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12/5/2024, 1:56:36 PM

眠れないほど

眠れないほど奇人変人のキモい先生の話し。

先生は自然主義派という文学の師的な小説家である、自然主義派とは人間の内面を抉り出すような作風で19世紀のフランスで始まり日本では明治後半頃に流行った文学の流れとか高尚な説明ではなく簡単に言えば人間の本性は醜いって考えで、父の戒めをことごとく破り自らの出自の告白に苦悩し葛藤する主人公の心の内を赤裸々に描く島崎藤村の「破戒」や中年の妻子ある小説家が自分のファンであり弟子に迎えた娘に恋心を抱き、その娘に男が出来たと分かると叶えられなかった己の下心から、嫉妬に狂い弟子である娘を破門し故郷へ帰すが、未練断ち切れず、娘の残した蒲團に包まりその残り香を嗅ぎながら娘を想うという、それが真実か!どんな真実だ!オッサンキモイだよ!な話で、なしてこれが文学?って思う人間の内なる真実を浮き彫りにする作品として現代にも伝わる物語なのである、、真実とはいつも残酷で醜いんだわね〜となる、だから真実が現実があまりに悍ましく汚れているから、装い着飾りワクワクしたいのか?(爆)先生は。

これに反するのが「反自然主義」「耽美派」自然主義文学の現実志向とは相反する虚構性・感覚重視の世界に真実を見る作風谷崎潤一郎は有名で、三島由紀夫などもこの反自然主義に数えられる。どちらも明治後半に隆盛を極めた文学の真実であった。他にも中二病の眠れぬ夜のお供には色々な文学の潮流があり、それを読み取ることは、大変面白く興味深かった。どれも100年以上私がそれらに出会った頃でもそれほどの時間が経過している物語たちであったが、ものがなく夜が静で夜空も近く闇の静寂も深々と伝わる頃に、それしか考えることのない時間の潰し用のない頃なら想像の翼は無限であったのかも知れないと思った、これら100年以上前の文学は100年経っても興味深く100年というゼネレーションギャップさえも面白く思うが、現代の新刊小説が100年先にも誰かの好奇心を刺激するとは思えないのである。

そう、考えると田山花袋のキモイオッサンの痴話話もアホか!と読むのも一興である。


「蒲團」        
              田山花袋

先生は30半ばで妻子持ちの小説家、そこへ彼の文学を師事する神戸女学院の女子大生が書生として弟子入り志願をして来た。

「一生文学に従事したいと」と熱望する彼女の一途で健気な志しに感銘しとならないのが自然主義派先生はありのままの自然な(手段は全然自然じゃないがw)男としての邪念に見舞われる先生なのである。

先生はこの若くてハイカラで美しい神戸女学院の才女と不倫したくて仕方がないという、ただの自然な男の性丸出しの脂ぎったデブ眼鏡のオッサンになり下がるのだった(笑) 

世間の体裁を邪推した先生は表向きは恋愛など有り得ないが信条、師と弟子としてのポーズをとるために、姉の家に下宿させます。先生は先生とは名ばかりで、彼女との不倫を夢見想いをつのらせますが、表向きは関せずに下心だけで、想いを夜な夜な闇の中で認めます、それはまるで月明かりの中での自慰行為さながら。いや、実に人間の内なる闇を自然を抉っています。そこには一切の誤魔化しがありません、とても嘘がなく真実の剥き出しの心が語られます。キモ過ぎるけど(笑)

やがて娘は文学にのみ従事したいとの言葉は何処へやら、同志社大学の学生と恋に落ちます。19歳の娘と21歳の青年何処にでもいる美しい自然な真実のカップルでした。先生は自分の弟子の心配をする体で実は自分が気になって気になって仕方のない真実を知りたがります。青年と娘の肉体関係の有無にまるで何かに取り憑かれ闇の中で念仏を唱える病みの人のように怪しい目で娘に青年との関係を問いただしますが、娘は答えるはずもなく、先生は鬱憤を妻子にぶつけてしまいました。

先生は娘と青年を引き裂くために、娘を自宅に引き取り監視し変質な執着を見せます。それでも娘と青年は恋文を遣り取りし、逢瀬の秘め事を認め合います。嫉妬に狂った先生は幸せそうな娘を見ていることが只々腹立たしく、監視を強めますが、娘と青年が深い関係にあることをそのありのままの真実を知ってしまいます。

