望月

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3/5/2024, 7:00:29 AM

幾つさのお題混ぜててキメラ爆誕目指してるのかなって……恐ろしく筆も遅いし……僕なんですけど。

《欲望》&《たった一つの希望》
&《大好きな君に》

 それを情だと勘違いしていた頃が、酷く懐かしく思える。
 今にして思えば、元より枯渇を早めるだけの存在であり関係でしかなかったというのに。
 月明かりに晒された、異様に白い肌が視界を焦がす。
「何の真似だ。首の詰まった服以外は着るなという約束だった筈だが」
 興奮を抑えた声は、思いの外低かった。
「……約束破ったのはそっちだろ」
 はっとした。
 気付かれていたのか、と驚くが安堵もした。
 目の奥が熱くなる。
「そうだな、俺の方が早かったな」
 だからもう、いいよな。
 恐らく抵抗はないだろうとみて前に立ち、両手を拘束することもなく肩を押す。
「ふぅん。潔いいんだね」
「……っ、はぁ……はっ…………」
 緩慢な動作とは裏腹に、呼吸は急いていた。
 喉が、渇いた。
 ただほしい。
「いーけど、後悔しても知らないよ……」
  予想通り、寧ろ受け入れられる形で視線が合った。
 自分の影が落ちたその首に顔を近付ける。
 後のことなんてどうでもよかった。
 この渇きが満たされるのというのなら。
「…………ッ、ぁ」
 歯を立てて一瞬の抵抗の後に、黒く染まった紅が溢れ出す。それに舌が触れた瞬間、甘みが走った。
 狂おしい程甘美で、濃厚なそれ。
 渇望を満たすが為の、最高に美味しいと思えるものだ。
「あッ……やっぱり、慣れっ……ない、な……」
 何かを言っているが、どうでもいい。
 ただ、渇きを埋めたい。
 至高の甘みとやらに、支配されていた。


 約百年ぶりの味だ、無理もない。
 生まれたのは七百年程前だったように思う。
 それから、姉と慕う存在が獲物を分けてくれた。
 少しして力が付くと、赤子を狩るようになった。抵抗もされずに手に入るからだ。
 狩りの対象が赤子から子供へとなり、大人へと変わるまでに半世紀も掛からなかった。
 それから、百五十年は飽く程好きに生きた。
 食事ではなく快楽が為に狩ることもあったし、浴びる程飲んだこともあった。
 きっと、恐らく当時は恵まれていた。
 だが、今から五百年前に誤って同族の血を飲んでしまった。
 過度な甘さを誇るそれは、一口で吐き出してしまう程だった。
 本来であれば、狩る側の存在が狩られる側に堕ちることは屈辱だろう。
 だが、アレは少し頭が可笑しかった。
 喜んで迎えたのだ。
 それ故に、実際に歯を突き立てるまでは同族だと気付けなかったのだ。
 そしてそれ以降、多くは求めなくなった。体が拒絶するのだ、仕方がない。
 相手が枯れてしまっても、都度吐き出したからか十口しか飲めていないということが多くなった。
 赤ワインで気を紛らわせ、時に肉を食らって気休め程度に摂る。
 そんな日々を四百年続けた頃、最低最悪の夜を迎えたのである。

         *

 ここまで必死にがっつかれるとは思っていなかった。
 耳元で声がしている筈だが、それすら聞こえていないだろう。
「……い、たい……て……っ……」
 下手くそ、ブランクが長い。
 煽ったのはこちらだが、きっかけを作ったのは向こうだ。
「も……二度と……飲まないっ、て、言ってた……のにッ……」
 嘘吐き。
 心の中で続けた言葉は、今の思い出によるものではなかった。
 

 遠い誰かの、いや、自身の記憶。
 今から百年程前のこと。
 再会した当時、弱くなっていた理由を知りたかった。
 彼はお前の所為だ、としか言わなかった。
 一度そちら側に立った存在を同族として認められず、餌として殺す気でしかなかったのだ。
 だから敢えて利用した。
 次は——人間がいい、と願いながら。
 予想通り、抵抗もせず好きにさせていても餌としての役割以上を求めてこなかった。
 爪で掻くこともなく、悪戯に斬ることもない。ただ手や指で皮膚を、口でその下とを触れるだけだった。
 零れるのも気に留めず、首では飽き足らず、手、指、脚、腕……好きなように味わっていたのだろうか。
 いや、酷く飲めたものではない、とその瞳は物語っていたから、彼の矜恃の成せることであったのだろう。
 同族は餌としてはならない。
 それが我々には本能的に備わっている。
 なぜなら、元々甘いからだ。
 甘ければ甘い程求める存在である我々にとって、同族が餌となるのは面白味がない。
 我々の存在自体が高貴なのであって、そこに優劣も上下もないとしたのだ。
 対して人間のものは差程甘くない。だが、そこに感情が加わることによって甘味を増すのだ。
 その増した甘みの方が蕩けるようで、我々を特に魅了するのだった。
 けれど、興味が湧いた。
 どんな感覚がするのだろうか、と。
 食事中に餌は快感を覚えるらしく、それが首だから覚えるのかと気になったのだ。
 果たして、首からの行為は酷く快楽に満たされた。後に聞いたことだが、首は性感帯の一つされている。それが理由なのだろうか。
 たった一度、一口でそう感じたのだ。
 果てるまでそれを繰り返された時、どうなるのだろう。
 そう思って四百年経ち、再び会うことができた。
 体の至る所から歯を立てられたが、それらも脳に無理やり快楽を捩じ込まれたかのように感じられた。
 ああ、そうか。
 これが餌の終わりで、快楽の中で死ねるということなのだろう。
 けれど、満足したわけではなかった。
 彼も同じ気持ちに堕としたい。
 そう願ったからか、運命の悪戯か。
 想いは叶うのだと知った。
 意識が戻っても、人間として生きることは不快ではなかった。
 寧ろ目新しいことだらけで、永い時を過ごしたが退屈の多かった頃を思えば楽しかった。
 一番の理由は、偶々彼と出会えたことだろう。
 それも定められていたのかも知れないが、物心つく前から傍に居てくれた。
 それで、終わりは定まったのだ。


