ひそかな想い
長崎から船に乗ったイナゴは神戸に着いたら、カラカラカンピンタンの呪文で干からびて神戸の海に捨てられたwww
ないたら、あかん
ないたら、、悲しくなるだけ〜♪
それは、大阪の海や!
ひそかな想いwww
よく、自分のことを隠したがる人がいるけど
最近よくいるけど、なんか後ろめたいことでもあるんか?
ひそかな想いwww
隠し事は特にないが、ひそかな想いはある。
「あんた、それを言っちゃあ、おしまいよぉ」と寅さんが言うか言わないかは知らないけれど
私の、ひそかな想いはナイショですwww だって、ひそかな想いですからwww
それとは別の噺
「ひそかな想い〜カケラの話し〜」
いつかの続き…。
カケラは、どんどん進めるようになった。
どんどん進んで加速がついて、誰よりも速く進んでいる。風を斬って鮮やかに、斬る時は丸い刃では痛みを増す、そんな時はひと想いに斬ることが出来るように、昔懐かしいあの角が欲しいと思う時があるけれど、カケラは構わずひと想いに転がりぶつかっては倒し転がり続け、やがて、どんな球体より鋭く速い球体になった。
今なら、「アイツにだって負けない」そう思った時、足をすわれたような、誰かが遠くで泣いているような声が聞こえた。
それでも、転がり続けたカケラ、カケラは擦り減り白い煙をあげ始めていた。摩擦は体に火傷のような後を残した。
止まりたい、止まりたいんだ…
カケラは泣いていた。
速く転がれ、誰よりも速く風を斬って、いかに垂直に直角に真っ直ぐに走ることが出来るか?いつしか、カケラは、紋白蝶に休息の場を与えることも、イモムシと伴走することも、小石たちと語らうこともなく、白い粉煙をあげて走り続けた。
止まりたいんだ、止まりたいんだ…
カケラの、ひそかな想いが宙に舞った。
遠く遠くに堤防が見えた、その端の端海に繋がる場所めがけてカケラは転がり続ける。
遠い海は、やがて近くなり、カケラはポチャンと海に落ちた。
どれくらい漂っていただろう、カケラは暗い暗い海の中を漂って、波打ち際に辿り着いた。柔らかな波がカケラを流していた。いつか共に雨を待った細石が声をかけた、「随分、転がりましたね」「ここの海は、なかなか眺めがイイですよ、一緒に眺めませんか」カケラは自分もいつの間にか角がとれ丸くなって擦り減り細石と変わらない姿になっていることに気づいた。
それからカケラは細石と波に戯れて貝と遊び時折訪れるコアジサシに突っつかれ「俺は食えねよ!」とコアジサシに潮を吹きかけ、細石に言った「ここは、楽園かい」細石とカケラの笑い声のような潮騒が春浅い海にコロコロと流れていた。
辿り着くまでのひそかな想い。
潮騒によせて
令和7年2月20日
心幸
今日の後書き
先生と呼ばれる程の馬鹿じゃなしwww
今時サマンサタバサのバックを欲しがるなんてその生徒かな? まあ、厨ニなんでしょう。
センセーも子供相手だと精神年齢も厨ニで止まるのでしょう。そんなセンセーよくおられます、よく見ます。
センセーも大変ですねぇwww
そんな子は、きっと住所調べて落書きしたりビラ貼ったり人目盗んでするのでしょう。正義の味方気取りで、親の顔が見たいわ。
きっと親も親で、「最近あの人嫌だけど、まだ良いとこあるから様子見〜ぃ」とかママ友だかオバ友だか知らない寄り合いで語り合う裁き合う石投げ吊るし上げの暇つぶし聞かせてんだろう子にwww
注 吊るし上げ…大勢で一人の人を厳しく
非難すること。サシでの注
意は吊るし上げではない。
自分のことは棚に上げ、人にされたら大騒ぎでwww 胸に手を置いて、よ〜く考えてごらんw ブーメランなんだろうよ、君の好きな嫌いなwww
昨夜遅くのことだった。ここへ来て始めて光る言霊を見つけた。この宇宙のような砂漠で随分と長いこと探していたような、ピュアさのあるキラキラした言霊。私は始めてお気に入りってやつに登録した。同じ野菜でもこうも違うものかとしみじみ思ったのは置いておくがwww 花なら自分を薔薇だと言う奴と、かすみ草だと名乗る人との違いくらいかなぁ、、まあでも、ちゃんとかすみ草はかすみ草で価値ある花だと知っているようなそんな言霊だった。
かすみ草の私なんかと言いながら、ソンナコトナイヨって言われるのを待っているようなものではなく、ちゃんとかすみ草として輝いていた。
