心の灯火
「心の灯火」
暗いと不平を言うよりも、すすんであかりをつけましょう。
カトリックか!?ラジオ放送か!?✞
心に愛がなければ、どんなに美しい言葉も相手の心に響かない、、愛って大事。アーメン
愛は必ず最後に勝つ。
心の灯火はカトリック教会の朝のラジオ放送でした。
とかく最近の若い日本人は核家族化が進み家族に、じーちゃんもばーちゃんも居らず、仏壇も無い家が多く先祖の墓参りも年寄の仕事と高をくくっている為に宗教と聞くと壺売りや洗脳という言葉しか思いつけない人がいらっしゃるが、本来宗教とは、もっと身近で、それこそ心の灯火で拠り所でありアイデンティティの故郷先祖との交わりであるはずである。
日本人にとってはお祀りするのは先祖なのである。阿弥陀様の元に居られるご先祖様を祀るのが日本の宗教であるが、カトリックはキリスト教なので神様が我々兄弟姉妹の家を用意していてくださるので死とは現世の人生を終え、その天の父の元に帰天し永遠の安らぎを得るということのようだ。
まあ、言ってること一緒と言えば一緒だが、仏教はこの世もあの世も徳を積む為のもので、キリスト教はこの世で頑張ったら神様の近くご近所に住めるぅーって感じなのであろう。
暗いと不平を言うよりも、すすんで灯りをつけましょう、、仏教なら独生独死、独去独来この世に来たのが一人なら去るのも一人だ、他者に依存しない影響されない揺るぎない自分を持てということか。
暗い嫌だ嫌いだと不平を言うよりも自ら灯りをともし輝きを見つけなさいであるのだろう。
宗教心とは、誰でも心に持っている祖先や家族との繋がりや価値観の基本みたいなものでこれを軽んじる人は何かしら薄っぺらい気がする、かと言って宗教心に縛られると中世カトリックや生臭坊主や聖地の奪い合いになってしまうのである、、何事も過ぎたるは及ばざるが如しなのであろう。
令和6年9月2日
心幸
開けないLINE
一番最後は去年の夏。
「お誕生日おめでとうと」
夫と舅と私の三人でお義母さんの為に準備したケーキを囲んで写メを撮った。
その、写メをお義母さんのLINEに送りました。
既読は、いつまで持ってもつきません。
もう、お義母さんはLINEを開けないから。
その丁度半年前のお正月、実家の花壇の水撒き様のホースを直したお礼が来ていたね。
「じーちゃんに何度も頼んでいたのに、してくれなくて、兄ちゃんに何年越しやろかに直してもらいました有り難う」そう言って喜んでLINEをくれたお義母さんでした。
その、じーちゃんもお義母さんが大急ぎで逝ってしまってから、1年も待たずに、丁度お義母さんが余命宣告を受けた日から1年目の今年の春にお義母さんのところに逝きました。
お義父さんお義母さんあなた達の息子さん(お兄ちゃん)は、1年間の間に続けて二親を亡くして辛そうです。私よりもナイーブとは心得ていましたが、かなり、まいっています。
今、開けなくなったLINE。
アイコンがなくなったお義父さんお義母さんのLINEの名前を指で撫でながら、見守ってあげてくださいね、お願いしますと願っています。
去年のあなた達の、いえ、私が来た頃のままのあなた達の姿を想いながら。
録画音声メッセージからは、孫たちと楽しそうに話す明るい声が聞こえて来ます。
私も夫もあなた達が居なくなったなんて思えなくて、困るとお義母さんに頼んでみたらと相談してみたらと言ってしまう、しっかり者の義母(母)と、無口だけれど優しい義父(父)でした。
いつも、いつまでも、あなた達の前だけでは心配かけるお兄ちゃんでいさせてあげてください。
開けないLINEを見つめながら想っています。
令和6年9月1日
心幸
「香水と不完全な僕」
ドルチェ&ガッバーナかどうか知らない僕だけど、僕の部屋のカーテンについていた君の香水の香りにときめきメモリアルの僕はなんて不完全な人間なのであろうかと思う。
むかし聞いたヒット曲の男のように
背を向けてABAYOと言って
「行ったきりなら幸せになるがいい」なんて言いながら、その後の「戻る気になりゃいつでもおいでよ」に想いをかけていた自分に気づく。
君が僕を見る時に眉間に寄せる皺が
レントランで注文に30分かかる君が
少しとぼけたような口調と声色が
忘れられない
君の抜け殻探して
カーテンに顔を埋めた
相当に気味悪い不完全な僕
せめて、少しは格好つけさせてくれ
この、みっともない無様な姿を
酒のせいにでもさせておくれよ
眠らない街で、朝までふざけよう。
君の香水の香りと不完全な僕と。
令和6年8月30.31日
心幸
突然の君の訪問に
言葉にならずにただ抱きしめた。
あと、どれほどの時間を過ごせば
再会できるのだろう…
私は信じています
また、会えるって
その時君は、あの時みたいに
言葉にならずにただ抱きしめて
突然の君の訪問を
待ちわびた私に
「久しぶり」って声をかけて
あの笑顔を見せてね
虹の橋の彼方
あなたの笑顔は忘れない
きっと直ぐに分かる
私があなたよりも年上になってしまっていても
笑顔で抱きしめてね
きっと、また会えるから
歩いて行ける
あなたと生きたかった明日を
令和6年8月28.29日
雨に佇む
激しい雨が洗い流す
何もかもが変わっても
命はひとつ
取り替えは効かない
リセットも出来ない
神様は平等に命を与えた
命は平等
100年も使えばオリンピック選手もノーベル賞受賞者もアインシュタインもスティーブ・ジョブズも死ぬ。
その扱いが違うのは
世の中が平等でないからだ
神様は見物が好きだから
与えっぱなしで、あとは人間まかせ
何故、命が平等かどうかを問うのにノーベル賞受賞者とか犯罪者とか極端な人々を引き合いに出すのだろう?神様か悪魔に選ばれたような人たちを?それらの人々全体の何割?馬鹿なんじゃない?(笑)
自分がどのくらいの位置と考えてのことか知らないけど、それさえ、ノーベル賞受賞者も犯罪者も普通に命はいつか終る、永遠には生きれないという時間の平等を持っている。違うのは平等でないのは、世の中時代社会背景ですけどね。
世の中が平等じゃないのが自由主義けれど平等じゃないから、仕事でも住む場所でも自由に自分で決めることが出来る。生まれ落ちる場所は選べないけど命は平等にいつか終るけど死ぬ場所は選べる。それが平等じゃない、自由な自由主義、みんーんな平等だと競争のない社会主義になるのよ。
物事には必ず光と闇があり闇があるから光が増すとも言える。
雨に佇む
激しい雨に
その身を打たれ
変わり続けることが出来る命
生きている限り
いつか終える定めを
平等に与えられた命は
生きている限り
変わり続けることも出来る
だから、精一杯戦え
平等じゃない世の中で
平等じゃないからこそ
自由に選べる死に場所を
自分の手で勝ち取る為に
私たちは、今そういう時代の日本に生きている
雨に佇む一本の葦のように。
令和6年8月27日
心幸