《また明日》
それは何気ない言葉のようで。 さよなら。
僕には祈りの言葉であった。 謝るからさ。
明日を信じられない世界。 己が為に告ぐ。
反して明日を願う言葉。 互いを殺すよう。
届かぬ想いも知って。 されど毒を喰らう。
されど祈り続ける。 言葉は届くばかりで。
互いの為でなく。 反して諦めに近い言葉。
己が為に祈る。 明日の消失に怯える世界。
神様どうか。 私には別れの言葉であった。
また明日。 それは何気ない言葉のようで。
《真夜中》
誰かが、見ている。
そんな感覚がして振り返るが、そもそも一人暮らしのマンションに自分以外の視線など存在しない。
それを不気味に思ったが、まあ、仕事で疲れてそんな幻覚を抱いてしまったのだろう。
そう納得して、またパソコンに向き直る。
けれど、今度は間違いなく視線を感じた。
カーテン越しにベランダを睨むが、風に揺れてもいない。
だというのに、ここまで視線を感じるものなのか。
もう寝てしまおうか、なんて考えも過ぎるが、明日までに完成させなければならない資料が残っている。それではいけない。
かと言って、不安を感じながら仕事をするのも、如何なものか。
思考は現実逃避に過ぎず、視線もそれと同じものだろうと予想はつくが、やめられない。
そう思えていたのは、午前零時を過ぎた頃。
それから二時間、終わらない仕事を恨むうちに感じていた視線のことなど頭から抜け落ちていた。
そうして、仕事に区切りがついた時、また視線を感じたのだ。
なぜ忘れていたのか、いや、なぜ今また感じるようになったのか。
けれどそんなことはどうでもいいとばかりに、パソコンを閉じてソファに倒れ込む。
もう寝てしまおう。
そう思って目を瞑るが、視線を感じて眠れない。
たが、眠らなければ明日の仕事に耐えられない。
早く寝なければ。
資料は完成したのだから。
早く寝なければ。
気が付くと、朝になっていた。
殆ど気絶するように寝入ったのだろうか。
時間をみると、いつも通りの五時半だ。
そこから支度をして、家を出る。
またいつも通りの日々が始まった。
ベランダについた手形のような泥に気がつくのは、それから三日後のことだった。
六階のベランダについた、赤黒い泥に。
《愛があれば何でもできる?》
愚問だね、できる訳がない。
あぁ、勘違いしないでほしいから先に言うけど、基本的にはできるんだよ。
大体のことはね。
それこそ、一緒に遊びたいとかから誰かを殺してほしいとかまで。
ただ俺ができないのは、君が無理してるのに強行して何かを成すこと。
後は、君が死んだ世界で生かされること。
それくらいかな。
ああ、俺の前以外で、俺以外の手によって死ぬことも許さないけど。
進んでやりたくないことはもしかしたらあるのかもしれない。
けど実際、他のことはやれと言われたら……いや、やってほしいってお願いされたらやるね。
俺達は世界で二人きりの兄弟なんだから。
俺達には互いしかないんだから、な。
デーヴ。
俺は、君のためならたくさんのことができるよ。
愛があるから。
最愛の弟の為なんだから。
《後悔》
やらないより、やってから後悔した方がいい。
そんな巫山戯たことを言ったのは誰だったか、今ではもう、忘れてしまった。
「気が付かなければ良かった? いや、それを指摘しなければ良かった?」
やってしまったこと、過ぎた時間はどうすることも出来ない。
だから、後悔するくらいなら。
「……反抗しなければ良かったんだよな、なあ」
地面に伏したまま数十分間、一度も身動ぎすらしていない父に声を掛ける。
返事は無い。
「でも、まあ、」
力で支配を好む父は、それでも、父だった。
唯一の肉親で、育ててくれた人だったのだ。
「後悔なんて……しないと思ったんだよ」
殺してしまったからには、法的に罰は下るだろう。
けれど、精神的には、ある種何も響かない。
喪った。
そう感じる心に違和感を覚える時点で、何か、どこかで道を間違えていたんだろうから。
《子供のままで》《失われた時間》
旅の途中、マリアは不思議な少年に出会った。
どこか遠くを見つめるその瞳には、十二かそこらの見た目とは違って落ち着きのある。
「あなたってとても落ち着いてるのね」
「それは私が五世紀を生きてきたからだろうね」
少年のそれを冗談と受け取って、マリアは小さく笑う。
「あら、そうなの?」
「そうだよ、お嬢さん。随分昔に不老不死になってしまったから」
「お伽噺に出てきそうだわ」
少年も、マリアの信じていないだろう言葉を咎めたりしなかった。
「不老不死というのは、夢見るだけで十分な代物だけれど」
「そうかしら? 憧れちゃうわよ、やっぱり」
「よくよく考えてご覧なさい」
諭すように少年は言う。
「老いを感じる時間も、訪れる死を恐れる時間も私には訪れないのだよ。二度とね」
「それっていいことでしょう? 感じたくないものだから」
そうかな、と少年は首を傾げる。
「子供のままで在るが故に、失われた時間というのもあるのさ」
「……何それ」
よく分からない、とでも言いたげなマリアを置いて少年は歩き出す。
「いいかい、大人になることは悪いことではない。また、やがて死ぬというのも」
「……そんな訳、ないのに」
いつか分かるさ、と少年は言い残し去った。
両親を亡くしたマリアに、果たして、どこまで通じただろうかと思いながら。