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あなたは誰

「あなたは誰?ここはどこ?」ってのは記憶喪失で今の時代は一過性健忘とか解離性健忘とか言うのかな?詳しくないけど、ここにはメンタル・ヘルス科のセンセーだか患者だか沢山いらっしゃるようだけど、 
そもそも「ここは何処?」「何するところ?」

「書く練習するところですwww」

ならば、好き嫌いなんて単細胞な「な形容詞」
も「優しい」なんて形容詞も使うと態々書く練習してる人の練習帳じゃなくなります。それとも何?自分をカウンセラーだとでも思っているの?それならお門違い書く練習の場ではなくて自分のブログででもやりなさい。そもそも好きや嫌いなんて優しさなんて人によって取り方も在り方も様々に違いがある形容詞を、乱暴に「好き」「嫌い」「優しい」で表現する表現力の無さをここでは考えながら文章を書く表現する練習をしたいと思います。

「好き」「嫌い」この汚れた手で心を図々しく鷲掴みにする、画一的な「な形容詞」あなたの好きは嫌いはどんな気持ちなのか、どんな心情から生まれているのかを、この単細胞な形容詞を使わないで表現するのが文章書く表現する練習の場所でしょうにwww そもそも、単に「私は好きだ嫌いだの」だったら読み手も「それがどうした」しか無いわよ残念ながら、「お前さんが好きだ嫌いだの、こちとらの生活には関係ねえや」になりますwww それを読み手が立ち止まって感情を考えるような文章、それが表現力のある文章ですねー。「好きだ嫌いだの」を書かずにその気持ちを伝えてある文章、読んだ人が勝手に思い描く、それが意図するところにいかに近くなるか、近くすることが出来るかが書く練習ってこと。

「ああ、これは恋だね」とか「こいつは、こいつの敵だね」とか思い描かせる文章、それが表現力で、ここはそれを練習する場所。

優しい日記は、どんな日記なのか?お前さんにとっての優しさは受け手の優しさとは違うから優しいって言葉も簡単には使わない方が味わい深い文章と言えるのだ。

優しいの反対は厳しいか冷たいと表現される。けれど厳しい優しさも冷たい優しさも文章の表現次第で表現出来る。優しいの反対は怖いとも表現出来るが怖いけど優しいってのも表現出来る。それが文章を書く表現することの面白さであり、人の心の機微だ。これを考えながら書くのが書く練習だよwww そうすると、黒髪が一夜にして白髪に変わる人の心の機微、心情も理解し寄り添うことが出来るんだよwww 

「ここは何処? あなたは誰?」

「ここは書く練習をするところ、君は書く練習をする人…それ以下でも、それ以上でもない」


「あなたは誰〜カケラの話し〜」

僕はカケラを探してる、足りないカケラを探してる。

ある日、カケラは一人で座っていた。誰かがやって来て、何処かへ連れて行ってくれないかと思いながら。

カケラは自分のカタチに合いそうな奴が通る度に自分をアピール。

・・・けれど、どれもこれもシックリ来ないシックリとは何なのか?気持ち悪い違和感がなくフィットすること。理想なら知っている、正しさ正論なら百も承知だ、カケラはずっとここで待って居るのだから何でも知っている。そうカケラは嘯いた。カケラの理想は大きくてカケタところの無い奴だ。

ある日、そんな奴が転がるように走ってきた。
アイツなら僕を何処かへ連れて行ってくれるかも知れないとカケラは声をかけた。

「君となら行けそうだ!」とカケラが言うとソイツは答えた「君のハマるところなんて無いんだよ、僕とは無理だ!他あたれよ」「それに、君一人で転がれないかい?そこにだけに居て待っていたって、出会う奴は少ないさ、外を歩く奴よりずっと不利だ」とソイツは言った。

カケラは、「僕はカケラだから一人じゃ転がれないんだ」そう言い終えたカケラを見つめソイツは言った。「やってみたことは?」あまりに強く見つめられたカケラ、生まれて始めて感じる強い語気と視線にカケラは自然と腰が引けて小声で「角が尖って、転がるように出来ていない」と見ても分からない風なソイツの言葉に傷ついた素振りを見せソイツを睨みながら声を詰まらせて言った。ソイツはカケラの傷ついた気持ちを全く意に介さない風に続けた「角はそのうち、とれて丸くなる、わたしもそうだった」そう笑いソイツは去って行く。