今日のもなかなかだった。
あのギャグで笑う人っているのか?と首を捻ったり、厨ニ房かと、ひそかに想うものや色々だけど、砂漠の宇宙で輝くものを探すことは、やっぱりイイものだ。
寝る前に読むのならああいうのがイイねぇ〜。
2月21日 朝 晴れ
世の中明日から三連休。
その前日の日待ちの静かな午前。
四十路倦怠期の話、昔みのもんたが、相談のってたような話を読んだ、そこは奥さん役不足じゃなく力不足じゃない?と突っ込み入れるより、今の時代の人なのかと、、ひょっとしてタイムスリーパー? 何時代の方なんだろとそっちに突っ込み入れるwww
暇つぶしには、ああいうのもイイwww
大変そうだなぁ、、旦那さんwww
あなたは誰
「あなたは誰?ここはどこ?」ってのは記憶喪失で今の時代は一過性健忘とか解離性健忘とか言うのかな?詳しくないけど、ここにはメンタル・ヘルス科のセンセーだか患者だか沢山いらっしゃるようだけど、
そもそも「ここは何処?」「何するところ?」
「書く練習するところですwww」
ならば、好き嫌いなんて単細胞な「な形容詞」
も「優しい」なんて形容詞も使うと態々書く練習してる人の練習帳じゃなくなります。それとも何?自分をカウンセラーだとでも思っているの?それならお門違い書く練習の場ではなくて自分のブログででもやりなさい。そもそも好きや嫌いなんて優しさなんて人によって取り方も在り方も様々に違いがある形容詞を、乱暴に「好き」「嫌い」「優しい」で表現する表現力の無さをここでは考えながら文章を書く表現する練習をしたいと思います。
「好き」「嫌い」この汚れた手で心を図々しく鷲掴みにする、画一的な「な形容詞」あなたの好きは嫌いはどんな気持ちなのか、どんな心情から生まれているのかを、この単細胞な形容詞を使わないで表現するのが文章書く表現する練習の場所でしょうにwww そもそも、単に「私は好きだ嫌いだの」だったら読み手も「それがどうした」しか無いわよ残念ながら、「お前さんが好きだ嫌いだの、こちとらの生活には関係ねえや」になりますwww それを読み手が立ち止まって感情を考えるような文章、それが表現力のある文章ですねー。「好きだ嫌いだの」を書かずにその気持ちを伝えてある文章、読んだ人が勝手に思い描く、それが意図するところにいかに近くなるか、近くすることが出来るかが書く練習ってこと。
「ああ、これは恋だね」とか「こいつは、こいつの敵だね」とか思い描かせる文章、それが表現力で、ここはそれを練習する場所。
優しい日記は、どんな日記なのか?お前さんにとっての優しさは受け手の優しさとは違うから優しいって言葉も簡単には使わない方が味わい深い文章と言えるのだ。
優しいの反対は厳しいか冷たいと表現される。けれど厳しい優しさも冷たい優しさも文章の表現次第で表現出来る。優しいの反対は怖いとも表現出来るが怖いけど優しいってのも表現出来る。それが文章を書く表現することの面白さであり、人の心の機微だ。これを考えながら書くのが書く練習だよwww そうすると、黒髪が一夜にして白髪に変わる人の心の機微、心情も理解し寄り添うことが出来るんだよwww
「ここは何処? あなたは誰?」
「ここは書く練習をするところ、君は書く練習をする人…それ以下でも、それ以上でもない」
「あなたは誰〜カケラの話し〜」
僕はカケラを探してる、足りないカケラを探してる。
ある日、カケラは一人で座っていた。誰かがやって来て、何処かへ連れて行ってくれないかと思いながら。
カケラは自分のカタチに合いそうな奴が通る度に自分をアピール。
・・・けれど、どれもこれもシックリ来ないシックリとは何なのか?気持ち悪い違和感がなくフィットすること。理想なら知っている、正しさ正論なら百も承知だ、カケラはずっとここで待って居るのだから何でも知っている。そうカケラは嘯いた。カケラの理想は大きくてカケタところの無い奴だ。
ある日、そんな奴が転がるように走ってきた。
アイツなら僕を何処かへ連れて行ってくれるかも知れないとカケラは声をかけた。
