花畑
気がつくと綺麗な花畑に私は座っていた、パンジーの葉に止まる天道虫を見つけて触ってみる天道虫は飛び立って、私もそれにつられて立ち上がる、見上げた空は茜色、西の地平線の彼方に人影それに気づいた私は、その人達の元に走り出そうとした、手を振りながら大声で「お母さーん」と叫んだ、叫んで走り出そうとした時背後から私を呼ぶ声が聞こえた、声は木霊のように繰り返し繰り返し幾つも聞こえ、私は走り出そうとする気持ちを抑え声の方に振り返った瞬間の暗転、ものすごい郷愁と母の匂いと父の笑顔と祖母の声を聞いた、その落雷のような走馬灯に包まれ闇に吸い込まれた、、目を覚ますと、病院だった、心配そうに覗き込む夫と子供たちの顔があった。
10年前の秋、私は花畑から帰って来た。
それから、リハビリしてリハビリして以前の日常を取り戻すのに二年。
あの日見た夢は、臨死体験というものでしょうか?お母さん。会うのは、まだ少し先になるようです、やがて夕暮れが来てあなた達の元に帰る、その時はまた迎えに来てくださいね。
少しだけ、死ぬことが怖くなくなり、生きることが、生かされていると思うようになった日に見た夢の話。
令和6年9月17日
心幸
空が泣く
空が泣く…いきなり空の擬人化からの比喩って
厨二か?とあいつなら笑うはず
危険な誘いに 走り出す人達
変わらない毎日に しがみつく人達
わけ わからずTV(ネット)ただ騒さくひびく
昨日のニュースなんて 誰も欲しがらない
行くあてなく ただ漂う
壁の中の ジプシーたちよ
激しい雨が 俺を洗う
激しい風が 俺を運ぶ
激しいビートが 俺に叫ぶ
何もかも変わり始める
1983年 初秋
私は、まさにこの曲の中にいた
ふつふつと、こみ上げる想い
ラジオから流れるこの曲に
故郷を出る決心をした
祖母は何もかも分かっていた
そして、ひと言
「行って来い」そう言った
まさに、反抗期だった
何時まで思春期は、そうして18の春に
故郷を出た 離れていても私のことが分かるような 輝ける場所を見つけたい その日まで帰らない そう思っていたが、年の差60年の祖母は待っていてくれなかった
私は、自分の未熟さを嘆き
激しい雨に打たれた
「神様、どうして私の 大切な人を次から次に連れて行くのですか?」
私は、こんなことならと
激しい雨に身を任せ
「神様、どうかこのまま 私も流して行って下さい 家族のところまで」
そう言って泣いた
涙が分からないように
雨の中で泣いた
激しい雨 私の心の 空も泣いていた
そんな私の隣に立つ人がいた
傘も差し出さず ただ私の横に立っていた
そして、言った言葉が
「激しい雨がって歌みたいやけど 知ってる?」 だった
そして、雨に打たれながら歌い始めた
なかなか、上手かった
つられて私も歌ったら
「下手やなぁ」と笑った
私も知らずに笑っていた
「笑えたら、もう大丈夫や、笑ってる方がええで」そう言って笑った
あれから、30数年側にいる、あいつ
「私の、空が泣いてる日に、見つけてくれてありがとう」
令和6年9月16日
心幸
君からのLINE
先ず、日本語が読めていないのは君の方だよ
何か翻訳機とか使っているかい? 日本人独特の遠回しな謙遜や断りややんわりとした否定やそして嫌味や(笑)が分からないのは想像力と言うより読書力の無さのせいか、AIに頼った翻訳アプリかなんかで読んでないかい?それとも漫画ばかり読んでいるからか?なんにしろ読書力ないよね、書き手の言わんとするところを読み取る力、たとえ駄文でも文句つけるなら、相手が何言ってるのか汲めなきゃ話にならないでしょ、分からないって両手あげてる外国人と同じ(笑)
読書力は直感力に繋がるから鍛えた方が良いよ。先ずは、古い書物を読むことだ辞書を片手に特に日本人は語彙力豊富で表現も比喩的で複雑だから昔の人が書いた物語で感覚を鍛えるのが良い。そういう事が出来ると人の心が読めて怒らせることも、泣かせることも、笑わらわせることも、励ますことも上手くなり営業成績もあがると、新人の頃先輩に教えを請うた。
君を見てると思い出すよ(笑)
電報みたいな短い君からのLINE
こういうのに、慣れちゃうと文章力も読書力も読解力も語彙力低くなりがち。
だから、手紙を書こう! 秋の夜長に。
続き
ほらほら、またトンチンカンな反論してるわ(笑)批判しよう批判しようとして読んでるから、話が掴めなくて反論も斬り返しになってないんだ、頑張れ。
令和6年9月15日
心幸
命が燃え尽きるまで
「この命尽きるまで君への愛を誓う、、」イヤイヤそんな熱苦しい台詞重いからと鼻で笑う
