「12月の下旬らへんってさ、空いてる日ある?」
クラスメイトと談笑しながら階段を降りてくる彼女を下駄箱前で待ち伏せして捕まえる。
「えっ?」
靴を取り出す手がピタッと止まり、疑わしそうに眉を顰めたが、スカートを握り込んで俯く私を見て事を察したのだろう、その顔はすぐに綻んだ。
「何よ遠回しに。素直にクリスマス会いたいです、って言いなさいよ。」
「……クリスマス会いたいです。」
「よくできました。もう空けてあるから。」
「えっ……いいの?さっき誘われてなかった……?」
「全部断ってる。大切な日は、大切な人と居たいでしょ?」
「泣いちゃう……。」
「好きなだけ泣きなさい。聖夜を祝うような柄じゃないけど、あやかれるものはあやかっておいた方がいいのよ。」
「肝に銘じます……。」
気づけばこちらの言葉を待たず先を行く彼女を、靴の踵を踏み潰しながら急いで追う。
「……まだ何か言いたそうね。遠慮せず言いなさいな。」
靴を履き直したところで、改めて彼女に向き直る。が、彼女の真っ直ぐな視線に耐えかねて、少し目を逸らす。
「あ、あの……、お泊まり……とかって、できたりしますかね……。」
「お泊まり?」
「ごっ、ごめん急に!調子乗った!今のは忘れて」
「しましょう。」
「えっ」
「しましょう、お泊まり会。」
「えっ……いいの……!?」
「その代わり、忘れられない夜にしてね。」
「……頑張ります……!」
冬が、はじまる。
「金を金に換える奴なんて居ないでしょ?愛に愛を返されても何も生まれない。だから俺は金を貰って、向こうは愛を貰う。愛情って対価ですから。」
彼は、論破するでもなく、悟ってる風なわけでもなく、それがごく当たり前のように、この世のルールを教えるみたいに俺にそう言った。
「無償の愛じゃ食べれないので。まぁ、当たり前ですけど。無償なんで。」
タオルで髪を雑に拭きながらスラスラと自論を述べ、ベッド脇のコンセントに刺したドライヤーを拾い上げた。それを黙ってじっと見てると、不満そうな顔をしてこちらへ向き直る。
「腑に落ちてない、って感じっすね。」
「うん。だって俺、金払ってないし。」
「貴方は別ですよ。」
「君の言う“対価”ってものがあるならさ、俺と居るだけ無駄なんじゃない?お金発生しないしさ。」
「違いますー。貴方とはお金目的で会ってないので適用外ですー。」
「そうなの?」
「そうですよ!むしろ、俺が払いたいくらい。こんなに愛してくれて、大切にしてくれて、俺のこと想ってくれてるんだから。意味わかんない。お金払わないとバランス取れなくてマジおかしくなりそう。」
「まじで財布出しそうだからやめて。……そしたらさ、俺と居るのは生産性のない行為、ってことでいい?」
「え、逆に何か生産性あります?物理的な。」
「ないわ。」
「でしょ?」
「案外正しい気がしてきた。」
「でしょでしょ。信頼とか、欲求とか、精神的な話してたらキリがないっていうか、それだけに支えられてる仕事の身としては何も言えないです。」
「じゃあ今日も、無駄で生産性がないのに俺に会ってくれるんだ。」
「あれ、怒ってます?」
「ううん。嬉しい。君が純粋な好意からここに居てくれてる、って知れてめっちゃ嬉しくなっちゃった。」
「こんなんで喜んでもらえるならもっと早く言ったのに。」
無駄で、
「君が心赦してくれたと勘違いしちゃいそう。」
呆れるほど堕落的。
「存分に勘違いしちゃってくださーい。」
それがいつか勘違いじゃないと気づくまで、
頑張って俺を愛してて。
俺だけの貴方で居て。
それなりに大きくなってからの微熱って、身体より心の方がしんどい。
バイト休んだ方がいいよな、シフトやばかったかもな、課題終わるかな、約束してたの断らなきゃ。
動けなくない。働けなくない。行けなくない。
無理したい気持ちを頑張って堪えて、ベッドに留まる。子どものときと真逆だ。心も身体もずっと元気ならいいのに。多少は人に迷惑かけずに生きれるのに。
文字を打たなきゃ、スマホ、あれ、スマホどこだ。
あー起き上がるとちゃんとしんどい。頭痛い。ブルーライトが目に刺さって痛い。やっぱ働くのは無理かもな。薬飲んでも喉痛いし……。
あぁ、謝んなきゃ。
ただでさえ心がしゅんとしてるのに、なんでもっとしゅんとしなきゃいけないんだ。当たり前か、大人だもんな。こんなことで落ち込むなってことだよな。
周りが言う「お大事に」も「無理しないでね」も社交辞令だってわかってる。だから余計にしんどいんだ。誰か本気で心配してくれ。誰でもいいから本当に心配してほしい。