「君となら行けそうだ!」とカケラが言うとソイツは答えた「君のハマるところなんて無いんだよ、僕とは無理だ!他あたれよ」「それに、君一人で転がれないかい?そこにだけに居て待っていたって、出会う奴は少ないさ、外を歩く奴よりずっと不利だ」とソイツは言った。
カケラは、「僕はカケラだから一人じゃ転がれないんだ」そう言い終えたカケラを見つめソイツは言った。「やってみたことは?」あまりに強く見つめられたカケラ、生まれて始めて感じる強い語気と視線にカケラは自然と腰が引けて小声で「角が尖って、転がるように出来ていない」と見ても分からない風なソイツの言葉に傷ついた素振りを見せソイツを睨みながら声を詰まらせて言った。ソイツはカケラの傷ついた気持ちを全く意に介さない風に続けた「角はそのうち、とれて丸くなる、わたしもそうだった」そう笑いソイツは去って行く。
カケラは取り残され暫く、また、誰かを待って座っていたけれども、ソイツを意地悪く思って憎々しく考えて唇を噛んでいたけれど、そのうち体を持ち上げてパタンパタンと進み始めました。
すると、どうでしょう。
あれあれ、加速が出て来たパタンパタン、ゆっくりと進むカケラの体に紋白蝶は旋回して止まった。イモムシと競争だ、カケラより小さなカケラも進みを諦めていない事に気づいた。路傍の石のカケラより小さな小石は降る雨を利用して歩みを進め、細石になって転がるのだそうだ
カケラは共に雨に濡れながら進んだ、やがてアイツの言った通りに、カケラの角は削れてとれて丸くなって、転がりやすくなっていた・・・
いつかへ続く…。
「僕を探しに〜ビッグオーとの出会い〜」
作者 シェル・シルヴァスタイン
オマージュ
令和7年2月19日
心幸
後書き
自分の好きだ嫌いだのが受け手にとって重大だと思ってるイナゴさん、あなたに嫌われる事は好かれる事は、そんなに、この世の人々が誰かが生きることに影響を及ぼしますか?あなたはヒットラーですか?アウトレイジですか?北の国の偉い人々ですか?それならあなたに嫌われるとマズイのかな?www 一度聞いてみたいと思っていたんだwww。それでも、今この時代に生きる日本人の市井の民間人なら、自分の胸に誓って道理なら、誰にどう嫌われようが関係ないって思うんだけど。 人生において嫌われたら生きていけない人って、そんなに沢山いないと私は何時も思う。それ以外ならその人例えばそれは連れ合いだったり、友人だったり親だったり子だったり、自分自身だったりするけど、それ以外になら嫌われたって全然平気だ。その限られた嫌われたくない人に嫌われたくないから、色々頑張り、決まりも約束も守るのよwww 誰でもそうだ、そこの訳知り顔の聖人君子のイナゴも。
それよりも、有るが儘でいることの方が大事だと思っている。誰も悪者にしなくてイイようにwww
ここに由々しき問題が生じる、親は子が愛しいのだ、そのはずであるが、子の思うがままに言うがままに嫌われることを恐れて、優しく寄り添うのが愛ある親であるのか?ということだ。そんな礼節を弁えないような、良くも悪くも生まれたての無垢な幼気な子を、子の言うが儘に子の我儘にしていたら、結局、外で誰かに叩かれ簡単に潰れされてしまう子を育てて、他者を悪者にしか出来ない世の中を恨むサイコパスを製造してしまうのだ、それが無限ループで親から子、その子が親になり、またその子へと続くうち、石打ちが何より好きなイナゴ他罰的な悪童は育つ。
だから、そこはもう親の徳と業だと親は我を信じて、巣立つまでは、子に対する責任と一宿一飯の恩をきせ、お節介やきまくらなきゃなのだwww 嫌われたくないが嫌われ上等で立ち向かう。愛する我が子が被害者から加害者になってしまわぬようにだ。
壁に向かって受けた傷を呟き続けて身を滅ぼす阿呆にならぬようにとするだけだ。
やがて月日流れて、気づけば、もう親の助けは要らぬところに子は行っている、子が嫌らおうが好こうが、容赦なく変わらないものそれが親の愛ってやつだったなと、今更後で我が身も気づくものなのだwww
ヒヨコの雄雌は鑑別師がつける、日本人なら知っている、職人魂だ🐥🐥🐥
職人技と素人仕事は違う。職人技を身に着けられるように鍛錬すること。 まあ、そのままで良いならそれも良し、なら素人は素人らしくだなwww 謙虚さ大事。
それにしても、イナゴ大丈夫か?日本語www 頑張ってwww
分からない?