「これで、漸く——」

 吸血鬼の恍惚とした目で血を啜る様を見て、吸血鬼であった少年は笑った。

「大好きだからね、ずーっと」

2/28/2024, 9:44:54 AM

《現実逃避》

 帝都の中央に据えられた、帝国公認機関。
 帝国中で義務と定められている、第一試験なる霊力を計る試験で合格した者のみが、所属の権利を与えられる。
 そして、その中でも所属を希望する者が第二試験を受けることができる。
 それに合格すれば組織に所属することができるのだが、合格率は三割程度と、低かった。
 第一試験の合格率八割に対して、あまりにも低いのではないか。
 そう唱えた者が過去に多くいたそうだが、それは組織によって取り下げられた。
 理由は単純、組織の任務は命の危険と常に隣り合わせだからである。
 霊を祓うことの難しさや恐ろしさは、当事者ら——除霊師らしか知りえない。

 窓枠の中を桜が舞う。
 艶やかな黒髪を流し、ブーツの踵を鳴らして涼風は廊下を歩いていた。
 腰に履いた太刀に結んだ、紐を弄りながら。
「——涼風!!」
 名を呼ばれ振り返ると、同期の江藤が駆け寄ってきた。
 色素の薄い短髪に、同色の瞳。耳にピアスを複数付けているからか、不真面目そうに見える。だが、実際は同期想いで情に厚い男だ。
「霊が怨霊化してたって聞いたけど……大丈夫だったのか!?」
「まぁ、なんとかな。ギリギリだったけど」
 霊は命日から四十九日を過ぎると現世の感情やら念やらによって魂が穢され怨霊化する。
 本来の霊であれば数日で自然に成仏する為なんら問題はないのだが、時折霊力が高かったり未練の強い者は長く現世に留まる。
 そういった現世に長く留まった霊が怨霊と化す前に祓うのが、除霊師の任務だ。
 今回の霊は捜索に時間が掛かってしまった所為か、対峙した時には怨霊に堕ちていた。
 怨霊と化した霊は、本能的に人を襲う。
「政治家の奥さんだったっけ。浮気されて自殺したって聞いたから、怨念が強かったろ」
「まぁ……ツネちゃんに手伝ってもらったから」
 ツネちゃんというのは、本名はなんだったか、涼風に憑いている狐のことである。狐だから、ツネ、だ。
 名もない神様と認識されたツネちゃんは、どこかの土地神だろうと皆納得した。
 涼風の霊力が高い所為か、変なモノに懐かれやすいからである。
「そのツネちゃんは今どこにいるんだ? いつもなら肩の上にいるのに」
「力使って疲れたから、お昼寝中だよ」
 きっと今頃、部屋で丸くなっている筈だ。
 涼風にしか聞こえていないらしい声で、寝言でも言っているのだろうか。
「なら、お前も疲れたから丸一日寝込んでたのか?」
「はは……心配かけてごめんって」
 任務遂行が第一だが、怪我が酷かったようで丸一日回復に費やしてしまった。
「心配させられたお詫びに、この江藤様に奢ってくれてもいいんだぞ?」
「誰が奢るかよ。寧ろ頑張った俺を労ってくれよ江藤〜」
「わかったって。これから時間あるか?」
「悪い、報告に呼ばれてるんだ」
「そっか。じゃあまた今度飯行こうぜ!」
「おう、報告行ってくるわ。じゃあな、江藤」
 涼風はこういう、江藤との気の置けないやり取りが好きだった。
 親友と別れて歩き、廊下の突き当たりにある上司の部屋に着く。
「涼風です。報告に上がりました」
「入れ」
 報告は正確かつ端的に。
 上司の方針に従って涼風は報告をする。
「対象は怨霊化し、鎮静を図りましたが抵抗が激しく、討伐に至りました。死者は出ませんでしたが、依頼者が負傷。命に別状はありませんが、念の為帝都の病院に入院しています」
「そうか、良く帰還したな。精進せよ。……次の任務はこれだ」
「はい。失礼します」
 上司と対峙しているのは息が詰まる。
 早々に退室した涼風は、新たな資料を手に自室へ戻る。
「あっ、先輩! 起きてたんですか!?」
「ハナちゃんじゃん。久しぶり」
 廊下の途中でふわりと桃色の髪を揺らし駆け寄って来たのは、後輩のハナちゃんだ。
「ハナちゃんじゃなくて、花崗ですっ! あんなに怪我してたのに、五体満足復活……!?」
「ツネちゃんが手伝ってくれたんだよ。心配してくれてありがと」
 ハナちゃんの突っ込みはいつも通り無視して、その頭を撫でる。
「あの土地神、中々やりますね……っておかしいですよ! 絶対死んでる傷の深さだったのに」
「そんなに俺に死んで欲しかったの?」
「そんな訳ないんですけど!」
 素直な後輩を揶揄うのはよせ、といつもならツネちゃんが諌めるところだが、今日はいないのだ。自重するべきか。
「というか、俺の怪我ってそんなに酷かったんだ」
