愛の言葉
愛の言葉と言えば
美しい人生よ 限りない喜びを
この胸のときめきを あなたに
二人に死が訪れて
星になる日が来ても
あなたと離れはしない… と、歌い上げる訳だが。
神父様の前で
その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、貧しきと時も、これを愛し
これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を誓いますか?
アーメン
アーメン
アーメン…とはヘブライ語で起源は「信じる」と言う言葉らしい、転じてキリスト教では一般的に、真に、確かに、そうなりますようにの意味らしい、最後のそうなりますようにが真に的を突いているのでしょう、神様の前で愛の言葉を誓い合う二人の日本では3組に1組実にアメリカでは2組に1組が離婚しているそうで、真似しなくても良いのに肩を並べる勢いです。
確かに、結婚に打算はつきものですが、結婚相談所でも、マッチングアプリでも昔懐かしい近所の世話焼きババアが持って来る縁談でも、打算傾向の強い御婦人は、健やかで富める時は良いけれど、悲しくなったり貧しくなったりすれば、敬うことも慰めることも助けることも出来なくなり、愛の言葉何処へやらな訳ですが、実際長い人生悲しみが押し寄せたり、貧しくなったりすることは誰にでもあり、そこを乗り越えるからこそ、真実の愛は見つかるのではないでしょうかね?
はじまりから、打算づくしで、障害は嫌、貧しさも嫌、悲しみも嫌では、本物になれない気がします。
愛のはじまりも終わりもきっと「無」なのだろうと思います、何も知らない何も分からない者同士が出会い育み、求愛がはじまる。しかし、雨に打たれ風が吹き互いに背中合わせで互いの温もりを何時も感じながら、共に戦い共に生きる、そして最後は相手に何も求めない、ただそこに二人あれることに歓を感じることが出来る、100ある甘い愛の言葉より、相手に何も求めず、相手の悲しみ貧しさ痛み荷物を自分のものの様に感じることが出来たなら、人生勝ったも同然の圧勝の素晴らしい神の祝福を受けた幸せが詰まった愛の言葉なのではないだろうか?
言葉を憎むくせに、言葉を連ねるこんなところに、、悲しいね、そんな人がいたなら実に悲しい。他人に差した人差し指は自分に向けろかな、この人の世で生きる限りみんな誰かを傷つけそして誰かをそれでも愛するものなんだ、だから尊く敬うそれが愛するってことだよ、愛に破れた人よ。とかちょっと付け足し(笑)
はじめから、打算づくしで計算高い人生では
本物には出逢えない…そう子供たちには教えたつもり。
それが、愛の言葉だ(笑)
心幸
10/26/2024, 1:43:12 PM