お可哀想に、お大事に。
また、明日🐠
手紙の行方
一章
紙飛行機みたいに飛ばした手紙の行方は知らない。差出人は昭和を生きてた誰か、宛先は今を生きる人たちへ…。
イナゴは稲穂とお友達かい?大量発生したイナゴを、どうするか?って聞かれたよ。
そりゃあ害虫だから駆除しなきゃいけないねぇ、それが人の世の掟だ。いくらね、イナゴが俺が正義だ、稲穂とイナゴが一緒に騒ぎたいと言っても、イナゴは駆除され稲穂は刈り取られる、額に汗して働く人の手によって。
流行りに流され飛びつくミーハーたち、ブランド志向は自我の無い弱さの現れ。肩書やエリート意識のブランド学歴志向は自意識過剰と裏腹の自信の無さの集団意識の画一化、戦前の価値観か?www
正義を大義名分にした石打ち私刑をして、一時の自慰にふけり次に飛ぶ、実は自信がなくてそのくせ殿様で謙虚さなく誰かの丹誠を喰い散らかす群れなきゃないられないイナゴたち。
被害者意識は人一倍強く、善人のフリだけは得意。イナゴは殿様バッタ気取りなので、上級国民意識だけが強いが実は孤独だからナイーブで悲観的で否定的。上げておいて下げる刹那な快感に飛びつく自我無き生き物それがイナゴ。
悪口なら人なら言いますよwww 聖人君子でもなければ誰でも言います。愚痴ります。
けれど心ある大人なら、そんなのは、お互い様だよと、指差し合って笑うところです。水に流せる日本人の美徳です。それが寄り添える人の優しさです。殺し合う前にそれが出来るのが寄り添える優しくあれる人でしょう。チンピラでもあるまいし 仮にも文明人名乗るならです。
流行りに人の意見に一斉に飛びついて自分の頭で考えず、正義感の大義名分で喜んで被害者ぶって叩いて逃げる腐れ外道。 そんな人に限って寄り添うやら、優しくありたいやら念仏みたいに唱えます。それもやっぱり流行り言葉だからでしょうか? 流行りとブランド「私もぉ…」が大好きで、多数派に身を置くとやたら下衆で下品で野暮ったく人に石を投げます。
昨年他界された名俳優の当たり役の名物父さんは、今の時代のイナゴたちが観たらとんだコンプライアンス違反のハラスメント毒親父となるのでしょう。けれど、そのお父さんは、今の時代のイナゴたちが束になってかかったって敵わない誰よりも人と人を隔てる壁の無い、ちょっと煩いくらいの愛情で寄り添う優しく強い父でしたね。
二章
手紙というものは、もう、紫式部さんの時代からそれ以前から有りました。紫式部さんの時代には連歌などをしたためて愛を確かめ。恋文という手紙は千年前から同じ目的で同じ様に存在し、戦地からの手紙になり、ペンフレンドになり、電話や携帯や様々な気持ちを伝えるツールが出来ても、便箋は有り、封筒はあり、切手は有りペンは有り続けます。
便箋に癖のある肉筆から、その行間から読める差出人が受け取り人に込めた想い、それが手紙。
ラインよりメールより電話より面倒で時間がかかるから有り難い、、「手紙、ありがとう」の書き出しから始まる返信が自然に寄り添う優しくあれる思い遣りや気遣いの心を育てる。
その手紙の行方は、あなたの心に。
今の時代電話もメールもありますが、電話でもメールでもなく手紙をください。
「手紙、有り難う、元気にしてる?…」
お母さん様 (笑)
郵便局員ではありませんwww
今夜も後書きwww
キモ、友達いないの?
