"タイムマシーンがあったら" の受験の前そんなテーマ小論文を書いたことがあった。想定される答えは2つ。過去に行くか未来に行くか。
けれど、その時自分が書いた回答はどちらでもなかった。『使わない』と逡巡の後にそう言葉にしていた。『過去にでも未来にでも行ける道具が目の前にあってすら使わないでいられる人生をすごしたい』のだと。
曰く、過去に行くことはそれまでの自分の否定で。曰く、未来に行くことは将来の可能性を摘み取ることだそうだ。
……それはなんって幸せで現実を知らない人間の意見なのだと今では思う。馬鹿みたいな綺麗事だ。
でも、その愚かなほど気高い前向きさが嫌いではないから。そんな自分で居続けたいと思った。
『美しい』
日常生活においてあまり使われることのない単語だと思う。綺麗や可愛いと言うことはあっても、美しいとは口にしない。人に対して特に。
絵や写真 文章に景色 メロディーに歌声 ジュエリーに光etc. 美しいと思うものは割とある。けれどあまり声には出さない。
思うに、自分にとってその言葉は特別なものなのだ。簡単に用いるものではなくて、心を動かされたとか奪われたとか そういった時に思わず零れ落ちてしまうように。言い換えたら感情の欠片なのかもしれない。
だから、その特別を自分だけのものに留めておきたくて 寧ろ声も出なくて使わない語句なのかと思い当たった。
美しいものは大切に仕舞いこんでおきたい。そう考えているのかもしれない。
(君の美しさを知っているのは自分だけでいい)
正しさを求め多様性を主張し個性を叫んで自由を糾弾し革新を迫る。目まぐるしくて情報や物に溢れすぎて選択肢が多すぎて疲れてしまう。
ただ普通に穏やかに生きることをよしとしてはくれなくて、突出したなにかであれと強いられる。その癖型にはまった思考を出来なければ異端と石を投げられ、否定をいとえば綺麗事と嘲笑われる。
兎にも角にも ただ生きづらい
……それでも
テーマ: この世界は
「どうして?」
それがあの子の口癖だった。
調べてわかること、考えてわかること、想像してわかるかもしれないこと、答えなんてないこと、正解がひとつではないことetc.
絶えず思考回路を回しているような 世界の全てを知りたいと願っているような そんな子だった。
たぶん、あの子の考えは基本的に間違いではなかった。どちらかといえば正しくて、世間では正論と呼ばれるような真っ直ぐな考えを好む子だった。
純粋で気高くて無垢で。知らなくていい事まで知ってしまうような子だった。
『どうして なのかな?』
あの子は最後まで変わらなかった。
答えを求めているようで自己完結で、知ってしまった事象から目を逸らせない素直な真っ白な子だった。
「どうして?」
だから今日だけは。あなたを、あの子を思い出してそう呟くことも許されるでしょう。
__たとえなにがかわらないとしても。
『大人になりたい』
誰もが口を揃えてそう言っていた。
早く自由になりたい。好きなことをしていたい。束縛されたくない。口出しされたくない。自分だけで全て決めたいのだと。
けれど,私は自由を恐怖している。
籠の中の雛でずっと居たいと思ってしまっている。暖かい巣の中で安寧の地で,危機から遠ざけられ守られて餌も与えられ残酷な蒼穹も知らずぬくぬくと 限られた自由を謳歌していたいのだと願っている。
世間は夢を見るには冷たくて,彼らの言う自由は私にとっての責務と同意義で,羽ばたくことは安らぎの地を立ち去ることに思えた。
「子供のままでいたい」
それが私の我儘な願いだなんて言うことは許されないのだけれど。