「そうですよ!」
 手を下ろして問うと、食い気味に詰められた。
 ハナちゃんは救護班で、口振りからするに涼風の手当を担当してくれたのだろう。
 思い出したのか、呆れたように続ける。
「先輩の傷酷過ぎましたよ? 右目は潰れてましたし、左腕は肘から下が欠損。腹が半分抉られて、左脚は腿から下が切り刻まれてました。それに、背中に怨気のこもった矢を六本受けた上に、全身の小さな傷も馬鹿にならない数で……」
 怨気、というのは怨霊の攻撃に付随する力で、直人が受ければ魂を穢される。
 魂が穢された者の多くは、殺人衝動に襲われたり常軌を逸した言動を取るようになる。
 除霊師にはそういったモノに対する抵抗がある程度備わっているが、傷口から直接体内に侵入して来た怨気は強力だ。
 正気を保っていられる涼風の方が、この場合は不思議だろう。
「手当しても傷が多過ぎて……一体何をしたらああなるんですか!」
「怨霊化したのを除霊したらああなったんだって」
「うぅ〜……もっと自分を大切にして下さいよ!!」
「わかってはいるんだけどなぁ……ま、気を付けるよ」
 ハナちゃんが強く言えないのは、涼風の任務内容が過酷なものだと知っているからだ。
 今回の任務も涼風一人に任されたのだが、その時点で人手不足と最前線の厳しさが伺える。
 本来霊の捜索から始まる依頼というのは、最低でも二、三人で行うもの。
 それを一人で行うのは大きな負担だ。
 また、怨霊を発見した涼風が応援を呼んだが、すぐに駆け付けなかったということも聞いているのだろう。
 それだけ人手が足りていないのに、依頼は幾らでもあるのだ。多少は無理をするのもやむを得ないが、涼風は余りにも危機感が足りなかった。
 それを常々思うハナちゃんは、口酸っぱく注意喚起をするのだ。
「いいですか! 今度無茶しても知りませんよ? 治してあげませんからね!![#「!!」は縦中横]」
「そんなこと言わないでくれよ〜! ハナちゃん以上に腕の立つ救護班の人なんていないんだからさぁ、また今度も頼ませてくれよ」
 ハナちゃんは創立屈指の実力者で、最前線に立つ能力はなかったものの救護班のエースとして活躍している。
 人体構造の理解と、回復を促進する術式の構築が得意なのだ、と本人から聞いたことがあった。
「……まあ、仕事で振り分けられたら回復してあげますけど。怪我減らして下さいよ?」
「善処しまぁす! ……んじゃ、そろそろツネちゃんが起きるだろうから戻るわ。ハナちゃんまたな、ありがとう」
「はい! 任務お疲れ様でした」
 先程受け取ったばかりの資料を持ち直し、自室へと向かう。
 扉を開け中に入ると、見慣れた執務室である。
 当然だ、涼風の執務室なのだから。
「——……ツネちゃん?」
 その声に、伏せていた顔を上げ、胸に飛び込む。
 涼風だ。
「ツネちゃん、おはよう」
『涼風っ、おはよう! 涼風!』
「どしたの? 今日は熱烈だなぁ」
 椅子に座った涼風の膝の上で丸くなると、手に頭を擦りつけてくる。
「なんだ、撫でてほしいのか〜? よしよし、起きて独りでびっくりしたんだろ。ごめんなぁ」
『涼風が居てくれるなら、何でもいい! 涼風っ、どこにも行かないで』
「あぁ…………うん、そうだな」
 涼風は小狐の背をを撫でながら、資料を手に取った。
「……ありゃ、これ、期限明日までじゃね?」
『うん! 今から任務行こっ』
「忙しいのなんのって! ツネちゃん、手伝ってくれな」
 ご機嫌な狐を肩に乗せて、涼風は任務へと向かった。
 
 涼風の主な得物は剣だ。
 斬る為には接近する必要がある為、ツネちゃんが術式で結界を展開してくれていなければ、今頃多くの傷を負っていたことだろう。
 どれほど場が緊迫していても、ツネちゃんが焦ることはない。土地神と言えども神様だからだろうか。
「涼風! 後ろっ」
「——これで最後だッ!」
 仲間の声も聞きながら、涼風は剣を振るった。
 これで今回は依頼完了である。
「お疲れ様、ツネちゃん」
『涼風、帰ろう』
 涼風は嬉しそうに笑って、仲間の元へ向かった。
 
 毎日、依頼が幾らでも積まれていく。
 その多さに辟易しながら、ツネちゃんは資料を摘んだ。
「ツネちゃん、疲れたの?」
『うーん……』
「そっか。なら、もう、止める?」
『止めない』
「なら、ちゃんと責任取ってくれよ〜」
『……取る』
 似たような会話を日々重ねた上でのこの会話だ、涼風も苦笑い気味である。
「俺がぶっ倒れた日からもうすぐ三十日経つか……」
『涼風、涼風』
「そろそろ重要な仕事、行くっきゃないな?」
『涼風——』
 ツネちゃんは嫌な胸騒ぎがした。
 
