#4『涙の理由』
ただいま、おかえり、お腹すいた、今日はオムライスよ
何の変わりもない会話、これが当たり前だと思っていた。
ただいま、…、疲れた、…、今日は唐揚げ買ってきたよ
誰もいないただそこにある空間に私の独り言が消えていく。私の前には幸せそうな写真が置かれている。
「ねぇ、お母さん…、返事してよ…」
その言葉だけは絶対に発したくなかった。それを言ってしまえば、存在しないことを認めてしまうから、涙が止まらなくなるから、何もできなくなるから。
スーパーで安くなっていた売れ残りであろう唐揚げを温めて、簡単なサラダを作って、お母さんの分と私の分を机の上に用意した。
「普通にこういう唐揚げって美味しいよね。あ、食べら
れなかったら残してもいいからね。」
私はもともと大食いだったのでこれでは足りないくらいだ。でも、お母さんが大変になるから何も言わなかった。毎日ちゃんと素直に残してくれるおかげでいつもお腹が満たされていた。
_____
「今日は行きますか?」
「お、言う前によく分かったね。いつもごめんねー」
「いえ、自分も買い物したいので!笑」
仕事終わり、いつも後輩ちゃんに買い物に付き合ってもらっている。学生だった頃に1人で外を出歩かないでというお母さんとの約束を絶対破りたくないのだ。唯一お母さんに怒られたことであり、またお母さんを心配させたくない。
後輩ちゃんと楽しく会話しながらスーパーに寄った。このスーパーは安く、小さい時はいつもお母さんと買い物に行っていて思い出が詰まっている。後輩ちゃんも気に入ってくれたようでいつも買い物はこのスーパーでするようになった。今日はなんだか特別な日だと思ったから、奮発してお寿司を買ってみた。
「え!お寿司じゃないですか!美味しそう」
「ふふん、いいでしょう〜」
「なんかいいことあったんですか?笑」
「ん〜、今日はなんか特別な日だからね〜笑」
「特別な日?どういう特別なんですかー?」
「ん〜、内緒〜」
「えー笑」
そういう後輩ちゃんもハーゲンダッツをカゴの中に入れているのが見えた。後輩ちゃんもいいことあったんだろうなとほっこりした。
「じゃ、お疲れ様」
「はい、お疲れ様でした!」
後輩ちゃんとお別れして真っ直ぐ早歩きで家へ向かった。今日は全く風がなくて心地よかった。月も綺麗に見えた。
「ただいまー」
「今日はねー、なんとお寿司ー!」
「お母さん好きだもんね笑」
いつも通りに2人分用意して机の上に置いた。目の前にはお母さんがいる。いつもニコニコしていて、楽しそうだ。少食だからあまり食べないけど、美味しいって顔をしていて嬉しくなった。今日は何故か分からないけど、特別な日。より一層嬉しかった。お母さんにも綺麗な月を見てほしくて、窓を開けた。
「今日は月が綺麗に見えるんだよねー」
『ふふ、いつもありがとうね』
いつも言葉を発しないお母さんの声が後ろから聞こえてきた。どうしたの?と言おうとした瞬間、強い風が吹いてきて、思わず目を閉じてしまった。そして、後ろを振り向いた瞬間にはお母さんがいなかった。そこには何もない空間が広がってるだけ。
「お母さん!!ねぇ、お母さん…、返事し…」
返事してよと言いかけた瞬間、涙が出てきて声にならなかった。お母さんがいない。ついに認めてしまった。そこには写真とその前にご飯が置かれてるだけ。お母さんはもうどこにもいない。ただ私の泣き声が響き渡るだけだった。
「先輩…、買い物してる時にいつも泣いてるのなんでだ
ろう。無意識なのかな…そしたら心配すぎる。あ!ハ
ーゲンダッツ先輩にあげるの忘れてたー!どうしよ、家
行ってみようかな」
今日は風がなくて心地いいし、月も綺麗!こういう日は気分が良くなってつい奮発しちゃうよねーと思いながらルンルンと先輩の家の前まで戻ってきた。すると、強い風が吹いてきて何かが消えた感覚がした。そして、髪がボサボサに絡まった。
「うわ…最悪」
もともとサラサラでないため、ほどくのに時間がかかりとてもめんどくさかった。ほどくのに夢中になっていると、突然先輩の泣き声が聞こえてきた。
「え、先輩?!もう、髪ー!前見えないし…」
髪が絡まっているせいで下手に動けなかった。そんな中先輩の声が響き渡る。
「お母さん〜!もういないとかやだ!なんで?お母さん
がいないと何もできないよぉ〜…」
その瞬間先輩がいつもスーパーで涙を流している理由が分かった。私にはどうすることもできず、ただ静かにハーゲンダッツをドアノブにかけて立ち去った。
さっき強い風が吹いた瞬間に何かが消えた感覚がしたのは初めてではなかった。特別な日、それは多分、
「先輩のお母さんの…、命日だったんですね…」
#3『コーヒーが冷めないうちに』
「あつっ!」
「ふふ、猫舌だもんね笑」
淹れたてのコーヒーを涼しい顔で飲むあなたとは反対に冷めていないとコーヒーを飲めないのが悔しい。猫舌の原理は分かってる、対処法も分かってる。でも、いつのまにか無意識にいつものように飲んでしまう。
「頑張って〜笑熱い方が美味しいよ?」
「んー、うるさいなぁ笑」
