《奇跡をもう一度》
魔法学園の入学式が執り行われる日。
新入生達は、開かれた正門の前で立ち尽くしていた。
魔法学園の入学試験は、全部で三つある。
一つが筆記、一つが身体能力と機転を測る実技、最後の一つが——
「迷路を抜け、講堂へ辿り着いた者のみに入学資格を与える」
というものだった。
魔法によってか、肥大化した植物が覆う講堂へ続く道が視界を塞ぐ中で、声は頭の中で厳かに響いた。
物理無効の魔法によってのみ破壊可能な、自己再生能力を持つ魔法植物による迷路。それを通って辿り着くには、当然魔法が必要不可欠となる。
入学前に魔法を会得している者は全体の一割にも満たない。だのに、最後にして最難関の試験において魔法が必要。
新入生らにとって、これは不可能を与えられただけに過ぎないやもしれぬ。ただ、決して魔道への道を閉ざすべく存在する試験ではないのだ。であれば、攻略法は存在する。
つと、一人の少年の前に魔法陣が生じたかと思うと、そこから膝をついた青年が現れた。
「——シュルツ王子殿下。是非、貴方の前に道を拓くことをお許し願いたい」
魔法学園の三年生の一人。学年首席を入学時から維持し続けている秀才にして、時期公爵の地位を約束された公爵子息だ。
「ああ。私からも願おう。頼めるか」
「お望みとあらば」
鷹揚に頷いた少年——シュルツに応えた彼は、道を塞ぐ魔法植物へと杖を向けた。
「【切り払われよ】」
たった一言、詠唱によって導かれた魔法陣が展開され植物の根を切断する。
そうして彼らが通った後に、すぐ、植物は元の通りに再生した。
つまるところこれは、ただの演出である。
王族という最初から入学資格を持つ者を用いた、その他の新入生らに攻略法を示すだけの。
「……わ、私の為にどなたか道を拓いて下さらない!?」
「——ええ、構いませんよ、リノア侯爵令嬢」
「気合いで行けないのか、これ!」
「——豪快ね。助けてあげるから突っ込まないの」
「俺……帰っていい……?」
「——はいそこ、諦めない。というか帰るな将来有望なんだから君ぃ」
家柄、工夫や能力……様々な観点で評価を受けた新入生達の元に魔法学園の三年生らは姿を現した。
魔法学園の三年生らが投影魔法で審査しており、彼らが気に入った新入生を指名して、それを受けた教員が転送するという仕組み。
早い者勝ちの面接のようなもの、というのがこの試験の実際だった。
一人またひとりと三年生に連れられ、迷路の中へと入っていく。
少しでも自力で進もうと模索する者もいるが、そういった手合いにはすぐに助けがくる。工夫を凝らそうという姿勢が評価されるのは、当然のことだろう。
「あ……どっ、どうしたら……」
そんな中、未だ事態を呑み込め切れていない少女が一人立ち尽くしていた。が、優れた能力者ではないと自覚していた彼女は埒が明かないとして、迷路へ足を踏み入れる。
右を見ても左を見ても見たことのない植物が目に映るばかりで、少女は訳もわからず駆けていた。気ばかりが急いてしまうのだ。
また行き止まりになって、一度少女は足を止めた。
「と、取り敢えず……どなたか聞こえませんか? 助けて下さい……!」
辺りを見回し誰もいないことを確認したかと思うと、少女は空白に向かって声を投げる。
「お願いします、どうしてもこの学園に入学したいんです! ……なんて、言っても聞こえてないか」
声を萎めて少女が肩を落とすと同時に、
「な」
景色が一変した。
植物に囲まれてていた筈が、いつの間にか正面には人がいる。魔法学園の制服を着た女性だ。その人は椅子に座っていて、その前に置かれたテーブルには、受付、とあった。
突然現れた少女に女性は驚いて声を上げた。
だが、状況についていけない少女の耳にそれは入らない。
「…………へ? ここ、なんで……私、」
「お、おめでとうございます!」
「あっ、え? ありがとう、ございます……?」
務めて冷静になろうとした女性の圧に押されて、少女は感謝を言った。だがやはりなにに対してなのかすらわかっていない。
「……正式にご入学されました。どうぞ、扉を進んで空いている席に着席して下さい。試験終了までは待機時間とします。私語は自由です」
「は、はい……」
女性に促されるまま、少女の三倍はありそうな高さの両開きの扉を開ける。見た目よりも遥かに軽いのも、魔法かなにかか。
その向こうにあったのは、半分ほどの席の埋まってある講堂だった。