今の子はそんな感じかな?恋愛はコスパが悪いからいやいや、単に傷つくことが出来ないから生まれてからこの方、駄目だしされたことも世の不条理を突きつけられたこともなく、なんでも揃っていて与えてもらってお膳立てしてもらって寄り添ってもらって気遣ってもらって当たり前で育ったから、自分を傷つける人は許せなくて自分の嫌いは諸悪の根源みたいに思う、イヤイヤ勘違いしちゃ駄目だ、世の中は君の為に君を気持ち良くさせるために回らない、君がどれほどの人物か知らないけれど、おそらく君の嫌いが重大事項で君に嫌われたら世界が終る人なんてほんの数人です。そんなにあなたは重要人物でないので安心してください忘れないで、それを忘れちゃうと、「自分の嫌いは制裁しても良い」になって、虐めや人殺しの要因になるから、自分が嫌いなものに執着してイライラするのに離れようとしない寧ろ嫌いイライラすると言い続ける、自分が嫌いなものは世の中の悪だなんて高慢な独り善がりな考えに陥るそんな人は気をつけなければならない。
今の若者は、命燃え尽きるまでなんて格好悪いと鼻で笑うのだろう。命燃え尽きるまでかける何かが見つかる人生の幸せを知らない。与えられること満たされていることが当たり前でそうでないと不幸だから、傷つくことや遠回りや道草や不条理を耐えられない。だから不満ばかりで批判ばかりで人のせいばかりをしたがる裁きたがる、無限ループですね、どこかで断ち切ってください、それが大人への階段を昇ることでわ?賢いあなたなら気づくはずです。進歩は否定ではなく肯定からしか生まれない、苦しかったことも挫折も悲劇も有るから進歩するのは、それらを耐え忍んで肯定力に変えて夕陽に拳突き上げて、命燃え尽きるまで戦いますと誓うから人は勝ち取れて幸せになれて優しくなれる。
イライラするからと否定ばかりする不幸せを探すそんなんだからAIに仕事取られちゃうんですよ、頑張ってください、坊っちゃんお嬢さん。
その昔、向田邦子って脚本家は書いています。
ひとりの少女が夏目漱石の本を男性から借りた借りる為に喫茶店で待ち合わせた、ただそれだけのことで玄関先でそれがバレて父親にビンタされる「何故黙っていた!嘘をついて男と会っていた!夏目漱石なんか読むからそんな風になる!」意味不明な父親の剣幕どれもなんだか理不尽な話し、だって何故黙っていた?お父さん怒るじゃない、何故嘘をついて男と会っていた?別に言わなかっただけで嘘はついていない「男性と待ち合わせてます、夏目漱石の本を借りる為に」って言ったら「よし、判った」と言いますか?って話で、そもそも何故夏目漱石は禁断の書?「月が綺麗です」って言ったら駄目なのお父さんって感じなのだけど、この父親と母親と父親の親友の秘密の三角関係を知っている娘は、それはイイのか?となりながらビンタされた頬に手をあて涙していると、ひょっこり現れた祖父が娘の口に飴玉を放り込む、お茶目なお爺さんは悪戯ぽく笑っていた、とっても理不尽だけど優しいシュチュエーションの描写が素敵な物語があった。まあ、このお爺さんも、命燃え尽きるまで遊び人のお爺さんだったのだけど、、という風に世の中はそれほど綺麗でもなく理不尽な割り切れないことは以外と多く、けれどそこにはそこの義があるということを教えてくれた。
理不尽な醍醐味をそれが人生の隠し味になることを覚えましょう、命燃え尽きるまで(笑)
令和6年9月14日
心幸
夜明け前
「木曽路はすべて山の中である…」夜明け前と言われるとこの有名な小説書き出しの一節と
共に女工哀史の「あゝ野麦峠」を思い出すのである。
夜明け前が一番暗い。
今では世界遺産などでもてはやされる紡績工場であるが、そりゃあやっぱり明治大正当たり前に口減らしに売られて行くのでしょう少女たちの歌の碑は今も木曽路をドライブすると目にします、本当のところはその頃を生きない私たちには分からないけど、強制的志願と時代の風を思えば命に差はなけれど生まれる場所身分には差が大きくあったとしか言えないそれが歴史というようなものに思える。
時代が成熟すればなんて、今のこの国に時代に生まれた幸運だけに過ぎないことを、偉そうに語るより、そんな時代に生きた人たちがくれたこの時代に感謝しなければならない。
今の時代を創ったのは過去の人たちです。
明治維新を成したのは江戸時代の人たち
明治大正浪漫文明開化外へ出て行ったのが明治大正の人たち、そして戦争をした。
敗戦から、地べたを這い24時間働いて何でもある豊かな国を創ったのが昭和の人たちです
貰ったものを自分たちの手柄のように言うな!
平成生まれが令和をつくる、どんな時代かは
令和の次の元号の子供たちが語る。
夜明け前が一番暗くて寒い。
令和6年9月13日
心幸