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10/27/2024, 10:37:23 AM

紅茶の香り

大きな森の大きな木の根元に小さなドアがついたお家がありました。

シマリスの夫婦がその木には住んでいて、その小さなドアの向こうでは、シマリスの奥様が紅茶を入れていました。

柔らかな紅茶の香りが小さな小窓から外に漏れて木立たちがその葉っぱを小窓にのばして深呼吸をしていました。

秋の木立は朱や黄色に色づいて、どんぐりの実も鈴なりのようにつけていました、今年もまた冬の準備の季節です。

奥様はティーカップを持ちながら窓辺に向かい
外を眺めました、木の実を拾いに出掛けた旦那様は、まだ戻らない様子です、そろそろ空が茜色に変わる頃です、奥様は飲み終えたティーカップをテーブルに置くと、小さな木の扉を開けて外に出ました。

ポーチからちょっと背伸びをしながら、奥様は遠くを見つめています、その眼差しの先に奥様は旦那様を見つけました、小さく揺れるその影は徐々に近づきやがて彼だとはっきり分かりました、奥様は背伸びをやめてため息ひとつ、微笑んで揺れるその影に手を振りました。

大きなリュックいっぱいに冬支度の果物やら木の実やら温かい干草やらをつめて、体をゆらし
旦那様の影が近づいて来ます。

やがて、旦那様は待っている奥様のところまで来て 「ただいま」と言い 奥様は「おかえりなさい」と言いました。

お日様の匂いのするリュックをおろし、旦那様は奥様に1輪のピンク色の秋桜を差し出しました、奥様は微笑んで 「綺麗ね、ありがとうお疲れ様」と旦那様に労いの言葉をかけ、二人はその小さなドアの向こうに消えて行きました、
低い夕日が大きな森の小さな二人のお家に差していました。

しばらくすると、また小窓から紅茶の香りがして、二人の笑い声が聞こえていました。

「今夜はパイを焼きましょうね」

明日も好き日でありますように。


a little happy ちょっと嬉しいを集めよう

小さな幸せやがて大きな幸せの物語。

そういう意味よ、分かった?(笑)


令和6年10月27日

心幸



10/26/2024, 1:43:12 PM

愛の言葉

愛の言葉と言えば

美しい人生よ 限りない喜びを
この胸のときめきを あなたに
二人に死が訪れて
星になる日が来ても
あなたと離れはしない… と、歌い上げる訳だが。

神父様の前で

その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、貧しきと時も、これを愛し
これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を誓いますか? 

アーメン
アーメン

アーメン…とはヘブライ語で起源は「信じる」と言う言葉らしい、転じてキリスト教では一般的に、真に、確かに、そうなりますようにの意味らしい、最後のそうなりますようにが真に的を突いているのでしょう、神様の前で愛の言葉を誓い合う二人の日本では3組に1組実にアメリカでは2組に1組が離婚しているそうで、真似しなくても良いのに肩を並べる勢いです。

確かに、結婚に打算はつきものですが、結婚相談所でも、マッチングアプリでも昔懐かしい近所の世話焼きババアが持って来る縁談でも、打算傾向の強い御婦人は、健やかで富める時は良いけれど、悲しくなったり貧しくなったりすれば、敬うことも慰めることも助けることも出来なくなり、愛の言葉何処へやらな訳ですが、実際長い人生悲しみが押し寄せたり、貧しくなったりすることは誰にでもあり、そこを乗り越えるからこそ、真実の愛は見つかるのではないでしょうかね? 

はじまりから、打算づくしで、障害は嫌、貧しさも嫌、悲しみも嫌では、本物になれない気がします。

愛のはじまりも終わりもきっと「無」なのだろうと思います、何も知らない何も分からない者同士が出会い育み、求愛がはじまる。しかし、雨に打たれ風が吹き互いに背中合わせで互いの温もりを何時も感じながら、共に戦い共に生きる、そして最後は相手に何も求めない、ただそこに二人あれることに歓を感じることが出来る、100ある甘い愛の言葉より、相手に何も求めず、相手の悲しみ貧しさ痛み荷物を自分のものの様に感じることが出来たなら、人生勝ったも同然の圧勝の素晴らしい神の祝福を受けた幸せが詰まった愛の言葉なのではないだろうか? 

言葉を憎むくせに、言葉を連ねるこんなところに、、悲しいね、そんな人がいたなら実に悲しい。他人に差した人差し指は自分に向けろかな、この人の世で生きる限りみんな誰かを傷つけそして誰かをそれでも愛するものなんだ、だから尊く敬うそれが愛するってことだよ、愛に破れた人よ。とかちょっと付け足し(笑)

はじめから、打算づくしで計算高い人生では
本物には出逢えない…そう子供たちには教えたつもり。

それが、愛の言葉だ(笑)