この後に及んでも娘は堕落してしまっただけで自分が妻子がいなければ娘を手にするのは自分であった、口惜し妻子が、妻子のせいだと考える変態さで、娘と青年を無理やり引き離し娘を実父の元に帰すのでした。

娘が去った娘が使っていた部屋で、懐かしさと、恋しさと寂しさのあまり、娘が寝ていた蒲團と夜着に顔を埋めて残り香を嗅ぐのでした。

ありのままで剥き出しの抉る様な、欲と悲哀と寂しさと絶望が先生を支配し、先生は、その蒲團を敷き、夜着を抱き蒲團に伏して泣くのでした。


先生!虚構で良いので、嘘で良いので、痩せ我慢して!笑笑 物語は嘘が大事だわと教えられた一作。

眠れないほどの15の夜にどうぞ、さらに眠れなくなること請け合いです。


全て個人の感想です。



令和6年12月5日 

              心幸       




12/4/2024, 11:22:55 AM

夢と現実

花の色 うつりにけりな いたずらに
わが身世にふる ながめせし間に

             小野小町

絶世の美人歌人と謳われた小野小町は晩年、過ぎ去りし日々を想いこんな歌を詠まれました。夢現に過ぎた花の日々は夢幻に消えて現実は残るってな感じでしょうか。華やかに着飾ってその着飾るものばかりを愛でたいと願う日は誰のうえにも足早に過ぎ去るという戒めの物語、絶世の美女小野小町の死絵と逸話が残る九相図は、人の欲と業を戒める諸行無常の有名な仏画である。

あなたなどに、彼女は救えないし彼女は救いを必要とはしていない。

何故なら、彼女はあなたよりずっと満足感を知っているから、ただ今を過ぎ去りし日々を愛でることが出来るのだ。自分の闇さえ晴らせないあなたが、欲と業まみれの呪の念仏を夜毎唱えるしか能のない弱いあなたが、彼女にしたってそれ以外の誰にしたって救えはしない。可哀想に、よーく鏡をご覧なさいな、あなたの欲と業が九相図のように映し出されます。

呪の念仏は無限のループをあなたにかけるだけです、その言霊はあなたに返るだけです。

もし、誰かを救いたいと本当に願うのなら、先ず自分を救え!虚飾にまみれた自分を救え!

夢の後には現実
現実の後に夢…

夢と現実

令和6年12月4日

              心幸 

12/3/2024, 11:13:08 AM

さよならは言わないで

いつも、今日のお題を見てから暫し目を閉じて沈黙、お題から連想する歌や物語や想い出を頭の中のメモ帳をパラパラ捲るように考える。この時間近頃マイブーム。いつもだいたいひとつの発想からもうひとつ発想を飛ばして浮かんだものが書ける時が個人的にヒットの時だ。

・・・ さよならは言わないで、もうあれしか浮かばないじゃない、むっちせんぱーい。

サ・ヨ・ナ・ラなんて言えないよ!バカヤロー
しか思い浮かばないわ💦

近頃ドラマ好きのエンタメ好きのオバサンから感想書き予想屋になっちゃっているが、今年は宮藤官九郎に始まり宮藤官九郎に終わりそうだ、別に今まで宮藤官九郎脚本が特別好きだった訳では無い、寧ろ苦手な部類の脚本家でした。どこか若者ですが何か?的な雰囲気が好きになれなかったから。だがしかし宮藤官九郎さんも50越えて「時をかけるダメ親父」なんかを書かれるようになり、なんかなんか、ツボっちゃいまして、今年は「不適切にもぼどがある!」から「季節のない街」「新宿野戦病院」「終りに見た街」と宮藤官九郎脚本に引き込まれた1年でした。どれもツボりました、若者描くよりオッサン描いた方がイイですよと思います宮藤官九郎さん。「季節のない街」と「終りに見た街」は元の原作が素晴らしいのも有りますが原作の持つ世界観は損なわれずリスペクトし現代の若者にも伝わるように描かれているところは、読み込んでらっしゃるのだろうなと感動しました。年始めの「不適切にもぼどがあるある」は令和と昭和のギャップの架け橋にミュージカル使ったりして、1970年代頃のホームドラマを思い出しました。今年の流行語大賞に「ふてほど」が選ばれたのは嬉しい今年を締め括るニュースでありました。