あなたとなんか、ここだけの事にしてちょーだいwww 馬鹿じゃないのかwww
令和7年2月18日
心幸
輝き
前説
馬鹿とは、知力、知識、知恵のない奴だと思っているが、とどの詰まりに「おまえの、かあちゃんーーそぉ」とか「なんじ、なんぷん、なんよーびーぃに、いったんだよぉー」みたいな事を恥ずかしげもなく大人になって、言ったり書き込んだりする、大人の皮を被った子供でwww 実はイナゴだから長文は書けず3行呟くくらいでwww でなきゃキモくて下衆で下品な表現の羅列きっと、そんな漫画くらいしかその世界には無いのだろう哀れな人www
そして、叫ぶのだろう僕たちは被害者なんだ!ってね、PTSDとか云うどこかのセンセーたちがくれた、僕たち私たちをくるむ真綿を駆使して隠れ蓑にする。真綿に包まれて腫れ物にでも触るように育てられる世界を与えられたから、僕たちは私たちは大人にならないアダルトチルドレンで良いんだ!アダルトチルドレンを理解しない奴は悪魔なんだ!って青筋立てて叫ぶ正義感の暴力を振るうサイコパスの出来上がり被害者は加害者になる。そもそも最初から被害者ぶってるイナゴ。事故に巻き込まれなくても自分で事故を創作して、その作品に閉じこもり生き辛い時代の可哀想な被害者になる。別に強制的志願で片道燃料の戦闘機に乗せられるわけでもないのに…そんな時代でもないのに。事故で両脚失くなったとて、自分がその気になれば、いくらも楽しく思うまま有るが儘に生きる道は幾つもあるのに、全くポンコツな連中だ。脚が無いより視力が無いよりポンコツな感受性のポンコツさ。
手のつけられないネットイナゴみたいな悪童が飛び交ってると噂を聞いた、だから私は此処へ来た被害者を加害者にしないため。
少しは外に出て命を削ってみろwww 権利の主張は義務を得て果たしてから、それが大人の順番。
己の好きとか嫌いとかに囚われるうちは子供だと気づくよ。
だってね、好きも嫌いも興味って上で同じです。共に対義語は無関心好きの対義語も嫌いの対義語も無関心なんだ実はwww だから好きも嫌いも相手への興味なんだなこれがwww それに拘っているうちは実に子供だと言える。だから、悪童は好きな子にも嫌いな子にも「おまえの、かあさん、ーーそぉ」と囃し立てる。
そぉーいうところだよ、そぉーいうところが何時まで思春期の厨ニ病だって言うのwww その悲観的で批判的な目線で世の中や周りの身近にいる人を見て、カオナシナナシの偶像を崇拝する。物語を悲観的に批判的に捉えれば世の中分かってるって思うって、重症でしょwww
あなたを食べさせるため雨梅雨嵐北風から守る家を創作する為に父母は輝きの中で燃えつきて粉になっても幸せなんですよwww
それが大人です。
大人になれば、外へ出たら他人様の中で働くようになったら好きだ嫌いだのと言っていたら仕事にならないんだよ。嫌い嫌いも好きのうちで嫌いなと思う奴との仕事の方が成果出たりもするもんなんだ。好きと嫌いは対義でも表裏でもなく、心理的に言えば相手への興味ってことで同じなんだなこれがwww だから、その感情の機微が分かんねぇ奴は人の心に寄り添えない、つまり孤独を晒しているwww お可哀想に、わたしはあなたが君が救われることを願うだけです。
大人とは、歳だけとった子供ではありませんwww
愛を受けて育った子は愛を返せる大人になり、自分を大切に出来ます。そして他人も大切に出来ます。
愛を受けず恨んで育った子は愛を返すことが出来ず、自分を粗末にします。そして、いつも他人のせいにします。
子育ては花を育てる様です。
時間は止まらないので歳だけは重ね、子は育ちますが、根っ子が歪むと茎も歪み花も実もつけません。水は与え過ぎても根腐れを起こし日をあて過ぎても葉は枯れます。何時までも可愛い息子ちゃん娘ちゃんを高い高いして外の風にもあてず、栄養過多な肥料ばかり与えていても、花も実もつけないままなんですよね花も子も。 人の子も命あるものは同じなのでしょう。
過ぎたるは及ばざるが如し、与え過ぎは与えないと同じになるのかも知れません。何事も塩梅を考える力と知恵と知識の深さが必要なのでしょうwww
イナゴは空の彼方の星からワープ可能巨大ヘリコプターで殺虫剤を撒くか、幼虫の段階で駆除することが大切でしょう…どちらも骨の折れる仕事ですwww
「輝き… 千光年のお伽噺 〜いつかの続き〜」
素顔にメロディー焼きつけて君は今
輝きながら大人のドアをあけて…
壊れかけのRADIOから遠い声が聞こえてくる
