ってここまで書かなきゃ解らないって不粋ですね。
昨年から、積み重ねた一炊の夢のような小さな幸せの時間も一周目を終えようとしております。最初はイイね♡の数など気にもしていませんでしたが、昨年秋頃5000♡が射程に入った頃から、これ1年で10000♡行けんじゃない?と思いはじめて、二、三日分のお題を纏めて書くのをやめて、1日1日の積み重ねを大事にして来ました。満一周が、4月1日ですから10000♡には及ばないようですが、毎日読んだよ印をつけて頂きましたこと、大変励みになりました。有り難う御座いました。
さて、四月からも続けて行く所存で御座いますれば、四月からは、筆名も変更し連続の長文話を書きたいと思っております。頂戴するお題は
前後に触れて、真ん中は連続の長文話をひとつ完成に挑戦したいと思っております。
心機一転リニューアルオープン。
Coming soon.
相変わらず、令和の人生幸朗、癖のある文章ですので、見つけていただければ励みになります笑
皆さまに、喜ばしき春が訪れますように🌸
心幸
令和7年3月28日
本日も、後書き
練習は毎日しないと鈍りますよ笑
そのための練習帖笑笑
「継続は力なり」
季語って、これが季語ですって説明書かなきゃ駄目なのか?夏井先生ーっ。なんか不粋な気がするの。はい、個人的主観的だけです。
そりゃあ、やっぱりマウントとって捨て台詞に「やってあげてる」なんて使ってちゃあ、救世主じゃなくて支配者だから離れた方が互いの為だろうね。人の為とペンで書けば「偽り」って読むのですね。「情は人の為ならず」って諺はここから来ているそうです。情をかけてはいけないって話ではなく、「かけた情は自分にもどって来るから、人のためには自分の為だ」ってこと、あなたの好きなブーメランのポジティブ解釈よ笑笑
幸せは人によるだろうか?幸せの基本って大差ない気がする。不幸の許容範囲は人によるだろうけど(笑) 幸せの基本は、世の中平和で、明日食べるに困らないだけのお金と起きて半畳寝て一畳、雨露風しのげる家と小ざっぱりした寝床があり、愛する人も自分も健康であること。これに欲の皮が広がる貪欲な人は、あれが足りないこれが足りないと不幸を探す。欲深な人の不幸は際限がない。だから足るを知り自分の心で満足を知ることが出来る人は、小さな幸せに敏感で幸せ探しが上手いのだろう。けれど、そんな反面、貪欲な人の足りない探しや楽したい精神が物質的に世の中を豊かにしたってことも言える。だから何事も塩梅が大事(笑)
大きな幸せはいきなり来ない。何故なら幸せは積み重ねだから、小さな幸せの積み重ねが大きな幸せを生む。「小さなことからコツコツとー」は元国会議員の西川きよしさんの言葉です。大きな不幸は突然やって来て、積み木崩しみたいに小さな幸せを吹き飛ばすけどね、吹き飛ばされたらまた拾い集めればイイ、小さな幸せを。それが足るを知るってことなのだろう。
アホと病気は相手にしないと誓い新たに(笑)
春やしねぇ、木の芽時やしねぇ。
お大事に。
春爛漫
春と言う字は三人の日と書きます
あなたとわたしとそして誰の日♪
会ってみたいな久しぶり〜
あなたも話が合うでしょう♪ってえらい歌だよなぁこの歌(笑)と、本日のお題を読んで一番
最初に思い浮かんだ詩を検索にかけたら、作詞家、伊藤アキラさんが亡くなっていらっしゃったことを知りまたまた、そうかぁ、、と手を合わせました。お顔は存じ上げませんでしたが、1970年代80年代の歌謡曲シーンで、作詞家阿久悠さんと並んでよく目にした作詞家でした。そして今回個人的に御姿を初めて拝見して、その時、この曲が頭に流れて、申し訳なくも「ふっ」と吹き出してしまうような、オジサマ顔で今風に言いますと、「おじカワ」ですか?ねと思ったりしました。そしてなんと、ワタシのコメットさんの「キラキラ星をあげる」も伊藤アキラ氏だったと知り、プロは、いつでも乙女になれるねかぁ~と感心しました。ふと、春爛漫のこの宵に、「キラキラ星をあげるぅ♪」と執筆してらっしゃる伊藤アキラ氏を思い浮かべたりしました。
合掌
「春爛漫の虹の袂にて」
そこは、暗い場所だった。