近頃は、SNSはじめ一億総批評家の時代では有りますが、全く展開が読めていないのに分かった風の先生方には驚きます(笑)如何なものでしょうね、ただのファンでしょ、あんなのが芸能関係者や制作関係者だったら値打が全く有りませんよ(笑)

顔の見えない場所での、自称先生玄人評論家はみっともないだけです。あげく展開全く読めず呪の呪文か!?みたいなヤバイ言葉の繰り返しでは人格知れます可哀想な話で文芸作もメッセージを持った素晴らしい物語も、その値打ちを落とします。

そんなものとは、さよならは言わないで、さっさと距離を置きたいものです、気持ち悪いし一緒にされたくありませんしね。

さよならは言わないではやっぱり大好きな、時をかけるダメ親父に言いたいです。地獄の小川は令和に染まってソフトになって昭和に帰っちゃたけど、純子が大学入って元のミーハー純子に戻ったみたいに、昭和の地獄の小川に戻っちゃってる、続いている日常をスペシャルで観たいなと思う今日この頃であります。

時をかけるダメ親父、さよならなんて言えないよ!バカヤロー! 

全て個人の感想です🤣🤣

さよならは言わないで。

令和6年12月3日

                心幸 




12/2/2024, 1:25:20 PM

光と闇の狭間で

汽車は闇をぬけて 光の海へ
夢がちらばる 無限の闇(宇宙)さ
星の架け橋 わたって行こう
人は誰でも しあわせ探す
旅人のようなもの 
希望の星に めぐりあうまで
歩きつづけるだろう
きっといつかは 君も出会うさ
青い小鳥に

汽車は闇をぬけて 光の海へ…

停車場

彼は闇の中での戦い方を教えてくれた
「俺より先に死ぬなよ」と語り合った
友を想出していた。

彼の髪を、闇の静寂が撫でた
彼は瞼を閉じた、闇の中なら
瞼を開いていようが閉じていようが同じだ、寧ろ瞼を閉ざすことで得ることの出来る、闇の中の闇が光を教えた。彼はあの友の言葉を想い出し、闇の中の闇の中で神経を集中させて、微かな響きを感じる、その方向目がけて戦士の銃の銃口を向ける光の矢が闇を切り裂き
彼は目的を達成する。

「大人になったな哲郎…」

今まで観た漫画の中で1番心に残っている場面だと言うのは私的な事だが、因果にも機械伯爵という彼の宿敵が父だったという皮肉に彼は真っ暗闇のその果てで、友の言葉を想い出す。長い旅路の中で出会った友の言葉は闇の静寂で彼に光を教える。
倒されて本望父ははじめて息子を讃える。
闇を知る者が光を知ることが出来るのだ。

私は、この永遠の中二病みたいな少年漫画の一節が人生には大事だと考える。闇を知らない者は光を知ることは出来ない、闇に嘆く者は光のさざめく波動を感じることは出来ない、ただ闇の中で泣き叫ぶ哀れな赤子となる、闇を恐れるな感じろ光が見える、、闇と光の狭間で。



こういう場所では、いくら百年生きたと自称されても、それで人ははかれない。永遠の中二病は真理を教えてくれるし、百年生きた先人の言葉でも浅瀬で生きた者の言葉なら響かないものは響かないからだ、何で判断するかと言えば、やはり言葉でしかないのであろう。

生きた証が言葉に出る言霊こそが、この闇に差す光となるのだろう、、光は闇の中で見るからこそその値打がある。

光と闇の狭間で。


令和6年12月2日

               心幸







12/1/2024, 3:02:30 PM

距離

羊飼いのメロスは純朴で正義感の強い青年である。彼の妹は結婚式を挙げるため、街に買い物に出かけた、彼女の住む街から一番近い距離にある栄えた街だ、久し振りに訪れたその街は賑やかで華やかで何でも揃った昔に比べ鄙びて寂しくなっていた。

