なりたいと願った。
─── "しあわせ"になりたいと願った。
「そう願うことはいけないことかしら?」
縋るように尋ねた言葉を聞いた相手は少し困ったような悲しそうな、いろいろな感情が入り交じったような不可思議な表情をしていた。ように思う。
「悪い、と一概に言うことではないけれど。……割とありふれた当然の願いだと思う」
「当然の願い。の割には、随分と含みのある表現ね」
それは責めるような諌めるようなニュアンスは含まれていなかった。ただ、どこか物憂げでまるで何かを諦めたような、それでいて酷く芯の通った色をしていた。
「願うだけじゃ、叶わないから」
"叶わない" 僅かな諦念の混じったその声には、それでも絶望も悲観の欠片もなく、寧ろ洞窟を抜けた先に見えるような遠く小さいけれど確かな光のような希望の色が見えた。
太陽のような身を焼き尽くす明るさではなくて、月の光のような仄かで静けさを伴うどこか寒さすら抱える しかし柔らかな光源。
「だから。足掻いてみようと、私は、そう思う」
「……そう」
彼女は強い人だとずっと思っていた。悩むことも迷うことも傷つくこともない、そんなもの瑣末なことだと切って捨てれるような強い人だと。
しかし、違ったのだ。確かに彼女は強いのかもしれない。けれど、その強さは身を守る強さではなく 前を向いて現実を受け止める目を逸らさない しなやかな強さなのだ。
(あぁ、本当に彼女は……綺麗だ)
真っ直ぐで気高い、自分というものに対する誇りのある生き方をしているのだろう。羨ましいと、言う事すら憚られる毅然とした態度。
それはまさに月のように美しくあった。
『誰もが 幸せになりたいと願う』
──個人的な考えだけれど不幸になりたいと心底願う人間はいないと思うわ。
彼女はそう呟いた。不幸になることが心の平穏を保つのであれば、それはその人にとってある種の利益や救いとなるのでしょう と。
そんな風に 誰も己の為に生きている のだと。だからこそ他人に優しくもできるのだと彼女は言った。
「幸福を願う。それ自体は悪いことじゃない」
摂理だわ。寧ろ そうでなくては生きている意味もないでしょう? 自分の為に生きていればそれでいいのよ。
ただ、己の為の人生を彩る一部として他人の存在がそこにあって、例えば笑顔やお礼に価値を感じて そうやって親切は広がっていくのだと。
「だからね、自己中心的でも別に構わないのよ」
自分を大切にするように相手を尊重して認めてあげさえすれば それだけで。
そうやって花のように笑う彼女はきっと誰より芯のある優しさに充ちていた。
それは幸せの結晶
時に華やかで色鮮やかに、ときに慎ましくシンプルに。送り手や造り手の気持ちが溢れるほどに込められたフラワーブーケ。
卒業式に結婚式 合格祝いや退職祝い 退院祝いに出産祝い。おめでたい事には必ずと言っていいほど花がある。私たちの人生においてきっと花は切っても切れない関係にあって、日々をほんの少し明るくしてくれるのだと思う。
「あの、お世話になった教授の退職祝いで」
ほらこんな風に。自分ではよくわからない花というものを色や形 匂いに花言葉など様々な意味を持たせて世界にたった一つの 感情の詰め合わせのような花束へと織り込んでゆく。
花だけではない。ラッピングペーパーにリボン メッセージまで人揃いにして そうしてようやく相手に渡すためのブーケが出来上がる。
だからきっと、相手のことを考えて幾万パターンのうちから選ばれたそれは 世界に2つと無いあなたの為だけのプレゼント。
怒りとか悲しみとか そういった負の感情は、何か起こる度に多分コップのような何かに溜められて、ゆっくりゆっくり気が付かない間に満たされて、それから表面張力が耐えられなくなった瞬間に決壊し溢れ出すにだと思う。
だから、突然キレただとか冷たくなった訳ではなくて、今まで堪えていたそれが限界に至ってしまったのだろう。きっとあのひとも。
「……ごめんなさい なんて今さら」
言えやしない。
その言葉は所詮自己満足に過ぎないから。謝る権利も自分にはなくて、許されたいだなんて傲慢だ。
テーマ : 溢れる気持ち
(Chu ♡)
耳元で軽いリップ音が鼓膜を揺らす。触れた熱は一瞬で離れて、微かに残る感覚と鼻腔をくすぐる香りだけが これまで幾度も繰り返された行為が現実であると訴えていた。
そう。それは幾度も繰り返された行為。感謝と親愛を伝えるためだけの特別ではない行動。
「ありがと、遥。大好き」
「どういたしまして。何度も言うけど、ここは日本だから」
本当に何度このやり取りを繰り返したことであろうか。いい加減慣れてきて表情と声色だけは平然を装っているが、内心は未だにどぎまぎしていて鼓動も通常の比ではない。
目の前のこいつは帰国子女であり感情表現の基準がそちらによっている。嬉しければ抱きついて、感激すれば抱きしめて、感謝すれば頬に口付けをする。そういう生き物である。
それが悪いとは言わない。言わないけれどまぁ 心臓には悪いし嫉妬もする。それがどんなに無意味な感情だとわかっていても 心はコントロールできないから。
「そんな簡単に触れちゃダメだよ」
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(Chu ♡)
感激したふりをして口元すれすれに唇を触れさせる。こういう時帰国子女だという自分の経歴に感謝する。けれど、
「ありがと、遥。大好き」
「どういたしまして。何度も言うけど、ここは日本だから」
(君以外にはしてないのにな)
帰国子女が誰彼構わずスキンシップするみたいな勘違いが起きていることだけは不満だ。だいたい親愛のキスは頬か額にしかしないし、基本は家族にしかしないものなのに。
「そんな簡単に触れちゃダメだよ」だなんて。
(君は酷い人だね)
テーマ : «Kiss »