好きになれなかった。
本来は温かくて思い遣りや感謝に充ちた言葉だろうに。何故だか、溺れるような心地がした。フワフワなんかではない。もっと重くて粘着質でまとわりつく桎梏に思えて仕方なかった。
ありがとう──だから、これからもよろしくね。
ありがとう──面倒事引き受けてくれて。
ありがとう──いい子ちゃんぶっちゃって。
後ろに続く振動しない音が雄弁に伝えてくるマイナスの感情。便利なお人形だと、彼等はそう呼んでくる。心なんてない使われるだけの道具だと。
……形だけの、体裁だけ整えた、意味などない定型。
『ありがとう』
まるで呪いだ。
なんの冗談だと、そう思った。
嫌がらせか、もしくはウケ狙いなのかとも。でなければ、これまでの恨み辛みを束ねた当てつけの可能性も。とにかく、正気とは思えなかった。真摯で誠実な対応だとも。
けれど、『おめでとうございます』と、何処か悲しげな笑みでブーケを手渡してくるその表情は、これまでずっと隣にあった可愛い後輩のそれで。
受け取ったその作り物の花束をジッと見つめる。バラにパンジーにアネモネ── 種類も形もバラバラで一貫性はありもしないけれど、色味も相まって何故だか不可思議なバランスのとれた、作り手のセンスと込められた想いが伝わってくる作品でもあった。
さくら色のラッピングの施された繊細ながらも華やかなデザイン。少なくとも、嫌いではないと思ったし趣味にも合っていた。
───私の気持ちです。
そう伝えてくれたあの子の気持ちを当時は理解できなかった。結局、返事もまた。
それでも、ようやく受け止められた、枯れることのない想いはここにあるから。今度は自分の番だと、そう思った。
テーマ; 【永遠の花束】
大嫌いだった。
今でも、好きにはなれない。ああ、でも。大人になった今ではそうそう使うことがないのは、歳をとった利点のひとつかもしれない。
『バイバイ』
『さよなら』
別れの言葉は不得意だ。
いっそ、嫌悪しているといっても過言ではない。それらは未来が見えないから。すべてから拒絶され見放されているような心地になる。
おおげさ、なのかもしれない。被害妄想と言われればそれまでだ。でも、それは。
帰って来なくなった人物を知らない、幸せな人間だから言える正論だ。目の前で大切なものが失われてゆく無力感も喪失感もなにも経験したことのない、素晴らしい人生を生きてきた恵まれた存在だけ。誰しもに明日が来ると無条件に信じられる人だけ。
『バイバイ』
『さよなら』
当たり前を奪い去っていったそれは、酷く冷たい響きをしていた。
──331.5 + 0.6t
冬は、嫌いだ。
日が短くて天気も悪くて、曇天か雨かどちらにしても蒼穹は遠い。雪は綺麗ではあるけれど音もなく降り積るそれはどこか近寄り難い。
どうしようもなく温もりが恋しくなるけれど触れ合う熱は傍にはなくて。毛布を握りしめて巻き付けては深く息を吐くばかり。それすら白い水蒸気に変わって、視覚すらも熱を奪い去ってゆくよう。
震える指先でタップしたその連絡先は繋がらなくて。さみしい、なんて零れた言葉はただ静寂に飲まれた。
かつて、小さな子どもだった頃は、世界は自分を中心に回っていて。至極当然のように誰かに甘えて寄りかかっては、優しく手を引かれては守られていた。
そこには危険なんかほとんどなくて、たとえ転んだとしても手を差し伸べて慰めて手当をして、失敗も貴重な経験だと見守られていた。
安全で快適な箱庭のなか自由でのびのびと遊んでは日々を繰り返して、それを肯定されて生きてきた。
けれど、今は。──ひとり。
仕方がないことなのだ。守られるべきは小さな、か弱い存在であって 独り立ちの済んだ個体がいつまでも巣に蹲っているなど赦されるはずもない。
羽を手に入れ風を読んだその日から世界は広がってしまったのだから。それだけの知識も実力も確かに授けられているのだから。
でも、それでも。
どうしたって、触れる熱のない指先が凍えてしまう。大人だって孤独は寂しい。正解なんて分からない。進むべき道も知りはしない。情報の波に惑わされてしまう。
ただ歳を重ねただけでは、足りない。なにもかも満たされなくて恐ろしくて目の前すら見えない。本当に何もわからなくて身動きができない。そんな夜がある。
だからお願い。叶うのなら どうか。
どうか、手を繋いで───
テーマ; 【手を繋いで】