迷路の先にある講堂とは、ここのことではないかと少女は気付く。遅いが、それでも咀嚼してでなければ理解できない急展開であった。
「え、ええっ? つまり……どなたかが私をあそこまで転送してくれたってこと……?」
先程かけられた言葉も反芻した結果だ。
少女の記憶にも、そして今周囲にも上級生らしき人物は見当たらないがそういうことなのだろう。魔法についてよく知らないが、だからこそ、そういうものかと納得する。
「……今ご覧になっていらっしゃるかはわからないですけど、助けて下さってありがとうございます!」
見えているか、見えていないかわからないが少女は礼を言った。
なにはともあれ、最終試験に合格できたことは感謝すべきだろう。
そうして、少女の奇跡は一度起こった。
——あれから一年経っても、少女を助けた人物はわかっていない。
それでも少女は、当時三年生だった上級生らを片端から当たって恩人を探し続けている。
願わくば、恩人に会いたいと。
「お願いします、どうか、奇跡をもう一度」
今度は少女の手で奇跡を掴もうと足掻いている。
《別れ際に》
「ひと月が終わる度に雨が降る」
それが別れの言葉のようだと、先生は言った。
それは別れが悲しくて泣いているのだと、
学生の頃の私は言ったのだったか。
もう覚えていないけれど、
先生、今、ここでは雨が降っていますよ。
あなたのいる所は、ずっと晴天でしょうね。
《形の無いもの》
森の奥にある泉。
各地方で聞く伝承。
姿を見た者はおらず、ただ漠然と“いる”のだと認識されている存在。
それが、精霊である。
「見えないしわかんないのに、みんなはどうしているよって言うの?」
森の小道を歩く母子は手を繋いでいる。
「それはね、知っているからよ。精霊さんがいなくちゃ、この世界には水もなかったのよ? ね、精霊さんって凄いでしょう」
息子の小さな左手を握りながら、母親は諭した。
「そうなの!? じゃあ、ありがとうって言わないとだめだね、お母さん」
そうね、と返した母親の左腕は爛れていたが、それが刹那にして治る。
医師が匙を投げた筈の、二度と動かせないと宣言された腕が。
気まぐれか、想いへの返答か。
その奇跡に気付くまで、あと少し。
《花畑》
九の月。
いつだってこの月になると、私の心は暗くなる。深い深い沼へと沈み込んで行くのだ。
まだ青さを残した木々は、まるで嘲笑うかのように窓の外で揺れる。
「……やめて」
そんな筈はないとわかっていながら、制止の声を上げて蹲る。
きっと、窓の外へ行けたら、お前を叩き切ってやるのに。
恨めしくそう思っても、どうせ行けやしないのだ。考えるだけ時間の無駄というやつである。
ちょうど立ち上がった時、扉の向こうに気配がした。誰か来たのか。
「……なに」
短く聞くと、相手は遠慮なく扉を開いた。
私が目を覚ましていればそれだけでいいと思ったのか。
「失礼する。ご機嫌いかがかな、俺のお姫様?」
「誰があんたのお姫様よ!」
使用人の誰かかと思えば、まさかの友人枠。
幼馴染のベンジャミンだった。
失礼する、と言ったのも礼儀としてだろう、本人は一切気にした風もなくずかずかと部屋に入って来る。
「というか淑女の部屋に許可もなく入るとか論外よ! 出直してきなさいな」
「うん? ああ、大丈夫だ。俺はソフィア以外にこんなことしないから!」
眩しい笑顔で何言ってるんだろうこの人。
「それは私が淑女じゃないってこと?」
「いや、ソフィアのことだから身嗜みは既に整っているだろうし、時間を取るまでもないだろうと。それと、君は乙女だからな」
「信頼どうもありがとうだけど、なお悪いわよそれは!」
付き合っていられない。
いつものことだが、この調子ではいつになれば本題に入るのかわからない。
私がソファに座ると、ベンジャミンも対面に腰を下ろした。
人の部屋には勝手に入る癖に距離を取る辺り、礼儀はなっている男である。
「……それで、なにかあったの? 突然尋ねてくるなんて珍し——くもなかったわね」
ここ十日ほどなかったため忘れていたが、この男、三日に一回は我が家でくつろいでいるのだった。その内ひと月に四回は連絡も寄越さずに来て、誰に止められることもなく私の部屋まで通される。
幼馴染とはいえ年頃の令嬢と二人っきりというのはいかがなものか。と、苦言を呈したいが一応彼もそこは考えているらしく、いつも扉は半分ほど開けたままにしてある。
まあ男爵令嬢と子爵令息がどうなろうと揺るぎはしない社交界だが。
また今日も——今日は、扉を閉めている?
