→短編・エル・スヴェンナ・リリア・リリネラ・パタル・アマルディ=ユーマュア=エーゴの鍵
「エル・リリア! 腕が取れてるぞ。それに魚臭い」
旅籠屋の暖簾をくぐった体格の良い女性に、宿屋の主人は鼻をつまんだ。首にかけたボールチェーンの先に、真鍮の鍵が光る。
「絶海クジラに挑んできた。アイツの歯、キツイね。見てよ、頭まで落ちそうだ」
両腕をもがれ全身血だらけのエル・スヴェンナ・リリア・リリネラ・ユーマュア=エーゴは首を傾けた。肩から喉にかけての大きな裂傷がさらに血を噴き出す。
「で? 鍵穴は?」
「見つかってたら、ここには来てないよぉ」
エル・リリアは情けない声を上げた。
ここは幽世。転生するためには、鍵穴持ちモンスターを倒し、個人に充てがわれた鍵を開けることが必須なのだが……。「アタシの鍵、不良品じゃないのかねぇ。もう100年はこんな暮らししてんだけど」
エル・リリアのため息混じりの弱音に、宿屋の主人は肩をすくめた。
「俺のこれまでの経験上。この幽世で終わらない物語ってのは存在しない」
エル・リリアは「アンタは?」と問いかけて、その言葉を飲み込んだ。彼は現世で重罪を犯したため、幽世に監禁された鍵無しである。100年も顔を突き合わせていれば、そんな話にもなる。「覆水盆に返らずってのは、こういうことだな」酒に酔った彼の呟きは珍しく気弱だった。彼がその日のことを覚えているかどうかは分からないが、その日から2人で杯を交そうとしないので、そういうことなのだろう。
宿屋の店主は番台に肩ひじを付いて、エル・リリアに聴いた。
「絶海クジラは名前持ちだろ? どうだった?」
「パタル・アマルディだってさ」
ラスボス級のモンスターを攻略すると勲章のような名前が与えられる。
「ムダに名前が伸びていく〜」
エル・スヴェンナ・リリア・リリネラ・パタル・アマルディ=ユーマュア=エーゴの騒がしさに、宿屋の店主は「うるせぇな」と不快感を表したが、その顔はそれほど迷惑そうではなかった。
テーマ; 終わらない物語
〜1/22テーマ・あなたへの贈り物〜
『鍵穴不明の真鍮の鍵』
→針無し目覚まし時計
その置き時計は、渡辺時計店で販売されています。
立派な文字盤を持っていますが、針がないので普通の時計のように時間を計ることはできません。目覚まし専門の時計です。
寝る前に別売りの使い捨て針を起床時間に合わせてセットしておくと、睡眠中のあなたに入り込んで起床時間に合わせて夢の調律を行い、時間ぴったりにあなたを目覚めさせる仕組みになっています。針は夢に溶けてしまうので人体に影響はありませんよ、どうぞご安心を。
その目覚まし時計は渡辺時計店で販売されていますが神出鬼没なので、どこの渡辺時計店に現れるのかは全くもって予測がつかないと言われています。
話の出処ですか?
4月1日に回ってきたSNS の投稿です。
テーマ; やさしい嘘
〜1/22テーマ・あなたへの贈り物〜
『針無し目覚まし時計』
→短編・黎恩庭先生、小箱を買うこと。
高校教師の黎先生は、中山路の一角に立つ朝市を毎週末訪れている。食材、軽食、おもちゃに日用品などが並ぶ露店は、いつでも目新しい発見があり飽きることはない。
屋台で朝食を済ませた黎先生は古馴染みの店へと向った。
朝市の外れに天幕を張るその店は、雑多なものであふれている。砂漠の民の水筒や底がすっかり焦げ付いた鍋、錆びた取っ手に壊れたドアノブ……、売り物なのか廃品回収品なのか判断しづらい品物に埋もれるように座っていた店主は、黎先生の姿に相好を崩した。
「いらっしゃい。面白いもんを手に入れたよ」
店主は黎先生の手のひらに年代物の小さな包みを乗せた。油紙に包まれた小箱のようだが、分厚いシーリングスタンプが開封を阻んでいる。
「封蝋は剥がしてないのかい?」
「老師、こういうの好きでしょ?」
長年の付き合いですっかり好みを把握されている。黎先生は耳元で小箱を振った。カタカタカタ……。
「虫の死骸か、はたまた翡翠か……」と黎先生。
「子どもの乳歯なんてのもありかもね」とおどける店主。
そんな二人の雑談は、店主の淹れた茶を飲みながらもう少し続いた。
夜、黎先生はブランデーグラスをお供に、小箱の検分を始めた。机の上に置いた洋燈の揺れる灯りのもと、丁寧にシーリングを剥がし、固くなった油紙を破かないよう注意を払って包みを開ける。
現れたのは小さな蝶番のついた木製の箱だ。おそらく何十年ぶりかに油紙を取り払われ、突然の外気に慌てているのではなかろうか? ブランデーの酔いに任せて思い浮かんだメルヒェンな想像に、黎先生は苦笑をこぼした。
怖さと好奇心を波のように心に漂わせ、何となく息を止めて蝶番を外し、試験管の試薬を嗅ぐように少し顔を仰け反らせてこわごわ箱の中身を覗き込む。
底の方に1枚の小さな破片のようなものが見えた。
「……貝殻?」
拍子抜けした声とともに肩から力が抜け、自分が思った以上に緊張していたことを知った黎先生は、途端に気が大きくなり、気軽に小箱を傾けた。コロンと手のひらに貝殻を落とす。
薄ピンク色のその貝殻には、桜の花のような模様がついていて、何とも可憐である。
もっとよく見たい。黎先生が貝殻を摘んだ瞬間……――パチン!!