 涼風がまた無茶をした。
 その報せを聞いた花崗は、軽負傷者の治療を他の人に渡して、重負傷者の運ばれた部屋へと走った。
 幸い涼風の他には大きな怪我はなかったようで、扉を開けてすぐの寝台に寝かされていた。
 花崗は努めて冷静に診察を始めた。
「先輩また怪我して……あれっ? 傷が、ない……?」
 大きく服は裂かれているものの、血が付いているだけで傷口がない。また、怨気も残されていなかった。
 それを認めて、花崗は部屋を飛び出した。
「江藤先輩ー! どこにいるんですか、江藤先輩!?」
「おー、どした、花崗」
 江藤も涼風の話を聞いたのか、こちらに向かって来ている途中だったようだ。
「聞いて下さいよ! 涼風先輩に傷がなくって……!」
「おー……おー? それはいいことなんじゃないのか」
「よくないですよ! 救護班でもない先輩が、傷をどうやったらすぐ消せるんですか」
「あれだろ、今回は最初から怨霊を祓いに行ってるから……形代を使ったんじゃないか?」
 形代とは、除霊師の使う術式の一つだ。
 予め人型の紙に術式を書き込んでおき持っていれば、霊力を大きく消費するが好きな時に発動できる。
 発動していれば、次に来る怨霊の攻撃を形代の紙に肩代わりさせられるのだ。
 例えば、避けられない攻撃が来た時に、その一撃を浴びる前に形代を発動していればその傷は紙に移される。つまり、無傷で済むのだった。
「最初は僕もそうかと思ったんですけど、致命傷に成りうる大きな切り口が五つ在ったんです。血も付着していました」
「血は他の奴のかも知れんが……形代発動に、めっちゃ霊力喰った筈なんだけど」
「そうですよ。三十日程前に先輩に聞いた時は、一日で三枚発動するのが限界だって言ってました。それもツネちゃんの力を借りた上で、だそうです」
「なら無傷は可笑しいよな……他の奴に追加で複数掛けてもらう程、自分が生き残ろうとは思ってない奴だしな。あいつは自分の実力を過信してるし」
「そうなんですよ……なんか、変ですね。何かを見落としている様な気がしてならないんですけど」
「本人に聞くのが早いだろうが、難しいよなぁ……。まあ、取り敢えず様子見に行こうぜ」
「あ、はい! 多分まだ寝てると思いますけど……」
 江藤と花崗は涼風の元に向かった。
「あ?」
「えっ?」
 だがそこには既に涼風の姿はなく、小さな紙が置かれていた。『傷はツネちゃんに治してもらったから、また今度よろしく〜』と書かれた筆跡は、涼風のものだ。
「勝手に出て行くなんて許せません! けど、他の負傷者もいますので僕は一旦これで失礼します!!」
「お、おう……」
 怒り心頭の後輩に、江藤は気圧されながら返す。
「……にしても、ツネちゃんって何者だよ」
 その呟きまでを拾って、狐は立ち去った。
 終わりを、悟って。
 
 あれから二十日後。
 任務を四つ片付けた後、夕闇の中涼風は神社に来ていた。
 過去に一度だけ、涼風が訪れたことのある神社だ。
「……ツネちゃん」
『涼風、先に行ってて』
 涼風は足を止め——闇に消えた。
 鳥居の下に続く石段を登って、彼は辿り着く。
 百の鳥居を潜った先にあるのは、社だ。
 帝国で最も広く知られている神が祀られている社。
 常磐神社だ。
「——涼風」
 その声に振り返ると、石段を上がってくる人影があった。
「ツネちゃん……!」
 ツネちゃんは、小狐の姿を取っていただけである。
 本来の姿は、こうして、人に近いものであった。
 白髪を揺らして、無垢な瞳で涼風の姿を認めた。
「涼風、遅くなってすまない」
 狐の姿をしていた時は制限されるらしい、神本来の意識が、今のツネちゃんにはある。
 その為、幼さも抜け、威厳のある神になるらしい。
「遅いけど……まあ、まだ間に合うからいいよ」
「そうか。ならば、疾く終わらせよう」
 目を伏せたツネちゃんを、涼風は抱き締める。
「嫌なことさせてごめんな。でも、もうそろそろ俺が意識を保ってられないんだ。あと十分も持たないかな、多分」
 ——霊は命日から四十九日を魂が穢され怨霊化する。
 涼風は、あの日。
 とうに死んでいたのだった。
 それを受け入れられなかった神は、騙ることを決めた。
 涼風と、伊達に四年間過ごしていないのだ。
 癖も何もかもを把握していた神だからこそ、できた芸当と言えよう。
「ツネちゃん、時間がない。もういいよ、俺は十分過ぎる程幸せだった」
「涼風」
 涼風なら、どうするのか。
 その答えをわかっている神だからこそ、苦しんでいた。
 涼風の愛刀を、抜く。
「ツネちゃん。俺、できるだけ消えないようにするから。忘れないで」
「忘れるものか」
 陽の落ちる瞬間、神は剣を下ろす。
 
