#ずっとこのまま
「ずっとこのままでいられたらいいなー」
高校の屋上で、みんなに見つからないように手を繋ぎながら彼は私を見つめた。
「バッカじゃないの。手を繋いで帰ったら付き合ってるってバレるじゃない」
「はは…いや、そう言うことじゃなくてさ」
高校二年の時、彼ーー陽輝と付き合い始めた。『不純異性交遊禁止』の校則があり、私は彼との付き合いを隠しながら高校生活を送ったが、それでも二人の時間は楽しかった。
実は私もこの時、ずっとこのままでいられたらいいな、とは思ったけどそんなことは恥ずかしくて言えない。
代わりに『恥ずかしいことを平然と言うやつだよね、陽輝は』と言い返すのが精一杯だった。同級生なのにいつも彼は落ち着いていて私より大人びている。
精神年齢は女子の方が上のはずなのに、といつも余裕な陽輝を少し恨めしく思ったりもした。
それから、15年が過ぎた。
「陽輝邪魔っ!」
「痛っ! 蹴るなよ~」
「朝は戦いなのよ。文句あるならあなた保育園送ってく?」
「ごめん、それは時間的に無理…」
「じゃあどきなさいっ」
母強し。その例に漏れず、私は強くなった。陽輝との関係も昔のように甘酸っぱいものから、同じミッションをこなす戦友へ。
時々あの屋上の言葉を思い出す。でも、時間が経てば関係も変わって当然だ。『ずっとこのままで』あるはずがない。それがいいとも今は思わない。
けど、陽輝は少し違うかもしれない、と時々思うことがある。
仕事の終わりが大体同じくらいになったときは、一緒に夜の買い物をしてからお迎えにいく(買い物袋は保育園の手前で隠す)のが我が家の日課なのだが、時々陽輝はこんなことを言うのだ。
「手、繋ぐ?」
「スマホ持てないからパス」
「ですよねー」
手を繋ぐその先のことも殆ど致さなくなって随分経つ。けど彼は未だに手なんか繋ごうとする。
陽輝、私たちもう夫婦なんだよ、しかも10年ぐらい経過したベテランの。
少し残念そうにする陽輝の横顔を見ながら、面白いやつと結婚したなと私は笑った。
それから更に50年が経過した。
「まあ、いつかはこうなるよね。平均寿命だって、私の方が長いんだし」
陽輝が入院するベッドの横で、私は外を見ながら、先ほど医者が言ったことを反芻していた。
まあなんだ、パッとまとめると、陽輝はもう助からない。間質性肺炎というのはそういう病気だそうだ。
酸素マスクを付けて、苦しそうに呼吸をしているが、まだ意識のある陽輝が目を覚ましてこちらへ手を伸ばす。
「手…繋がない?」
「意外と元気じゃない」
仕方ないなと私が手をとると、彼は嬉しそうに微笑んだ。
「高校の頃の願い、叶ったな」
「どういうこと?」
多分あの屋上の日のことを指しているのだろう。朦朧としていて過去の夢でもみているのかしら。
ずっとこのままでいることは出来ない。甘酸っぱいあの頃の二人はもういない。
子育ての戦友から、終わりを待つ日々を過ごす同士、そして今は送る者と送られる者の二人だ。
「…だってずっと君のそばにいること、できただろう」
「そっちの意味だったのね」
「?」
陽輝は一瞬不思議そうな顔をしたあと、また満足そうな微笑みに戻って目を閉じた。
#20歳
二十歳になるというその時、僕は悪い友人から分けてもらった紙タバコと、父の棚からくすねて来たウイスキーのボトルを机の上に置き、0時が超えるのを待っていた。
家族はとうに眠りについていて、時刻は23時45分。しんと静まり返る住宅街で、僕だけが明日という日を望んでいるような気がした。
成人年齢が引き下げられた2022年以降、僕ら18歳以上20歳未満の「半端成人」にとって、二十歳になるという今日は特別な日である。
選挙権とか、パスポートが10年取れるとか、携帯の契約が自分だけで出来るとか、そんなものじゃ何にも変わらない。
お酒を飲んで今日も嫌なことがあったなと愚痴るとか、沈黙が気まずくなって思わずタバコを口にするとか、そういうのが僕の思う成人だ。
いや、それだけじゃ足りないな。そうしたことを特別だと思わないのが成人だと思う。
僕はこれからその一歩を踏み出すんだ。スマホを見る。あと10分。焦る必要はない。ゲームでもして時間を潰そう。
成人は逃げないんだ。むしろ近づいている。なにもしなくても僕は「半端じゃない」成人になれるんだ。
ゲームを起動する。よくある脱出ゲームというやつだ。棚の隙間からアイテムなどを見つけ出し、組み合わせ、時には謎を解きながら部屋の鍵を探す。とてもシンプルだ。シンプル故にのめり込みやすい。さしずめゲームの主人公は今の自分のようだ。半端成人という部屋から出て、成人という広い世界に旅立つのだ。
… … … ピピピ ピピピ
朝だった。気がつくとベッドの上でスマホを持ったまま僕は寝落ちしていた。
いつもの時間に鳴った目覚まし時計を止める。回らない頭で今日は何曜日だったか考えた。
確か今日は日曜だ。特に予定はなかった…
はっ!