「あっ!!」
貝殻は弾けてピンク色の煙となり巻き上がり、渦を巻いて桜の花を模した。しばらく天井に留まっていたが、やがて霧散した。
つかの間の幽玄は黎先生の瞼に焼き付き、瞳をとじても桜は消えずにあり続けた。
後日露天商の店主の調べで、この貝殻は網膜刺青という西域地方の古い文化だと判明した。網膜に焼き付いているので一生消えないらしい。特に重罪人に罪の意識を忘れないよう罪状を網膜に焼き付けたとのことだ。
店主はしきりに謝罪したが、黎先生は呵々大笑した。
「気に病むなよ。これが知らん人の罪状なら僕も弱っただろうけれどね。桜だよ。目を閉じれば花見気分を味わえる。しかも混雑とは全く無縁」
最近の黎先生のお楽しみは、毎夜ブランデーを片手にひとり花見を楽しむことだという。
テーマ; 瞳をとじて
〜1/22テーマ・あなたへの贈り物〜
『桜模様の貝殻』
→ここで知り合った知らない貴方へ
桜模様の貝殻
針無し目覚まし時計
鍵穴不明の真鍮の鍵
底にインクの固まったインク瓶
ビロード芯のカンテラ
半透明の切手(未使用)
マーブル軸のつけペン
虹の麓で開催された蚤の市で見つけた私の宝物です。どれがお好みですか?
テーマ; あなたへの贈り物
→短編・高級中華
彼女と2回目のデート。
しかも、彼女の誕生日!!
中華街に行きたいって。
よしよし、サプライズランチにしよう!
奮発してちょっとグレードの高いレストランを予約した。数種類の点心が色とりどりで可愛くて、彼女が好きそうだったから。何となく女子って品数多いほうが好きっぽいし。
喜んでくれるかなぁ。
こんなすごいお店を予約してくれたの、と彼女。
大きな黒いターンテーブル越しの彼女は、目を丸くして個室の部屋を見回した。
大きな壺とか色鮮やかな掛け軸とか屏風とか、俺たちみたいな大学生でも贅を凝らしていることがわかる。オンライン予約で彼女の誕生日って書いたから気を利かせてくれたみたいだ。
落ち着かないけど、その気遣いは嬉しい。せっかくだから楽しもうと彼女に提案すると、ニヤリと笑ってサムズアップが返ってきた。こういう価値観の似てるところが好き。
店員さんがいないのを良いことに俺と彼女はターンテーブルをいかにして楽しむかを模索し始めた。
点心の蒸籠を等間隔にターンテーブルに並べて回し、目隠しして止める、ルーレット方式。敢えて2人で並んで座ってみる小市民方式。調味料を取る前に素早く左右にテーブルを動かして相手を翻弄するトルコアイス屋台方式……などなど。何か思ってた方面から外れた気がするけど、やっぱり品数多いコースを選んで正解だった!
ほとんどテーブルに何もなくなり、ジャスミンティーを飲んでいるとき、彼女がターンテーブルに赤い包装紙を置いた。ターンテーブルを回す。
黒いテーブルの赤い包装紙は、まるで羅針盤がN極を指すようにピタリと俺の前に止まった。
少し混乱。だって今日は彼女の誕生日。それなのに俺がプレゼントをもらう?
受け取ってほしいな、と言う彼女の言葉に促されるように包みを開けるとキーホルダーが出てきた。
彼女のカバンに付いてるのと同じやつだ。
一緒にペアグッズ持ちたくって。だめ?
少し上目遣いの彼女。ちょっと不安そう。な、なんてこった! もう絶対可愛いし! それに、やっぱり価値観似てるわ。
今度は俺がカバンからプレゼントを出してターンテーブルを回す。今度は彼女が包みを開ける番。彼女が好きなくすみグリーン色のタンブラー。
俺と一緒のヤツ。これならペアでも目立たないし、大学とか家とかどこでも使えるし。
俺の言葉を聞くうちに、彼の肩から力が抜てゆくのがわかった。その顔に笑顔が戻る。
今までで一番最高の誕生日だなぁ〜。
彼女のその言葉が、何よりも嬉しい。
こうして俺はカバンにキーホルダーをつけ、彼女はタンブラーを大事そうにカバンに片付け、俺たち2人は豪華な個室を後にした。
今日のデートはまだまだ続く。
テーマ; 羅針盤