「先に行って待ってるから、疲れたら俺のとこ遊びに来てね。ありがとう——常盤様」
 
 最期に、やっと名前を呼んでくれた彼を想って。
「——涼風、颯」
 消えた涼風の証を探すように、常磐は、神しか知らない名前を口にする。
「なぁ、教えてくれ。我に何故守れなかったのだ」
 帝国の守り神であり、現世と常世を統べる神は。
「颯」
 常磐様は、それでも消える訳には行かないのだ。
「颯」
 仮令、大切な者を守れなくとも。
 

2/27/2024, 9:41:03 AM

《君は今》

 その目に誰を映しているのか。
 俺には関係の無いことだけれど、そう思ってしまった。
「なぁ、なんで泣くんだよ」
 頼むから涙を見せないでくれ、と願う理由もわからない。
 幸せだったんじゃないのか。
 幸せだと君が言ったから俺は納得したのに。
 だから、頼むから泣くな。
「やっぱアイツのせいなんだろ」
 君は決して俺の言葉に頷かない。
 ただ、あたしが悪いんだとだけ言ってまた顔を伏せるのだ。
 なにがあったのかも、なにを感じているのかも答えてはくれない。
 それでも、1人にだけはするものか、と俺は隣で座り込んだ。
 とはいえ、俺如きが君の傍に居てもなんの役にも立たないことは知っている。
「なぁ、お願いだ。教えてくれよ」
 だからせめて、これだけは知りたい。
「君は今、誰を見て、なにを想ってるんだ」
 目の見えない俺にとっては、君の話す言葉でしか全てを知りえないんだから。
 どうか。
 どうか。
 君が笑っていてくれますように。
 その為の手伝いくらいは、俺にさせてくれますように。
 神様、お願いだ。

2/22/2024, 8:30:07 AM

《0からの》

 偉大なる魔法使いはこう言った。

「人類は発展を続けてきた」
 
 偉大なる学者はこう言った。

「けれど発展とは1があるから成るものだ」

 偉大なる王はこう言った。

「0からの発展とは存在しない」

 偉大なる戦士はこう言った。

「なれば、初まりの1を生み出すものは何か」

 偉大なる魔術師はこう言った。

「それは世界を構成する想いの成れの果てである」

 偉大なる天使はこう言った。

「そこに在ってけれど目に映らぬもの」

 偉大なる悪魔はこう言った。

「時に法則性を人が身勝手に定めるもの」

 偉大なる神はこう言った。

「0からの初まりとは、我らの与えし試練である」

 愚かな者はこう言った。

「不条理な環境を良く見せる為の詭弁だ」

 ……そうして世界は改竄を経て、巡ると言う。
 

2/21/2024, 9:59:18 AM

《枯葉》&《同情》


 かつて、枯葉、と呼ばれた探偵がいた。

           *

 街の外れにある、殆ど廃屋と言っていいだろう和風な屋敷の前に月彦はいた。
「ここであってるのか……?」
 噂に聞いた住所はここだが、まるで人の気配がしない。
 恐る恐る戸を叩こうと手を伸ばしたとき、肩を叩かれた。
 月彦は弾かれたように振り返る。
「やぁ、僕になにか用ですかい」
 そこには、乾いた瞳でこちらを見つめる男がいた。
 着物を着崩し無造作に伸ばされた髪には潤いがない。だが、不自然に不潔さは感じられない男だった。
 口振りからするに、この屋敷の主だろうか。
「貴方が『枯葉』さんですか?」
「渾名にさん付けたァ可笑しなことをするもんで」
 そう言って男は——枯葉は笑って答えた。

 取り敢えず中で茶でも飲みながら、と月彦が案内されたのは屋敷の応接間だった。
 外見に反し中は綺麗で、庭の荒れようには目を覆うほどだったことが寧ろ異質だ。
 彼の他には誰もいないのか、枯葉は月彦に座って待つように言うと部屋を出て、茶を片手に戻って来た。
「で、なにか用かな」
「いきなり押しかけてすみません。枯葉さんのお力を貸して頂けませんか」
「もうさん付けでいいけどねェ、まずは名乗るのが通りってもんだろう、月彦君や」
「……!! どうして、私の名前を」
 当然、枯葉とは初対面の筈である。
「なァに細かいことは置いておいて、本題に入ろうじゃないか」
「あ、ええっと、はい。……枯葉さんにお願いがありまして、」
「君の主たる、西園寺優華についてだね。どんな依頼か話してご覧?」
 どこまでもわかっているのだろうか、枯葉という男は。
 驚愕に目を見開く月彦に、彼は簡単な種明かしをする。
「西園寺家の所有する呉服屋の服なんざ、あの家の使用人でもなけりゃおいそれと着れんよ。護衛もないし、所作から見ても立場のある人って訳でもなさそうだからなァ」
 ならば何故名前までわかったのか、と聞きたい気持ちもあるが、それどころではない。
「実は、十日後のお嬢様の誕生日にパーティが開かれるのですが、そこでお嬢様の命を狙われると……今朝手紙が来たんです」
「わざわざ犯行予告を送ったのか、悠長なことだね。抵抗してほしいのか、或いは」
 ふぅーむ、と口に手を当てて考え込む枯葉に、月彦は続ける。
「誰が送ったのかはわからず、手紙の文字も活版印刷されたものでしたから……。そこで、犯人を見つけ付け出してくれませんか」
「報酬を弾んでくれるのなら……と言いたいところだが、特別に通常料金で受けますよ」
「本当ですか!! ありがとうございます!」
 月彦は漸く不安な表情を和らげて、立ち上がってお辞儀をした。
 使用人という職業柄からか、全くもって綺麗なものである。
「ほら顔上げて、今から西園寺邸に案内してもらえますかねェ」
「も、もちろんです!」
 慌てて顔を上げた月彦は、枯葉を連れて西園寺邸へ戻った。