「……なに」
私の口から零れたのは、先ほどと同じ言葉。
けれど、そこには先ほどとは似ても似つかない非難の色を込めていた。
ベンジャミンが私と二人きりのときに扉を閉めるのは、これで二回目だ。一回目は、幼少期から少年期に差し掛かる頃。
そして、あれから一度も忘れたことのない彼が再びそれをした。とあれば、なにか意図を感じずにはいられない。
「そんなに警戒するなよ、ソフィア。大丈夫、なにも取って食おうってわけじゃないから」
「なにを——」
「今日は外に出ないのか? こんなにもいい天気なのに」
唐突だった。少なくとも、私にとっては。
たしかに空は澄んで涼しい気候の今、外へ出るのは気持ちがいい筈だ。
それだけのことを言う為に扉を閉める、この会話がそんな終わりではないだろう。
いや、本当は私はわかっている。
ベンジャミンがなにを言いたいのか。
「——いやよ。私は外に出られないわ」
「出たくない、の間違いだろう? ソフィア」
「そうじゃないの。出ることができないのよ、私には」
どうして。
ベンジャミンにだけは誘われたくない言葉だ。
わかっていて口にしたのか、彼は私の頷くのを待つように視線を送る。
「本当よ? それに面倒でしょう、いちいち使用人を呼んで一時間以上かけて着替えて……髪だって編む必要があるし、それに合わせた飾りも」
貴方が思っているよりも女の子の外出は面倒なのよ、と私は笑ってみせた。
額縁通りに言葉を受け取った、そう見えていれば成功だ。
ただ、彼はその演技を見知った人間に対してすることを無意味と思ったのか、少し笑う。
「なぁ、ソフィア。また、俺に魔法を見せてくれないか?」
まさかの直球。一瞬呆気にとられたが、
「……無理よ」
と、返した声は思いの外弱々しかった。
しかし、明確な拒絶。その意図はたしかに伝わったろう。
ベンジャミンは思案顔をして、ややあって立ち上がる。
「わかった。なら俺の魔法を見てくれないか? 新しく覚えたんだ」
「……見るだけならね」
私だって、ベンジャミンが魔法を大好きなことくらい知っている。
だから、それに少し付き合うくらいわけないのだ。
揃って一度玄関まで行き、中庭に出る。
花壇の花々も数多ある木々も、随分と楽しそうに風に揺られている。
周囲に問題がないようにと、念の為端っこの方で足を止めた。ここなら低木を気にするだけで済むからだ。
後で庭師に怒られるのは私だし、そもそも植物だって可哀想だから被害は最小限でいい。
「なんの魔法を覚えたの? ……って、もう聞いてないわね」
魔法は貴族であれば誰でも行使が可能だが、ベンジャミンは得意とはしていなかった。寧ろ逆で、苦手の部類に入る。
こうして、人が話しかけてもそれに応える余裕がないくらいに集中を高めて行使しなければならないほどには。
白く光り輝く魔法陣が、彼を中心として展開された。
私は彼の近くに立って、先程の軽薄さが鳴りを潜めた真剣な横顔を見つめる。
「【花よ花ども、今一度。咲けよ咲えとひとひらに】」
詠唱に呼応するかのように、魔法陣は魔法の規模に合わせて大きく広がる。
そして魔力の流れに沿ってゆっくりと回転し始めた。
「【いざ、花開け。その名の如く】!」
光が一際強くなった途端、私の目の前に花が——十輪咲いた。
私の好きな蒼い色の、小さな花だ。
「……きれい。素敵ね、ベンジャミン!」
しゃがみこんで、可憐な蒼い花弁を散らさぬようにとそっと撫ぜる。
ふわりと揺れるその花は、日に照らされて一層きれいに映った。
「……うん、まだ咲いた方だ」
ベンジャミンの呟きに、今更だが、魔法陣の規模に対して効果が少なすぎることに気付いた。本来であれば、この一角を埋め尽くすほどは咲く筈の魔法だったのか。
「これって最初は何本だったの?」
「……初めて成功した時は一輪だけだった」
「なら上達してるんじゃない! それにこの花、少しの方が可愛らしくて私は好きよ」
ね、と彼を見上げると、その表情の暗さがよく見える。
