記憶
前説
あのね🦜 暇な成りすまししゃん。
ひとつ、教えてあげる。
私の記憶が確かなら、あの作家は1963年生まれなので、全共闘世代ではありません。前にも書いたはずだけど全共闘世代に憧れた世代がその時代の記憶を自分のものにパクリましたなリスペクトオマージュ品なのですよ、成りすますならよーく読んでね(笑)いつも、あなたの成りすましはネタ元の心が掴めていないのよ。
東大紛争安田講堂が1969年。村上龍の「69」の世界観が思い出されます「嘘つきな大人に騙されるな!」ってやつ。それから、浅間山荘事件が1972年で全共闘世代の「大人は分かってくれない!革命を起こせ!」カルト化した行き過ぎた極論、純粋主義は、当時の百戦錬磨の清濁併せ呑んだ敗戦を生き抜いた屈強な大人に鎮圧され終演を迎えます。それが全共闘世代の縮図です。この時、作家は10才程度なので、オマセさんなら思春期ちょっと前、中学に入って、あの日一日中テレビ中継していた事件に触れて、憧れたりした世代になるのでしょう。2025年現在60代の世代。
それよりも更に3年程年下の私は、リアルでこの出来事を僅かに記憶している世代になりますが、作家と同い年の夫もですが、全共世代は面倒臭い人達だという認識は変わりません。夫曰く「浅間山荘事件」は週末に起きた事件で、当時の子供は漫画劇場が放送中止で激怒したわ!が、全共世代への印象だと未だに言うし、私も、片田舎の小学生でありましたが、従姉妹たち世代の大学生の身内はノンポリだった為に、印象が薄いです。と、云うようにあの作家さんの考えは、「新聞記者」を拝見した時も思いましたが、極端です。一方的に極論であるし、自分の生まれた時代への憧れと追憶が多くを占めているようであり、「考えろ!」は、1950年代に大宅壮一が唱えた「一億総白痴」の言葉に帰依しているものと思われるしで、ある一定年齢層以上にだと全く新しく思えないのである。新しくないなら新しくないで結構と思います。むしろその方が同世代への共感が得られたはずです。
何故、堂々と時代遅れな自分の記憶に胸を張らないのでしょう?自分が影響を受けたものがあったからこそ今の自分があるはずなのに。どうして、パイオニアになりたがるのでしょう?何も知らない若い世代に迎合して「解っているよ」「寄り添ってあげるよ」とデリケートな言葉を並べ理解者を気取れば、何も知らない若い世代の斬新な旗手にでもなれると思われたのでしょうか?そこが透けて見え過ぎで、とても残念でしたね。
「教育改革」とやらを題材にしたいなら、
「ゆとり世代の教師を教育者として教育する!」をテーマにされた方が斬新であったはずです。
「記憶 〜追憶〜」
1965年春、二人は大学生であった。優等生で真面目で社会情勢への意識が高く、政治活動に熱心なケイと、特に傾倒を持たない遊び人で気さくな春。信条が正反対の二人は大学キャンパスでの新歓行事で出逢う。一心に自分達の政治活動サークルの勧誘ビラを新入生に配るケイと、女子新入生を物色しに来た春。ケイは春の軽薄な態度が癪に障りイライラを彼にぶつけ、自分が配っていたビラを春にぶつけた。春は、ケイに向かって「お前、可愛い顔してんのに損してるな!ヒステリーは美容に良くないぜ!」と揶揄う。そんな風に、寄っては喧嘩するようになった二人の大学時代は瞬く間に過ぎ、二人は気になる嫌いなアイツ同士のまま別れて行くのであった。
1970年春、卒業後それぞれの道に進んでいた二人は再会する。
春は警察官となっていた。ケイは相変わらず政治活動に熱心だったが、なぜだかそれを再会した春には告げることが出来ずにいた。学生時代屈託なく喧嘩して、軽い春への苛立ちを隠さなかったケイたったが、彼に惹かれる気持ちに気付いてからそんな自分を隠し、とりわけ女らしく振る舞うようになり、やがてケイの思いは春に通じ二人は恋人同士になった。
しかし、ケイは春の友人達と全く反りが合わず馴染めず、公務員同士の付き合いが多い春の仲間たちから浮いてしまうのであった。そんな自分と友人達との間で悩み、らしくない振る舞いを強いられ疲れている様なケイに春は「自分の家は祖父の代からの警察官一家であるから、この道は変えられない、ケイが苦しむのなら…」と別れを切り出し、ケイも一度は別れを考えるが、実は密かに大学時代から春に想いを寄せ、春のように明るくその場にあるものを屈託なく好き嫌いなく攫え食べるような姿に憧れていたのであった。ケイは、春の花嫁になることを決心し政治活動へ向かう気持を伏せ、警察官の妻となるのであった。
しかし、1970年ケイのいたサークル学生運動安田講堂の残骸達は燻っていた。ケイ自身もベトナム反戦だけの可愛らしいデモに留まらず日本赤軍へとやがて傾倒して行くのである。
