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4/25/2024, 1:06:40 PM

流れ星に願いを

星に願いを
月には呪いを

だいたい、古今東西今昔
狼男も吸血鬼も悪魔も
丑の刻参りも
陰陽師の悪霊祓いも
満月の夜

流れ星に願いを
その流れ星が消えるまでに
込める

そんな清い乙女は
月に祈らない

蒼白い月光は
罪を隠すのに丁度良い

夜ごと姿を変える
その月は嘘をつくのに丁度良い

包帯のような嘘を
蒼白い月光は
柔らかく包む

孤独の光

流れ星に願いを
その流れ星が消えるまでに
込める

そんな乙女が
眠りにつく満月の夜

孤独な狼の遠吠えは聞こえる
乙女の耳には届かない

乙女は満月の夜の謝肉祭を知らなくて良い

清らかな乙女は知らなくていいコト

流れ星に願いを
その流れ星が消えるまでに
込める

乙女の清らかな白き手を見つめて
ただ、おもふ。


2024年4月25日

心幸




4/24/2024, 2:57:57 PM

ルール

「世情」

世の中はいつも 変わっているから
頑固者だけが 悲しい思いをする

変わらないものを 何かにたとえて
その度壊れちゃ そいつのせいにする

シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらないものを 流れに求めて

時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがるものたちと 戦うため

世の中はいつも 臆病な猫だから
他愛のない嘘を いつもついている

包帯のような嘘を 見破ることで
学者は世間を 見たような気になる…

「彼らは未熟だから間違うんです」
「間違ったら、何度でも教えてやるのが私たち教師の仕事です」

いつから、子供は未熟だからと大目に見て間違うものだと、だから教えてやると大きな腕を広げる教師は居なくなったのだろう? 子供は間違えられなくなり、大人は教師は両手を広げることもなくなり、それどころか簡単に子供に謝る大人や教師は増えた、その方が楽だものね子供を寛容出来る許せる大人でなくて良い、子供は間違わず常に正しいから、大人が教師が謝る許される為に謝るその方が楽だから。結果子供は間違えられなくなり許されることがないから許し方も覚えられないから、他罰的で私刑や批判を死物狂いでする。

包帯のような嘘を 見破ることで
世間を見たような気になる。

人間あちこちぶつけていたら、そこから膿が出て腐り出すことだってある。けれど人間性根から腐ることはなかなか難しく、かりに性根まで腐れる外道がいたならなんと生きづらい人生を生きているのかと見てやることだって出来る。

それと、罪を裁かないということは別の話だ。

罪はルールに従い裁く立場の人間が裁くだろう


裁く立場にない無関係なものが

包帯のような嘘を 見破って
世間を見た気で
ルールを語ることを

私は好まない。

それが私のルールだ。


2024年4月24日

心幸  





4/24/2024, 2:33:02 AM

今日の心模様

「順番待ち」

今日の心模様は、初夏の朝空のように涼やかそして少し寂しい。

義父が身罷った。

実母を見送り実父を見送り祖父母を見送り義母と義父を見送る…見送り続ける人生だ。

もう、誰も見送りたくないと思う今日此の頃だ。

ただ、私の見送り続ける人生で私は自分より若い人を見送った経験がないということだ。

これは幸福なことであると最近考える。

どうか、このまま順番待ちの人生で順番通りに見送って最期のひとつだけ願いを叶えて欲しい貴方より3年遅く生れた私だけど3年早く順番抜かして逝けますように…
これが今唯一の願い事です。

今日の心模様は、ゴールデンウィーク前の青空を見上げたそんな心模様

見送った人の顔のひとつひとつを描く

その空にいつか私も飛び立つのだ
あの小さな雀たちのように

そんな心模様
そんな気分


2024年4月24日

心幸


4/22/2024, 4:18:48 PM

たとえ間違いだったとしても…

「真実の愛」

たとえ間違いだったとしても、あなたと生きた共に生きた時間は消えない。私の唯一無二である。
たとえ間違いだったとしても、誰が間違っているとかいないとか決めるのか?

間違っていなければ正義で
間違っていれば悪か?

正義の反対は悪ではない
もうひとつの正義だ。

間違っているかいないかは
とかく人生については、ずっと後にならなければ答えは分からない。

ロミオとジュリエットの純愛は間違いだったのか間違いでなかったのか?結果若い二人は出会ったが為に純愛を成就せんがため謀を企てた為に若い命を終える悲恋である。

彼らは間違っていたのか?
いや、たとえ間違いだったとしても

出会い愛し合い互いが唯一無二の存在と誓い合えた消えない時間は清らかで尊いものであったという物語であるからこそ語り継がれる。

若い二人の恋は
間違いだったのか間違っていたのか?
愚問である。

たとえ間違いだったとしても
二人は愛し合う喜びに満ちて輝いていた。

罪深く弱く愚かであろうとも

唯一無二を見つけた人生は喜びに満ちて
輝いていた。

きっと、それも真実というものなのだろう。

たとえ間違いだったとしても…。


2024年4月23日

心幸

4/21/2024, 2:31:36 PM

「雫」

涙の谷… 悲しみの中にある現世のありさまを、谷に喩えた話。


悲しい縁が多い人生で彼女は涙の雫の種を蒔きました。悲しみの種は歓の実を彼女の前に広げました。

芥川龍之介は言いました。

彼らは涙の谷をすぐれども其処をおほくの泉あるところとなす また前の雨はもろもろの恵をもって之をおほへり

令和の若い人たちが分かるように言うと、こうなる。

バカな谷を通っても、そこを泉の湧くところとします。また前の雨は池をもってそこをおおいます。

太宰治は、そんな涙の谷にを悲しみの中にある現実のありさまと喩え、妻のおっぱいとおっぱいの間にある涙の谷にと喩えた。

愚かさを寛容されただいとおしく思われながら妻に抱きしめられて泣いたという意味なのだろう。けれど妻は本当の救いを与えることが出来るのか?と不安になるのではないか…それが現世の中にある悲しみの種、不安と疑心暗鬼の涙の谷から湧く一滴の雫がやがて池をもってそこをおおいます。

人生は涙の谷を渡り一滴の涙の雫が集まり溜まった池におおわれています。

わたしたちはその悲しみを湛えた澄んだ池と池と谷と谷の間を脚をとられないように歩くのです。

きっと、涙の雫をこぼしながら悲しみの種を涙の谷に返し、また池をつくるのでしょう。

2024年4月21日

心幸


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