『代わりにもなれない』
「お母さん」
目の前の背中に手を伸ばす。でも、その手は届くことなく宙に落ちた。
「その呼び名で呼ばないでって言ってるでしょ」
冷たい瞳が私に向けられる。体がビクリと震えた。
私の顔を一瞥した後に、ため息を1つつくと部屋から出てしまった。
やっぱり…私じゃダメなの…?
ドロリとした雫が部屋に落ちた。
【雫】
『あなたがいるだけでいい』
「本当に何も食べないの?」
目の前にいる彼女が不思議そうな顔をする。彼女の目の前にはみずみずしいフルーツが乗ったケーキとカフェオレ。対する俺の前にはコーヒーだけが置かれていた。
「うん、いいんだ。俺は何もいらない」
「貴方が来たいって言ったから来たのに…」
「変なの」と呟き、ケーキを口に入れる君。それまで訝しげに寄せられていた眉毛が、ケーキの美味しさに緩和されゆるりと解ける。彼女の顔は幸せ一色に染まっていた。
俺はコーヒーを飲みながらそんな彼女を眺める。美味しそうに食べる彼女を見るだけで胸が満たされていくような感じがした。
そうだ、俺はこの顔が見たかったんだ。
木漏れ日に包まれた空間で、2人だけな気がした。
【何もいらない】
『見えなかった未来』
「あいつが裏切った」
そう言った彼の冷たい目が私に向けられる。
「この結末をお前はわかってたんじゃないか?千里眼をもつお前なら」
いつものように淡々として見えるが、今はあからさまに不機嫌だ。その証拠に指で何度も机を叩いている。
私は口元を隠すように着物の袖口を上げた。
「ふ、ふふ…そうですねぇ。私も見えるものなら見てみたかったものです。そんな未来」
唇を噛めば、化粧品特有の苦い味がした。
【もしも未来を見れるなら】
『取り残された世界』
彼が死んで、あの子も殺された。何の色も映さなくなった世界にため息を零す。
「はぁ…1人にしないって約束してくれたのに……」
壁に寄りかかり目を閉じた。壁の冷たさが私の体に移る。
「私はこれからどう生きればいいのよ……」
この言葉を拾ってくれる人は誰もいなかった。
【無色の世界】
『散って積もる桜』
「いい、一人で帰れる」
私のその言葉を尊重してくれた貴方。最後まで心配そうに眉を下げていた。
……もう他人になるっていうのに。本当に優しい人。
車に乗り込んだ彼に手を振って別れを告げる。もう、私の隣には誰もいない。
隙間を埋めるように桜が積もった。
【桜散る】