目に見えないからこそ、信じることが難しく
測ることができないからこそ、信じる他ない
ただそばにいるから、いいのではなくて
血の繋がりがあれば、いいわけでもない
手を繋いだ感触が温もりとなって通い合い
解り合いたくて伝え続けた言葉が重なり合っていく
積み重ねを欠いた先に信頼は生まれない
歳や性別関係なく礼を欠いた間に尊敬はない
偽物はいらない
偽善はいらない
利害が混じれば嘘になる
慮る心はただ真っ直ぐに
その人の心に残るためにある
まるで計ったかのようなタイミングで現れた君
多分、私に訪れる試練を加味して、目に見えぬ存在が、
授けてくれた存在なのかもしれない。
あのときもそうだったね。
君がいなければ、いつもの私のように出来なかった。
そして今も。
私らしさを欠いたとき、いつもその時の私に必要な言葉で引き戻してくれる。
「君」というより「あなた」という表現がしっくりくる歳になって、
「大好き」より、
静かで、じんわり温かい感情が流れている。
砂糖の甘さ。
ザラッとした食感。
目をひく小さくて鮮やかな粒。
ひなあられのかわりに、色とりどりの金平糖を。
手にのせられたそれは、一粒一粒が淡い光をまとって
お雛様やお内裏様より、特別な存在。
白色、桃色、黄色、黄緑色、水色、薄紫色。
まるで夢中でカメラのシャッターを切った瞬間のような
高揚感。
いつだったかも思い出せないくらい、小さな感動。
いつからだろう。
一日一日に「色」を感じることさえ、いつの間にか忘れてた。
外はもっと色に溢れていたのに。
雪踏む音も、夜空を流れる雲の速さも毎日違うのに。
今は素直に世界を楽しめない。
夜を暗闇に感じる今は、まだ。
あの高揚感を取り戻すまで
目に見える世界を、自分がいる日常を
怖がらず受け入れていこう。
うわべでは否定しながらも、心のどこかでそうなんじゃないかと、そうであってほしいと思っていることがある。
無意識に上手くいかなかったときのための予防線をはる癖がなかなか抜けない。また、誰かにそれを否定されることが怖いから。
けれども、古い記憶を引っ張り出したとき、あまり褒めない父が褒めたことがある。何がどのようにいいのか具体的に。
きっと私が思うような結果が出せなくて悔しかったから、親として味方でいてくれたのかもしれないと思っていたけど、
本当は素直にいいと思って褒めてくれていたことを今なら分かる。
私に言いたいこと言えないことがあったと思う。色々言って、
優柔不断な私を
本音を言わない私を
苦しめないようにしてくれたのかもしれない。
でも、一番早く気付くべきだったのは、「私を信じていた」ということだった。
「私が思う道を進めと言うことだよね。」
問いかけても、声はもう返ってこない。
けれど、思い出したこの記憶が、私のたった一つの希望。
何だか悪いもののような気がして、何となく避けて考えないようにしている存在。
望みだけならまだ良かったのに、欲なんてつけるから、隠したくなる。
けれど、選択の瞬間どこかに潜んでいて、多分ずっと出番を待ち続けている。まるで名の付かない配役のように。
脚本はない。セリフがつくかも怪しい出番を待つ存在。
しかも出番があるとしたら即興という難題を背負う存在をエキストラにはできない。だから、困る。だけど、嫌いにもなれない。
ないと生きていけないことは知っているから
とりあえず、もうちょっと待っててもらえると助かるかな。