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7/29/2024, 2:28:42 PM

嵐が来ようとも

嵐の夜の前の日赤い月が不気味に輝いていた。
あれから1年が丁度過ぎました。

1年とは短いようで長いものだと染み染み感じた1年をまた赤い月が静かに輝く空を見ていました。

これからまた嵐が来るのでしょうか?
今年の夏は去年の夏より暑さが増しているような赤い月も熱気を帯びた土さえ撒きそうなそんな宵です。

高揚とした赤い月
朧な春の月とは違う
土用の赤い月

めぐる盃に かげがさすのは

春でも秋でもなく

こんな暑くて赤い月が昇る夜のような
気がしてならないのです。

今 荒城の夜半の月
かわらぬ光 誰がためぞ
垣に残るは ただかつら
松にうたうは ただ嵐

天上 影は 変わらねど
栄枯は移る 世のすがた
写さんとてか 今もなお
あゝ荒城の 夜半の月

私は、この歌に今
土用の赤い月を写して
義母(あなた)のことを思っています。

私たちの勝負はまだついていません。

きっと、来世で会おうです。

私は、去年と同じ赤い月を見上げ
義母(あなた)のことを思っています。

嵐が来ようとも

きっと、来世で会おうと思っています。

きっと、その時も憎しみ合うのでしょうね(笑)

楽しみにしています

来世で会いましょう

義母(お母さん)

義母さんならきっと助太刀無用と言うでしょうね。

多勢で無勢を狙うようなそんな卑怯千万な人ではないからこそ、義母さんは私の盟友であり宿敵であります。

人生は嵐が来ようともサシの勝負ですよ(笑)


令和6年7月29日

                心幸




7/28/2024, 1:43:43 PM

お祭り

2024年の天神祭りは7月25日木曜日天候は晴れだった。

日本三大祭りのひとつ天神祭り言わずとしれた天下の台所と呼ばれた元禄時代以降、天神祭り浪速の繁栄のシンボルとして隆盛をきわめ現在に至る、その歴史は古く天暦3年(949年)、菅原道真公の御霊を鎮めるために天満宮御鎮座された翌々年の天暦(951年)より始まったとされている。

コロナでフィナーレの花火大会が無かった時代から戦争の時代復興の時代バブル全盛の時代私の知らないそれ以前の時代受け継げられる祭り夏の夜空にあがる花火は幾多の時代をこの街ながれるいくつもの川の水面に映る時代絵巻を思わせる。

全国随一の迫力を誇る岸和田のだんじりとはまた違う全国随一の勇壮さ優美さを誇る天神祭りであると思っている。

日本も世界も狭くなった現代だが、祭り囃子が聞こえてくると、このいたたまれないような郷土への愛着を感じるのはなんだろう?

天神祭りの花火を見ながら遠い悠久の歴史を思ってみたり、目を閉じて故郷の小さな祇園祭を思い出したりするのである。

天神祭りなんかよりずっと小さな祭り、フィナーレの花火大会はぽつりぽつりと忘れたかの間隔を開けるようにあがる花火🎇

だんじりよりも小さい神輿を沖に流す祭りの締めが終わるのが深夜0時漁村の漁師の祭りであった。

天神祭りの華やかな賑を聞きながら遠い記憶のページを紐解く祭りの後の火薬の匂い、今年もそんな祭りが終わった。

令和6年7月28日

                 心幸

7/27/2024, 2:05:09 PM

神様が舞い降りてきて、こう言った。

「ギフトをあげよう」
それは、特別な力ではなく、お前に見合った十字架。 

十字架は背負う者の器に比例する。

イエス・キリストは私たち兄弟姉妹の全ての罪という十字架を背負いゴルゴダの坂道を歩いた。彼は言うだろう「人の為にあらず」と。

神様が舞い降りてきて、こう言った。

お前に見合った、十字架しか与えない。

試練の少ない奴は向こうではぺいぺいの末席
大きな試練を背負った者は神様の右の座に座る。

神様が舞い降りてきて、こう言った。

「命をあげよう」
「ギフトをあげよう」
「お前に見合った十字架を」

「試練来い!」


令和6年7月27日

心幸

7/26/2024, 1:38:21 PM

誰かのためになるならば

って考えてる時点でとても他罰的で傲慢で自意識過剰だと思う訳だが。

「情は人の為ならず」なのですよ。

ごめんねって言いながら悪口言うのそれってナニ? 
ごめんねって言ったら何言っても許されるとでも思ってる?

幼稚園児か!?

ごめんねって言われて自分の自分の力じゃどうすることも出来ない何かを罵られても君はごめんねって言ってもらったから許さなきゃだね、ごめんねって言って誰かのために誰かの悪口を言うのだから。

誰かのためになるならばと思って行動を起こすなら、言い訳謝罪は無用です。

だってそれ誰かのためにじゃなくて自分のための謝罪と言い訳だからです。

誰かのためになるならばと行動しこれこそ正論と言うのなら反論も憎まれ役も覚悟すること!

それが出来ぬのなら、幼稚園児みたいな「ごめんね」言ってからの悪口は初めからヤメておけ。


令和6年7月26日

心幸

7/25/2024, 2:04:50 PM

鳥かご

逢いたさ見たさに怖さを忘れ
暗い夜道をただ一人

逢いに来たのになぜ出て逢わぬ
僕の呼ぶ声忘れたか

あなたの呼ぶ声忘れはせぬが
出るに出られぬ籠の鳥

籠の鳥でも知恵ある鳥は
人目忍んで逢いに来る

人目忍べば世間の人が
怪しい女と指差さん

怪しい女と指差されても
誠心こめた仲じゃもの

指を差されちゃ困るよ私
だから私は籠の鳥

世間の人よ笑わば笑え
共に恋した仲じゃもの

共に恋した二人の仲も
今は逢うさえままならぬ

ままにならぬは浮世の定め
無理に逢うのが恋じゃもの

逢うて話して別れるときは
いつか涙がおちてくる

おちて涙は誠か嘘か
女心はわからない

嘘に涙は出されぬものを
ほんに悲しい籠の鳥

「籠の鳥」  作詞 千野かほる
       作曲 鳥取春陽

       大正14年

大正ロマンだ、いくら日本人だ大和撫子だ大和魂だと現代の私たちが騒いでみたってこの男女のやり取りを切ない気持ちで聞けなければ何のアイデンティティであろうか?と思うのである

女は妾のおかこいさん。
男は旦那以外の若い書生とかであろうか?



夏目漱石の「それから」
宮尾登美子の「櫂」の世界か・・・それさえ知らぬ子供の頃祖母の収集していたレコードの中にこのレコードを見つけた、歌詞が全く見当もつかない心持ちを歌われているのだということだけは子供心にも分かった。

「無理に逢うのが恋じゃもの…」この歌詞だけがなぜかしら心に残り小学生は赤いランドセルを背負いながらこの歌を口ずさみながら下校していた。

歌うときは何時も映画で観た格子の中でお客を待つ遊女の姿が浮かぶ。

吉原の大門を見たこともないのに目に浮かぶ
その世界の躍動感が胸をうつ。

小説みたいな詩だ。

鳥かごの中の籠の鳥。


令和6年7月25日

                 心幸
 


    

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