あの日、サーカスに売られた少年を心助は見つめていた。サーカスの一番下のペーペーで地べたに這いつくばり掃除して鞭でぶたれた。少年は飛び出して今度は船乗りに拾われた、船乗りに騙され船に乗せられまた下働きからはじめるが、また酷い仕打ちが耐えきれず出奔、当て所無く彷徨って、あの日別れた燃える星と黒ぐろと迫る嵐の雲の下嵐の中に走って行った友を思い出している様子だ、母の顔も思い出しているのだろうか、心助が彼の顔にズームすると、空を見上げる目に光る涙が瞼をひとつ閉じる度頬を伝っていた。
まだ、引き返せるのではないのか?心助は思った。心助は、見ていた、別れたもう一人の少年は母の元に帰り、立派な青年になり、妻を娶り今では人の親である、それほどの時間が二人の間に流れたが、自分の今だけを抱きしめて何時も気分の良くなる様な接し方を最初だけはしてくれる人を求め日向を探しているうちに、想いとは裏腹に自分で自分の自由を奪い可能性を潰していることに気づけない少年であるように見えて、心助は少年を心配しながら見ていた。
何にも出来ない、見ているだけだが。せめて君のために祈ろう。心助はそう呟きながら今日も巨大望遠鏡から少年を見つめていた。
少年は、またくだらな〜あいといった憮然とした表情で、船乗りの仕事に後足で砂をかけ出て行って、結局またどこか別のサーカスで下働きをしていて、相変わらず見当違いにコミュニケーションが下手で、いつも自分しか見えていなくて自分主役なものだから、先輩たちに酷く叱りつけられ、時には殴られたりもしている。一人のピエロがやって来て、水とご飯を運んで来てくれて傷の手当てもしてくれた。ピエロはサーカスの道化で人から笑れるのが仕事だがそのピエロの道化を笑うために、お客は金を払ってサーカスを観に来るので、ピエロはサーカスの舞台裏では誰にも笑われない、皆に大事にされていた。少年はどうしたらピエロになれるだろうか?と考え、その次の日からピエロに弟子入りした。やがて、少年はやっと居場所を見つけたようで、張り切って酷い扱いや叱責にも「ご指導、有り難うございます」と言う様に頭を下げた。何故そんな態度が出たか?それは、母が地主に何時も取っていた態度だったからだ。彼の根っ子は確りしていた。「三つ子の魂百までか…」心助は笑った。
やがて家出少年は、そのサーカスで人気者の道化ピエロになっていた。
そんな、あるまた嵐の夜に、少年たちのサーカスが、あの村にやって来たのだ、今回はもう村の中だ。もう一人の少年が村長になり村にサーカスを呼んだのだった。
嵐は、黒い空を従えて、激しく窓を叩いていた。そんな村に到着し集会所に通された。酷い嵐で、招かれた方の少年はそこが何処だか分からない様子であったが、サーカス団の団長の前に村長が現れた時、ピエロの少年は思わず声を上げて立ち上がり吹き荒ぶ嵐の中へ走り出た、走り出す少年の後を村長になった少年が追いかけやっとの思いで、ピエロになっていた少年の腕を掴み手を取った。激しい稲妻が降る星も月も無い夜、彼等は抱き締め合った。
ようやく、輝く朝が来た。
村には朝から笛や太鼓の音が聞こえ、赤や黄のアドバルーンが上がっていた。青い青い空には、天高くまだ燃え滾る前の燃える星が出ていて鳶はその星目がけて飛んでは途中で真下へ旋回する芸を見せていた。
帰って来た息子の楽屋へ母は震える足と手で入って行くと、鏡の前で黙々と化粧する息子が母には見えたようだ。母に気づいた息子は走り寄り手をついて詫びた。母はそんな息子の背中を叩いてしゃがみ込んで泣いていた。
分岐点は最終地点で、また交わる人生の面白さ輝きは、そこから分かる。
心助は、巨大望遠鏡から目を上げて、輝くものを見た時のように、少し眩しそうに目頭を押さえた。
完
令和7年2月17日
心幸
後書き
彼女たちは文書降りて来ないから、わけの分からん呪文のような言葉で埋めるのか?行数稼ぐのか?それ物語なの?www「どもからともなくどもからともなく…ビビデバビデブーwww」下衆大魔王の下品な救出劇もwww 今夜は語彙力は大事と学びました。脚の生えたマシュマロ想像してみ美脚。脚長ならキモいwww 太短い方が可愛く思うけどwww🤣
有り難うございますwww
おやすいみ〜🐠
時間よ止まれ
汗をかいたグラスの 冷えたジンより
光る肌の香りが 酔わせる
幻でかまわない 時間よ止まれ
生命のめまいの なかで
都会の匂いを忘れかけた
ただの 男と女
想い出の恋になると 西風が笑うけど