いつも熱いものを食べたり飲んだりするときのお決まりの言葉を投げかけてくる。自分も言われるのは分かってるから、きたきたと思いながら返す。これがなんだかんだ楽しいのだ。
でも…、なんだか今日は違った。いつも通りに熱々のコーヒーを淹れて、あなたに渡す。あなたはいつも通りに笑ってお礼を言ってくれるのだけど、私には分かる。なんだかぎこちない。変だなぁと思いながら、隣に座る。横目で見るあなたは涼しい顔をしてるけれど、一口飲んでそれっきりだ。
「あつっ」
「…」
いつものように反応してくれなかった。あなたは黙ったままでどこか緊張してるようだった。
「どうしたの?なんか体調悪い?」
「…ううん?!大丈夫よー!笑」
「本当に?なんかさっきから変だよ?」
気になって、たってもいられなかったので聞いてしまった。その後あなたはまた黙ってしまったので、すごく後悔した。
「ご、ごめん、ちょっとあっち行っとく」
この雰囲気が嫌でつい逃げ出してしまった。手に持ったコーヒーの熱さを忘れるくらいに何も考えられなくなっていた。それからどれくらい経っただろうか。いつのまにか私はベッドの上で寝ていて、コーヒーもすっかり冷めてしまっていた。嫌な予感がしつつもリビングへ向かう。案の定、あなたはどこにもいなかった。机の上にはメモと淹れたてであろう、熱々のコーヒーが置いてあった。
『コーヒーが冷めないうちに帰ってくるから待ってて』
「どういうこと…」
わけわからなかったが、少し安心して無意識にコーヒーに手が伸びていた。そして唇に近づけた瞬間、思い出した。
「そういえば今日…」
すると、突然玄関から扉の開く音が聞こえた。音を立てないように歩いているのか足音が聞こえないが、あなたが帰ってきたんだなと私には分かった。
「あ…おはよう!」
「うん…おはよ、どこ行ってたの?」
「いや、まあまあ、これ買ってきたからとりあえずちょっ
と待ってて!ちゃんと説明はするから!」
さっきまで静かだったのにテンションが上がったのか、動きがいつもより素早くてつい笑ってしまった。また姿が見えた時には、片手にケーキ、片手にプレゼントを持っていた。
「昨日はほんとごめん、今日のサプライズで緊張しちゃ
って全然話聞いてなかった。君が部屋を出ていってか
らもどうすればいいんか分かんなくて…」
まさかの私の思っていたのとは真反対のことだった。どうやら、昨日は早く私を寝かせて、早朝にケーキを買いに行って朝起きてからのサプライズをしたかったらしい。どうすれば早く寝てくれるかずっと悩んでたみたいでつい吹き出してしまった。これは私が悪いなと思うと同時に少ししょんぼりしつつも真剣な顔で謝ってくれるあなたを見て、なんだかさっきまでの嫌な気持ちが全て吹き飛んだ気がした。
「だから、本当にごめんなさっ…」
「ごめん。私が勝手に決めつけて逃げてた。だから、あ
なたが謝る必要はないよ」
「え」
「サプライズありがとう、本当嬉しい」
「うん、よかった。誕生日おめでとう。生まれてきてく
れてありがとう」
「うん…うん」
生まれて初めての言葉に感動でいっぱいで涙が出てきた。お互いに抱きしめたその後のコーヒーはまだとても熱かった。
#2『パラレルワールド』
普通に会話できたらどうなってたんだろう。
音楽を聴けたらどうなってたんだろう。
1人で出かけられたらどうなってたんだろう。
緊急事態に自分で気づけたらどうなってたんだろう。
耳が聞こえてたらどうなってたんだろう。
_____
「〇〇!」
「はーい!」
後ろから呼びかけられてつい大きい声で返事をしてしまった。友人に少し笑われたあと、一緒に前を向いて歩き出した。
「このあと何して遊ぼうかなー」
「カラオケ行きたい!」
「言うと思った笑いこ!」
全力で歌って、踊ってストレス発散できる。変なテンションで変な曲を歌ったり、本気で歌って点数を競ったり。特にすることがなかったらいつもカラオケに行くようになったのはいつからだろうか。
「よっしゃ〜、もう帰る?」
「時間も時間だしね。自分はスタバで飲み物買ってから
帰るわー」
「お金あって羨ましい」
好きなカスタム追加して、好きなチョコスコーンもついでに買って、店員さんにお礼を言って帰る。友人とは反対方面に家があるから、1人で帰るのは少し寂しいけど。
「今日も自分お疲れ様でした!よし、風呂入ろ」
好きな匂いの入浴剤を入れて、シャワーして、音楽聴きながらゆっくり浴槽につかる。幸せに囲まれて1日を終わる。
_____
耳が聞こえないと、後ろから呼ばれても気づけない、相手の顔や手の動きをずっと見ていないと会話できない、カラオケを楽しめない、買い物で店員さんとの会話につまづく、音楽が聴こえない、緊急事態に気づけない恐怖に怯えながら生活する。1人で帰るのはまだいけるかもだけど。
普通の人にとって当たり前のことができないのは辛い。でも…それでも、私は私なりの幸せな生活を送れてると思う。どんなことでも工夫すればできるようになる。
聞こえてる私と聞こえてない私が別世界で存在したとしても楽しく暮らせてると信じてる。性格が違っても、見た目が違っても、できることできないことが違っても、それが私だったら私だ。どんな自分でも自分は自分。
(何笑ってるの?)
