「辞めてしまいたい。こんな仕事。」
リハ終わり、舞台袖にしゃがみ込んでそう呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。
「さ!楽屋戻ろっか!まだまだブラッシュアップできそうなとこ沢山あったな!最高のステージにするぞ〜!」
絶対聞き間違いじゃない。あんなん聞いちゃったら何言われても「いや嘘やん」って思うのも仕方ないと思う。
正直、びっくりした。
彼に限って、心のどこかでそう思っていた。
疲れる職業だ。夢を振り撒くのが仕事。振り撒く種を作るのはプライベートだ。プライベートなんて言葉、あってないようなものだけれど。
リハ終わりは裏方のスタッフさん達が慌ただしく働いている。俺達の次のリハがあるから。目の前を走り抜けた背中に刻まれたライブのロゴ。それを見て俺は覚悟を決めた。
「仕事やなくて、有効期限付きの王子様や。ライブ終わったら何してもええから。」
大楽屋で談笑している彼を引っぺがして、小さく、でも真っ直ぐ向き合ってそう告げた。
彼は大きな目をまんまるにさせて、くしゃっ、と笑った。
「お前こそ、本番までにその関西弁どうにかしろよ。王子様なんだから。」
「当たり前だろ。そっちこそ、そのくしゃっ、てやつ直せよな。メイク崩れたら申し訳ないだろ。」
それはそっ、と言って彼はまた人の輪の中に戻って行った。やはりさっきのは聞き間違いだったのかもしれない。他に人はいっぱい居たし。彼に限って、そんなこと……
「ありがと。でも盗み聞きは良くないぞ。」
「俺が盗み聞きなんてするか。」
やはり、気のせいだ。
そうに違いない。
クリスマス。
働いていた。
時給は変わらない。
イルミネーションと言えるのは工事現場の電球のやつ。
去年もクリスマスツリーを模った電球が、建設途中のビルを彩っていた。一年で随分立派なビルになったものだ。完成まであと少しといったところか。
「でもこれ、市役所だろ?この点灯費用も税金って考えたら、贅沢なこった。」
そんな声が頭の中に蘇った。今の今まで振り返りもしなかった記憶、声。
「違うよ。市役所はそれの隣。ここには建て替え中の図書館が建つの。」
「ふーん。似たようなもんじゃん。」
いつ、いつの記憶だ?二年、いや三年、違う、中学だからもっと前だ。
「でもこれをレイアウトしてさ、繋げて、点けて、喜んでもらえるかな〜ってわくわくしてるおじさんが居るかもしれないのは、ちょっと可愛いかも。」
「なんだそれ。それこそ仕事でやってんだろ。お前ほんとそういう妄想すんの好きだよな。」
「悪かったな。妄想じゃなくてロマンだよ。居ることにした方が楽しいだろ?それこそサンタと一緒。」
「おい、こんな駅前であんま大きい声でサンタとか言うな。幼気な子どもが聞いていたらどうする。」
「おっと、危ない危ない。」
口の端を拭いながら、貴方は心底恨めしそうに俺のことを睨みつける。フローリングにぽたぽたと血が落ちて、俺に聞こえないように小さく舌打ちをした。
「……今拭く。」
「おっ、俺が拭くよ!それより鼻血を……」
「何?贖罪のつもり?」
「ご、ごめん、ごめん。そんなつもりじゃ……」
「じゃあどういうつもり?」
「えっ……と、」
「……ごめん。八つ当たりした。元はと言えば俺がちゃんとお前の言うこと聞かなかったのが悪いのに、お前にばっか謝らせて。」
「……怒ってるよね。」
「いや、殴られて当然だよ。床汚して悪かったな。痕になる前に早く拭いちまおうぜ。」
「そんなことっ……」
「なぁ、」
しゃがみ込んだ彼の声が、微かに震えている。
「……もうしないから、嫌いになるなよ。」
血溜まりの上に重なってこぼれ落ちた涙を、誤魔化すように手のひらで床を擦った。
「ね、キスして。ほんとに嫌いになってないならさ。」
「えっ……」
「嫌か?」
「……いいの?」