 西園寺邸、使用人部屋にて。
「言われた通り使用人を集めましたが……なにをするんですか?」
「まァ見てなさいな、月彦君、焦らずに」
 使用人達も月彦が知らないことは知らないのだ、不思議そうな顔をしている。
「お集まり頂いたのは他でもない、優華お嬢様についてですよ」
 枯葉のそれを聞いても、反応は薄かった。
 つまり、使用人達には犯行予告は知らされていないのだろう。
 今更だが秘された事実の発覚に焦ったのか月彦に腕を引かれ、枯葉は面倒そうに払う。
「優華お嬢様の——お話を聞かせて貰えますかねェ? 例えば、最近あった可愛らしい話とか、自慢出来るところとか」
 月彦の予想していた言葉とは違ったようで、横で安堵の息を吐く。
 そんな彼を置いて枯葉は使用人達の話に耳を傾けた。
 意気揚々と主の素晴らしさについて語り始めたのは、ご婦人達だ。
「お嬢様は大変可愛らしいお方ですよ、ええ」
「この間も、お酒を一口飲まれただけでお顔が真っ赤になって……」
「庭に綺麗に薔薇が咲いていたからと、そこで昼食を取られたりしていましたし」
「新しいお洋服を旦那様が贈られた時は、それを来て外出されて!」
「あたくし達使用人にも良くして下さいますからね」
 最早、言い出したら止まらない。
 枯葉の「ヘェ」「ほォ」「はァ」という適当な相打ちも、聞こえていないのだろうか。
 結局代わる代わる話を聞いて、昼過ぎから日が暮れるまで聞き尽くす羽目になった。
 枯葉に付き合って聞き続けた月彦の真面目さには、尊敬まである。
「……すみません、話長くって」
「いや、十分。一回で済んだのは僥倖だからなァ。お疲れ様、月彦君」
「本当にすみません、お疲れ様です」
 このままではどこまでも謝り続ける気がした枯葉は、早々に西園寺邸を後にした。

           *

 三日空いて、また枯葉は西園寺邸を訪れた。
 月彦の案内で邸内を進むと、声を掛けられる。
 話を聞きに来たのかとご婦人達に囲まれたが、今日はそれが理由ではなかった。
「お嬢様の誕生日が近いと聞いて。当日にお邪魔する資格はありませんがねェ、知ってしまったもんはなにか贈り物をと思いまして」
 婚約者候補の五家の者のみが集められるパーティというから、枯葉はそこにいることが出来ない。
 手にした花束は、優華の好みに合わせたのか薔薇が主役の花束だった。
「まぁ、そうだったのですね!」
「お嬢様もきっと、喜ばれることでしょう」
 嬉しそうに語る月彦に連れられて、枯葉は優華の部屋の前まで来た。
 護衛対象の本人に一度合わせてほしい、そう頼んだのである。
「お嬢様、客人をお連れしました」
「ええ、いいわよ。入って頂戴」
 先に打診していたのが良かったのか、すんなりと通してくれた。
 枯葉が一言断って入ると、中は白を基調とした空間だった。
 矢張り薔薇が好きなのだろう、所々に赤が彩っている。壁紙やカーテンには、白で薔薇の模様が描かれていてお洒落なものだ。
 部屋の奥には大きな天蓋付きのベッドが置かれており、その裕福さが伺える。
 中央に置かれたテーブルの右側にあるソファに彼女はいた。
「お初にお目に掛かります、西園寺優華様」
「……初めまして。どうぞ掛けて下さい」
 勧められるまま枯葉は優華の対面に座り、月彦の淹れてくれた紅茶を飲んだ。
「月彦君って紅茶淹れるの慣れてるね」
「……ええまぁ、それが役割ですから」
「そうかい、不思議なもんだねェ」
 その言葉が不思議なのだろう、月彦は首を傾げる。
「普通紅茶は客人に出すときもそうだが、主に注ぐ回数の方が多いだろう? 見たところご婦人方が得意そうでねェ、月彦君がお嬢様に紅茶を淹れてるのが不思議で」
「……お嬢様が、練習として私に紅茶を淹れさせて下さるんです。あの人達は……今更練習するまでもなく、慣れてますから」
 主人の目を気にしながらそう答えた月彦は、はは、と少し笑った。
 そこで漸く枯葉は優華の方を向く。
「さて、お嬢様。贈り物として薔薇の花束を持って来たのですが、お気に召されますかな」
「……薔薇は好きです。ありがたく飾らせてもらいますわ。けれど、わたしを無視して先に月彦と話すというのは如何なものでしょうね」
「そりゃ失敬。……お嬢様とお呼びしても?」
「好きに呼んでもらって構いませんわ」
 本気で怒っている訳ではないらしく、寧ろ枯葉のその反応を楽しんでいるようだ。
「ではそんなお嬢様に伺いたいことがありまして、パーティについてなんですが」
「丁度一週間後に開かれる、わたしの誕生日パーティですね。犯行予告については知っています。わたしを殺してお父様の代で西園寺を潰すつもりでしょうね」
 西園寺は、血筋を重んじる。
 それだけの歴史があったのだ、今更養子をとって当主の座に据えることはないだろう。
「ええ、同じ見立てですんで間違いないかと。護衛は付けられるんです?」
「はい。けれど客人を招いている以上、主役であるわたしが不安を見せるつもりはないです。護衛はお父様が選ぶと聞いているから、心配いらないでしょうし」
「一人ですか?」
「そうです。多くては不安を煽るだけですから」
「そりゃァ確かにそうですねェ」
 何が楽しいのか、枯葉はそう笑うと席を立った。
「もう行かれるのですか?」
 思わず、といった風に月彦が呼び止めるが、枯葉はそのまま優華の部屋を出ていく。
「これで十分です、お嬢様。ご協力感謝致します」
 最後にお辞儀をすると、枯葉は去ってしまった。
 月彦は唖然とするが、彼らしいのかも知れない。
「あの人、あれでも頼れるんですよ! ……多分」
「月彦、それは頼れる人とは呼べないわ」
 残された主従には、不信感しか抱けなかった。