心幸


10/25/2024, 11:33:53 AM

友達

友達100人出来るかな♪
友達は100人もいらないとすぐ分かる。

我心の友と呼べる人が片手で足りるほども居れば充分だ、あとは愛すべき他人か敵か、、世の中には7人の敵がいるらしいが、それは逆の方が生きるに丁度良い。

味方7人にあとは敵くらいに思っていて丁度良い、それくらいで丁度良い、それくらいに思わず他人に世間に過度な期待をもつから裏切られたような気持ちになってすぐに傷つき、被害者になり悪者をつくる、そういう人は常に自分が被害者なので悪者と対等ではない、常に誰かに例えば世間に守られて、傷つける悪党を懲らしめなければならないというあざとさに自分を置くわけだが、世間はそんなに甘くない、君が捏造した悪者にも君と同じ様に親兄弟身内友達は存在するのだ、まずそのことに君は気づくべきだ、常に自分を被害者において、世間様に守られて悪党だと君が捏造する君の嫌いな相手に掛り切りになるほど世間様は暇ではない。それでも、戦いたければ世間を巻き込まず、あざとく複数形に化けずに勝負すべきだ、まあ、あさとい複数形は自分被害者をやめない限り敵とは対等にはなれないからだ、喧嘩とはそういうものだ、だからサシで向かい合うから喧嘩をすると不思議な友情は芽生え友達にもなれるが、常に自分被害者の君では無理だ、、なんて、こういう人は実際居て、「みんな違ってそれがいい」なんて大嘘をついて、実は自分と同じ意見でないと許さないという独善性をもち、非常に愚かで幼児性が抜けない為ストーカーになりやすく、物事を見たいように見過ぎるため、その実態を見失う。物語が何を語っているのかさえ分からすに自分の都合が良いように誤解して見て批判するためにバイアスを更に強めて見る、批判するために無いものをあるように見るのと、そこにある表現から心の奥にある心情を読む行為はまるで違うということに気づけない、、だから何時も分からないのですよ、物語を読めていないのですよ。

「みんな違っそれがいい」なんて言う人に限って、「みんな私と同じじゃなきゃ嫌!」で自分と同じ意見行動を強いて捏造し友達って安心していたりするものです。


友達とは、そんなものではなくて、少なくて良いから心から語れぶつかれ心配できる、同じじゃないから面白い、一番近くにいる他人である。


令和6年10月25日

               心幸

10/24/2024, 3:57:09 PM

行かないで

今よりもましな優しさに会えると見限って
行かないで、捨てたものじゃないは、その優しさきっと、振り向いてごらんなさい、あなたが踏んづけた優しさから綺麗な花が咲いているわ
優しさってそういうものよ、きっとその時は気づかないし、ひょっとしたらウザくって厳しくて鬱陶しくて仕方なかったり、時にはチクチク痛かったりするけど、そんな優しさを優しさと気づかないで踏んづけて、あなたは行くけどきっとその後には綺麗な花が咲いているの、あなたの花道。
何時かあなたが振り返る時、その花道が、あなたを癒してくれる。

そしてまた前を向いて歩いて行けるように背中を押してくれる、優しさとはそういうもの。

「信じて」と言う人は信じてはいけない
「優しくありたい」と言う人は優しさを求めているが、与えることは出来ない
「嘘なんかじゃない」と言う時は大抵嘘をついている。

そんな安っぽい言葉について行かないで、おばあちゃんの教え。


令和6年10月24日

心幸






10/23/2024, 11:35:22 AM

どこまでも続く青い空

山の頂きに立ち満天の紅葉に深呼吸、神々しいほどの朱や黄色に彩られた峰に手を合わす、神宿る神話の山。

そんな軽登山の予定だったのよ、秋の山ガールに装って、ほぼほぼ車で行ける峠道だからとドライブ、山頂近くの山小屋からの少しの登山
登山というには烏滸がましいウォーキングをする予定だった、山の入口には仔鹿がお出迎えしてくれた早朝神話の山の入口で仔鹿に出会うとはなんと有り難い。日々の喧騒を忘れ一時時間を遡り神代を想う。

その昔犬公方と呼ばれた殿様は犬にあらずは人にあらず犬を叩いた市井の町人は処刑されたが侍にあらずは人にあらずで切り捨て御免で斬り捨てられた。命の順列とは矛盾が多い(笑)
子供でもあるまいに、そんなものを声高に叫ぶアホ(笑)鹿は神の使い神馬も神の使いなら綺麗にその命をいただきもするこの世の理神代の昔から、アホで幼稚なグリーンピースに失笑犬のモラハラ訴え人間にモラハラ(笑)

そんな下界の汚れも洗い流す、神宿るその山頂から渡るどこまでも続く青い空に今日は霧が立ち込めていた、「残念だな」と私を見る夫に「そうでもないわ」と言った、「だって、見て雲より上にいる私たち笑」気温は下界のマイナス14度、山小屋で食べた普通のおうどんの美味しさ
そして、一番は約束が出来たこと「また、来年来よう」「今度はあの満天に彩られた峰をバックに写真とってやるよ」「この写真みたいな」山小屋の壁に飾られた美しい紅葉に彩られたプロの写真家が撮った写真を指差し夫は自信満々で約束した、「そうやね」と私は笑った。

ありふれた夫婦のありふれた休日の物語。

どこまでも続く青い空は来年の約束。


令和6年10月23日

心幸


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