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「涙の数だけ強くなれるよ♪」とは、よく歌われるけど、実際心からそれを気づけるには、
心から泣いた、泣きたくなった経験が必要なのであろうと思っている。だから、早いうちに親しい身内の死を受けて悼み涙する気持ちを知ることや人生の挫折を経験することは大切なのだと、近頃テレビドラマの感想なんて読んでいるとつくづく思うのである。昔は、人と人の距離が近かった。家族や親戚近所には親しい年寄りは大勢いた。そんな年寄りの葬式を通して子供たちは、生まれたものなら命ある者なら必ず平等に訪れる死を学んでゆくのであった。

私の一番古い記憶は徳川十五代将軍徳川慶喜を子供の頃に見たとかいう明治生まれの近所の寺の和尚さまのお葬式であった。私はまだ未就学頃だと思われる頃の話し、おそらく和尚さまは明治半ば頃の生まれかな?徳川慶喜って大正2年に亡くなられたらしいから。 何しろ話しの面白い和尚さまの話しを聞くのが私は大好きであったが、和尚さまは死んでしまったからもう話しを聞くことは出来ないのだなぁと、そして、人の死とは、こんなものなのか、別れとはこんな風におとずれるものなのかと小さな子供ながらに実感した。昔は、葬式は葬儀場ではなく近所の親戚とか年寄りが中心になってあげていたから、近所周りの葬式にも子供たちは自然と出る経験を持つ。そんな風にして耐え難い最も近しい人の死を予行練習でもするように、繰り返し人を送り、涙を強さや優しさに変えて行くことを覚えるから、〇〇ロスなんて自尊の自意識の固まりみたいな言葉はあまり聞かなかった。あったとしても、人は我の為に逝った人の喪失に明け暮れることを恥じる。それが亡き人の心に寄り添う優しさだ。見送るものが辛いと同じほど逝く方も辛いのだから、その涙は自分の為に流すのではなく逝く人の為のものなのだ。だから逝く人が「泣かないで、私の為に笑って生きて」と言われれば、そうしなければならない。成仏できなくなるほど引き留めては行く道を間違う、真っすぐ阿弥陀様の元に行けるように。昔は90まで卒寿まで生きたら赤飯炊いて送り出すものであった。

それが強さであり優しさだと私に教えてくれた人がいた。確かにいた、けれどそれでも涙流れるのが今生の別れなのであろうと理解出来るのも、やはり不条理な別れを経験するからであろう。

「愛しい(かなしい)人」

その人は 眠るように逝った、その時を 分かったように、安らかに 旅立った。
身体は、まだ温もりがあった、夜半前のことだった。

私は何度も何度も、手を握り呼んだ。けれどもう、時間は残されていなかった。
彼女の小さな身体はより小さく硬くなって行き
別れは静かにおとずれた。

私は抱きしめているのになぜだが抱きしめられたような気がしていた。

ようやく 死亡宣告を受けた。
看護師さんがエンゼルケアをしてくださった。
私は、当時まだ11歳だった為にその時外に出て待っていた。 

母と父と家族三人家に帰ったのは、夜半過ぎ。白い割烹着を着てシャンと立つ祖母と親戚たち近所の人たちが集まって待っていた。
時間は、慌ただしく過ぎた。 

湯灌が始まった、湯灌とは遺体を洗い清めることだ。

その当時、私の故郷ではこれは家族でするものであり、だいたいは祖父母の葬儀で湯灌デビューする。私も祖父とのお別れを以前に済ませていたので二回目だった。ぬるま湯で死者の身体を拭いてゆく、故人に親しい人一人ひとりが順繰りに身体を拭いてゆく。何処を拭いても良いのだが、私は、どうしても母のお腹を拭きたい衝動にかられた。母は私を37歳の時に帝王切開で出産した、今からもう60年近く前のこと、母のお腹には物凄い傷跡が残っていて、子供の頃一緒にお風呂に入っては、その傷跡を触っていた。何故だか哀しいくらい愛おしくて、そして安らぎにも似た優しさと強さを感じるその傷跡に、私はもう一度触れる必要があると子供心に確信し、母のお腹の傷跡を最後に湯灌した。