幻でかまわない 時間よ止まれ…
「時間よ止まれ」 替え歌
やっぱ、「時間よ止まれ」って言ったら、これしか思い浮かばない。良い詞だよね、好きとか嫌いとかズブズブの直接的な言葉はひとつも出て来ないけど、煌めく夏の熱い想いがさらりと描かれている。
「モンロー・ウォーク」 作詞 来生えつこ
爪先立てて海へ モンロー・ウォークして行く
いかした娘は誰 ジャマイカあたりのステップで
目で追う男たちを 無視して腰をひねり
ブロンズ色の肌 光受けなまめく
昼下がりの ざわめく浜辺
噂のうず 巻き込む潮風
胸元の汗キラリ 目のやり場にも困る
口説き落としたいのに 隙もないね君は…♪
やっぱ、プロは違うよね、これぞプロの神表現の嵐は、この一節だけで、彼女がどれほど魅力的で主人公の心を惑わせるのか、読み手(聞き手)に其々の女神、モンロー・ウォークの彼女の姿を有り有りとイメージさせる。最早文芸小説の出だしのようだ。これなんですよ、これ、素人が逆立ちしたって乗せられないフレーズをサラサラと書く、それが作家の作品の創作ってやつ。憧れるよねぇwww 憧れるのは勝手だけど厨ニの日記じゃあ、いや、逆に厨ニの日記を四十、五十で書けたらある意味天才?かも知れんがwww けれど、やっぱり俗っぽい形容詞の羅列じゃあ、詩でも物語でもないし、書きっぷりは書きっぷりで創作意欲の創作者が日記でも嗚呼、やっぱりここなんだわなと分かるよねぇ素人は素人なんよな、自称はそれこそ自画自賛伯爵だろうが芥川賞作家だろうが、日本が誇る最後の語部だろうが、優しくありたい繊細さんだろうが、天才・秀才・バカだろーが勝手にしやがれだけど、謙虚さは大事だよなとしみじみ思うのであったぁ〜。
厨ニ病は、拗らせるとやっかいだ。
世界が灰色に何時も見えて、好き嫌いが善悪の基本で、自分が嫌えば世界中がそれを嫌いだと思っている。そうでなければ駄々をこねる、自分の好きなものに対しても同じ執着を示すだからストーカー気質。自分の好き嫌いが通らないとなると、他者が悪者に見えて、自分がか弱き被害者になる。灰色の悪魔に追いかけられた可哀想な自分を助けてってなる、君のことだよ。日記だか短編だか創作意欲がないのに態々書きに来る君、文学賞にでも応募したまえ、そして、落選したら選考者が悪者なんだろ?君たちみたいな人って、おお、恐ろし。やっぱ、思った通りの馬鹿だwww「とどまれ」は「止まれ」のカナ表記 どちらも「とどまれ」とも読めます。カナにすると曖昧になり、古文ぽくなるから賢そう?www らしいですねwww バカと天才は紙一重www
わたしは、今夜も神々の作品を愛でるように模倣するだけ。自分が生きて来た現実も結構気に入っているから、それもいい。夫と子供たちと孫と、細やかなわたしの仲間家族とつくりあげたこれこそが、わたしの創作の作品なので、十五の夜のじゃなかった方の夢は夢で玉手箱の中で眠らせておいて、いや、5番街に預けておいて、たまに酒の肴にあれば良い。それはそれで、とても幸せだ。記憶が曖昧だと思う程忙しく走りまわっていた1990年代終から2000年代始め。今ようやく、古い日記の中にある先のことなど考えず、刹那に今だけにと粋がって今を生きるとか格好つけて、支え続けてくれた人の心を気遣わず寄り添わず、若さを無駄にして都会の隅で雨の日は雨に濡れ、熱い夏には日陰探して自由に生きていた、自分のことにただ忙しく生きていた青春の日々も、それはそれで馬鹿で可愛くも輝いた私たちの日々だからと、その日があるから、変わらない十五の夜の夢を笑って語れるのだろうと思う。そして、支え続けてくれた人達に心から感謝出来るようになって、道は開けたのだと思う。今ようやくゆっくりと周りの景色を楽しみながら歩ける時が来たのだ。
「時間よ止まれ〜千光年のお伽噺」
心助は、何時ものように巨大望遠鏡を覗く。
どうやら、千光年先の青い星を、今しがた心助が丁度反転させた場所は真夏のようであった。東の空が白む頃ズームを合わせた先には二人の少年がいた。朝帰りか、二人の家は向かい合わせのようで、まだ静かなうちに互いの家に戻ろうとしていたら、奥から戸を開ける音が静かな朝のまだ温まりはじめたばかりの少しひんやりとした空気を切るように響いたガラガラガラと同時に二人の母親らしき女が、同じ格好で出て来た。やおら互いの息子に気づくとカミナリがはじまって、二人は母親と取っ組み合いの喧嘩になり、母親達は互いの息子の頬にビンタした。それもそのはず、どうやらぷらぷらとして今朝も朝帰りこれから部屋に帰って また、日が西に傾く頃まで一休み一休みだとさっき二人で相談している様子で、今夜もまた、丑の刻参りの予定を二人で組んでいたのだった。心助は不思議な儀式でも見るようにその丑の刻参りを見物していた。月を読んで何時やら見た妖怪使いにでもなるのか?それなら働いてほしかろうに、二人の母親は、先ほど引っ叩いた息子たちを放り出して、朝から野良仕事に出掛けて行った。
