自転車に乗って
君の家の前まで行ったのは
通りの角から三軒目まで行って
引き換えした、次の日もそのまた次の日も
ストーカーか!? あの頃はそんな言葉もなくって、単純だた。
小さく心ときめく冒険と失敗の綱渡りをしながら大人になった。
人は、いつからを大人と呼ぶのか?
歳だけとっても、子供部屋大人だったりヒッキーニートだったりじゃ大人じゃないのだろうし。
確り自立納税者日々やっていても、心に子供の居場所があれば、自転車に乗って君の家の前でまちぶせた日の心にふと呼び戻される、それは子供なのか?
人はいつ、自転車に乗って君の家の前で
その窓を見つめた日を忘れるのか?
それが大人なのか?
今でも毎日自転車には乗るが
心ときめかせペダルを踏み風を切ることは
あの日から遠ざかれば遠ざかるほど
美しさだけが愛しく残る
それが大人になるということか?
それを否定し傷つくことを避け
心ときめかせることもなくては
見た目だけ大人になってしまっている
だろう、君もっと大人になれ
大人はわざわざ自分大人とは言わない
自転車に乗って、あの人の家の前で
まちぶせたことを切ない気持ちで
焼きついた時間を走馬灯に見つめる
それが、大人になったということか…。
令和6年8月14日
心幸
心の健康
白い顔して我こそ正義の味方とか張り付いて
自警警察だか私刑執行人みたいにして目につく自分が気に入らないものにしがみついてストーカーしていると、心の健康を害しますよ(笑)
SNSサイトなんて本気でとったらダメよ~ダメダメ(笑) 本気ですると心の健康に良くないわよ。特に真面目で良いこと悪いこと杓子定規にしか量れない自分は良い人ですって人は、もう手遅れかも知れないけど、あなた盲目的だからナイーブで自分のアダ名すら名乗れないのに他人の意見ばかり気にして、他人のことが気になってしかたがない。名無しにしてようやく初めて語れる臆病さん、SNSサイトなんてね、言いたいことを言いたいように言い合う場よ、でも忘れちゃならないのは、直接的なアホほど分かりやすい言葉でつまんない自分の正義を吐かないことよダサイから(笑)
語彙力強化ーっ!
ついでに読書力さらに強化ーっ!
因みに、「空から」ではなく「空(から)」空と書いて「から」と読むの意。この物語は空っぽだなぁーを示してんの(笑) なんでここまで説明せんといかん!日本人ではないのか?
だれか、伝えてくれよ〜♪
今日もスマホ首で画面見つめて
ネットの隅で 待っているのだろうから笑笑
頑張れよ、多分水に流すって文化の無いところから来たのだろう白くてスベスベでツルンとした白顔誇大妄想狂の方 お大事にぃ。
令和6年8月14日
心幸
君の奏でる音楽は
不協和音、不平 不満 批判
なにを、そんなにイライラしているの?
他人にイライラしてみても、仕方がないわよ
あなたを気持ち良くする為に隣人は存在しない。
可哀想に もっと、自分を大事になさい。
君の奏でる音楽は
不協和音、不平 不満 批判
そんなものを、探して裁いているうちは
心地よい音楽は、あなたの側には流れない
何故なら、類は友を呼ぶから、仕方がないわよ
イライラ虫には、イライラ虫が寄り付き
裁く人には、独り善がりの裁判官が寄り付く
可哀想に もっと、自分を大事になさい。
君の奏でる音楽が
心地よい音楽に変わる日を…
この世は合せ鏡君の心が映し出され
君の言葉が生まれる
可哀想に もっと、自分を大切になさい。
そして、美しい言霊を発しなさい
それは、お行儀の良い上っ面の気取った言葉でわなく、不細工で荒っぽくても、心の温かみが伝わる言葉で語りなさい。
君の奏でる音楽は
奥深く、力強く、そして優しい
痛みがあるから輝くことを知りなさい。
お節介なオバサンより(笑)
令和6年8月12日
心幸
麦わら帽子
青空と坂道が交差する
麦わらの乙女は赤い自転車何処へ行くのだろう
忘れていた、宝物を思い出した。
わたしの心の一番やわらかい場所に眠る
夕焼けと日に焼けた麦畑を渡る風の匂い
切り取った時間の片隅で君は微笑む
麦わらの乙女の夏休み
目を閉じれば草笛の歌が聞こえるよ
想い出の、あの浜辺から君の囁きは漣
わたしの心を染める君色の絵の具
陽炎、向日葵、ジリジリと蝉時雨
遥むこうにある、夏の嵐を積乱雲が連れて来る
土砂降りの中、君を探した
夏の終の、覚めやらぬ夢
麦わらの乙女の残り香は、過ぎ去りし
激しく暑い夏を想い起させる
女には最初の恋が故郷
戻ることは出来ない、だからこそ
儚く尊い、夏の日の嵐と濡れた麦わらの想い出。
令和6年8月12日
心幸
終点
「愛の終着駅」
寒い夜汽車で膝をたてながら
書いたあなたの この手紙
文字のみだれは線路の軋み
愛の迷いじゃないですか
読めばその先 気になるの…
昭和52年発売
歌唱 八代亜紀
もう、貴女の歌声を生で聴くことは出来ません。実は初めてライブに行ったのは演歌の歌姫八代亜紀でした。
まだ小学生の頃八代亜紀の大大ファンであった父に連れられて。
その頃は、演歌って恥ずかしくって良さもあまりよくわからなかったけど、もう父の歳も追い抜いて父より歳上になってしまった私は近頃演歌が好きです。
そんな中好きなのはやっぱり
美空ひばりと八代亜紀かな。
美空ひばりの「悲しき口笛」と
八代亜紀の「愛の終着駅」は名曲中の名曲であらると思う。
けれど、その歌声は今はもう生で聴くことは出来ないし、栄枯盛衰のごとく全盛期の歌声はとどめない終点がきっと来る。
けれど、その仕事は遺るものなのだ。
その昔、「アマデウス」というモーツァルトの生涯を描いた映画があったが、クラッシック界の異端の大天才ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトは父の亡霊に怯え精神衰弱に襲われ最期は共同墓地に石灰をかけられ埋葬される
どんな天才にも自分を上級国民と思うアホにも等しく終点は訪れる。
それが、神が与えた平等である。
ならば、生を受けた者が、いつかは等しく迎える終点は変えられないのであれば、その終点まで命を運ぶ運び方は自己満でも肉まんでも自分が選んで納得して終点を迎えたいね、せめて誰のせいにもしなくて良いように。
それを、神は眺めていらっしゃるのだろうから神様は見ているのが好きで試すのみ好きみたい
試されながら、見つめられていると信じながら平等に与えられた、生まれ落ちた瞬間にスタートラインにハンディと試す為の仕掛けが用意されている道を終点まで運ぶことは、自分で選びたいものですね、自分で選びとれる道があることにそんな地代で国であることに感謝しながら
シーザーもブルータスも
ナポレオンも織田信長も
アインシュタインもホーキングも
億万長者もホームレスも
自分は上級国民とか思っているアホにも
終点は来る。
そこまで、どうやって命を運ぶのか
どう生きるかは、選べる国であることを
護り続ける一石になにたいものだと、戦後79年目を迎える夏に想う。
令和6年8月10日
心幸