まあ、完全に成功したとは言えないか。
ため息を吐いた私は立ち上がって、ベンジャミンの手を取る。
「今のは魔力操作が甘かっただけよ。もう少し頑張れば、きっと、たくさんの花が咲くわ」
「……本当は、もっと咲かせられると思ったんだ」
「そんな顔しないの。ほら、もう一回見せてちょうだいな。ベンジャミン、貴方ならできるわ」
落ち込んだ様子の彼に、流石に私も調子を崩される。今までも魔法でつまづくことはあったけど、この顔は何年経っても慣れない。
「……ソフィア。魔法の発動を手伝ってくれないか?」
「い、や! 私は、もう魔法なんて使わないって言ったでしょ」
誰よりもその理由を知っているくせに。
「花を咲かせるだけの魔法だ。誰も傷つかない。花に埋もれたって大丈夫だから」
解きかけた私の手を、今度はベンジャミンが強く握った。
「俺は、花に負けるほど弱そうな男なのか?」
「それは……思わない、けど……」
「なにも一人で魔法を使って咲かせてくれと言ったわけじゃない。ただ、魔力操作を手伝って欲しいだけだ」
「……あんたに怪我を負わせた、私に?」
今だってあの光景を、鮮明に覚えているのに。
——そう、あれは今から三年前の九の月。
私とベンジャミンはこの庭で魔法の練習をしていた。
当時は彼も私も、同じくらいには魔法が好きだった。でも、私の方が得意だった。
魔力操作だって上手にできたし、そもそもの魔力量も多かった私は魔法をたくさん扱えた。
それが、いけなかった。
ベンジャミンが使うことの出来ない魔法を見せてあげたくて、私は——庭を炎で埋めつくした。
庭師の作り上げた庭だ、美しかったその景色は姿を変え、ただ炎を拡げるだけのものへとなってしまった。
私にはその魔法を止めることもできず、暴走する魔法陣に命までもを吸い取られないよう踏ん張ることだけが意識の中にあった。
だから、ベンジャミンのことなど頭から抜け落ちていたのだ。
炎に呑まれ気を失った彼のことを。
結果的に大人が救出してくれたから良かったものの、彼はその一件で背中に大きな火傷を負ったのだ。
なにより、それで怪我をしたのがベンジャミンだけだったという事実が私を苦しめた。
その件で顔に傷でも負っていたら、まだ心が安らいだかもしれない。
だのに、私が負ったのは数ヶ月で治る様な小さな火傷を少しだけ。
彼が目を覚ましたとき、私は謝りながらたくさん泣いた。けれど、ベンジャミンは笑ってこう言ったのだった。
「ソフィアに傷がなくて良かった! それに、あの魔法は危険だったけど……初めて知った魔法だ!! きれいだったよ!」
その言葉がどんなに優しくて、心に傷を負うものだったかベンジャミンは知らないだろう。
こんなにも優しい人を傷付けてしまったのだと知った、あの衝撃を。悲しみを。
驕りのあった自分に対する、後悔を。
魔法を行使した自分に対する、軽蔑を。
思いの外精神的にも大きな傷を負ったからか、あの日から私は魔法が使えなくなった。
感情がぐちゃぐちゃになった所為か、魔力が上手く流れないのだ。
魔法は術者の想像次第で変わるからこそ、精神状態も反映されるという。
私が魔法を使えなくなったのは、当然の道理だった。
「——そうだよ、ソフィア」
それなのに。
ベンジャミンは、私を魔法に近付けようとする。
「なんで……私は、もう魔法が使えないのにっ」
「そんなことはない。絶対に使えるさ、ソフィアなら」
手を振り解こうとすると、彼の指がするりと指の隙間に入ってきて、更に強く握られる。
「っ!? ちょっと、」
「ソフィア。君は魔法を忘れてなんかいないんだから、大丈夫だ。今だって魔力操作は覚えているだろう?」
「……いいえ。今の私は、魔力が乱れて操作どころじゃないわ。ベンジャミン一人の方がきっと上手くいくもの」
「ソフィア」
名を呼ばれ仕方なく目線を合わせると、真っ直ぐな目に射抜かれる。
ああ、私はこの目が好きだった。
「魔法は嫌いか?」