カケラは取り残され暫く、また、誰かを待って座っていたけれども、ソイツを意地悪く思って憎々しく考えて唇を噛んでいたけれど、そのうち体を持ち上げてパタンパタンと進み始めました。

すると、どうでしょう。

あれあれ、加速が出て来たパタンパタン、ゆっくりと進むカケラの体に紋白蝶は旋回して止まった。イモムシと競争だ、カケラより小さなカケラも進みを諦めていない事に気づいた。路傍の石のカケラより小さな小石は降る雨を利用して歩みを進め、細石になって転がるのだそうだ
カケラは共に雨に濡れながら進んだ、やがてアイツの言った通りに、カケラの角は削れてとれて丸くなって、転がりやすくなっていた・・・
              
いつかへ続く…。

「僕を探しに〜ビッグオーとの出会い〜」

      作者 シェル・シルヴァスタイン 
  
                オマージュ

令和7年2月19日

                心幸 

後書き 

自分の好きだ嫌いだのが受け手にとって重大だと思ってるイナゴさん、あなたに嫌われる事は好かれる事は、そんなに、この世の人々が誰かが生きることに影響を及ぼしますか?あなたはヒットラーですか?アウトレイジですか?北の国の偉い人々ですか?それならあなたに嫌われるとマズイのかな?www 一度聞いてみたいと思っていたんだwww。それでも、今この時代に生きる日本人の市井の民間人なら、自分の胸に誓って道理なら、誰にどう嫌われようが関係ないって思うんだけど。 人生において嫌われたら生きていけない人って、そんなに沢山いないと私は何時も思う。それ以外ならその人例えばそれは連れ合いだったり、友人だったり親だったり子だったり、自分自身だったりするけど、それ以外になら嫌われたって全然平気だ。その限られた嫌われたくない人に嫌われたくないから、色々頑張り、決まりも約束も守るのよwww 誰でもそうだ、そこの訳知り顔の聖人君子のイナゴも。

それよりも、有るが儘でいることの方が大事だと思っている。誰も悪者にしなくてイイようにwww 

ここに由々しき問題が生じる、親は子が愛しいのだ、そのはずであるが、子の思うがままに言うがままに嫌われることを恐れて、優しく寄り添うのが愛ある親であるのか?ということだ。そんな礼節を弁えないような、良くも悪くも生まれたての無垢な幼気な子を、子の言うが儘に子の我儘にしていたら、結局、外で誰かに叩かれ簡単に潰れされてしまう子を育てて、他者を悪者にしか出来ない世の中を恨むサイコパスを製造してしまうのだ、それが無限ループで親から子、その子が親になり、またその子へと続くうち、石打ちが何より好きなイナゴ他罰的な悪童は育つ。

だから、そこはもう親の徳と業だと親は我を信じて、巣立つまでは、子に対する責任と一宿一飯の恩をきせ、お節介やきまくらなきゃなのだwww 嫌われたくないが嫌われ上等で立ち向かう。愛する我が子が被害者から加害者になってしまわぬようにだ。

壁に向かって受けた傷を呟き続けて身を滅ぼす阿呆にならぬようにとするだけだ。

やがて月日流れて、気づけば、もう親の助けは要らぬところに子は行っている、子が嫌らおうが好こうが、容赦なく変わらないものそれが親の愛ってやつだったなと、今更後で我が身も気づくものなのだwww 

ヒヨコの雄雌は鑑別師がつける、日本人なら知っている、職人魂だ🐥🐥🐥
職人技と素人仕事は違う。職人技を身に着けられるように鍛錬すること。 まあ、そのままで良いならそれも良し、なら素人は素人らしくだなwww 謙虚さ大事。


それにしても、イナゴ大丈夫か?日本語www 頑張ってwww 
分からない? 
お可哀想に、お大事に。

また、明日🐠

2/19/2025, 11:46:45 AM