「bye bye…」
ユキは決してその言葉を使わない。
「さようなら」も
「バイバイ」も 使わない。
その代わりに
「今日は、有り難う」
「また明日」「また今度」
「またね」「また…」はとっても素敵な言葉。
また会う約束もしないくせに、「またね」なんだよそれ?って思った人にはユキのことは解らない。「それでイイのよ(笑)」ユキは、そう言って笑う。
「また会う日までの遠い約束、一期一会なんだから」
ただユキは、別れの言葉が嫌いなだけ。ユキはハッキリした子で気も強かった。ハッキリものを言う子でだったからか、わりとモテていたけれど、「好き」や「嫌い」はハッキリ言うのに、「さようなら」も「バイバイ」も言わない子だった。
ずっと、ずっと、
何度も言った最後の「bye bye…」をユキは忘れられずにいた…。
なんでも馬鹿みたいに忘れて笑ってる子なのにねぇ、「バイバイ」を言った日のことはハッキリ覚えていた。
一度目は、冷たい雨の降る秋の夕暮れ、11歳になったばかりのユキは、病院に居て、その人の肩を揉んでいた、小さくて薄い肩を、まだ小さい手が揉んでいた。
「母さんお肩を叩きましょう♪」なんてものではなくて、ユキは本格的にマッサージを習い母を見舞っては、手足腰マッサージをしていた。その日も肩を揉んでマッサージは終了、母は「有り難う」と言って、ユキに「暗くならないうちに帰りなさい」と促す、何時もの通り「うん、じゃあまた来るね」そう言って病室の扉の前で立ち止まり振り返る、「バイバイ」と言って母に手を振った。
母は笑顔で答えて手を振り返した。なぜだかその日はやけに大きく手を振り返した…ような気がして暫く母を見ていたが、扉を閉めて家に帰った。
それが、母と最後に交わした言葉だった。
二度目は、寒い春まだ浅い朝、まだ空には星が出ていてユキは深夜机に突っ伏して寝てしまっていた事を、父が車にエンジンをかける音で気付いて目が覚めた。窓を開けると、冷たい冷気が入って来た。父は気付いて「行ってくるわ」とユキに言った。「今日は、晴れみたいだね、気つけてねぇ、、」出て行く父に手を振り「バイバイ」と大きく言った。
父は振り返らず車の窓から手を出して振っていた。「遅刻するんなよ」父は手を振りながらそんなことを言っていたが、車のエンジン音で小さく届いた。
それが、父と最後に交わした言葉だった。
三度目は、ユキが就職してから何度目かの夏休みの帰省だった。前の晩は理由もなく長く喋った。父のこと母のこと、そして彼のこと、祖母は、春彼岸の帰省に一緒に来た友達たちの中に居た、彼と彼の息子がユキの決めた相手だと直ぐに見抜いた。そうして「死に別れに嫁ぐ覚悟は生き別れより必要なことは、あんたになら解るだろ?よう考えや」と言った、そんな話を朝まで酒を酌み交わしして、夏の太陽が天辺に昇る前に帰れと急かされ、忙しく蝉の鳴く前に墓参りを済ませ、実家を後にするユキ。
実家の前の地元の人間しか解らないような迷路みたいな細い路地を抜け、国道沿いのバス停まで、祖母はユキを送った、田舎のバスは1時間に1本で正午から午後3時迄はバスは来ない笑笑。午前10時のバスにユキは乗り込み、振り返って、「9月彼とまた来るね!」と言った。祖母は頷いて手を上げて「気ぃつけや!」と言った、バスの最後列のひとつ前の席に荷物を置き、窓を開けると「冷房の冷気が逃げるから窓を閉めろ!」と荒っぽく運転手に怒られながら、祖母に「バイバイ」と言った。
祖母は慌てて運転手に頭を下げて、ユキに「早く、窓しめ!」と言いながら手を振った。
それが、祖母と最後に交わした言葉だった。
以来、ユキは「サ・ヨ・ナ・ラ」は言わない。
「bye bye」は、トラウマみたいにユキの心に刺さったままだ。
ユキが、そんなことを話したのは珍しく、ずっと一緒だったけど、つい最近のことだ。
「けれど私はなんとなく気づいてたよ」加賀美は、微笑んだ。
ただ お前でいい
わずらわしさに 投げた小石の
放物線の軌跡の上で
通り過ぎて来た 悲しみのかけらが飛び跳ねて見えた
その照り返しを その頬に写していたお前
また会う約束などすることもなく
それじゃまたな と別れる
それだけでいい
ただ お前でいい