いつだってこの目は、私の本心を見付け出してくれるから。
私がたくさん理由を重ねて、隠して、どこかへ追いやってしまった想いでも。
変わるべきだったのに変われなかった、どうしようもない私を見付けてくれるから。
「——好きに、決まってるじゃない」
だから大好きなんだろう。
私はあの事件で魔法を嫌いになるべきだった。大嫌いになって二度と関わるものか、と言い切ってしまうべきだった筈なのに。
「大好きに決まってるじゃない……! だって魔法はきれいなのよ、ずっと、ずっと大好きなのよっ……!」
魔法という名の、奇跡が好きだ。
私はどうしようもなく魔法が好きで、それが誰かを傷付けたとしてもその気持ちは変わらなかった。
「奇跡みたいでしょう? 素敵なものでしょう? 魔法は誰かを傷付ける為のものじゃない、笑顔にする為の奇跡なの……!!」
それを自分自身で裏切ってしまったことが、ただただ衝撃的だった。
魔法をそんな風に扱ってしまった私が嫌いで、魔法は大好きなままだった。
「……なら、俺と一緒に花を咲かせてくれ」
「私にはできない。だって間違えたんだもの、魔法の価値を」
「俺のお姫様は、そんなつもりであの時炎を放ったのか?」
「そんなわけないでしょ!」
敢えて「お姫様」と呼んだのは、彼の優しさだろう。俺の、はこの際無視する。
「だったら問題ないなー! さあ、諦めて魔法の行使を手伝ってくれ」
「だから、私は」
「大丈夫だ。ソフィアは俺を信じてくれさえいればいい。そうだろう?」
「……私じゃなくて、魔法の下手なあなたを?」
「それは言うな!」
耳まで赤くしたベンジャミンに思わず吹き出すと、彼も笑った。
ああ、今なら、花を咲かせるくらいの魔法は大丈夫かもしれない。
大好きだった、魔法を、もう一度。
暴走しないように、あなたの手に導かれて。
深呼吸をして、手を強く握り返す。
「ベンジャミン、詠唱を」
「! ああ——【花よ花ども、今一度】」
手から魔力を繋げて、今にも暴れ出しそうなベンジャミンの魔力を私の魔力で包み込んでいく。
不必要なところに広がらないように、魔力の通るべき道を指し示していく。
「【咲けよ咲えとひとひらに】」
そうして拡がった魔法陣は、先程より大きなもの。それがゆったりと音に連れて回転する。
「【いざ、花開け】」
魔法陣から零れた光がふわりと拡がって、辺り一帯を伝っていく。
「「——【その名の如く】」」
気が付けば私の口からも音が漏れていた。
あ、と気付いた時には白い光が世界を埋め尽くしていて。
「……わぁっ!」
「……おぉーっ!!」
光が収まって、すぐ目に入ったのは、蒼。
庭の一角に留まらず半分程を覆う色だ。
「……花畑できちゃったね……ベンジャミン」
「あぁ……ああ! やっぱり凄いな、ソフィア! 格段に魔法がきれいに行使できた」
いや、そんな笑顔で来られても。
「元の魔力量はあなたに依存してたから、ポテンシャルはこれだけあるってことでしょ」
「なら、今引き出してくれたソフィアに感謝だな! ありがとう!!」
可憐な花々には悪いが、ソフィアの視界には今ベンジャミンの眩しい笑顔とやらが満開である。心臓に悪い。
その輝くような表情から逃れるべく、繋ぎっぱなしだった手を引こうする。だが、ベンジャミンは離そうとしないで指を絡ませたままだ。
「ねぇ、離してほしいのだけど」
「なにを?」
「手を」
「……そんなことより、魔法が成功して良かった! こんなに咲くとは思わなんだ」
「いや成功は嬉しいけど……驚いたのは私も同じだけど……離してほし、」
「というかこの後のことを考えていなかった! ソフィアのご両親に叱られるだろうな、これは。庭を散々にしてしまった」
手は気になるがそれよりも気になる単語が聞こえてきた。
満開の花畑を眼下に、頭を抱える。
「……どうしよう、絶対にやり過ぎたわ」
「俺が全面的に悪いから、取り敢えず全身全霊で謝り倒してからどうにかしよう」
「子爵子息のプライドは何処」
「その前に人として謝るべきだろう?」
