『その日はまるで無理に笑みを浮かべたようなそんな蒼の広がる空が浮かんでいた。いっそ消えてしまいそうなほど清々しく瑞々しい空気が肌を撫でる。手を伸ばせば届きそうで,けれど掴んだら消えてしまいそうな透明な色彩はどこまでも気高くなにかを拒絶していた』
"泣いている空"の表現 そんな課題に対してある一人の生徒が出してきた作品が先の文章であった。
大概の生徒は雨の記述をした中で,その作品だけが蒼空の中に涙を見いだした。目には見えない雫を,流れてはいないその滴を 笑みと書きながら泣いているのだと。
それがまるで言葉のない糾弾のように思えた理由にはきっと思い当たってはいけないから。そうやって見上げた空は悲しいくらい美しい蒼色をしていた。
テーマ ; «空が泣く»
どんな小さなことでも,つまらない日常でも "シアワセ"を見つけられるそんな存在がいた。
例えば雲ひとつない空が綺麗だとか,例えば見知らぬ花が咲いていたとか,例えば水溜まりに映る景色が幻想的だとか。道端で猫に会ったとか蝶々が髪飾りみたいだったとか。
例を挙げればきりはないけれど,いつだって笑顔を絶やさないそんな人物がいた。花のように微笑んで不条理も不平等も綺麗でない物なんか知らないような,穢れひとつない そんな誰かが。
正直に言えば,羨ましくて妬ましくて目障りだった。不幸など見えもしないような箱入りのお人形さんが。苦労もせずに与えられたものを受け取っているその人物が。
きっと黒く淀んだ感情は慣れるほどにぶつけられてなお表情すら崩さない余裕が。他人を羨むことも荒んだ心にすり減ることもない素直さが。愚直なほどに気高く割り切った精神が憎かった。
あんな風には生きられないから。全てに素直に感謝して楽しんで疑問を持って赦して。当たり前を成し遂げて,当たり前を抱き締めて。日々を一時刹那をも無駄にしない生き様が眩しかった。
……だから。
些細なことでもいい。ほんの少しでいい。貴方に近づけたらと そう願った。
テーマ «些細なことでも»
それは本来なら,道標や希望になるべきもの
けれど,己のそれは仄暗い呪縛にも似た鎖だった。
辺りを照らすと誰かが言った。
周りを暖めると誰かはそう語る。
何かをくべて何かを燃料に火を灯す。
けれど,己にとってのそれは……
それは,誰かの夢だった。それは,誰かの希望だった。それは,誰かの懇願だった。青くて青くて若く淡い数多もの光を犠牲にして燃え上がる焔。
消すことも出来ない,残酷な罪の証。積みあがる屍の証左。逃げることを目を逸らすことを赦さぬ見えない視線。
そうなったのが何時の事だったのかは覚えてもいない。けれど,願いを託される度に姿を変えてしまったから。
優しさと覚悟を哀愁で包んだ時から,抱いたそれは毒となった。
テーマ «心の灯火»
"3"
白い吹き出しを囲む緑色の連絡アプリのアイコンが示す数字。右上で赤く主張する"3"というその文字が自分の臆病な心を象徴するようで,視界に入る度に心にモヤがかかったような気分になる。
未読の連絡数を示すそれは常には表示されないもので,けれどここ数日間に限っては誇張するように存在を強調してくる。
あの人からの連絡だとトークでの赤いそれが伝えてくるからこそ尚更開くことを躊躇ってしまう。普段なら喜んで一刻も早く返信するというのに。
"ごめん"そんな言葉から始まる連絡をどうして受け入れられようか。例え何が変わらないのだとしても,だからこそ。その数字が消えることはないだろう。いつまでも。
『受け入れなければ終わらない。そうだよね?』
そんなはずないと知りながら微笑んだ姿はそれでも何故か美しく麗しいのだと,その形を反射する物言わぬ硝子だけが知っていた。
テーマ «開けないLINE»
それは 己が目指した理想の具現
目の前にいる人物が,知っている何かによく似ている けれど違うそれが。その存在に似た何かを目にしているのが何時なのか,誰に似ているのか思いあたった瞬間に息を飲んだ。
それは,目の前のこれは,何よりも己に似ている。
似ている。なんて生ぬるいものじゃない。これは自分自身の生き写しだ。正しくは数年後成長したであろう自分の姿の。
「……自分」
恐る恐るその物体に触れてみる。幻覚か夢か,それとも理解の範疇を超えた現実か。果たして伸ばした腕はすぐ比較的暖かな体温に触れた。指先と皮膚混じり合う熱は初めからそうであったかのように混じりあって境界がわからなくなる。
同じだ。なんの根拠もなくそう思う。何がと言われれば答えられないが,これは自分と同義であると そう感じた。多少の違いがあれど貌(かたち)を創る根を辿ればひとつになる。
「納得したか?」
そう喋る人物の声はやはり自分のものと同一で,けれど何故かそれより心地よい振動を伝えてきた。まるで慈しむような柔らかな音。
一方的に触れる無作法を気にもとめず視線を合わせてくる余裕は今の己にはないもので,ずっと大人な人物の冷静さが距離よりも隔てる何かの存在を示す。
「……理解した。けど,もう少し」
触れていたいと思った。いや,離れたくないと思った。急に現れたそれがまた知らぬ間に消えてしまうのではないかと危惧したから。熱を感じていたかった。
きっとそんなことは無いのだと知ってはいるけれど,せっかく手に入った唯一無二の存在から目を離すことはどうしようもなく恐ろしいことに思われたから。
「ふっ。甘えたか? なら気が済むまで付き合おう」
互いに言葉は尽くさない。必要がないから。伝わる熱が 交わる視線が 表情が,ずっと感情を映すから。
同じ気持ちなのだと理解できた。感じた恐怖は己だけのものではなくて,一瞬にして芽生えた執着もまた。
ただ頷いて。指先を絡めて首元に顔を埋める。香る知らない香水の匂いはやがて身体に馴染んで,またひとつ近づいてゆく。重なり合う鼓動に視界がゆっくりと狭くなる。
「済まない,ずっと。だから……」
「我侭だな お前は。安心しろ,違えないさ」
瞼が閉じる直前,重い口を開いて願いを掛ける。子供の我侭を駄々を,叶えろと乞う。胸に巣食う想いの色が同じなのならと,甘えてみた。
自分なら伸ばされた手を振り払えないから。そんな打算でもって滅多にしないおねだりを。
頭を撫でる掌に安心して微睡む間際 とられた掌に吐息が触れて微かな熱を感じた。それがきっとはじまりの合図だった。
テーマ «不完全な僕»