           *

 そしてあれやこれやと準備をする内に、その日はやって来た。

 緊張する月彦を嘲笑うかのように、パーティは滞りなく進んでいく。
 給仕をしながら月彦は展開される様を見ていた。
 優華の父であり現当主たる、源蔵の挨拶から始まり各方への挨拶。
 定型文と化したそれらが終わって漸く、主役の登場である。
 スーツ姿の護衛を一人連れて、優華が現れたのだ。
「……美しい」
 誰がそう言ったのか、わざわざ辿る必要もない。皆同じ感想を抱いていたからだ。
 身に纏うは真紅のドレスで、所々にあしらわれたフリルが大人びたそれに幼さを残す。結い上げられた艶のある黒髪を彩るのは、庭で育てられた薔薇の生花だ。
 立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。
 全身に薔薇を纏った彼女に贈る言葉として相応しいかはわからないが、月彦はその言葉以上に今の優華を示す言葉など知らなかった。
 一瞬にして場の空気を自分のものにした優華は、護衛の手からグラスを受け取る。
「お集まり頂きました皆様、本日はどうぞよろしくお願い致しますわ」
 受け取ったグラスを一口含んで、嚥下した途端——優華は倒れた。
 護衛がそれを危なげなく支える。ご丁寧に、グラスまでもワインを一滴も零すことなく、だ。
「なっ……お嬢様!?」
 慌てて彼女に駆け寄ろうとした月彦を制するように、護衛の声が響く。
「皆さん絶対に動きませんように!!」
 この状況で何を言っているのか、と月彦が表情を曇らせると、
「これから愉しい時間の始まりなんでねェ、邪魔してくれるなよ、月彦君」
 その言葉遣いにを、知っていた。
「枯葉さんだったんですか!? どうして護衛に、というかどうやって!!」
 どう見ても今の彼は、別人にしか見えない。
 濡れ羽色の髪を短く切って、着物からスーツに変えただけではこれほどまでの変化はない。
 先程声を出したとて気が付かなかったのだ、声も仕草も、まるで違っていた。
「探偵が変装の一つも出来ないようじゃァ、半人前も半人前よ」
 カラカラと笑う枯葉に、月彦は詰め寄る。
「どういうつもりですか、枯葉さん!! これでは、貴方に頼んだ意味がない!」
「まァ、そう怒らずに」
 月彦を適当に宥めたかと思うと、枯葉は大広間内に目を走らせた。
「皆さんこの場で少々お待ちを。お嬢様を寝かしてくるんでねェ。あぁ、生きてますからご心配なく」
 未だ何一つ飲み込めていない彼らを前にして、護衛の男は——枯葉はそう言った。


 いつもの容姿に戻った枯葉は、大広間で待つ彼らの元へ戻って来た。
 そのまま壁側に置かれた椅子に座る。
「枯葉さん、どうしてお嬢様が倒れてしまったのか説明して下さい!」
 混乱の中、月彦がそう切り出すと枯葉は笑った。
 手首に巻いていたらしい紅い紐を解き、無造作に髪を束ねる。
 乾いた瞳に、光が映り、輝く。
「——さァさァ、皆様お揃いで。今日の幕引きと行きましょうや」