仲間たちが、順番に何処かに連れて行かれて帰って来なくなるんだ。外に出られたのかな?イヤ違う、ボクは勘でわかるんだ、あの冷たくて暗い廊下の向こうに、もう二度と目が開かなくなるような、そんな場所があって、仲間たちはそこに連れて行かれて消えて行く、ボクの番もそのうち回って来るのかな、「助けて…」ボクがそう願った次の瞬間、彼女が、あの特有のドングリのような瞳で檻の向こうからボクを見つめていたのさ。それがママに手をひかれた夢ちゃんだった。ボクらはそこで出逢った。
ボクは宿無しのボクらが入れられる収容所の野良犬から、夢ちゃんとママと暮らす家族になった。けれど、ある日、夢ちゃんが声をあげて泣いていたんだ、桜色のお洋服がトレードマークの夢ちゃんが黒色のワンピースを着て、ボクの声の鳴き真似みたいに、ワンワン鳴いて、ドングリみたいな瞳からポロポロ涙の粒が光っては落ちた。ボクは何か大変なことが夢ちゃんに起こったのだと思い、なんとかして夢ちゃんの瞳から溢れる涙の粒を止めたくて、いつもみたいに笑いかけて欲しくて、ママを探すけどママは見つからない、やっと見つかったママは、眠っていて呼んでも、顔をペロペロ舐めても目を覚まさない、やがて、ボクは知ったのさ、ママの死を。
ママと二人家族だった夢ちゃんは、独りぼっちになってしまった。
「よし、ボク夢ちゃんのパパになって夢ちゃんを守るからね、ママ見てて」ボクは眠り続けるママに伝えるべく、吠えた。
春爛漫の虹の橋の袂で、ママは振り返り微笑みながら涙を拭い、ボクに手を振ったんだ。
「ぼく、頑張らなきゃ」
このあらすじは、敬愛する脚本家松木ひろしさんの名作中の名作「パパになりたかった犬」でした。今期のドラマを観ていたら思い出して、懐かしく、あらすじを自己流にまとめてみました。
昭和らしいドラマだった。主人公の健気な犬の名はヨサク犬頭さんではない(笑)ヒロインは夢子ちゃん小学生。夢子ちゃんとヨサクはテレパシーで会話が出来て、親戚のオジサンの大坂志郎さんと、その息子役の鶴見辰吾さんが味わい深く、獣医学部の学生の彼は、夢子ちゃんとヨサクの関係を理解しているが、上手く誤魔化し助けてくれる。近所に住む伊東四朗さんと冨士眞奈美さん夫婦も色々面倒臭い人達なのだが、そこは松木ひろしの筆才がハートウォーミングな物語として見せてくれる。夢子ちゃんとヨサクのテレパシーの世界は誰も知らないヒ・ミ・ツであるし、劇中流れるヨサクの声も大人たちには聞こえないのだが、彼らはヨサクと夢子ちゃんの関係を理解して行くという、昭和感満載の物語だが、今期の犬頭さんのお話しは、この物語を実に彷彿とさせた。視聴者目線だと犬頭さんが犬太であることは誰にも分かりきって、何故、彼犬太が、そう決意したか?という疑問をラストまで上手く残し役者の芝居もあり飽きさせずに、視聴者はラストに犬頭さんの気持ちを知る訳だか、それは、劇中設定では墓場まで持って行くヒ・ミ・ツなのである。何故なら彼らは大切な雅弘くんであったり夢子ちゃんを、そっと見守りたいから。それを察する側に居る人も聡明であり粋である人は、知っているのに、ほんわか知らぬ振りであるのである。つまびらかもなにも、最初から犬頭犬太も夢子ちゃんとヨサクのテレパシー、ヨサクは日本語喋れますもである。
ヨサクも犬太も情緒は一部のつまびらかなきゃ理解しないよーな不粋人よりあるのだと知っていましたが、劇中の彼らの大切なヒ・ミ・ツは、ほんわか春爛漫に舞う桜の花びらのように、匂わせるのが涙を誘うのでした。
また、これが、1月始まりの3月26日終わりのドラマで、懐かしく思い出しました。「パパになりたかった犬」名作中名作なのですよ、再放送できませんかね(笑)
心幸
令和7年3月28日
今日の後書き
いや、愛していないと思いますね、その人を愛しているのではなく、自分の言葉がその人に届いてその人を癒やしているなんて考えるのが傲慢な自己愛でしかないから。癒やしているとか届いているかとかではなく、ただどうしょうもなく動くのが愛でしょうから。
今時、「おまへん、ですやん」なんて使う関西人って🤔 じゃりン子チエちゃんか?猫の小鉄か?
