大事にしたい 〜彼女のblues〜
「大事にしたい」と思いました
そう言いました
それは嘘じゃなかったし
今も嘘じゃない
「愛している」今もなお
だから 二人は別れを決めました
二人で 名前を消して
二人で 灯りを消して
二人で 鍵を閉める…そんな歌がこれほど沁みる日が来ると知りました
この 命はあなたに託します
ひどい 女と思ってくださいと伝えて
「大事にしたい」と思いました
そう言いました
それは嘘じゃなかったし
今も嘘じゃない
それは 彼女だけが知っている真実
「愛している」今でもずっと
だから、あなたを置いて行きました
ベルが鳴り 光が彼女を呼びました
何時ものように 愛の歌うたいます
どうぞ 憎んでください
どうぞ 自由に生きなさい
どうぞ 反省はしても後悔はしないで
そう 生きなさい
反面教師にしているうちは
大人な子どものままよきっと
捨てられた子どものまま
彼女のbluesは響かない
彼女は 今日も
何時ものように 愛の歌うたいます
大事にしたい想いを 心の奥に仕舞
後悔しないで 歌いあげます
大事にしたい 喝采に向い
令和6年9月20日
心幸
時間よ止まれ
幻でかまわない
時間よ止まれ
生命の めまいの中で…♪
もう、昭和は「時間よ止まれ」と言われればこの歌詞しか思い浮かばない。
1978年の資生堂CMソング、まだ化粧なんて似合わない年頃だったけれど、海辺を歩くモデルの美しさをときめきと羨望の眼差しで見つめていた事を思い出す。
あれから、時間は止まらず流れて、化粧も覚えそして、化粧なんてどうでもいいと呟く時になる、、、。
今こそ、時間よ止まれ
まぼろしーぃに 変わる前に
時間よ止まれ
生命の めまいの中で…♪
クラクラ(笑)
令和6年9月19日
心幸
夜景
「街の灯りがとても綺麗ね ブルー・ライト・ヨコハマ♪」と母が鼻歌を歌っていた日を思い出す。思い出す母は決まって台所に立っていて後ろ姿で味噌汁の匂いがする。
夕刻、外に出ると空はとても澄み渡り高くて夜の帳が下り始めると十五夜の夜は群青色の空に白い月がくっきりと浮かび、どこからともなく鈴虫と蟋蟀の声がきこえる、仕舞い忘れた風鈴の音はつい最近の涼やかさとは変わって、物悲しくきこえる、彼岸前の田舎の宵の風景。
私は、母の鼻歌を聞きながらテレビを見ている
夕暮れの街の灯りは少し寂しい気分になるよなんて思いながら、都会の夜景はブルー・トパーズみたいにキラキラ光るのだろうかなんて都会の夜景に想いを馳せながら、「世界名作劇場」を観ていた。
それから、いつか背中越しに聞いた母の鼻歌の都会の夜景に憧憬て、現実に淀屋橋から見た夜景はとてもとても寂しかったことを思い出す憧憬た景色はそれほど美しくもなく、澄んだ高い空と夜の帳が下りた群青に浮かぶ白い月が想出されて泣いた、あれがホームシックと言うやつか。時はバブル夜明け前、夜明け前が一番暗くて寂しいってやつなのか。木綿のハンカチーフじゃないが、足早に過ぎる都会の日々は真っ白なキャンバスを都会の絵の具で染めて行った。
けれど、季節が変わるたびに思い出す。
母の背中と味噌汁の匂いと、高い空と澄んだ月と一番星。都会で大事な何かを無くさないように、母の根っ子が私を引っ張り支えた、「この子の花が咲きますように」母の声が聞こえた。
私は、お母さんに近づけたろうか?いつもそんな思いで子供たちの背中を見送って来たけれど
それぞれに巣立って行ったけど、今、それほど美しくもないと思った都会の夜景は、そこで生きた日々と共に温かなものになった。
お母さん、あの日の私、私は今ここにいます。
結構楽しく生きています、ありがとう。
令和6年9月18日
心幸
花畑
気がつくと綺麗な花畑に私は座っていた、パンジーの葉に止まる天道虫を見つけて触ってみる天道虫は飛び立って、私もそれにつられて立ち上がる、見上げた空は茜色、西の地平線の彼方に人影それに気づいた私は、その人達の元に走り出そうとした、手を振りながら大声で「お母さーん」と叫んだ、叫んで走り出そうとした時背後から私を呼ぶ声が聞こえた、声は木霊のように繰り返し繰り返し幾つも聞こえ、私は走り出そうとする気持ちを抑え声の方に振り返った瞬間の暗転、ものすごい郷愁と母の匂いと父の笑顔と祖母の声を聞いた、その落雷のような走馬灯に包まれ闇に吸い込まれた、、目を覚ますと、病院だった、心配そうに覗き込む夫と子供たちの顔があった。
10年前の秋、私は花畑から帰って来た。
それから、リハビリしてリハビリして以前の日常を取り戻すのに二年。
あの日見た夢は、臨死体験というものでしょうか?お母さん。会うのは、まだ少し先になるようです、やがて夕暮れが来てあなた達の元に帰る、その時はまた迎えに来てくださいね。
少しだけ、死ぬことが怖くなくなり、生きることが、生かされていると思うようになった日に見た夢の話。
令和6年9月17日
心幸
空が泣く
空が泣く…いきなり空の擬人化からの比喩って
厨二か?とあいつなら笑うはず
危険な誘いに 走り出す人達
変わらない毎日に しがみつく人達
わけ わからずTV(ネット)ただ騒さくひびく
昨日のニュースなんて 誰も欲しがらない
行くあてなく ただ漂う
壁の中の ジプシーたちよ
激しい雨が 俺を洗う
激しい風が 俺を運ぶ
激しいビートが 俺に叫ぶ
何もかも変わり始める
1983年 初秋
私は、まさにこの曲の中にいた
ふつふつと、こみ上げる想い
ラジオから流れるこの曲に
故郷を出る決心をした
祖母は何もかも分かっていた
そして、ひと言
「行って来い」そう言った
まさに、反抗期だった
何時まで思春期は、そうして18の春に
故郷を出た 離れていても私のことが分かるような 輝ける場所を見つけたい その日まで帰らない そう思っていたが、年の差60年の祖母は待っていてくれなかった
私は、自分の未熟さを嘆き
激しい雨に打たれた
「神様、どうして私の 大切な人を次から次に連れて行くのですか?」
私は、こんなことならと
激しい雨に身を任せ
「神様、どうかこのまま 私も流して行って下さい 家族のところまで」
そう言って泣いた
涙が分からないように
雨の中で泣いた
激しい雨 私の心の 空も泣いていた
そんな私の隣に立つ人がいた
傘も差し出さず ただ私の横に立っていた
そして、言った言葉が
「激しい雨がって歌みたいやけど 知ってる?」 だった
そして、雨に打たれながら歌い始めた
なかなか、上手かった
つられて私も歌ったら
「下手やなぁ」と笑った
私も知らずに笑っていた
「笑えたら、もう大丈夫や、笑ってる方がええで」そう言って笑った
あれから、30数年側にいる、あいつ
「私の、空が泣いてる日に、見つけてくれてありがとう」
令和6年9月16日
心幸