ケイは、新婚生活と、どうしても馴染めない春の仲間たち家族身内の交流の中で昔仲間たちに救いを求めてしまい、再び政治運動へと再燃して行くのであった。妊娠中にも関わらず同士らと、政府抗議デモに参加、反政府的な言動を日常的にするようになり、デモに参加し機動隊と衝突、警察官である春の仕事にも差し支えを生じてしまうのである。そんな中で、妻の潔癖で極端な思考停止のような曖昧さを寛容さを許さない信条真実の追求、政治活動と反政府反政治家、政治腐敗の追放と口を開けば「正義を!真実を!」の運動に付き合い切れなくなって来ていた春は、大学時代の取り巻きの一人麦子と寝てしまうのであった。丁度、ケイと激しく口論し家を飛び出し、満月の下、したたかに缶ビールをあおるように飲み干し空き缶をごみ箱に向け投げ入れたその向こうに、自分と同じ匂いのする学生時代のノンポリ仲間、麦子が月灯りを背に女神みたいに立ていたのである、、ように瞬間春には見えたのだ。春は春の朧満月に誘われて、麦子と夜の帷に消えたのであった。
軽薄そうに見えても春は、誠実を絵に描いた様な男だった。だから隠しきれない、程なく麦子との浮気はケイにバレ身重のケイは深く傷ついて、「よりにも寄って学生時代の友人と、よりにも寄って妊娠中にと」春を激しく罵り断罪し、「裏切られた!傷つけられた!失望した!」とまくし立てたのであった。
春は深呼吸ひとつして「俺も、お前の潔癖な理想主義には疲れたよ、世の中受け入れて生きることも覚えなきゃ、辛くない?」春はケイに離婚を申し出、家を出た。
それから時が経ち、ケイは実家で子供を出産し二人の離婚も成立した、、。春は、春の夜の一夜の過ちでしかなかった麦子とも別れ、一人暮らしをはじめ、新しい恋人も出来ていた。
ある冬の日、1972年2月19日夕刻、日番を終え帰宅した春の自宅の電話がけたたましく鳴った。
浅間山荘に、日本新左翼組合連合赤軍残党メンバー5人が、管理人の妻を人質に立てこもった!とテレビは一報を伝えた。
「ケイ!」春は思わず叫んだ。
1972年2月19日の記憶…。
完
一部浅間山荘事件から着想を得た、ノンフィクションフィ。一部 フィクションの作り話です。
作 心幸
令和7年3月25日
後書き
読み返したら、作家の名前を入力ミスで間違えておりました。謹んで訂正させて頂きました。
モテナイ男の口癖はだいたい「ボクは理解があるし、君を解ってあげられるからボクを信じて云々」こんなことを、ぬかす男や、これによく似た理解ある上からなことを言う奴はハッキリ言ってモテナイ、ナニモナイ人間です。漫画読み過ぎだつう笑笑 キショイから笑笑 「ボクは、みんな解ってあげられる」なんてキショイから笑笑 男は女のことなんて永久に分ないから良いんですよ〜。
現国センセーは支離滅裂ですね〜(笑)
30秒で読める文章を長文だなんて笑笑
これだって3分もかからず読めるはず笑笑
もう二度と
「考えろ!」とシュプレヒコールするものが一番考えろ!ってね笑笑
「考える」と云う事は、凄く個人的なことである。個人で考え心に止めて動くものである。
ましてや社会情勢の事なんか、政治家でもあるまいし考えて自分の意見を叫ぶのは、プラカード持って歩いてる〇〇ガイみたいに叫ぶ人や掴み合いする外人くらいでは。街宣車に暴走族みたいな漢字書いて走る人とか、極端な人ばかり。
他の人は、考えて自分の考えを持っていても叫ばないでしょうよ(笑)最近はSNSで簡単に叫べるけど、所詮顔出しNGの子供の名前さえ名無しの権兵衛名無し顔無し頭空っぽだから誰かに「考えろ!、こんな風に!」ってそれらしく言われたら「私もぉ〜」ってやつや、ネット私刑みたいなものが我も我もで優しくありたい考える人ですってなって上面だけ綺麗に畏まって私寄り添ってますぅみたいになるのか、キモ。
昔ノンポリって呼ばれた人たちが居て、結局、みんなそっちになってオジサン達バブルを支えたのよって、こんなこと書くと時代遅れと僕らを一緒にするな!ってヒステリー叫ぶ子供がいるけど、その子もいつか時代遅れになると考えましょう(笑)
考えるの結構で、自分の頭で考えて行動するのは結構だけど考えて気づかないと意味ないしね。逆の立場から擁護って、人に言う前にね自分がなさいな笑笑 「解って!」って求めてばかりなのをセンセー注意してそんな風に言ったんでしょ笑笑
知識だけの頭でっかちで直角にしか進めないような、戦車みたいな大人にならないようにね笑笑
学生鞄の中には、教科書と一緒に漫画も入れとけ、飴ちゃんもお菓子も入れとけ笑笑 だいたいねぇ、政治の社会情勢のディベートなんてクソくだらないってテレビ観ていて思いませんか?「朝まで生テレビ!」ショーアップされたバラエティですよ。何にも変わらないですよ何十年前から。一晩中、エリートさん達が侃々諤々やって決が取れた回ありましたか?何十年もやっていたけど(笑)
