子供のままで
子供の頃の思い出は大切な宝物でいつも傷ついたり立ち止まった自分の背中を撫でて押してくれる私の味方だ。
子供は洗いざらしで嘘がなく単純で馬鹿正直で未熟で素直であるからこそ癒やしの天使で明日を繋ぐ希望の味方だ。
けれど
子供のままでいたいいたかったとは思わない
だって
憂いを知ったから屈託のない日々が尊いと思う
だって
大人になったから子供の頃のを懐かしいと思う
だって
大人にならずに子供のままでいたら寂しいと思う
だって
ピーター・パンは寂しいだろう
だから
ピーター・パンは
大人にならなかった少年で
大人になろうとしなかった少年で
大人になれなかった少年だからだ。
分かるかい
子供のままでとか思えるのは
大人になったからなんだよ。
2024年5月12日
心幸
愛を叫ぶ
朝目覚める
感じたいぬくもりがない
冷たいダブルベットの左端
重い体を引きずり
カーテンを開けよう
眩しすぎる朝日と空いてる君の席
あの日の泣き顔
照らす夕日
体のぬくもりが消えてゆく
消し去ろうと思うたび
君を思い出させる
何時かは君のこと
なにも感じなくなるのかな
あの日の夕焼け
一緒に迎えた初めての朝は
日に日に消えて行くのに
君を思い出させる
なくしたものを越えるのか
君は…
そこにいろよ
僕の記憶の体の奥深く
君は咲き続ける
情熱の紅い薔薇
愛なら叫ばず偲んでみろと
僕に言う
激しく鳴く蝉よりも
鳴かぬ蛍が身を焦がす
2024年5月11日
心幸
モンシロチョウ
菜の花畑を舞っていた。
ユラユラと。
おばあちゃんと女の子が椅子を並べて座っていた。
女の子が駆けてくる。
逃げなければヤバいのかも知れない。
けれど、もう少し菜の花畑を待っていたくて
まだ、ちょっと足の遅そうな小さな女の子になら掴まらないだろうと、菜の花の黄色い花弁にしがみつきながら食事をとっていた。
女の子はそっと私の羽をつかんだ。
あっ、しまった掴まった。
女の子は私の顔をまじまじと見つめた。
「お願いします、離してください」
私は女の子の目を精一杯見つめた。
すると、女の子は。
「気持ち悪い、チョウチョの目ってブツブツいっぱいあって気持ち悪い」そういって振り回すように離された…。
「酷いわ、私は蝶よ!気持ち悪いだなんて」
「勝手に掴まえて、振り回した挙げ句に」
私は腹立ち紛れに、女の子の顔めがけ羽ばたいてやって、白い鱗粉かけてやった。
女の子は、怖がって逃げて行った。
私は、また菜の花畑を自由に飛んでいた…という夢を見た。
狐狗狸さんで前世はモンシロチョウと出た日の夢だった。
2024年5月10日
心幸
忘れられない、いつまでも
「もう一度、目が見たかった」
生涯忘れられない別れの言葉を私は聞いた
その人は子供のような顔をして子供のように泣いた。
何もかもが薄ぼんやりと頭の中から消えて行くその人は、泣きそうになりながら自分の頭を叩く、パニックになりながら不甲斐ない自分に壊れ散った自我の破片を拾い集めようとした皺だらけの小さな手は血に染まっていた。
愛を覚えていますか?
「あー、あー、あー」赤ん坊のように泣き叫ぶその人を突き離しても突き離せない赤い絆は、その人の小さな体に真一文字に刻まれていた。
愛を覚えています。
鮮明に痛々しいほど愛しい(かなしい)ほどに
その人は何時も謝っていた。
その人は何時も笑っていた。
その人は優しかった。
その人は温かかった。
その人は腹かっさばいて
私を産んだ。
私に命をくれた人
その人は
子供に帰り
愛しさ(かなしさ)の縁で
夫に呟いた
「もう一度、目が見たかった」
いつまでも、いつまでも
生涯忘れられない
愛の言葉を私は、その人に教えてもらった。
2024年5月9日
心幸
一年後
一年後のことなんて分からない…。
一年は短いようで長いと思う、歳を重ねるほどそう思う、大人になると一年はあっと言う間だとか聞くが実際もう夏か、もう年末かとは思うのだがそれでも見送ることの多い人生だったり事故や病気の多い人生だったりするものだから
大人になればなるほど一年後のことなんてどうなっているかなんて分からないのだと思うのだ。
去年は確かに父母と共に桜を見たのに一年後には一人だった。
去年は確かに階段を駆け下りていたのに一年後には走れなくなっていた。
あんなに好きだったのに一年後には前世からの敵同士みたいになっていた。
一年後のことなんて分からないから、今日が人生の最後の日なのかも知れないと思うことにする、そうすると満開の桜も散る桜も入道雲も風に揺れる稲穂も落ちる霜も降る雪もあなたの笑顔も奇跡みたいに美しく見える。
2024年5月8日
心幸