二人は、大層な怒りようで、暫く二人で母親の悪口でも言っていたのだろうか、話込んで、やがておのおの家に入ったかと思うと、荷造りをして旅姿で出て来た。脇にはちゃっかり母親の拵えた握り飯を抱えて、頬張りながらまだ鶏が鳴き始める前に家を出て行く様子であった。
これが、世に言う家出と云うやつか!心助は興味津々見つめていた。
どれくらい歩いたのだろう、えらく大きな燃える星は歩く二人の真上に差し掛かるところだ、二人が行く路は白く埃を巻き上げ、地下からも熱が噴き上げる様で、息を吐く口は、水を貰えぬ犬さながらにハァハァと言っていることが千光年先の心助にも分かった。すると、一転にわかに掻き曇り、黒い空を連れてきてその黒を割くかのごとく稲妻が走った。さっきまで空一面我が物顔で燃え滾っていた朱色の大きい奴は、その燃え滾っている奴が吐いた息の塊が爆弾抱えて突っ込み返したみたいな奴に追いやられている、やがて黒が支配する頃、勢いよく天が破れたように水が落ち嵐がやって来た。二人は遠くに追いやられた燃える星が差す光目がけ走った。そこには、そう大きくはないサーカスのテントらしきものが見えて、青い空に赤や黄色のアドバルーンをあげていた。二人は光目指して走った。やっとの思いで嵐を駆け抜け、青い空と燃える星の下に出た。「ヤレヤレ」二人が顔を見合わせた時、サーカスのテントから男が出て来た。「おまえたち何処から来たんだ?ずぶ濡れじゃないか」そんなことでも言っているのだろうか?二人に大きな布っきれを手渡すと話し込み始めて、一人の少年をテントの中に手を引いて消えた。もう一人は、テントの方を見つめていたが踵を返し、来た道を嵐目がけて飛び込んで行った、後から一人の少年を連れて行った男が追いかけていたが、少年の足は速く嵐の中へと吸い込まれて、やがて嵐を追い越しまた燃える星の下へ出た。空は一面オレンジ色になっていて、鴉が寝床へ向け飛んでいた。少年は野良仕事を一日終えて帰って来た母親たちに、急いでもう一人の少年を向かいに行かなければ
いけないと促し、二人の母親も行こうとしたが村の男衆に止められた、見上げると空は水しぶきと風稲妻でゴォーゴォーと音を立てて荒れ狂い始めていた。明日嵐が止んたら帰って来るだろうから、もし嵐が止んでも帰って来なければ迎えに行こう、そんな話になったのだろう。その日、村の家々の戸は早々と閉ざされた。気づけば、時間が止まったように嵐は三日三晩おさまらずに、ようやく燃える星がその村に昇ったのは四日目の朝だった。けれど、あの少年は帰って来ない。村人総出で、もう一人の少年の案内で、サーカスの場所をあたるも見つからない、そもそもサーカスが来ていた噂さえない。
少年の母親は心配そうに泣き崩れ、村の男衆達は、家出だから、そのうち帰って来るだろと言い合っているようだ、そのうちに二ヶ月が経ち三ヵ月が経ち、相変わらず無し
の礫に心配を募らせる母親に、いつもと変わらぬ真夏の燃える星は頭の上を過ぎ、時間は決して止まらず季節は変わり、母親は日々の暮らしと追いかけて来る仕事に追われ季節をやり過ごしている。何処からか「あんなどら息子、いい歳してんだ、ほっときなよ」てな声まで聞こえて来そうなほど、村の暮らしぶりは時間が止まっているように変わらなかった。変わったのは
もう一人の少年、少年はあの日空で燃える星と黒い嵐が喧嘩して黒ぐろしい嵐が燃える星を端に追いやり月からの矢のような青い稲妻を地上に降らせた晩から目に見えて変わった。実に黙々とよく働く青年になった。「あの日が二人の分岐点だったのか、その場の気分感情に流れ
今だけに自分だけに生きた少年と 背中に感じるもの嵐の来る家に心寄せた少年との違いかな」心助は呟いてコーヒーを入れ替える。
「時間よ止まれ」は、決して時間は止まらないから止まれと願う人の情なのだ。けれど時間は止まらないから私たちは悲しみも苦しみも憎しみも時に委ねて生きて行ける。
「時間は止まらない」生きている限り。
いつかへ続く
令和7年2月16日
心幸