まあ、私も若い頃、あの番組観てたけど笑笑 学んだことは、過ぎたるは及ばざるが如しってことでした。極端な思考や考え過ぎは〇〇ガイしか生みません(笑)
バブルの頃に、こんなことを書かれた有識者の方の記事を読みました。「現代の日本の若者はブランド思考で有名校に通ってブランドの名前は知っていても、総理大臣の名前も、首相の名前も、大統領の名前も知らないという人も居るようだが、けれど、それで良いのです。それが、平和というものなのです云々」これ多分中国の故事から取ってらっしゃるのだと思いますが、ある国の殿様が、家来と統治している村々を巡っている時、家来が畑仕事をしている百姓に殿様の噂を聞きました、すると百姓は、「オラ殿様の事なんか知らねぇなぁ」と答え、家来はその百姓を捕らえようとしましたが殿様は満足気に「私の政は成功しておる!」と手を叩いて喜ばれたという話、わりと有名な故事です。意味を考えてみてください(笑)ではなく、平和で良い政治が行われていれば、市井の人々は政治に興味など示さないってこと、それが平和ってことだと云う故事。戦争ばっかりやってる国の人達は社会情勢にとても敏感です。
玉子が先か鶏が先か?って話ですね(笑)
御上の役割はそれの実現です。不安を煽り不要な争いの種を撒かないことも、立派な大人の仕事ですよ、マスコミさん様(笑)
前説長笑笑
「もう二度と」
真紅のドレスを着た、その女は、踊っていた
流れる曲はタンゴアルゼンチンノアール。まだ十六、七才の女と呼ぶには足りない彼女のその足りなさが、あなたに向かい、にっこり微笑んで、カスタネットの音に合わせ手招きした時に
もう二度と、あなたは帰れなくなるそんな夢を見たの?
心配そうな、彼女の声であなたはようやく夢から醒め、さっきの夢で見た女と呼ぶにはあどけない踊り子が残した香りが強過ぎて、あなたは目眩を起こしていた。
彼女は、気づかないふりをして、あなたに水を運ぶ、グラスからあなたの唇に運ばれる水があなたの喉仏を動かす。
彼女の心を書いたら嫉妬
あなたが、何処かへ行ってしまいそうと彼女は泣いた。
彼女の心を書いたら嫉妬、ルビを、ふったら嫉妬。夢の中まで愛されたいと、彼女は爪を立て、首に手を回す
煙草を一息吐いて「好きだ」と容易く口にするけど、屈託のないあなたの笑顔と子供みたいな寝顔を見る度、軽くあなたを憎んでしまう、片時も目を逸らさずにいて、馬鹿な彼女は、あなたの夢の中の女、幻の踊り子に狂う。
狂うと書いて愛
あなたの全てを縛りたい縛れない、ルビをふったら愛。
愛が首を締め付ける、焼けるような胸の痛み、愛の極みの縁で悶絶する彼女は、もう二度と愛さないと誓いながら、その背中に爪を立てる。
もう二度と…。
さて、何時もの通り↑の話、さる昭和の歌姫の歌う歌謡曲からイメージしたリスペクトオマージュのパクリましたでしょうな作り話で御座います(笑)元ネタを当てられた方抽選にて…何も御座いません笑笑
どなたの何という曲か暇つぶしに考えてみてください(笑)
令和7年3月24日
心幸
後書き
これそこの厨二病、人に向けた人差し指は自分に向けよ、人間オギャーと生まれて中学にもなるくらいまで生きれば誰も傷つけずに生きて来たなんて詭弁でしかない!どんなけ己に甘い他責思考なのか!許せないその心こそが己を狭く貧しくし傷つけていることにはよ気づけ笑笑
トラウマを作っているのは自分です。
お気の毒、それ本当の話なら、多分家族の心配を歪んで取るところに原因があると思います。お頼みしますから、社会復帰は慎重になすって、働きもせず飢えもせず入院通院も出来る現状を理解し感謝出来るようになってから世間知らずを脱出なすってください、世のため人のために出来ることが、そんなに直ぐ側にあるなんて幸せなことですね😂
あんまり、思い詰めて決めつけない方がいいですよ、あと、自分をあんまり高く清く見繕わないことですね、自分を聖人君子にしてしまうと結局破滅すると思います。極端な人はサイコパスに多く、潔癖はメンヘラになりがち😂
あなたに言ったのですか?その人、「もう二度としにませによ」と?自分に言われてもないのに誓われてもいないのに、勝手に思って人を責める他責思考ですよそれ。勝手に信じて勝手に裏切られて、嘘つきだあいつはってなっているような文章が目立ってwww そんな方は、人とお付き合いする時には、まず、必ず誓約書でも、交わし合われると良いかもですね。自分が信じたいから信じたのではないのでしょうか。信じるって自分本位なことですよ。