僕は思い出す。僕は成人になったのだ!なんでも出来る、なんでも許される年齢だ。
そう、準備していたアレをーー。
机の上に目を向けると、タバコもウイスキーも姿を消していた。代わりに一枚の紙が置かれている。
『二十歳のお誕生日おめでとう、光樹』
『ウイスキーは戻しとくわね。タバコは成人になっても止めておきなさい。身体壊すわよ』
ちゅんちゅんと雀が鳴いているのが聞こえる。充電が20%になったスマホを持って僕は机の前に突っ伏した。
#星座
「先輩は絶対カラス座です」
部室で私物を片付けていると、後から入ってきた後輩が部屋に入るなり僕にそう言った。
「牡羊座ですけど。ていうか、カラス座って何? 映画館?」
「私の作った新しい星座占いです」
そう言うと後輩は、部室の真ん中のテーブルに一枚の巨大なポスターを広げ始めた。
後輩は背が低いので、大きなポスターを広げるのに机の横に回ったりと一生懸命である。ちょこまかと動く彼女は見ていて飽きなかったが、少し不憫になってきたので彼女の横から手を伸ばして手伝う。
「あ、ありがとうございます」
「よくこんな大きなポスター持ってきたね」
「これしか黄道帯が書いてある星図がなかったんですよ」
長い栗色の髪の毛を片手で後ろにやると、彼女は誇らしげに胸を張った。150センチの彼女はセーラー服を着てなければ子供みたいに見える。
「見てください。これが太陽が通る道、黄道帯です」
黒い夜空のポスターに淡い白い帯が描かれていた。多分あれが黄道帯ってやつなのだろう。彼女はその上に位置する星座を指差すと名前を順に読み上げていく。
「牡羊座でしょ。カラス座、牡牛座、コップ座に双子座…」
「待て待て待て」
「あっ! ちょ、ちょっと!」
僕は彼女の手を取って制止する。
「カラス座とかコップ座とか、星座占いに無いだろう?」
「ふふ、それはですね」
何故か得意気に鼻をならすと、彼女は講釈を始めた。
「12星座というのは古代バビロニア人が黄道帯から勝手にチョイスしたものなんです」
「勝手に…?」
「一年が12か月というのを先に決めた彼らは、黄道帯から12個の星座しか選ばなかったそうです。だから本当は――」
彼女はポスターに赤いマーカーで星座に丸を付けていく。
「ここにある星座も占いに使われるはずなんです。先輩の誕生日は4月15日ですよね? なのでそこを太陽が通過するタイミングはカラス座になるんです」
「…そ、そうか」
「ちなみにカラス座の人の性格、聞きたいですか?」
星みたいにキラキラした目で、彼女はポケットから取り出したメモ帳を開いてこっちを見てる。これは逃げられない流れだ、と僕は思った。
「ここで聞かないという選択肢は――」
「いいでしょう! 教えます! カラス座の性格は、ズバリ嘘つきです!」
「…え?」
きっと今の僕は豆鉄砲をくらった鳩、いやカラスのような顔をしているに違いない。
「そうかな? 割と正直な方だと思うんだけど」
「むむむ。その自信! 牡羊座の皮を被ってますね! 先輩はそんな人じゃないはずです」
そう言うと、後輩は部室の窓ガラスの前に立った。腕を後ろに組んで、教師のように外を眺めている。探偵かなにかのつもりだろうか。
「私は先輩は嘘つきだということを知っています。根拠だってあります」
「例えば?」
「例のハリウッド映画、公開日を一週間も誤魔化しましたね?」
「あれは単に覚え間違っていただけなんだが」
反論すると、彼女はやれやれといった具合で首を横に振る。
「では、期末テストの数学で満点をとったというのは?」
「うっ……」