不思議と涙は出なかった。それよりも母への畏敬の念が私の身体を心を抱きしめていた。

その夜は、母の隣で眠り、翌朝母の手に触れた時、人形みたいに硬くて冷たくて、もう母は居ないことを実感した。

私はこの時はじめて、悲鳴のような声をあげて泣いた。もう母の温もりに触れることが出来ないことを子供ながら分かり声をあげて泣いた。それが、私の涙というものの体験談だ。

あれから、随分時は過ぎ、私は親になり子を持って知る親の恩も経験し、気づけば母の年も父の年も追い越して、もっかババァの年に迫るべく追走中であるが、最近ボチボチ同年代の見送りをする回数が出来始め、また、生かされていることへの感謝を感じるようになると、さらに私をこの世に送り出し育ててくれた人たちへの
感謝が深まる。

どんな下手くそな愛し方であったとしても、愛は長さはなく、深さなのかと思うのである。それを読み解くには、やはり涙は必要で経験と年の功は必要であると思うのである。

人情を感じ取れる感受性は人生経験に比例する。

by 人生幸朗(笑)


令和7年3月29日   

                心幸    
今日の後書き

誰でも自分のことには甘くなりがちですが、あまりにも、アリが巣でもこしらえそうなくらいの甘さですね。チェちゃんに飼われてるホルモン焼き屋の小鉄みたいな笑笑 人間関係をつくれる笑笑 いや、人間関係は選びましょう笑笑 なんでもいい人間関係はつくれるとは言わない笑笑 ガラクタの寄せ集め。 ブレーンちごてブーメラン頭に突き刺さってますよ笑笑 日曜劇場ならぬ、ひとり劇場ですか笑笑小鉄さん、、なんちゃって笑笑 お大事に笑笑 ああ、本当にアホと病人は相手しないと決めたので。教えといてあげる、私はあんたを嫌っているんじゃなくて、お生憎様、嫌う値打ちもないと思っていて馬鹿にしている、残念(笑)ネットしか人間関係が無いって可哀想だと思っている。もし引きこもりの中高生でなく、人の親になるような年の世代ならゾッとする。

飾りじゃないのよ涙は♪
私は泣いたことがない…
それは本当の恋をしていないから
いつか、本当の恋人に会えるとき
私の世界が変わるとき 
私 泣いたりするんじゃないかと感じてる〜♪
井上陽水はメンヘラの心を掴んだねぇ(笑)

お涙頂戴大嫌い、恋なんかしない涙なんか流さない…厨二病か〜笑笑。

でもな、「男はめったなことで泣くもんじゃない」とは確かに言う。
これは、明治生まれの爺さんと婆さんの躾であったから。昔は女に生まれることも業だったけど、男に生まれることも大層な業だった。かと言ってそれが多様性の無いことだとは、私は思わない。むしろ昔は自由だったと感じるからだ。「男はめったなことで泣くもんじゃない」そんなこと言われて育った叔父さんが、婆さんの葬式に目を擦って涙を堪えていたのを、誰も笑いもしなければ、もっと泣けとも泣くなとも言わずに杯交わす。それが優しさで寄り添うってこと。それはそれで綺麗な背中なんですよ。そんなことを泣く方が良いとかどうとかメンタル解ってるセンセーみたいに、決めつける不粋さよな〜。

「本当、昔の男は泣かないんです」そんな価値観はそんな価値観であったっていいじゃない。
だから、男の涙には値打ちがあるんです。いい年の男がビービー泣くもんじゃないとは思っています、そう言われて育ったから。でも、そんな人でも泣くんだな人知れずと思った時、こっちの涙腺もやられるしね。 

最も、嫌らしいのが「泣いて良いのよ」って然りげ無いマウント、寄り添ってあげるでしょ〜、優しい人でしょ〜なやつ。

そんなもん、他人に言われるもんじゃないわ笑

高倉健か〜?いや、菅原文太がイイ〜。

作家?ここにはそんな大センセーがいらっしゃるのか? 作家を自称する自惚れ屋なら目に出来そうだが、プロはタダで自分の小ネタもコメントも披露しないでは?と思っているが笑笑
それが、プロの気位だと思っているが笑笑 

プロと素人の違いは

「春風に 才筆披露の 請求書」
 
                おそ松さん              

 

私?わたしは、ど素人の一炊の夢です(笑)

「減らず口!」花に舌打ち はい、凡人

             おそ松さん✌️
      
では、また今夜〜🐠

3/29/2025, 12:55:01 PM