また、あの見世物小屋は賑わいを取り戻し、思考停止の者たちが、番組終わっても延々張り付いて、たかが原稿用紙2枚にも満たない程度の文章を長文だと言ってみたり、文章にも満たない呟きを唾でも吐き捨てるように吐いてみたり、読書とかしたことないのか?漫画しかSNSのコメントしか読まない弊害か?汚い汚部屋住人引きこもりニートの集まりだから仕方ないのか?本当、思考停止厨二病で呆れます。それにしてもなんにしても自分を賢者だと思っている者ほど哀れな愚人はいないと、あの場は証明しています。人に指した人差し指は自分に向けなさい。思考停止も、人の意見に右往左往も、こじつけ屁理屈も、言ってるあなたのことを指してますよ笑笑 そんな風に見えるのよ、 だから「先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし」なんて川柳が、何時までも残るのですね(笑)全くその通りだと思います。
因みに私の駄文なら、あのサイトに書いてる文章なら、横着してますから一発下書きなしの打ち込みで3分くらいで打ち込みますが、こちらは暇な時に気づけば打ち込み直しで、長なる長なるですが、なにせ「書く練習帖」なもので笑笑 どうでしょう、原稿用紙5枚分にも満たないと思っています。文字数数えたことないけど笑笑
そもそも、ここは、徒然日記の練習帖なので誰かに読んでもらう為に書いてないしね笑笑
さあ、今日も、よく晴れて仕事も忙しくなって来たから、午後からも老体に鞭打ち頑張ります笑笑 働く場所があるって幸せですからね
感謝
あのサイトにへばりついてる蝿さん達もお仕事バイトでも良いから出れると世界も変わるかもね(笑)
ではまた、今夜笑笑
あっ、またまた、成りすましは、ほどほどにシテねぇ〜(笑)
気持ち悪、フォロワーとかそんなに気になる?ただの付け焼き刃架空の世界の友達なんて必要ないでしょ笑笑 それ、気にしてる時点でアウト。今日も長かった?(笑)私は今日も早かったわ笑笑 また、後で。
雲り
前説
昨日のお題よりは随分落ち着きがあり、情緒性のあるお題で有り難い。
「曇りではなく雲り」なので、天気のことではなく、「雲」そのものを連想した。この時期なら今の時代は紫雲たなびく霞雲なんて風流なものでもなく、アメリカナイズされた御子様達は
風流よりも、花粉と黄砂とPM2.5ですわね(笑)困った微粒子は、いつもあの山越えてやって来る。
四十年くらい前の弥生3月の雲は新生活への期待と不安が入り混じった小娘の心を実によく表現していたけど。ふんわりと温かい、けれど、どこかモヤモヤとした先の見透せない不安が過ぎっては、柔らかな雲の合間に吸い込まれるように消えてゆく。そんな、ふわふわとした夢見心地と、先の見えない物語のはじまりのような不安を乗せて、1986年の春は明け来るのであった。
まだ、瀬戸大橋も、明石海峡大橋も架かっておらず、鳴門海峡大橋がようやく架かった次の年、その頃は都会って遠かった。勿論、都会に憧れた若者たちは、船で都会デビューして、飛行機で帰って来るステータスを夢見ながら船出する訳だが、今よりもずっと都会は遠く、その分夢も、その裏返しの不安も、都会へ出て暫くして須らく味わう望郷の想いも、今よりずっと大きく、はかり知れなかった。
まだ、この3月20日過ぎ頃までは、心には、風は温かで低い雲が立ち込めていた。
慌ただしく何時もの調子で追い出しにかかる祖母は、この気持を分かっているのか、いないのか、その頃の小娘には分からなかった。今ならはっきり祖母の気持も分かり、お礼のひとつも言えたろうに、神様は意地悪で、そんな心の成長を小娘には、まだ与えてくれない。ただ、まあ今の若者のようにやっぱり、若い頃とは自分の事ばかりなのである。それが正直なところだと今しみじみと思う。親がかりの保護者がかりの脛齧り。そんな、青二才が(男だけでなく女もね)分かったような口利くのは四十年くらい早くてね、自分のことで手いっぱいで普通で、それでも独りで立とうとするから、その気持ちそのままに、鶯がまだ下手な声で鳴く頃のなんだよ。空は温かく、そして雲は低く立ち込めてイイんだよ。そんな頃を越えなきゃならんのさ人は、そんな頃を越えなきゃ、何にも解らないんだと思うね。
「雲り、アーデルハイド」
アーデルハイドは一歳で両親を亡くし、母方の叔母デーテに預けられる。しかし、デーテはアーデルハイドをアルプスの山深い、田舎の山小屋に独り住む変人の異名を持つ気難しい祖父オンジに預け、自分は一人都会へと働きに出てしまう。アーデルハイドはハイジと呼ばれ、アルプスの大自然に抱かれて、仔山羊や羊飼いの少年ペーターと親しくなり、独居の気難し屋オンジとも心を交わし、のびのびと成長してゆくのである。