「それはご立派。けれどね、その前に思い付いて止める方がいいのよね」
「……好奇心には勝てないだろ」
「……私はなにも言えない」
花を咲かせるだけだ、と思っていたが庭師にとってこれはかなりの脅威だったのではないだろうか。
とはいえ後悔しても遅い。
「……っ、決めた! この花たちを今から魔法で枯らす!」
「……ソフィア。やっておいてなんだが俺はそういう魔法を知らないぞ?」
ベンジャミンの瞳は不安そうに揺れている。
当然だ、できないものはできないのだから。
「ベンジャミン、この手、絶対に離さないでいてくれる?」
「約束しよう」
「ありがとう。……今から魔法を使う。上手くいくかはわからないけど、いいかしら?」
「……ソフィアが……そうか、わかった。俺が隣にいる、安心して使ってくれ」
信頼の目を向けられたのは、いつぶりだったか。私はとても嬉しくなった。
だからこそ、成功させなくてはならない。
「【花や花よ、誇り在れ】」
記憶の奥から引っ張ってきた、魔法の作り方をなぞりながら音を紡ぐ。
魔法陣が光を伴って展開される。
「【されど咲けば終焉を知る】」
回転する魔法陣は私とベンジャミンの頭上で輝く。
震えそうになる声を真っ直ぐに伸ばして。
「【さあ、花閉じよ】」
成功して、お願いだから。
そう願いを込めて詠唱する。
「【その名を逆さに】……!」
魔法の作り方はあっていた筈で、魔力も綺麗に流れた筈だ。
光に満ちた中、私の手には自然と力が篭っていた。ベンジャミンも。
「……成功だな」
美しかった花畑は姿を消し、元の庭に枯れた根が微かに残ってはいるものの元通りとなった。
私の魔法が成功したのだ。
「……うん、成功した。ありがとうね、ベンジャミン」
「なんだ、もっと感動するのかと思った。落ち着いているな」
「それはそうでしょう。魔法に感動するのはもう、貴方が先に魅せてくれたもの」
安心と綯い交ぜになった感情がせり上がってきて、視界の端が滲む。
「……ソフィア」
「ベンジャミン、ありがとう。私——わたしっ、魔法使えたのね……!」
零れる雫を彼の目に映したくなくて、顔を手で覆う。
どうしてか、涙が止まらない。
でも、嬉しかった。
こんな私でもまた魔法を使うことができた。
大好きな魔法が、また、手の中に在る。
「……ソフィア、おめでとう! これで漸く君を魔法の特訓に付き合わせられるな」
「……っ……ばか」
「ははは! 冗談だ、冗談! ……めでたい気持ちは本当だけどな」
「ああそう……まぁ、いつでも付き合ってあげるわよ。——私の騎士様」
かつての私が彼をそう呼んでいたことを、ふと、思い出す。
いくつから蓋をしていた記憶なのか、わからないけれど。
「俺のお姫様は寛大だな! 頼りにしよう」
「……だれがあんたのお姫様よ」
私がそう返すと、ベンジャミンはまた破顔した。
「これは手強い」、と。
《命が燃え尽きるまで》
後はないと、わかっている。
「であれば、私の成すべきことはひとつだ」
この戦いは既に勝敗を期している。
私たちは、負けてしまった側なのだ。弱者と淘汰され敗者として死に行く側。
それでも希望を繋げることはできる。
殿下さえこの戦線から逃れることができれば、また幾らでも立ち上がることができる。
「この命が燃え尽きるまで、貴方様の剣となることをここに誓いましょう」
さあ、騎士たれ。
死を最大の華として、主がために死力を尽くして逝けることを誉れとしろ。
「……掛かってくるがいい! 私が生きている限り、誰も通しはせん!」
まだ、剣を握れる。
まだ、頭も働く。
まだ、足も手も動く。
まだ、私の心は折れていない。
今、斃れる理由が此処には存在していないのだから。
だからどうか、殿下。
「貴方様を守り抜く誉れを、頂戴します」
人殺しとなった私を、よく務めたと、褒めて下さい。
そう願うのは、騎士として恥ずべきことでしょうか。
その答えをお聞かせ願いたい。
この剣を振り切った後に。