二丁目劇場の前で、ビラ配ってる芸人さんでも舞台でしか使わんのと違うかなぁ〜www
それが、一番古臭いかも笑笑
七色
前説
本日の前説は、ちょっと屁理屈を。
虹の七色は、外側から赤橙黄緑青藍紫(せきとうおうりょくせいらんし)であるが、虹とは大気中に浮かんでいる、小さな水滴の中で太陽の光が屈折し光を反射して生じます。屈折と透明な水滴がプリズムの役割を果たし、光が赤から紫の帯に見え、屈折の違いから外側から赤橙黄緑青藍紫と順番に並ぶわけです、この事実を知った時、屈折も美しいものを創り出すと想ったのは、私だけだろうか?屈折は悪い言葉ではない、屈折も知らないものは美しくなれないし優しくも強くもなれないだろう。
しかし、屈折してるだけじゃあ駄目なんだよね(笑)跳ね返さないと。屈折し、そこに当てられたものを跳ね返せた時、美しく光るのだろ。人間も、同じだなぁと思う(笑)という屁理屈笑笑。屁理屈も理屈のうち理(ことわり)のうちです。「理」分からんかったら検索してくだーい😂
「七色の虹」 作 心幸
七色の虹が見えたの。
あたしの涙の粒が夕焼けに反射して、あたしだけに見えたの、七色の虹は、マッチ売りの少女が燃えるマッチの中に見たような幻をあたしに見せたの、忘れられない記憶、記憶は残る記憶の残らない人は寂しい、記憶の要らない人はもっと寂しい。
彼女は、そう言った。
生まれたての記憶はセピア色。最初の記憶は、断片的で古い8ミリフィルムのように動き、やがて繋がりだしコマ数も増えて行きカチャカチャ動く。屈折のプリズムが光を反射する頃には鮮やかな色をつけ今のア・タ・シへと続くそれが記憶。人は記憶を無くしたらきっと寂しい。
彼女は、頷いて笑った。
「いつまでも、あたし泣いたりしないわ」涙の粒は明るい明日に続く光を反射して、あたしだけに見せた七色の虹は、マッチを使い切ったら終わる少女の束の間の亡霊なんかじゃないの。
七色の虹の袂から生きて行くわ、あなたが側に居なくても。心配しないでね、幸せの星をきっと見つけ出すから。大丈夫よ迷わない、あなたの記憶が、あたしの道標になるから、あなたの記憶が、あたしの痛みや傷や屈折に反射して七色に輝いて、あたしの行く道を照らすから。大丈夫よ恐れない、あなたの記憶が私の中で、ほらキラキラと輝いているから、明るい涙を反射して七色の虹を見せるから。
彼女は、そう心で言ってからアルバムを閉じ顔をあげた。
そうして、そばにいる彼にこう言った、「汚ねぇ、夕日だなぁー、黄砂かぁ?スモッグかぁ?目に染みるわ」
彼は応えた、「窓閉まってるぜ、さっきまで雨降ってたし、お前、センチだなぁwww」
二人は、雨上がりの夕焼け空にかかる七色の虹を見ながら、手を繋いで笑った。
おわり
令和7年3月26日
後書き
駄目、駄目なの、種明かしを書いちゃったらつまらないのよぉ〜。それは、読む人の勝手だからだからこそ行間に想いを込めて、その行間を読むのがイイのよ〜。種明かしはツマラナイわ。彼女が良い子だとか悪い子だとか、彼が好きだとか嫌いだとか直接的なこと書かずに、二人の気持ちが伝えられたら最高なのよ(笑)
例えば、「嗚呼」は、詠嘆の表現であって、
歓びにも悲しみにも使うし、「溜め息」は、ときめきにも落胆にも使うのだと分かってないとねぇ(笑)ダメダメなのよ笑笑
例えば、涙は、悲しい時も嬉しい時も悔しい時も、ついでに痛い時にも笑い過ぎた時にも使われる。それが分からんかったらダメダメで、この使い分けを前後の文章と行間でどの涙なのか、直接的な言葉を、使わずに文章にしてあるのが優れた物語、その行間を読み取るのが楽しい読書の時間(笑)そんな優れた物語を見つけたいわね笑笑