そこを突かれると確かに痛い。満点を見越して彼女と備品買い出し係をかけて賭けをしたことがあった。結局バレて買い出しには付き合うことになったけど。
「認めましたね!」
「ま、まああれは悪かったよ」
「いいんです。じゃあ――」
彼女が振り返る。彼女は――泣いていた。
「転校するの、嘘だって言ってくださいよ」
#巡り会えたら
犬好きで趣味は旅行。
身長は170㎝は欲しいかな。極端に太ったり痩せたりしてなければ、そこまで体格にはこだわらない。
定職にはついていて欲しいなあ。
年齢は40未満。あんまり歳が離れているとだと会話が弾まないかもしれないし。
笑顔が素敵ならなお良いかな。
「よし、送信」
私は祈るような気持ちでアプリの送信ボタンを押した。写真だってちゃんとカメラマンに撮ってもらったものだ。SNSの更新だって頻繁にやってる。
大丈夫だ。抜かりないはず。
リビングのテーブルに腰掛け、祈祷のように両手にスマホを持って、私はアップロードが終わるのを待った。
「あっ」
不意にスマホが手から滑り落ちる。パタンと音を立てて平らに倒された。
「何やってんのよ」
見ると、邪魔者の手によりアップロードはキャンセルされていた。
「出会いはデイケアくらいにしといてよね、おばあちゃん」
顔を上げると、孫娘が心底あきれた顔で私のことを見ていた。
学校が終わって、僕はいつもの土手にたどり着くと、道路の脇に自転車を停めて身体を投げ出した。
時計はみていないが、時間は18時を少し過ぎたところだろうか。
緩やかな坂の上に寝っ転がっていると、僅かな風に吹かれた雲が視界をゆっくり右へ流れていく。
夕焼けというよりはもう少し暗い。もうまもなく夜になるので帰らなくてはならないのだが、僕はここで日が暮れるまでこうして時間を潰すのが好きだ。
身体を起こす。目はいい方だが、少し遠くを歩いている人の顔は判別できない程度には暗い。犬を二匹連れた女性がやや引きずられるようにしながら川向こうを散歩していた。
ガサガサ。
ふと、物音がした。いや、外なので色々な音がして当然なのだが、その音は異質で、僕の耳に突き刺さった。
音は橋の下、橋と土手の隙間から聞こえた。橋の下より隙間の狭いそこは今の時間、先に訪れた夜のようだ。草を掻き分けるその音は、だんだん大きくなっていく。
犬ではない。不規則なその音は明らかに意思を持っている様子だ。恐らく人間だろう。こんな時間にずっとあの隙間にいたのか。僕は今より少し明るいときにその隙間を確認していなかったことを後悔した。
この付近は決して治安の悪い場所ではない。そしていつものように訪れる公共の場所だ。誰がどこにいようと構わない場所でわざわざ隈無く警戒なんてするやつはスパイにでもなればいいんだ。
ともかく周囲の警戒を怠っていたせいで、今不気味な物音に脅かされている。
少し坂を登れば自転車がある。鍵を外してチェーンをとって。ああ、こんなことを考えている暇があったら早く立ち上がらないと!
物音は更に大きくなっていく。
橋の下の暗闇から僕までは10メートルもない。なのに草むらをこちらへと進んでくる何者かの姿は一切見えないのだ。
「ーーっ」
手だ。か細い白い手が草を掻き分けて飛び出す。この辺りを縄張りとしている浮浪者だろうか。いずれにしても関わって良いことは無さそうだ。
僕は自分でも記録的な俊敏さで自転車に戻ると鍵を開け、チェーンを外して自転車に飛び乗った。草むらから少し頭が出てきたがこの暗さのせいで、顔は見えない。恐らく相手からも僕の顔は見えないはずだ。
ペダルに力をいれるとすぐに自動感知型のライトが点灯する。もう一こぎ。自転車が軌道にのり始める。
僕は後ろを振り返ることなく土手を後にした。