アルプスの空は広く青く雲は近く、オンジがこしらえてくれた大きなブランコに揺られていると、天の空の雲に手が届きそうで、時折ハイジは、雲に乗り風に流され旅をするのである。小鳥たちがハイジの元にやって来て、天に召された父さんと母さんのところにハイジの乗った雲を運んでくれる…ところで、ピーちゃんに顔を突かれ、目が覚める。天までとどくほど勢いよく揺れていたブランコはいつの間にか止まっていて、夕焼けがハイジの頬を林檎のように染めていた。やがて低い雲は流れ雲り空は速い勢いでお日様を山の彼方へ運んで行った。
ハイジを呼ぶオンジの声が届く。
「今日も、楽しいことが、いっぱいあったわね、ピーちゃん!」ハイジはブランコから飛び跳ねるようにおりて、裸足のままで駆けて行った。
幼少期を自然と朴訥とした人々の愛に育まれて育った少女ハイジもやがて、都会に出て行くことになった。叔母のデーテが都会からやって来て、アーデルハイドをゼーゼマン家と云うフランクフルトでも名門家である家に連れて行き、そこに居る車椅子のお嬢様の遊び相手とお勉強仲間として住み込ませると決めて来たのである。勿論、ペーターは嫌がり寂しがり、ハイジも最初は嫌がったが、ハイジにキチンとした教養をと望んだオンジに説得され、最初は渋々けれど、目の不自由なペーターのお婆さんに聖書を読んであげれるようになるんだと云う優しい夢を持ちフランクフルトへと旅立つのであった。
幼気な少女が、フランクフルトの他人の家で夢遊病になりながらも、耐えて車椅子の少女クララに寄り添う姿は、身を与え何かに尽くしてこそ寄り添うと云う真心だと教える。無垢な少女にしか出来ない優しさが描かれていて涙する。だがそんな反面ハイジは天真爛漫で無垢な屈託のない少女が故に、破天荒であった。
ハイジに、直角にしか進めないフェミニズムの旗手であるような、ゼーゼマン家の車椅子の少女クララお嬢様に仕える御抱え家庭教師ロッテンマイヤー女史は、冷ややかに厳しくあたり「アーデルハイド!」と呼び小間使いのように扱ったが、ハイジは自ら自然に抱かれて培った生きる力と知恵と持ち前の屈託のなさと率直さで、知識とプライドで頭でっかちのロッテンマイヤー女史に、本当の生きる力を教える。それは、クララにも、ゼーゼマンにも、頭でっかちなロッテンマイヤー女史にもやがて伝わり。
クララは自分の脚で独り立ち歩くのであった。
「アルプスの少女ハイジ」に寄せて
作者 ヨハンナ・スピリ
粗筋 作 心幸
「雲り、四十年前のハイジ」
道は はるか遠く何処までも続き
やがて天と繋がる
まだ 見ぬ景色に雲は低い
けれど 温かく上着を1枚脱いで
肩に掛け空を見上げ流れる雲を追いたくなるような そんな気分
肩先に舞い飛ぶ小鳥たちを呼びとめ歌いたくなるような そんな気分
18才春 空雲り
心幸
令和7年3月23日
本日の後書き
他人に指した人差し指は自分に。
人に引けよと言う前に 引きなされ
雲に歌うは 下手な鶯
おそ松さん
センセーと 呼ばれるほどの 馬鹿でなし
堀裕嗣
なんで、人差し指差す人間てタイプ似てんだろね。あんたがやるからやられんだろ、解ってないね笑笑 高学歴なんだろ?あんた。神童天才なんだろ?あんた。
神様は残酷で天使も残酷で、人間は嫌い自分は何時も被害者の他責思考、人を変えたきゃ自分が変われ(笑) 雲りがないんだろ?あんた。笑笑 相変わらずキショイねぇ。
チュンチュンユンユン雀の合掌団
🌾🦜🌙しゃん
文豪気質はネガティブ気質?笑うとこかい?ただの厨二病センセーじゃんか笑笑
いつまで思春期〜ぃ。
大昔、駅で配られていた同人誌や宗教の勧誘みたいな一行飛ばしや、縦横斜めレイアウトが個性ですみたいな詩が、厨二病大センセー様で面白すぎて、椅子蹴飛ばして野菜踏んづけたら潰れた可哀想に🌾🦜🌙 詩を読んだ感じマインドなんとかされやすそうだとお見受けするわ。お気をつけてね、お大事に(笑)ついに切れたの?一番歪んでるの優しくありたい、寄り添うのが得意なふりして私に寄り添えな🌾🦜🌙のあなたじゃなくて(笑)
人に指した人差し指は自分に向けなさい。ブーメランなんでしょ。
何度も言うけど、あなたが嫌いでも全然平気と言われると思う、その相手が大人ならば。それは私が「bye-bye」なんて赤ちゃん言葉を、いい大人が可愛い子ぶって使うのが嫌いなのと同じで、私ごときが嫌ったところで、その言葉は、なくならない。あなたの嫌いも同じこと、いくらあなたが嫌っても、そのものには、どこ吹く風、あなたが虐め体質や独裁者でもない限り。だから、好きや嫌いほど自分勝手なものはないと心得よ、お前の好き嫌いで世の中の善悪はかれたら、エライことなんだよ笑笑
個人的な好き嫌いと、ものの善し悪しは違うのよ笑笑
先ずは、そこから学びなさい笑笑