「早く。」
言われるがままの口づけは思った通り血の味で、込み上げてきた申し訳なさと愛おしさを抑えきれず腰を引き寄せ、頭を撫で抱える。
それに安心したのか、彼は本当に小さく嗚咽をもらしながら、また目頭を熱くした。
あぁ。
そんな顔で、泣かないで。
「12月の下旬らへんってさ、空いてる日ある?」
クラスメイトと談笑しながら階段を降りてくる彼女を下駄箱前で待ち伏せして捕まえる。
「えっ?」
靴を取り出す手がピタッと止まり、疑わしそうに眉を顰めたが、スカートを握り込んで俯く私を見て事を察したのだろう、その顔はすぐに綻んだ。
「何よ遠回しに。素直にクリスマス会いたいです、って言いなさいよ。」
「……クリスマス会いたいです。」
「よくできました。もう空けてあるから。」
「えっ……いいの?さっき誘われてなかった……?」
「全部断ってる。大切な日は、大切な人と居たいでしょ?」
「泣いちゃう……。」
「好きなだけ泣きなさい。聖夜を祝うような柄じゃないけど、あやかれるものはあやかっておいた方がいいのよ。」
「肝に銘じます……。」
気づけばこちらの言葉を待たず先を行く彼女を、靴の踵を踏み潰しながら急いで追う。
「……まだ何か言いたそうね。遠慮せず言いなさいな。」
靴を履き直したところで、改めて彼女に向き直る。が、彼女の真っ直ぐな視線に耐えかねて、少し目を逸らす。
「あ、あの……、お泊まり……とかって、できたりしますかね……。」
「お泊まり?」
「ごっ、ごめん急に!調子乗った!今のは忘れて」
「しましょう。」
「えっ」
「しましょう、お泊まり会。」
「えっ……いいの……!?」
「その代わり、忘れられない夜にしてね。」
「……頑張ります……!」
冬が、はじまる。
「金を金に換える奴なんて居ないでしょ?愛に愛を返されても何も生まれない。だから俺は金を貰って、向こうは愛を貰う。愛情って対価ですから。」
彼は、論破するでもなく、悟ってる風なわけでもなく、それがごく当たり前のように、この世のルールを教えるみたいに俺にそう言った。
「無償の愛じゃ食べれないので。まぁ、当たり前ですけど。無償なんで。」
タオルで髪を雑に拭きながらスラスラと自論を述べ、ベッド脇のコンセントに刺したドライヤーを拾い上げた。それを黙ってじっと見てると、不満そうな顔をしてこちらへ向き直る。
「腑に落ちてない、って感じっすね。」
「うん。だって俺、金払ってないし。」
「貴方は別ですよ。」
「君の言う“対価”ってものがあるならさ、俺と居るだけ無駄なんじゃない?お金発生しないしさ。」
「違いますー。貴方とはお金目的で会ってないので適用外ですー。」
「そうなの?」
「そうですよ!むしろ、俺が払いたいくらい。こんなに愛してくれて、大切にしてくれて、俺のこと想ってくれてるんだから。意味わかんない。お金払わないとバランス取れなくてマジおかしくなりそう。」
「まじで財布出しそうだからやめて。……そしたらさ、俺と居るのは生産性のない行為、ってことでいい?」
「え、逆に何か生産性あります?物理的な。」
「ないわ。」
「でしょ?」
「案外正しい気がしてきた。」
「でしょでしょ。信頼とか、欲求とか、精神的な話してたらキリがないっていうか、それだけに支えられてる仕事の身としては何も言えないです。」
「じゃあ今日も、無駄で生産性がないのに俺に会ってくれるんだ。」
「あれ、怒ってます?」
「ううん。嬉しい。君が純粋な好意からここに居てくれてる、って知れてめっちゃ嬉しくなっちゃった。」
「こんなんで喜んでもらえるならもっと早く言ったのに。」
無駄で、
「君が心赦してくれたと勘違いしちゃいそう。」
呆れるほど堕落的。
「存分に勘違いしちゃってくださーい。」
それがいつか勘違いじゃないと気づくまで、
頑張って俺を愛してて。
俺だけの貴方で居て。