あ、返信きた。「承知しました。お大事に。」って。
ほら。
まぁ、家族でもないのにそんな義理ねぇわな。親みたいに心配されても気味悪いよな。
あ、また来た。今度は誰だろ。
「今から行く。」
まじか。
嬉しい。
「誰でもいいわけないでしょ、貴方だから。」
その言葉をまた、言えずに終わってしまった。
青白く、酷く薄い自分の身体が嫌いだ。
愛らしい顔に似合わない声も嫌いだ。
傷痕を上書きするようにつけた手首の線。
俺が俺だから、これを“女々しい”と呼ぶのだろう。
ズタボロの腕をなんの遠慮もなく鷲掴みにして欲をぶつける貴方が好き。
言えるわけないな。
異常、って言うんだって。こういうの。
でもきっと、お互い様なんだろうな。
日に日に濃くなっていく隈を見て胸が痛くなって目を背けるのは、俺だけじゃないから。
異常なのは、貴方も同じ。
思えば、どうしようもなく退屈で生産性のない人生を、消費するように生きてきた。
その穴を埋めるように、答え合わせをするように、自分という人間が居ることを確認するように、肌を重ねた。
始まりは惰性だった。全て。
どうでもいいから寝て、どうでもいいから食べて、どうでもいいから、“寝る”。
三大欲求のままに。人を変えて、場所を変えて。
それなのに何故だろう、不自由で変わり映えしない毎日だった。と、今となってはそう思う。
人は違うのに最期には寂しさと虚しさを抱えて眠りにつく。
身体の痛みと引き換えに、ほんの少しの愛情と、溺れるほどの金。
どうしようもなく、どうでもいい人生。
くだらなくて、愛しい人生。
そして、貴方に出逢ってしまった。
希望でも光でもない、俺以上に不安定な貴方。
見ているこっちが不安になるような寝顔が少しでも健やかになればいいのに。この先、目が覚めたときに少しでも目覚めてよかった、って思ってくれたらいいのに。
そして、そのとき隣に居るのは俺でありますように。
最近、そんなことばかり考えてしまう。これが所謂、“母性”ってやつだろうか。
貴方に触れようと伸ばした手は、思っていたよりもずっと重かった。
あぁ、駄目だ。瞼が持ち上がらない。腕ももう上がらない。
最期に一目、焼きつけて。
明日からも息ができるように。
貴方と一緒に、おちていく。
「僕の前から居なくなったら殺しに行く。」
「は?きも。」
普段からこういうこと平気で言う奴だった。
「だって、死ぬって言っても“勝手にしろ”で終わりでしょ?」
「おー。よくわかってんじゃねぇか。勝手にしろ。」
「嫌だ。死ぬときは一緒がいい。」
「俺の意思は?」
「尊重しない。」
「は〜!俺の人権は無視、ってわけですか!」
「そうだよ。ごめんね、二人で永遠になるためなんだ。」
「きっっっしょ!!!」
心底きもいって思ってた。それは今でも揺るがない。倫理観がどうかしてるんだ、あいつは。
「……殺しに来いよ、早く。」
“二人で永遠になる”とか言い出したときは本当に引いた。ドン引きした。
でも、嫌だ、って言葉は口から出なかった。あまりの気持ち悪さに言葉を忘れたわけでもなかったと思う。
あいつと永遠になる、ってことをどこかちゃんと考えていて、真面目に捉えてた自分がいるわけだ。
でもそれも仕方ないと思う。あいつが隣に居ることは当たり前のことで、これから先の長い生涯、それこそ永遠に変わらないのだと確信していたから。
小さな箱に収まった薄灰色の物体じゃ、あいつの存在証明にはとても心許なくて、「こんなことになるなら髪の毛の一本でもとっておけばよかった」と、如何にもあいつが言いそうなことが頭をよぎったときはぞっとした。でも嬉しかった。
まだ、俺の心にはあいつが住み着いてる。染みになって取れやしないのだと。
大丈夫、忘れてない。今もずっと、俺の大部分を担うのはあいつだ。
小さな箱を開けて、薄灰色のそれを指でなぞり、指紋の隙間に入り込んできた粉を、食べた。
自分は本当に頭がおかしくなってしまったのだと思って泣いた。いくら嗚咽をもらしても、背中をさすって一緒に堕ちてくれるあいつはもうどこにも居ないんだとわかってしまった。
ぜんぶ、ぜんぶあいつのせいだ。
あいつに狂わされて満更でもなくてどうしようもなく寂しがってる俺を、笑って見てても揶揄ってても喜んでてもなんでもいいから早く連れ去りに来てほしい。
寂しい。会いたい。声が聞きたい。肌に触れたい。
でも。
「……会いになんていかねぇからな。」
お前が来いよ、俺が好きなら。
そんでとっとと殺してくれ。