望月

Open App
7/15/2025, 10:16:48 AM

《夏》

 うだるような暑さが支配する昼下がり。
 縁側で一人、亜麻色の髪を揺らす少女が空を眺めていた。風鈴の音が静けさに響く。
 同色の尻尾をパタパタと動かし、ふと、耳をピンと立てる。そのまま勢いよく立ち上がったかと思うと、玄関まで駆けていく。
「おかえんなさーい!」
 出迎えられたのは、神職と思しき和装の青年だ。薄茶色の髪より少し暗い色の瞳が、少女の姿を認めて笑顔をつくった。
 手にした風呂敷包みを少女に手渡しながら、汗を手巾で拭っている。
「これ、冷蔵庫に入れてくれませんか?」
「わかった! ……暑そうだな? 透」
「ええまぁ……霞さんは涼しそうで、何よりですがね」
 少女——霞は、受け取った風呂敷包みを開きながら台所へ移動し、箱ごと冷蔵庫に入れる。
 冷たい麦茶を二つのコップに注いで居間に行くと、青年——透は、エアコンの効いた空間で扇子を仰いでいた。
「あぁ、霞さん。ありがとうございます」
「暑かったろう、特に今は」
「ええ、今朝方よりも随分と気温が高くなっていました。お陰でたくさん疲れちゃいました」
「この程度で疲れるとは、軟弱だなぁ〜」
「暑いんですって、本当。……さっき拭きましたけど、僕今綺麗ではないと思いますよ? 離れて下さい、霞さん」
 汗が引いたとは言え、人と引っ付いて座るにはまだ暑い。透は逃げようとするが、こうもベッタリと隣に来られては動きにくい。
「嫌だ! どうだ、暑いだろ〜」
「引っ付かないでー……というか、あなたも暑いでしょうに。あっ、暑くないんでしたね」
「そうだぞ! ふふん」
「なら、そんな悪い子におやつはなしですね。今日は武田のおばあさんから頂いた、先程の箱を……って、本当に霞さんは甘いものが好きなんですねぇ」
 ドヤ顔で隣に座っていたかと思えば、ローテーブルを挟んで対面に座っている。見事な早業だ。
「ふふ、まぁ、冗談ですよ? 武田のおばあさんからは霞さんが気に入るだろう、と頂いたので。……ふぁ〜あ……眠くなって来ちゃいました……」
「透? こんなところで寝たら風邪引くぞ! 人間は脆いんだからな〜」
 畳の上に寝転がった透の耳に届いているのかいないのか、「はぁい……」という返事があって少しして、
「もう寝入ってるじゃないか。相変わらず寝つきがいいなぁ……よし、仕方ない!」
 霞は押し入れからブランケットを取り出して、透と自分とに掛ける。そのまま、一緒になって昼寝をするのが好きなのだった。
 小一時間ほど経って、透は目が覚めた。
 だが、どうにも寝心地が良く、無意識で掛物を手に取る。
 ふわふわとしていて、実に触り心地が良い。ほど良くあたたかさもあって眠りを誘う。
「……あたたかい?」
 違和感に気付いて目を開く、と、透は自分の手が何を掴んでいるのかを理解した。
 尻尾だ。霞の、大きな尻尾。
 慌てて手を離し、起き上がろうとして、
「……あがっ?」
「あっ」
 今しがた起きたばかりの霞と目が合った。

 尻尾を触られるのは苦手らしく、ご機嫌ななめの霞の誕生である。
 透はどうしたものかと悩んで、時刻が三時を回っていることに気がついた。
「……そうだ、霞さん。一先ずおやつにしませんか? きっと、とても美味しいですよ」
「……そんなことで私の機嫌は直らない」
 魂胆がバレてはいるが、いつものことだ。
 透が昼寝をすると大抵霞が隣で寝ている。そして、よく彼女の尻尾を触ってしまうのだ。
 こうなったときは好物に頼る他ないのだ、という事実を知っているのだから。
「まぁ、そう言わずに……少し待っていて下さい」
 一言断わってから席を立ち、台所へ行き冷蔵庫を開ける。すっかり冷やされた箱を開封、中身を皿に載せる。包丁とフォークを共に載せた盆を手に、居間に戻る。
「……綺麗」
「えぇ、そうでしょう?」
 本日のおやつは、星の浮かぶ羊羹である。
 半分より下はこしあん、上は綺麗に細工された星々が彩りを見せていた。
「……あ、ちゃんと切るので待って下さい霞さん!」
「え? はーい」
 見蕩れながら手を伸ばそうとした霞を止め、何切れかに分ける。
「どうぞ、いただきましょう」
「いただきます! あー……ん! 美味しい! 綺麗で美味しい!」
「忙しいですね……甘さが優しくて美味しいです」
 透が一切れ食べる間に、霞は三切れも食べていた。余程気に入ったのだろう。
「……僕はもう一切れいただいたら十分なので、残りはどうぞ食べちゃって下さい」
「本当にいいのか?」
「はい、もちろん」
「じゃあ、遠慮なく! んー! 美味しい!」
 星を散らせたかのように笑顔を浮かべる霞を見て、透は機嫌が直ったことを密かに確信した。
 夏の菓子に助けられたと言えよう。

