見上げることしか出来ない君と
どうしたら向かい合うことが出来るのだろう
正直、自信がないとか
努力し続ける根気がないとか
批判されるのが怖いとか
出来ないことの理由ならいくらでも連ねることが出来る
そうしているうちにどうしたいかがいつからか分からなくなって
遠い存在になっている
なぜ君なのかなぜ気になるのか
気付けば頭のどこかにいて、
ちょっとした隙間に入っては
これでいいの?と問いかける
いい加減離してくれないかなって思っても
どうやらもう無理らしい
離れがたい程に
多分私が執着してる
いい加減認めなければならないようだ
多分満月なら言えそうにないから
半端に欠けた今日の月に
私に、どうか向き合う覚悟を下さい
誰かにとっては正しくて、誰かにとっては間違い。
正義を貫こうとすることは、誰かを悪とすること。
苦しいことは無限にあるのだろう。
昔ほど視野は狭くない。だからこそ、見たくないものも見えてしまう。知りたくないことも知ってしまう。
正しいか間違いかの基準で判断出来るのは、実はほんの僅かで、
見えないところに、見たくない隠されたところに、間違いを一応良しとするものが押し込まれている。
誰かにとっての間違いを貫くことが、大切な人にとって正しいのなら、最後までやり抜くしかない。
一応良しとされているのなら尚の事。
苦しいことは逃げ道がないこと。
けれど、孤独ではない。
大切な存在がいることが幸せだと思う。
そのためにまだ頑張れると思えるなら。
「タイムマシーンで行くなら過去と未来のどちらがいいか」というベタな問に対して、前なら過去と言っていた。
今は正直、過去には戻りたくないし、未来を見る勇気もない。
けれど、一つ見たいものがある。
それは「イメージ」
今だけでいっぱいいっぱいになっていると、それは見えてこない。
どこに進みたいのか、どう切り抜けていけばいいのか、考えても、動いてみても分からないことがある。
けれど、今何かが訴えかけているよう。
イメージすなわち自分の中での道筋が見えたらどんなにいいか。
どこに向かえば…
動く原動力ってどこから…
大人になったら、子どもの頃にできた事が出来なくなっていることに気付いた。
自分を信じて疑わないこと。
思うままに動くこと。
大人になったら、子どもの頃にはなかったものがたくさん増えていることに気付いた。
自分の行動が影響を及ぼす人たち。
周りが自分に与える影響。
大人は無敵じゃないと分かっている。
生かされて大人になったことに意味がある。
今までの全ては今の土台になってきたのだと、当たり前のことを忘れそうになるたびに、
かつて子どもだった今の大人の自分に、
シンプルに今、どうしたいかを聞いてみることにする。
何を選んでも多分正解なのだとしたら
選択する基準はどこにあるだろう
いろんな理由を並べても
結局は自分のための保身で
分かっているのに
嘘を言いたくないから
同情やら批判やら受けたくないから
誰にも言えずにいる
出来る気がしないのに
一人で闘うのが怖いのに
やる気も出ずに
八方塞がりな気分
今多分人生の転機というヤツなのだろう
エイプリルフールに
私は出来るって嘘をついたら
私を上手く騙せるのかな
病むことの多い日々に
出口が見えなくて不安がよぎる
八方塞がりな気がして
同じ思考がさっきからぐるぐる
ディスクの上に落とされた針が溝を辿っては
また戻されてクラッチを刻む
いい加減進みたいのに
理想ばかりがちらついて
トラウマになった夜を繰り返す
季節は過ぎていくのに
変わっていくのを止める為す術もなく途方に暮れる
もう戻せない、戻れない、戻りたくもない
逃げたいことが山ほどあるのに
私の存在を
あなたの存在が肯定している