そのことを、妹は兄に伝えた、妹からその話を聞いたメロスは街に赴き街の人たちから噂を聞いた、それは王様の悪い評判だった。

王様は人間不信に陥って人々をやたらと裁き酷い虐殺をして、恐怖政治を行っているという噂だった、正義感の強いメロスは激怒する、メロスは短刀を脇に忍ばせ城に侵入するも、直ぐに捕まる、さらには傍若無人にも王様に諫言苦言を言い放ち、王様の怒りを買いメロスは死刑が確定してしまう、メロスは王様に訴える妹の結婚式に参列する為に3日間だけ時間をくれと懇願した、3日後の日没までには必ず帰るからと、頼んだ。そして自分が帰るまでの間はセリヌンティウスというメロスの友人が人質として牢屋に入ると申し出た。これを聞いた人間不信の王様は、メロスが自分の命欲しさに逃げ出すところを見物するのも一興だとこれを承諾した。

メロスは一睡もせず走って家に帰り、妹の結婚式に参列した。そして明け方には友人の待つ街へと死刑を受ける為に、友人と交代する為に走り出した。豪雨で増水した濁流の川を泳いで渡り、襲って来た山賊も倒したメロスだがついには力尽き諦めかけてしまう、一度は諦めかけたメロスだが、自分を信じて待っていてくれる友は裏切れまいと必死で走り続ける。血を吐いてボロボロになりながらも、彼は日没直前死刑台の前に滑り込む。

ボロボロになりながらも辿り着いた友人に、涙のセリヌンティウスは、一度だけメロスを疑ったと言い、メロスもまた一度だけ友を裏切り逃げようとしたと打ち明けた。二人は一度ずつ互いの頬を殴り、そして抱き合った。

この二人を見た王様は胸打たれ、メロスを無罪にし、「私も仲間に入れてくれ」と言った。

「走れメロス」     作 太宰治


ご存知、「走れメロス」は、ざっくりこのような話。何が凄いか分かりますか?いや、個人的にセリヌンティウス凄い奴っていうのは置いておいて自分の好みだから、メロスより待った信じた引き受けたセリヌンティウスが男前だというのは置いておいて、この二人が凄いのは互いに、友を信じた自分を信じ抜くところだよね。

まあ、メロスは早合点にも程があり、妹の話を聞くが早いが街に行くは、王様に諫言苦言言い放つ傍若無人の独善主義で傍迷惑な奴なのだが、彼のこの一見無鉄砲な正義感も率直さも愛してやまなかった(BLじゃないからね念の為)のだろうと思われるセリヌンティウスは彼の申し出を受けメロスを妹の結婚式に行かせる、分からない人には、それが何?有り得ないじゃん、メロス逃げ出すの当たり前で、帰るの馬鹿みたいで、ボロボロになっても帰るって何が感動するの?感動しないよねな、文豪の名作「走れメロス」だけど、セリヌンティウスは自分が見たメロスを信じ、メロスを信じた自分を信じ抜く、メロスもまた、自分が見たセリヌンティウスを想い、セリヌンティウスを想う自分を信じ抜く。だから凄いんですよ、傍迷惑な友人からの傍迷惑な申し出受けたセリヌンティウスの心には、傍迷惑だが大切な友の姿があり共に過ごした時間がそうさせた、メロスもまた、傍迷惑な自分の申し出を受けて待っていてくれる友への想いが有り、メロスは自分のセリヌンティウスへの想いを信じて走り抜いたのだ
だから感動するんだよ、互いの心の距離がメロスが走った距離に勝ったのだ、それは王様の心も変えさせた。二人が友情を育んだ時間互いの背の温もりを二人は忘れていなかったのだろね
だからこそ感動する名作なのだよ、読み解けないことは自慢にならないよ。

〇〇ガイみたいなこと寂しく自慰行為していないで、読み取ろうとしてごらん。まあ、あなたの問題に口挟む気はサラサラないけど、理解出来ずに、理解出来る人を揶揄するのは哀れだから、せめておやめなさい、あなたと同じ感受性を持ち合わせてなくて本当に良かったと思います(笑) 太宰治は変人だけど信頼信じるって事に関する感受性には共感出来て良かったと思う一作でした。

友情も愛情も信頼も、互いの心の距離が大事ですね(笑)


令和6年12月1日 

                心幸 


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