くすんだ色は、くすんだ色で綺麗だよって言って欲しいって顔に書いてある笑笑 顔見えへんけど解るよ。世界が灰色に見える、お嬢ちゃん。実際、灰色グレーって綺麗な色だよ(笑)
えぇ~、価値観はぁ、自分のものだから自分だけの自分勝手で良いんじゃないのぉ?他人に押し付けないって、良いと思ったことは勧めなきゃだし、駄目なことは駄目だと、お節介でも止めてあげなきゃ。冷たい人で無しになっちゃうわよ笑笑 だからぁ、何事も中途半端で良いのよ笑笑 中途半端って言い方が嫌なら、いい加減イヤイヤ、良い加減って書いたら解りやすい?もっと解りやすく言ったら塩梅かな(笑)塩梅と寛容さが大事で、極端にならないように気をつけよう笑笑 好きだの嫌いだの自分の価値観に振り回され放しのくせに決めつけないって笑っちゃうけど。
自分の行く道は、自分で決めつけて、張り切って決めて行かないと、親に決められたりしたら直ぐに毒親だの言うくせにね笑笑 自分勝手に気をつけてね(笑)
グレーでも茶でも黒でも白でも構わない、綺麗に表現できるわ。あたしは、それ自信あるから笑笑
でも、本日のお題は七色だから笑笑
雀の兄弟が電線で
大きくなったらなんになる
大きくなったら鷹になる大きくなったら孔雀に
チュンチュンチュンチュンチュンチュンチュンチュン🦜🦜🦜
だけど大きくなっても 雀は雀チュンチュン🦜🦜🦜
雀は雀として大きくなれば良い
人は人として大きくなれば良いのたとえ。
可哀想になぁ、頭の良いやつ悪いやつってレッテル貼って仕分ける奴が、そんなことに囚われてる奴が、「虐めは駄目だ!不正は駄目だ!戦争は駄目だ!自分で考えて隣徳のある人になりなさい!多様な価値観だ!」って言われても意味解らんやろ笑笑 解るとは思えんわ笑笑 だいたい、頭の悪い生徒良い生徒で分け隔てするって最低の教師のすることで、そういうのを「教師の落ちこぼし」とか言って、1980年代頃に流行った言葉のはず、それこそ画一的の代表の古臭い言葉ですよ笑笑 「燐徳」「隣徳」なんて論語まで真似てとても古臭いですよ。
最終回卒業する生徒に先生の「贈る言葉」って、批判してた金八まんまなんですけど笑笑
おまけに一晩中張り付いて夜明けにSNSって可哀想過ぎるよ。SNSだけが人間関係をはかる基本って末期だねぇ、フォロワー数増やすためになんでもやる人みたいだ。SNSとリアルの友達数は比例しませんよ笑笑 とりあえず、早朝ゲロ吐きはやめとき。孤独な馬鹿丸出しだからね笑笑 友達は選びましょう、私はあなたを選びません。私に選ばれなくてもどうということもないし、あなたに選ばれなくてもどうということもないので安心してください笑笑
ワタシは馬鹿じゃないって…笑うとこかよ笑笑 今頃寝てる時間?昼夜逆転の引きこもりって? お大事に。ヤレヤレだねクスクス(笑)キショイから離れてんの気づかない?馬鹿なの?離れてよ笑笑
記憶
前説
あのね🦜 暇な成りすまししゃん。
ひとつ、教えてあげる。
私の記憶が確かなら、あの作家は1963年生まれなので、全共闘世代ではありません。前にも書いたはずだけど全共闘世代に憧れた世代がその時代の記憶を自分のものにパクリましたなリスペクトオマージュ品なのですよ、成りすますならよーく読んでね(笑)いつも、あなたの成りすましはネタ元の心が掴めていないのよ。