家事もそうだけど何事も完璧求めちゃうから直ぐに私だけって被害妄想膨らんじゃう。昭和初期でもあるまいし、子供も一人か、せいぜい二人の家事育児に大威張り。結婚生活二十年そこそこで大先生の仲間入り。商売上手過ぎて頭下がりました笑笑ってなんの感想じゃ笑笑 てかね、取り方に良いも悪いないのよ、歪んでるも真っ直ぐもない、有るのは個人的主観的な好きも嫌い。その好き嫌いも自分勝手の自分の都合でしかなく、それに正解はなど所詮ないのよ。お互い様だってこと、だから個人的な好きや嫌いは、公の人でない大人や子供なら自由に言えるの。公の大人だと多少影響あるから好きや嫌い言うのも気遣いが必要で大変よね。好きや嫌いを大人になっても自由に大声で言える、小市民で良かったわよね(笑)
頭良いんだったら、よーく考えよう(笑)
うん?最後ちがいませんか?誰かの心に寄り添うものを云々…。それ、前の文脈からだと普通に「私に寄り添ってくれー」って叫んでる。誰かに寄り添うじゃなくて、自分に寄り添って欲しいから寄り添うが大事と言っている。正直になろう。最後に偽善者じゃつまらない。
今日も、楽しませておくんなはれ😆
「bye bye…」
ユキは決してその言葉を使わない。
「さようなら」も
「バイバイ」も 使わない。
その代わりに
「今日は、有り難う」
「また明日」「また今度」
「またね」「また…」はとっても素敵な言葉。
また会う約束もしないくせに、「またね」なんだよそれ?って思った人にはユキのことは解らない。「それでイイのよ(笑)」ユキは、そう言って笑う。
「また会う日までの遠い約束、一期一会なんだから」
ただユキは、別れの言葉が嫌いなだけ。ユキはハッキリした子で気も強かった。ハッキリものを言う子でだったからか、わりとモテていたけれど、「好き」や「嫌い」はハッキリ言うのに、「さようなら」も「バイバイ」も言わない子だった。
ずっと、ずっと、
何度も言った最後の「bye bye…」をユキは忘れられずにいた…。
なんでも馬鹿みたいに忘れて笑ってる子なのにねぇ、「バイバイ」を言った日のことはハッキリ覚えていた。
一度目は、冷たい雨の降る秋の夕暮れ、11歳になったばかりのユキは、病院に居て、その人の肩を揉んでいた、小さくて薄い肩を、まだ小さい手が揉んでいた。
「母さんお肩を叩きましょう♪」なんてものではなくて、ユキは本格的にマッサージを習い母を見舞っては、手足腰マッサージをしていた。その日も肩を揉んでマッサージは終了、母は「有り難う」と言って、ユキに「暗くならないうちに帰りなさい」と促す、何時もの通り「うん、じゃあまた来るね」そう言って病室の扉の前で立ち止まり振り返る、「バイバイ」と言って母に手を振った。
母は笑顔で答えて手を振り返した。なぜだかその日はやけに大きく手を振り返した…ような気がして暫く母を見ていたが、扉を閉めて家に帰った。
それが、母と最後に交わした言葉だった。
二度目は、寒い春まだ浅い朝、まだ空には星が出ていてユキは深夜机に突っ伏して寝てしまっていた事を、父が車にエンジンをかける音で気付いて目が覚めた。窓を開けると、冷たい冷気が入って来た。父は気付いて「行ってくるわ」とユキに言った。「今日は、晴れみたいだね、気つけてねぇ、、」出て行く父に手を振り「バイバイ」と大きく言った。
父は振り返らず車の窓から手を出して振っていた。「遅刻するんなよ」父は手を振りながらそんなことを言っていたが、車のエンジン音で小さく届いた。
それが、父と最後に交わした言葉だった。
三度目は、ユキが就職してから何度目かの夏休みの帰省だった。前の晩は理由もなく長く喋った。父のこと母のこと、そして彼のこと、祖母は、春彼岸の帰省に一緒に来た友達たちの中に居た、彼と彼の息子がユキの決めた相手だと直ぐに見抜いた。そうして「死に別れに嫁ぐ覚悟は生き別れより必要なことは、あんたになら解るだろ?よう考えや」と言った、そんな話を朝まで酒を酌み交わしして、夏の太陽が天辺に昇る前に帰れと急かされ、忙しく蝉の鳴く前に墓参りを済ませ、実家を後にするユキ。
実家の前の地元の人間しか解らないような迷路みたいな細い路地を抜け、国道沿いのバス停まで、祖母はユキを送った、田舎のバスは1時間に1本で正午から午後3時迄はバスは来ない笑笑。午前10時のバスにユキは乗り込み、振り返って、「9月彼とまた来るね!」と言った。祖母は頷いて手を上げて「気ぃつけや!」と言った、バスの最後列のひとつ前の席に荷物を置き、窓を開けると「冷房の冷気が逃げるから窓を閉めろ!」と荒っぽく運転手に怒られながら、祖母に「バイバイ」と言った。
祖母は慌てて運転手に頭を下げて、ユキに「早く、窓しめ!」と言いながら手を振った。
それが、祖母と最後に交わした言葉だった。
以来、ユキは「サ・ヨ・ナ・ラ」は言わない。
「bye bye」は、トラウマみたいにユキの心に刺さったままだ。
ユキが、そんなことを話したのは珍しく、ずっと一緒だったけど、つい最近のことだ。
「けれど私はなんとなく気づいてたよ」加賀美は、微笑んだ。
