もしもタイムマシンがあったなら、私は過去に戻り自分の存在を消そうとしただろう。誰しも、一度は口にした事が無いだろうか。消えてしまいたい、恥ずかしくて死んでしまいそうと言った事はありませんか。
けれど、それらの言葉の重みを自分自身では軽く感じているのではないでしょうか。言葉というのは、使い手によっては痛みを感じたり、傷つけるための道具として使う事ができます。だからこそ、過去に戻りたいと感じてしまうのです。過去に自分で自分を傷つけるために発してしまった言葉を私は消したくて仕方がないのです。
過去は消えない。
お終い
まだ、ランドセルを背負って学校に通っていた時の頃、私は恋をした。これが恋と呼べるかは定かではない、ただ、1つ言えるのは自分があの時ほど情熱に溺れていた記憶がないと言う事だけは、はっきりと分かる。
けれど、当時の私がアプローチをかけることは1度もなかった。叶わぬ恋だと分かっていたからかもしれないが、何よりも儚く散ってしまいそうな可憐さに見惚れるのが好きだったというのが正しいのだと思う。今、好いてる人が何処に居るかは知る由もないけれど、どうか自由でいて欲しいと思う。遠い日の記憶を思い出しながら、私は、情熱を教えてくれた教師の姿を瞼の裏でひっそりと思い浮かべた。
あの日の情熱を越える記憶は、まだ現れない。
お終い
私は、会社の屋上で空を見上げていた。季節は夏から秋へと移り変わろうとする時期のため少し肌寒く感じる程度のはずなのだが、今日は初秋にしては体の芯が冷えそうになるほど空気が凍りついてる。私はここ最近は、昼休憩が終わるまで屋上にいることが習慣となっているが、この寒さでは体調を崩しかねないと判断し、今日は早めに切り上げて仕事に取り掛かることにした。屋上の扉から下の階のオフィスまで歩いて行くと、自分の机に新しい仕事のファイルが置かれているのが見えた。
私は、心做しか、頭が痛むような気がした。
心の空は気が向かない。
お終い
昔、人に裏切られる経験をしてから本心を話すのが怖くなった。その影響か、人と対話をする時の殆どに嘘が混じるようになった。仲の良い友達や家族、学校の教職員や心理カウンセラーにも本心を話はしなかった。ただ、嘘にも限界はある。そんな時は、少しだけ本心を混ぜ込んで嘘をついた。すると、周りは打ち解けてくれていると勘違いするようになった。私は、嘘を魔法の様に感じていた。
そしていつからだったか、自分自身にも嘘をつくようになった。他者からの言葉に傷ついても、気のせいだと言い聞かせる嘘をこころに刷り込んだ、身体が鉛のように重く感じても、今だけだという嘘を心に刷り込んだ。けれど、嘘が私を守ってくれることはなかった。その事を自覚してから、あれほど、信じていた嘘に嫌悪感を覚えるようになった。私は精神的に疲弊することが多くなり、眠っている時間の方が長くなった。
目を開くと、私は椅子に座っており、手には鈍く光を放つナイフがあった。私は無意識にその手のナイフを首に添えて思い切り引いた。
夢だから、もう終わりにしよう。
お終い
皆で仲良く手を取り合おうなんて、口先だけで、実際に手を取り合う人なんて5人もいないと考えている。例え、5人以上いたとしても、その場の空気で合わせてるだけで、終われば、それぞれ別の事に手を伸ばしていくことだろう。けれど、中には本気で手を取り合おうなんて言う人もいる。現に、私の会社の社長は皆が平和で仲良く手を取り合えるような社会を作りたいなどと夢じみたことを言う人だ。
けれど、もし、そんな社会になったのなら、少しの勇気で結果が変わるというのなら手を取り合うのも悪くないと思える日が来るのかもしれない。そんな日がいつ来るかは分からないけれど、それでも未来を見据える選択を私は手に取る。
いつの日か、手を取り合う日まで未来を見据える。
お終い