「───」
そう、言えたらどれほど良かっただろう。
たとえ何が変わらなかったとしても、己の中のその想いをあの人へ伝えられていたのなら。そんな今があったのなら、それは、もっとずっと……
そんな意味のない空想を今だ捨て切れず、過去を振り返っては変わらない後悔を慈しむ。言わばこれはただの自己憐憫。たられば、なんて今からでもなにかを行う勇気もない癖に。
「同窓会……」
参加する気はなかった。それでも、もう少し考えよう、とそんな珍しい気紛れによって、もう7日ほど机の上に放置されたその葉書。
隣合うひとつの二重線とひとつの丸でなにかが変わるというのなら。そんな風に勇気を振り絞って、卒業以来初めての顔合わせに一歩踏み出す。
(グループで、来るって言ってた)
就職に進学とバラバラの進路を志した割に、何故か細々と残り続ける文明の利器の中の微かな繋がり。ときたま意味もないやりとりが唐突に行われては沈黙を繰り返すあの頃のままの時間。それが後押しをしてくれるから。
「今回は、言おう」
『行かないで』
なぜだか、どこか、おそろしい。
吸い込まれるような透き通る青が頭上を覆っていると、得体の知れない恐怖に似た、筆舌に尽くし難い寒さを感じることがある。突然自分ひとり見知らぬ空間に放り出されたような、そんな理解できない畏怖の念を抱く。
(混じり気がなさすぎて、嫌いだ)
意図せず視界に入ってしまった淡色のグラデーションの下で、誰にも気づかれないよう 独り言ちる。
それは、鏡をずっと眺めている時にも似た嫌悪感。纏い慣れた仮面の下を、笑顔の裏を覗かれて、澱んだ本性を暴かれ突き付けられているかのような、そんな嬉しくもない幻想が色鮮やかに脳裏で流れてゆく。
(嫌い、大嫌い)
─── 空も、星も、海も、鏡も、宝石も、真っ直ぐな視線も すべて。
必死に繕った人当たりのいい装飾を剥いでしまうから。いつの間に染められ慣れ親しんだ生存戦略が、お綺麗なものではない打算まみれのその場凌ぎだと指摘されているようで。
「綺麗だよね。なんか、落ち着く」
「……綺麗、だね。本当に」
嫌いだ。綺麗なものは、なにもかも。
傷も汚れも光を当ててしまう癖に、醜いものは視界にも入れてはくれないのだから。いつだって届きもしない場所で輝いて、こちら側にはけっして足を踏み入れてもくれやしないのだから。
「残酷なくらい」
いつも、そこにあるのに、すり抜けるばかり。
きっと一生、分かり合えないのだと理解した。
優しくしたい、笑顔を見たい、楽しんで欲しい、ただ傍に居たい。すべて本心からの言葉で決して嘘ではない。心底大切に慈しみたいと思っているのに。
(それじゃ、たりない)
泪を、悲鳴に似た嬌声を、プライドに揺らぐ瞳を、ぐちゃぐちゃにみっともなく曝け出される誰も知らない裏側を暴きたくなる。
繕えないくらい限界まで。本人よりも尚、正確に。なにもかもを掌握していたいと願ってしまう。大切が故に、羽根を切って籠の中に閉じ込めてしまいたい。
『あいしてる』
触れたら崩れてしまいそうな精巧なビスクドールには、専用の部屋が必要であるように。危険や汚れ誘惑からその穢れぬ身を守る為には無菌の箱庭が不可欠であると。
寄り添うように佇む儚げなそのお人形を慈しみながらその人は歪な愛を囁いた。
─────
「全ての危険から遠ざけることは依存の助長に過ぎない」
「だが、懸命な君はもう既にその言葉すら遅いことを理解しているのだろう? 賽は投げられた。だから敢えて君にこの子の存在を明かしたのだから」
初めから嫌な予感はしていた。近頃やけに気分良さげな浮かれている様子、ペットを飼い始めたのだと、さして重要とも思えない説明を長々と語られた日。
感情の起伏の希薄なその人間がやけに上機嫌に、饒舌に、そしてどこか自慢げに表情を柔げていたから。悪い変化ではないと、だから見過ごしていた。
その違和感をもっと突き詰めていれば。もっと彼と交流していれば、彼のことを理解していれば。今更悔やんでも遅いのだけれども。
「……風切り羽根を奪い、花を手折る人間に協力する気は毛頭ない」
「それは残念だ。けれど君はこの子を見捨てられないし、私の邪魔をすることを良しとする筈がないだろ」
慈愛に満ちた、狂信者の微笑み。それをマヤカシだと言い切れたのなら、人形の様なその子供を救う手立てもあったのかもしれないけれど。
それでも非道を許容してさえも、その人の存在はこの身にとって欠かせないものであったから。
「所詮、私も同じ鳥籠の中ですから」
またひとつ。愛と引換に空を飛ぶ理由を自ら手放した。
時折ふと、思い出す。
マジナ
思い出の中のあの人が残した呪いを
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快挙と呼ばれるような、未来の人類にとって偉大な出来事というものは、存外なんでもない日常の中で 傍から見ればくだらないとも思える動機によって成し遂げられることもある。
そして、あまたの人間が空想上の夢物語として願ったその機械 タイムマシーンも一人の人間の欲望によってのみ作られた。
「ようやく、やっと、やり直せる」
仰々しいしい機械の前で一人囁く人影。己がつくりあげたその機器を愛おしいものと重ねるように そっと触れる。
数年の歳月をかけ築きあげられたマシーンは決して完成品とは言い難い改善点ばかりのプロトタイプ。望んだ時代に行くことは出来ても帰ることは出来ない いわば使い切りの転移装置であった。
研究者やメカニックなら製品の安定性と品質の向上を強く要求したであろうその道具を、発明者であるその人物は躊躇いもなく起動させた。
「君以外に意味なんてないから」
その言葉は冷たい大理石に落ち、やがて動いていた機械も起動をやめ 静寂だけが誰もいない部屋の中に佇んでいた。