7/11/2025, 9:52:40 AM

《冒険》

 一の章 氷に閉ざされし天空の迷宮

 咲の月‪ 一の日
 先遣隊として派遣されることとなった。
 着地予定地周辺の安全確認がされたらしい。
 選抜は昨日行われた試験結果を基準に、各々の得意不得意を考えたうえで成されたという。
 特に優秀な人材は、今回の作戦に投入されていない。つまり、この先の安全は保証されていないと知りながら向かわなければ。
 出立は五日後、それまでに荷物の準備と家族への手紙を書き遺しておこう。
 この日記も、帰ってくる頃には白紙が埋まっていることを願う。

 咲の月 六の日
 寒い。とても寒くて堪らない。
 心做しか、空気も薄く感じて動きが鈍い。
 今日は先遣隊として派遣された十人で、着地地点から少しの所に拠点を立てた。
 もう日が暮れた、この天空の島では時間の流れが分かりずらいようだ。
 既に寒さにやられている、もう休もう。
 夜空に拡がる星はとても綺麗だ。

 咲の月 七の日
 遺跡の入口と思しき空間に鎮座している大きな氷を溶かす、もしくは破壊することが一先ずの目標らしい。
 殴ってみたが、拳が割れそうだったので断念。大人しく火と削岩機に近い機械で削った。
 日没後、暫くして夜になり、道は開かれた。
 皆で協力してやっとのことだ、喜びを分かち合いたいが酒もない。
 それでも、干し肉と水と語らいとで楽しい夜だった。
 明日が楽しみだ。

 咲の月 八の日
 朝に作戦を立て、その通りに足を踏み入れることになった。
 道を塞ぐのは氷だが、入口を塞いでいたもの程分厚くはない。
 薄い氷を割って進むが、まさしく迷宮。
 どこを見ても変わらないような気がした。
 どのくらい進むことができたのかも分からないが、ある程度で区切りをつけて拠点に戻ることにした。

 咲の月 十一の日
 鞄に入れていた筈の食糧が凍っていて、とてもではないがそのままで食べられない。
 火の近くに置いて、氷を溶かしてから食べるのは不思議な感覚がした。
 パンが硬いようで柔らかく、面白い。
 毎回拠点に帰るのは難しい。二つ目の拠点を立てたが、後何度これを繰り返すことになるのだろうか。
 少し楽しみだ、寒さに慣れたのだろうか。

 咲の月 十三の日
 なんてことだ。まさか、氷が生える迷宮だったなんて。
 この迷宮は来た道を戻ることすら許さないのか。
 中心に近付いてる気がする。
 第二拠点に戻ろうとしたが、断念して、第三拠点を立てることになった。
 氷が生えて来ないことを祈ろう。

 咲の月 十七の日
 薄氷を割って、進んでいる最中に最後尾の隊員が氷に巻き込まれた。
 ここまで速く再生するのか。
 唖然としながら、念の為道を開いて五人が進んで氷が戻るのを待つ。それを繰り返すことになった。
 拠点はもう四つ目だ。もう撤去まで迅速に動ける。
 こんなことになるだなんて。

 咲の月 ??の日
 持ってきていた懐中時計が壊れてしまった。
 迷宮の中に窓なんてないし、あっても氷が塞いでしまっていて見えない。
 感覚的には二十の日だろうか、と思う。
 最早拠点も構える暇がない。
 進んで、進んで休んで。
 もう食糧がない。
 ここまで続くと思われていなかったのだろう、先遣隊なんてこんなものだ。

 ?の月 ??の日
 冒険だ、なんて目を輝かせていたあの頃が懐かしい。
 もうだめだ、割った傍から氷が生えてくる。
 偶然片腕なら通りそうな大きさの窓を見つけた。いや、建物が崩れたところに氷が生えていないだけか。
 もう二度と見ることはないだろう空に、この日記を預けることにしよう。
 これを見た者に、頼みがある。
 この日記を、家族に渡してくれないか。

 ————(掠れて読めない)

7/7/2025, 11:09:55 AM

《願い事》

 カササギが作ると云う、天の川に架かる道。
 其れが白く眩くモノであれば良い。
 ただ切に想う。
 愛の彼是は問うべきでない。
 然しして、情人らの行末を希わずには居られぬ。
 七夕とは曰く、其の様な宵を示すだろうと。