ただ お前でいい
わずらわしさに 投げた小石の
放物線の軌跡の上で
通り過ぎて来た 悲しみのかけらが飛び跳ねて見えた
その照り返しを その頬に写していたお前
また会う約束などすることもなく
それじゃまたな と別れる
それだけでいい
ただ お前でいい
落とすものなど なんにもないのに
伝言板の左の端に
今日もまたひとつ 忘れものをしたと誰にともなく書く
その繰り返しを 帰り道に笑うお前
また会う約束などすることもなく
それじゃまたな と別れる
それだけがいい
「ただお前がいい 〜俺たちの旅エンディング〜」
作詞 小椋佳
替え歌 心幸
令和7年3月22日
後書き
人ってのは勝手なもので、自分から離れた場所の離れた人のことだと、優しいふりして綺麗な言葉で祈ったり出来るが、隣の子が泣いていようが、母親が子育てに切羽詰まっていようが、知らん顔で通り過ぎる。無関心な隣人になる。そうして事件が起きてから、知った口で言う、「相談してくれれば…」テレビに写し出される異国の子供の為に偽善ぽく誠意大将軍で、ワタシ祈ってますと言えても、隣で苦しんでいる人には冷たかったりする。人間の優しさって云うものほどあてにならないものはない。それでも、祈られないよりは祈られた方がイイのかな?世界の何処かの優しくありたい人に祈られながら、少年は戦火の中で息絶える。丁度、今期の日曜劇場の「御上センセー」の前半の頃のネタに上がっていた、ピューリッツァー賞受賞の写真に解ったようなこと言ってる温室育ちのエリート高校生みたいなものだ笑笑
繰り返し言う、人は二度死ぬ、一度目は肉体の死、二度目は現世を生きる人の想い出の中から消え去る死。「bye-bye」は、態々言わなくて良い。想い出の中にその人を生かし続け自分の身体の一部にしながら共に生きる、そして、また巡り会う人の奇跡も信じる。あなたは、私の中に生き続けているから。
だから「死んだ女より哀れな女は忘れられた女です」とマリー・ローランサンは言ったのか!
流石、フランス女だ、死生観は日本人と通じるものがあるんだな納得(笑)
英語って土足で心の中に入って来るんよね(笑)だから単純な取り方しか出来なくなるんだって想いをあらたにした。
だいたい、あからさまに自分のパートナーやら子供あげるって笑笑 アメリカンでwww こういうのには、心の中に、泥のついた靴脱いで来るくらいで丁度だと思うんだよね、いつも🤣 はい、個人的偏見に満ち溢れる見解です、あくまで、個人の意見です🤣🤣
だいたい、変質的な、推し活で物語が読めない人に人の心の綾を解れは愚問なのかも知れない。物語を物語と読めなくて推しが批判されたと歪んで取って感情剥き出しで🤬←こんな顔文字落書きしているようじゃね笑笑🤣
そんなら、日本人なんだから「ごきげんよう、今まで有り難う、あなたはあなたの出会う人のために、私は私の出会う人のために」って言えよ笑笑 関西人なら「ごきげんよろしゅう、ありがとさんでございました、あんたさんはあんたさんの会わはるお人のために、うちはうちの会うお人のために」くらいで(笑)この関西弁は船場言葉になりますかね(笑)
「bye bye」「Good bye」子供かいな。
日本語は、別れの挨拶の表現もたくさんあった。日本に生まれて良かったと気づけて良かった。英語ならせめて悲しみを秘めた大人なら「See you 」くらいのほうがソフト。
昔は、よく子供の残酷さをテーマに描いた、小説や映画があった。今はコンプライアンスに引っ掛かるのかも知れないが。映画「禁じられた遊び」などは子供の無垢な残酷さを描いた代表作と言える。無垢で天使なことは素晴らしい事ばかりではない。純粋な無垢さほど残酷なのである。人間は悲しみを知り経験し傷つき優しさを覚える。傷ついていない優しさや正義感は残酷な石になる。
一年近くやって来て、はじめて、お題にクレーム(笑) それくらい、この言葉は嫌いだ。
あんまり、派手になりすましや素人のモノマネ張り付いてやってると、また凍結されちゃいますよ、お気をつけて。
うわ、キモ、キショ、、良い人ヅラが仮面剥げてますよ、多分世間知らずのただの承認欲求高目のマウンターセンセーSNS民、やだねぇ、ああはなりたくない、良き反面教師有り難うセンセー(笑)
今夜も、徒然なるままに、自分の心に映りゆく言葉を書くだけ、書く練習帖だから、カウンセラーセンセー気取りは書くとこ違うし、物書き気取りの素人もみっともない。
君と見た景色
前説
ビー玉、ベーゴマ、風船ガムにニッキと
えーと、それから、メンコとおはじき…
あっ、そうそう竹とんぼ、ゴム飛び、紙飛行機、やったわやった、なつかしいなぁ!みんなは、いくつ知っている?(笑)じっさいニッキは苦手だった笑笑
でっかい夕日を背中にしょって