東大紛争安田講堂が1969年。村上龍の「69」の世界観が思い出されます「嘘つきな大人に騙されるな!」ってやつ。それから、浅間山荘事件が1972年で全共闘世代の「大人は分かってくれない!革命を起こせ!」カルト化した行き過ぎた極論、純粋主義は、当時の百戦錬磨の清濁併せ呑んだ敗戦を生き抜いた屈強な大人に鎮圧され終演を迎えます。それが全共闘世代の縮図です。この時、作家は10才程度なので、オマセさんなら思春期ちょっと前、中学に入って、あの日一日中テレビ中継していた事件に触れて、憧れたりした世代になるのでしょう。2025年現在60代の世代。
それよりも更に3年程年下の私は、リアルでこの出来事を僅かに記憶している世代になりますが、作家と同い年の夫もですが、全共世代は面倒臭い人達だという認識は変わりません。夫曰く「浅間山荘事件」は週末に起きた事件で、当時の子供は漫画劇場が放送中止で激怒したわ!が、全共世代への印象だと未だに言うし、私も、片田舎の小学生でありましたが、従姉妹たち世代の大学生の身内はノンポリだった為に、印象が薄いです。と、云うようにあの作家さんの考えは、「新聞記者」を拝見した時も思いましたが、極端です。一方的に極論であるし、自分の生まれた時代への憧れと追憶が多くを占めているようであり、「考えろ!」は、1950年代に大宅壮一が唱えた「一億総白痴」の言葉に帰依しているものと思われるしで、ある一定年齢層以上にだと全く新しく思えないのである。新しくないなら新しくないで結構と思います。むしろその方が同世代への共感が得られたはずです。
何故、堂々と時代遅れな自分の記憶に胸を張らないのでしょう?自分が影響を受けたものがあったからこそ今の自分があるはずなのに。どうして、パイオニアになりたがるのでしょう?何も知らない若い世代に迎合して「解っているよ」「寄り添ってあげるよ」とデリケートな言葉を並べ理解者を気取れば、何も知らない若い世代の斬新な旗手にでもなれると思われたのでしょうか?そこが透けて見え過ぎで、とても残念でしたね。
「教育改革」とやらを題材にしたいなら、
「ゆとり世代の教師を教育者として教育する!」をテーマにされた方が斬新であったはずです。
「記憶 〜追憶〜」
1965年春、二人は大学生であった。優等生で真面目で社会情勢への意識が高く、政治活動に熱心なケイと、特に傾倒を持たない遊び人で気さくな春。信条が正反対の二人は大学キャンパスでの新歓行事で出逢う。一心に自分達の政治活動サークルの勧誘ビラを新入生に配るケイと、女子新入生を物色しに来た春。ケイは春の軽薄な態度が癪に障りイライラを彼にぶつけ、自分が配っていたビラを春にぶつけた。春は、ケイに向かって「お前、可愛い顔してんのに損してるな!ヒステリーは美容に良くないぜ!」と揶揄う。そんな風に、寄っては喧嘩するようになった二人の大学時代は瞬く間に過ぎ、二人は気になる嫌いなアイツ同士のまま別れて行くのであった。
1970年春、卒業後それぞれの道に進んでいた二人は再会する。
春は警察官となっていた。ケイは相変わらず政治活動に熱心だったが、なぜだかそれを再会した春には告げることが出来ずにいた。学生時代屈託なく喧嘩して、軽い春への苛立ちを隠さなかったケイたったが、彼に惹かれる気持ちに気付いてからそんな自分を隠し、とりわけ女らしく振る舞うようになり、やがてケイの思いは春に通じ二人は恋人同士になった。