5/19/2025, 9:34:06 AM

《まって》

 太陽が沈んで、月が昇ってきた。
 初めて会ったあの日に交わした言葉を、昨日のことのように覚えている。
 うつらうつらと思考が浮かんでは消えて、暗闇が少し明るくなって。暗くなって。明るくなった。
 それで、声がいなくなった。
 また暗くなって、明るくなって、暗くなった。
 それで、顔が思い出せなくなった。
 また明るくなって、暗くなって、明るくなって、暗くなった。
 それで、君の温もりを忘れてしまった。
 嗚呼、どうして。
 どれだけの時が過ぎたのか。
 君が生きていたという事実だけを覚えている。
 君がどんな人だったのか。
 君とどこへ行ったのか。
 君はどう笑ったのか。
 君に何を話したのか。
 もう、何も思い出せない。
 時間は待ってくれないのだと、誰が教えてくれたのだったか。
 多分君だ、君のはずなのに。
 もう、思い出せない。
 君をどう思っていたのか——君をどう思っているのか、それだけが遺されたものだ。

5/17/2025, 10:01:43 AM

《手放す勇気》

 自分にとって居心地が良い場所を手放すのは、途轍もなく勇気のいることだ。
 あたたかく迎えてくれる場所というのは、言葉にするよりも深く心に刻まれている大切な場所なのだ。
 だが、そんなことは。
「……早く逃げろ!」
 悪魔にとってはまったくと言っていいだろう、気にするべきことではないのだった。
 悪魔。
 魔界という未開拓の異次元から突如として現れる、不可思議かつ最悪の存在。
 彼らは妖しげな力を行使して、ふとして夜にやってくるのだ。
 人は、いつしかそれを、悪魔術——魔術、と呼んだ。
「ひ、ひいぃっ……!」
「やめろ、やめてくれえッ!」
 悲鳴が方方から聞こえ、否が応でもその修状が現実だと理解させられる。
 身を斬られた痛みに喘ぐ人。
 右半身を失い流血に嘆く人。
 家族を目の前で失い叫ぶ人。
「ぐあぁあああッ……か、はっ……」
 今、体を裂かれ事切れた人。
 抉られた視界に絶望した人。
 痛みに心を喪って黙した人。
 そういう人たちの頭上に浮かぶ、夜の闇を凝縮したかのような黒い羽を有した化物。
 たった一体の悪魔が、街を悪夢に陥れて嗤っている。
 殆ど直感で、これは、死んでしまうのだな、と誰もが思った。
 そんな中、崩れた家屋から現れた青年が一人。
「……ごめん」
 衣服に付着した埃を払って、ぶつぶつとなにかを呟き始めた。
「真なるものは目に映らず、真なる音は耳に聞こえず」
 視線を地面に落として、まるで頭上に君臨する悪魔の存在に気が付いていないと錯覚するほどの集中を見せる。
 いや、地面に倒れている友人を見て顔を歪ませた辺り、周りが見えていないわけではないようだ。
「真なる調べは他に知らせず、真なることは他に知られず」
 たかが一人、だが、この状況では酷く異様だ。
 目的の場所でもあるのか、青年は迷いなく進んで行く。
「真なる其れは清きこともなく、穢れですらない」
 そこで漸く悪魔が、その矮小かつ愚かな存在に気が付いた。
 この状況で立って、歩いて、悪魔の存在を気にもしない人間がいるとは予想だにしなかったからだ。
「真なる幾ばくもの其れは、偽りの後に存在する」
 興味が湧いたのか、はたまた邪魔に感じたのか。
 悪魔が青年に矛先を向けた。
「成るは、【解放】」
 悪魔の毒々しい爪先が青年に迫り、
「【凍結】」
 その姿のまま、まるで絵画に閉じ込められたように動かない悪魔がそこに在った。
 青年の言葉に従って、凍結してしまったのだった。
「……人間だからって、魔術が使えないと思うなよ」
 そこでやっと青年が振り返ると、悪魔の奥に恐怖で顔を青くしたままの町の人達がいた。
 街が好きで、五年過ごしたこの場所は大切だったというのに。
 青年はこの力が周知のものとなってしまった今、もうここにはいられない。
 魔術とは本来、悪魔しか行使できないもので、青年が扱ったそれは同質のものに見えただろうから。
「早く、覚悟を決めれば……誰も死ななかったかもな」
 小さな声での後悔は、きっと誰にも届かなかっただろう。
 青年は肩を落として前を向いた。
 いつかこうなるとは思っていたのだ、なに、今更だ。
「さようなら。……ごめんなさい」
 悪魔の力を有した、半魔の青年はそう残して去った。
 後にはただ、街の残骸と数多の死傷者、凍結した悪魔が残されたのである。

Next