落とすものなど なんにもないのに
伝言板の左の端に
今日もまたひとつ 忘れものをしたと誰にともなく書く
その繰り返しを 帰り道に笑うお前
また会う約束などすることもなく
それじゃまたな と別れる
それだけがいい
「ただお前がいい 〜俺たちの旅エンディング〜」
作詞 小椋佳
替え歌 心幸
令和7年3月22日
後書き
人ってのは勝手なもので、自分から離れた場所の離れた人のことだと、優しいふりして綺麗な言葉で祈ったり出来るが、隣の子が泣いていようが、母親が子育てに切羽詰まっていようが、知らん顔で通り過ぎる。無関心な隣人になる。そうして事件が起きてから、知った口で言う、「相談してくれれば…」テレビに写し出される異国の子供の為に偽善ぽく誠意大将軍で、ワタシ祈ってますと言えても、隣で苦しんでいる人には冷たかったりする。人間の優しさって云うものほどあてにならないものはない。それでも、祈られないよりは祈られた方がイイのかな?世界の何処かの優しくありたい人に祈られながら、少年は戦火の中で息絶える。丁度、今期の日曜劇場の「御上センセー」の前半の頃のネタに上がっていた、ピューリッツァー賞受賞の写真に解ったようなこと言ってる温室育ちのエリート高校生みたいなものだ笑笑
繰り返し言う、人は二度死ぬ、一度目は肉体の死、二度目は現世を生きる人の想い出の中から消え去る死。「bye-bye」は、態々言わなくて良い。想い出の中にその人を生かし続け自分の身体の一部にしながら共に生きる、そして、また巡り会う人の奇跡も信じる。あなたは、私の中に生き続けているから。
だから「死んだ女より哀れな女は忘れられた女です」とマリー・ローランサンは言ったのか!
流石、フランス女だ、死生観は日本人と通じるものがあるんだな納得(笑)
英語って土足で心の中に入って来るんよね(笑)だから単純な取り方しか出来なくなるんだって想いをあらたにした。
だいたい、あからさまに自分のパートナーやら子供あげるって笑笑 アメリカンでwww こういうのには、心の中に、泥のついた靴脱いで来るくらいで丁度だと思うんだよね、いつも🤣 はい、個人的偏見に満ち溢れる見解です、あくまで、個人の意見です🤣🤣
だいたい、変質的な、推し活で物語が読めない人に人の心の綾を解れは愚問なのかも知れない。物語を物語と読めなくて推しが批判されたと歪んで取って感情剥き出しで🤬←こんな顔文字落書きしているようじゃね笑笑🤣
そんなら、日本人なんだから「ごきげんよう、今まで有り難う、あなたはあなたの出会う人のために、私は私の出会う人のために」って言えよ笑笑 関西人なら「ごきげんよろしゅう、ありがとさんでございました、あんたさんはあんたさんの会わはるお人のために、うちはうちの会うお人のために」くらいで(笑)この関西弁は船場言葉になりますかね(笑)
「bye bye」「Good bye」子供かいな。
日本語は、別れの挨拶の表現もたくさんあった。日本に生まれて良かったと気づけて良かった。英語ならせめて悲しみを秘めた大人なら「See you 」くらいのほうがソフト。
昔は、よく子供の残酷さをテーマに描いた、小説や映画があった。今はコンプライアンスに引っ掛かるのかも知れないが。映画「禁じられた遊び」などは子供の無垢な残酷さを描いた代表作と言える。無垢で天使なことは素晴らしい事ばかりではない。純粋な無垢さほど残酷なのである。人間は悲しみを知り経験し傷つき優しさを覚える。傷ついていない優しさや正義感は残酷な石になる。
一年近くやって来て、はじめて、お題にクレーム(笑) それくらい、この言葉は嫌いだ。
あんまり、派手になりすましや素人のモノマネ張り付いてやってると、また凍結されちゃいますよ、お気をつけて。
うわ、キモ、キショ、、良い人ヅラが仮面剥げてますよ、多分世間知らずのただの承認欲求高目のマウンターセンセーSNS民、やだねぇ、ああはなりたくない、良き反面教師有り難うセンセー(笑)
今夜も、徒然なるままに、自分の心に映りゆく言葉を書くだけ、書く練習帖だから、カウンセラーセンセー気取りは書くとこ違うし、物書き気取りの素人もみっともない。
3/22/2025, 11:58:44 AM