           *

「この事件の始まりは、これより二ヶ月前のこと。旦那様が娘さんの誕生日に、婚約者を決めると宣言したことですよ」
 会場は静まり返り、使用人を含め二十人程度の呼吸が唯一の音だ。
 そこを枯葉の声が響く。
「そっから皆さん僕のところに来ましてねェ、やれ口説き落とすにはどうすればいいか、取り入るにはどうすればいいかと、色々相談やら依頼やらされました」
「……それは、別に悪いことではないだろう!?」
「好みを調べてくれと言っただけだ!」
「ええ、そうですよ。三家はね」
 初めの三人は過激ではなかったと、彼は言う。
「一際おっかないのは岡崎さんと倉下さんでさァ、お二人さんともお嬢様を殺しちまって外から喰っちまう依頼をしてきましたんで」
「なんだと!?」
 言葉の示すまま両家を見ると、顔が蒼醒めている。
「だから岡崎さんにゃァ、毒の入った瓶を渡しまして。倉下さんにゃァ、お嬢様の護衛を僕に替えてもらったんですわ」
「で、デタラメを言うな!!」
「そうだ、証拠もないのに我々を犯人と言うなど!」
 不敬だなんだと叫ぶ彼らに、枯葉は、
「いんやばっちり、わざわざ書面にした甲斐が有るってもんで。皆さんの分持って来てますよ」
 ほら、と見せた五枚の紙には、依頼内容と署名がされていた。
「それだけじゃない、あんたらから金を貰って西園寺に手紙を届けたって奴も見付けました。今頃ご婦人方の話し相手にでもなってるでしょうねェ」
 二日前に探し出し、使用人だと説明してご婦人達の前に置いて来たのだ。若い女だったから、恐らく良い話し相手だろう。
「という訳で先に、岡崎さんと倉下さんを捕らえることをお勧めしますよ旦那ァ」
 枯葉の言葉に従って、当主の命により西園寺の私兵が彼らを捕らえる。
「あー、連れて行くのはお待ちを。こっからも面白いんでさァ」
 枯葉は、ふと、彼らに背を向けたかと思うと扉を見据えた。
「そこにいるんでしょう、お嬢様」
「……よくわかったわね。『枯葉さん』?」
 枯葉以外が驚く中、優華は扉を開けて部屋へ入り父親の隣に立つ。
「渾名にさん付けたァ、三人目ともなると諦めが着くもんだ。そう警戒しなさんな、お嬢様。なにもしませんよ、今の僕は」
 それで警戒心の解ける人はいるのか、優華は枯葉に懐疑的な視線を向けた。
「何も聞かされないで、驚いたことでしょうなァ。僕が安全を保障してたんでご心配なく」
「私に何を飲ませたんですか!」
「そうだ、今毒の入った瓶を渡したって……」
 まさかの月彦の表情まで懐疑的である。
 余程信頼がないのか、と枯葉は呆れる。
「毒とは言っても、強めの酒を渡したんです。酒も多けりゃ毒なんで、嘘は言っちゃいねェ。まぁ、お嬢様はどうも一口で酔っちまいましたがね」
 話を聞いて酒に弱いのは知っていたが、あそこまでとは枯葉も思わなかった。
「とまァこんなものが真相です。これ以上新事実ってのはないんで客人も帰られて結構ですよ」
「……依頼内容をばらさないと言っただろう! こよ裏切り者め!」
「最初から犯人も犯行も知ってやしたがねェ、探偵として個人情報を明かすのは頂けない。だから口でばらしはしなかったんでさァ」
 探偵としての信念はあると、彼は言う。
「ただ偶然、最短時間で答えに辿り着いただけで。こりゃあ僕の所為でない」
 一人納得したようにそう言うと、枯葉は護衛に連れて行かれる彼らを見送った。
 金に目が眩んだ結果だ、自業自得である。
 それでも、少し。
 月彦は、彼らに同情してしまう部分もあった。
「……殺すなんて考えずに、お嬢様を愛せば、愛されれば良かったのに」
「そりゃァ無理だろうな、お坊ちゃんには」
 独り言を聞かれていたことを恥じる月彦だが、枯葉の言葉に疑問を持つ。
「利用価値の重みが今まで人を判断する基準だったんだ、仕方ないさ。それにあのお嬢様は風変わりときた、落とすのも容易じゃねェ」
 それに先んじて枯葉は言う。
「そうやって月彦君が同情できるのは、なにかを持っていない状況を知ってるからさ。失ったことではなく、得る前のことを」
 価値観の違いだと、枯葉は笑う。
「ただ、どんな相手であっても、『思う』ことは大切だからなァ……その心掛けは嫌いじゃない」
 そうか、と月彦は思う。
「思うことは、悪いとこではない、か……」

           *

「色々と思うところはありましたが、お嬢様を助けて下さってありがとうございました!」
「私からも、不本意ですが礼を言います。ありがとうございました」
 正直で、お辞儀の綺麗な主従に枯葉は笑みを零す。
「そうだ、月彦君や。もう依頼料は貰っといたよ」
「え? まだなにも」
「わたしの方から渡しておきました。主に黙って個人的に探偵を雇おうとするからよ、月彦」
「え、いや、あれは旦那様の計らいでっ」
「お父様はそんなに演技派ではないの。お母様の方が上手よ。だから枯葉さんの登場をすんなり受け入れられていなかったでしょう」
「あっ……」
「漸く気付いたのね? いいこと、わたしのことを考えてくれたのは嬉しかったわ。でも、貴方のお金がなくなるでしょ!」
「そんなことない……筈ですよ、多分、きっと」
「だからその言葉のどこを信じろって言うのよ!」
 どこまでも鈍感な、彼らの掛け合いはまだまだ続きそうだ。
 邪魔者は退散するか、と枯葉が背を向けると、
「あっ、枯葉さん! 聞きたいことが!」
「なんだい、月彦君や。これで最後だよ?」
 振り返って聞く。
「あの、どうして渾名が、枯葉、なんですか?」
 今聞くのか、と枯葉は思ったが、最後なのだから答えてやろうと思う。
「枯葉ってのは、木にぶら下がってりゃ邪魔になる。地面に落ちても邪魔になる」
 月彦らに背を向けた。
「けど、踏んだ音が気に入る奴もいる。柔らかい地面に助かる奴もいる」
 一歩歩き出した。
「ある奴にとっては邪魔者で、ある奴にとっては必要なのさ。それが僕の渾名の意味よ」
 彼はそのまま歩みを止めず去った。

            *

 かつて、枯葉、と呼ばれた探偵がいた。

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