(ううん、なんでもないよ!)
(そっか、ねぇ、あの2人楽しそうだね)
(今思ってたの、それ!)
(え、ほんとに?笑)
手話をして、友人と笑い合ったあと、こっそり口だけ動かしてみた。
『楽しいな』
_____
「もし耳が聞こえてなかったらどうなってたんだろう
ね」
「んー、でも変わんないでしょ。耳が聞こえる聞こえな
いとか関係ないよ」
「かっこよ!」
「あの子ら見てたらそう思うもん笑」
「ほんとにね笑楽しそう」
私たちと似たような見た目をした2人を後に私たちは歩き出した。そして、この世界に存在するはずのないあの子に向かって、
『ね、楽しいね』
#1『cloudy』
「良かった、曇ってる」
晴れてると暑いし、雨は濡れるし、ちょっと暗いけど曇りが一番好きだ。なんだか落ち着く。
「えー?晴れてる方が良くない?」
クラスのマドンナ的な人がそう言った。周りについている人たちも口を揃えた。「それな」「それな」連発でうるさい。まるでギラギラに私たちを照らして気温を上げる太陽みたいだ。本当に大嫌い。私が好きなのは、
「そうだよね。晴れてるのも好きだけど、暑くて汗でそ
の可愛いメイクが崩れちゃうから崩れにくく可愛い状
態でみんなを見れる曇りが1番好きかな」
出ました、通称女神様の登場です。本当に裏表なく真面目にこういうことを言えちゃうのがすごい。この言葉にマドンナたちも納得したのか少し声の大きさが小さくなった。私は思う。この人こそが本当の太陽なんじゃないかと。
でも知ってる。この人は雨だ。裏でいつも泣いて苦しんでる。自分が1番苦しいのにちょっと苦しい人が現れるだけですぐに笑顔で助けてくれる。病気?人間関係?家や先生?何で苦しんでるのか分からないけど、それでも笑顔でいる人を見ると申し訳なさで私まで苦しくなってくる。
「ね?」
マドンナたちに嫌な顔をしてた私に向けたその笑顔はどこか儚げさがあった。みんなは気づかない。いつも女神様を見てる私だけが分かる。
突然、女神様が学校に来なくなった。マドンナたちも少し寂しそうな雰囲気だった。やっぱり女神様だなと思うと同時にあの最後に見た笑顔を思い出した。学校が終わるとすぐに女神様の家へ走った。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
「っ、どうして…」
姿が見えた瞬間、私は抱きしめた。冷たいけど、暖かい。すると、女神様は泣き出した。
「ううっ…」
「…」
私は何も言わずにただ抱きしめるだけ。女神様が泣き止むまでいつまでもいようと思った。それからどれくらい経っただろうか。太陽が沈み始めた。
「ありがとう…、あなたはまるで雲だね」
「え?」
「人に合わせて形が変わってて、自由気ままに動いて晴
らしたりたまに怒って雷鳴らし、悲しくて雨を降ら
し…。でもふわふわしてて包容力があって落ち着く。
私は女神様とか呼ばれてるけど、本当の女神様は太陽
じゃなくて雲、曇りなんじゃないかなと思ってるよ」
その日から女神様は笑顔が減った。いや、減ったんじゃない、他の感情が増えた。怒ったり、泣いたり、びっくりしたり。それでも裏表のない優しい言葉は変わらない。英語の時間での言い間違いやその時の天気が曇りだったのもあって、みんなは女神様をcloudyと呼ぶようになった。…cloudyだけ私を女神様と呼ぶのはちょっと嫌いだけど、好きだ。
「やっぱり曇りが1番落ち着くね」