影踏み遊びの子供が走る
涙で乾いた頬ほころばせ
明日に向かって一直線に
ねぇ君 ぼくはこう想うのさ
人生なんて紙芝居だと
涙も笑顔も続きは明日
時って言う名の自転車こいで
やさしさは紙芝居 そして誰もが主人公
三角定規を心にあてて
真っ直ぐ君へと線を引きたい
陸橋海山渡って君が消えても
あとには確かな絆が残る
ねぇ君 ぼくはこう想うのさ
人生なんて紙芝居だと
白くて大きな愛の塗り絵を
笑いや涙の絵の具で染める
やさしさは紙芝居 そして誰もが主人公…
「やさしさ紙芝居」 作詞 松本隆
本日は前説からいきなり本題へ(笑)
1980年のヒットドラマ第2シリーズの主題歌。「僕のセンセーは〜ぁ♪」の後のやつです。本当に、まんま私の心を表現していると思う詩で、またまた松本隆さんは神々しいと思ってしまう作詞家の御一人です。松本隆さんは、秋元康センセーと同じで、お金の計算しながらこんな詩を、スラスラリと書けちゃうような雰囲気が、あるのがまた、人間臭い魅力でプロなんだよなぁという思いと共に大好きな作詞家であります。今回、リスペクトオマージュ引用は、何時もの通りの素人鼻歌替え歌になっておりますれば、どの部分が替え歌詞なのか当てていただけると楽しく思います。そして、その替えた部分にこそ、想いがこもっていたりします。まあ、所詮「虎の威を借る狐でござんす🦊♪」忘八の商売と云う汚れた土の上にスックリと風に向かって立つ葦でありたいが信条。
「物事、商売でも立ち上がりに勢いをつけるには、虎の威を借る狐になること!」は商家に伝わる極意で御座いますれば、悪しからず(笑)
さて、「やさしさ紙芝居」に戻りまして。
熱中時代を君と観たのは、何年前だろう?いや、一緒に観てなんかいないんだ、育った場所が違うから、その時代のお互いを、ぼくらは知らずに育った。でも、ぼくは君と一緒に観たって確信するんだ。だって、ぼくら同じ時間を似たような環境で育って来たから。
ぼくも、公園に母さんは迎えに来なかったし、君も来なかった。いつかそんな話をしたね。ぼくは両親を亡くしたし、君は商家に両親を取られてた(笑)ちょっと違うけど、ひとり夕日の太陽と駆けっこして帰った記憶を胸に仕舞ってた。婆ちゃんの、おばんざいが大好きで、別にひとりで帰る帰り道を恨んでもいなかった。君とぼくはソールメイトだった。
だから、300キロ離れて居ても君とぼくは同じ景色を同じような心持ちで見ることが出来る。
よく喧嘩するけど、昔のテレビや映画や音楽が始まると意気投合して、笑っている。
ぼくの過去にも君の過去にも互いに居なかったけど、ぼくら同じものを見て育った。
君と見た景色。
笑い涙し夕焼けを背負って走った子供時代は、また明日で、くるくる回った。そして誰も皆、青春と云う名の物語の主人公になって頁をめくる。
↑の「…誰も皆、青春と云う名の物語の主人公である」という言葉も、大好きな物語の引用で私はこのフレーズが好きなので、未だによく使います。全文は、こんな感じ「笑い悩み日々を懸命追い生きる人は皆、青春と云う物語の主人公である…」だったかな。今日、この文章を打ちながら、その作家の事を想い検索しましたら、2018年に御逝去されていらしたことを知りました。私の少女期を彩っていただいた作家さんの御一人でした。あなたの連載を楽しみにし、発売日には友達と本屋に駆け込んだあの日、夕焼けに染まる公園のブランコで一人読んでいた、あの煌めきを忘れない。
今日知った、あさぎり夕さんのご冥福を心よりお祈り致します。
あさぎり夕様、星になられたのですね、合掌
心幸
令和7年3月21日
後書き
涙が、こぼれないようにするには、上を向いて歩かなきゃ駄目なんだよ(笑)日本人なら誰でも知ってる歌だよ歌ってみ🤣🤣 足元の小石に躓いて倒れても、何かを掴んで立ち上がればイイんだよ、差し出された手の力強さは生涯の宝になるのよ🤣🤣 傷つくことを怖れなーい😛
「空が落ちている」って表現が、い かにも厨二病だと思ったけど、世間を見た気になってる引きこもりより、多少世間を見たんだろう金髪JKの方が賢いと解る文章がなかなか良かった🤣 空が落ちればイイの〜♪ってその昔勝手過ぎるわ悪魔か!って突っ込まれてたよねぇ🤣🤣 亡くすということを知らない人が書いた文章は、駄目だね。「先に逝く あとに残るも同じこと 連れてゆけぬを 別れとぞ思ふ」家康さんの辞世の句でも味わって、同じ痛みを先に逝く人も、残る人も分け合うのだと云うことを学んでください。人間は二度死ぬと言った人がいました。一度目は自らの肉体の死、二度目は、現世の人の記憶から消え去った時の死です。どちらも正解なんですよ、どちらも悲しみを癒す為の優しさですから。近しい人の死の悲しみに直面すれば解ると思います。経験こそが優しさを教えますね(笑)