しかし、ケイは春の友人達と全く反りが合わず馴染めず、公務員同士の付き合いが多い春の仲間たちから浮いてしまうのであった。そんな自分と友人達との間で悩み、らしくない振る舞いを強いられ疲れている様なケイに春は「自分の家は祖父の代からの警察官一家であるから、この道は変えられない、ケイが苦しむのなら…」と別れを切り出し、ケイも一度は別れを考えるが、実は密かに大学時代から春に想いを寄せ、春のように明るくその場にあるものを屈託なく好き嫌いなく攫え食べるような姿に憧れていたのであった。ケイは、春の花嫁になることを決心し政治活動へ向かう気持を伏せ、警察官の妻となるのであった。
しかし、1970年ケイのいたサークル学生運動安田講堂の残骸達は燻っていた。ケイ自身もベトナム反戦だけの可愛らしいデモに留まらず日本赤軍へとやがて傾倒して行くのである。
ケイは、新婚生活と、どうしても馴染めない春の仲間たち家族身内の交流の中で昔仲間たちに救いを求めてしまい、再び政治運動へと再燃して行くのであった。妊娠中にも関わらず同士らと、政府抗議デモに参加、反政府的な言動を日常的にするようになり、デモに参加し機動隊と衝突、警察官である春の仕事にも差し支えを生じてしまうのである。そんな中で、妻の潔癖で極端な思考停止のような曖昧さを寛容さを許さない信条真実の追求、政治活動と反政府反政治家、政治腐敗の追放と口を開けば「正義を!真実を!」の運動に付き合い切れなくなって来ていた春は、大学時代の取り巻きの一人麦子と寝てしまうのであった。丁度、ケイと激しく口論し家を飛び出し、満月の下、したたかに缶ビールをあおるように飲み干し空き缶をごみ箱に向け投げ入れたその向こうに、自分と同じ匂いのする学生時代のノンポリ仲間、麦子が月灯りを背に女神みたいに立ていたのである、、ように瞬間春には見えたのだ。春は春の朧満月に誘われて、麦子と夜の帷に消えたのであった。
軽薄そうに見えても春は、誠実を絵に描いた様な男だった。だから隠しきれない、程なく麦子との浮気はケイにバレ身重のケイは深く傷ついて、「よりにも寄って学生時代の友人と、よりにも寄って妊娠中にと」春を激しく罵り断罪し、「裏切られた!傷つけられた!失望した!」とまくし立てたのであった。
春は深呼吸ひとつして「俺も、お前の潔癖な理想主義には疲れたよ、世の中受け入れて生きることも覚えなきゃ、辛くない?」春はケイに離婚を申し出、家を出た。
それから時が経ち、ケイは実家で子供を出産し二人の離婚も成立した、、。春は、春の夜の一夜の過ちでしかなかった麦子とも別れ、一人暮らしをはじめ、新しい恋人も出来ていた。
ある冬の日、1972年2月19日夕刻、日番を終え帰宅した春の自宅の電話がけたたましく鳴った。
浅間山荘に、日本新左翼組合連合赤軍残党メンバー5人が、管理人の妻を人質に立てこもった!とテレビは一報を伝えた。
「ケイ!」春は思わず叫んだ。
1972年2月19日の記憶…。
完
一部浅間山荘事件から着想を得た、ノンフィクションフィ。一部 フィクションの作り話です。
作 心幸
令和7年3月25日
後書き
読み返したら、作家の名前を入力ミスで間違えておりました。謹んで訂正させて頂きました。
モテナイ男の口癖はだいたい「ボクは理解があるし、君を解ってあげられるからボクを信じて云々」こんなことを、ぬかす男や、これによく似た理解ある上からなことを言う奴はハッキリ言ってモテナイ、ナニモナイ人間です。漫画読み過ぎだつう笑笑 キショイから笑笑 「ボクは、みんな解ってあげられる」なんてキショイから笑笑 男は女のことなんて永久に分ないから良いんですよ〜。
現国センセーは支離滅裂ですね〜(笑)
30秒で読める文章を長文だなんて笑笑
これだって3分もかからず読めるはず笑笑