望月

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《現実逃避》

 帝都の中央に据えられた、帝国公認機関。
 帝国中で義務と定められている、第一試験なる霊力を計る試験で合格した者のみが、所属の権利を与えられる。
 そして、その中でも所属を希望する者が第二試験を受けることができる。
 それに合格すれば組織に所属することができるのだが、合格率は三割程度と、低かった。
 第一試験の合格率八割に対して、あまりにも低いのではないか。
 そう唱えた者が過去に多くいたそうだが、それは組織によって取り下げられた。
 理由は単純、組織の任務は命の危険と常に隣り合わせだからである。
 霊を祓うことの難しさや恐ろしさは、当事者ら——除霊師らしか知りえない。

 窓枠の中を桜が舞う。
 艶やかな黒髪を流し、ブーツの踵を鳴らして涼風は廊下を歩いていた。
 腰に履いた太刀に結んだ、紐を弄りながら。
「——涼風!!」
 名を呼ばれ振り返ると、同期の江藤が駆け寄ってきた。
 色素の薄い短髪に、同色の瞳。耳にピアスを複数付けているからか、不真面目そうに見える。だが、実際は同期想いで情に厚い男だ。
「霊が怨霊化してたって聞いたけど……大丈夫だったのか!?」
「まぁ、なんとかな。ギリギリだったけど」
 霊は命日から四十九日を過ぎると現世の感情やら念やらによって魂が穢され怨霊化する。
 本来の霊であれば数日で自然に成仏する為なんら問題はないのだが、時折霊力が高かったり未練の強い者は長く現世に留まる。
 そういった現世に長く留まった霊が怨霊と化す前に祓うのが、除霊師の任務だ。
 今回の霊は捜索に時間が掛かってしまった所為か、対峙した時には怨霊に堕ちていた。
 怨霊と化した霊は、本能的に人を襲う。
「政治家の奥さんだったっけ。浮気されて自殺したって聞いたから、怨念が強かったろ」
「まぁ……ツネちゃんに手伝ってもらったから」
 ツネちゃんというのは、本名はなんだったか、涼風に憑いている狐のことである。狐だから、ツネ、だ。
 名もない神様と認識されたツネちゃんは、どこかの土地神だろうと皆納得した。
 涼風の霊力が高い所為か、変なモノに懐かれやすいからである。
「そのツネちゃんは今どこにいるんだ? いつもなら肩の上にいるのに」
「力使って疲れたから、お昼寝中だよ」
 きっと今頃、部屋で丸くなっている筈だ。
 涼風にしか聞こえていないらしい声で、寝言でも言っているのだろうか。
「なら、お前も疲れたから丸一日寝込んでたのか?」
「はは……心配かけてごめんって」
 任務遂行が第一だが、怪我が酷かったようで丸一日回復に費やしてしまった。
「心配させられたお詫びに、この江藤様に奢ってくれてもいいんだぞ?」
「誰が奢るかよ。寧ろ頑張った俺を労ってくれよ江藤〜」
「わかったって。これから時間あるか?」
「悪い、報告に呼ばれてるんだ」
「そっか。じゃあまた今度飯行こうぜ!」
「おう、報告行ってくるわ。じゃあな、江藤」
 涼風はこういう、江藤との気の置けないやり取りが好きだった。
 親友と別れて歩き、廊下の突き当たりにある上司の部屋に着く。
「涼風です。報告に上がりました」
「入れ」
 報告は正確かつ端的に。
 上司の方針に従って涼風は報告をする。
「対象は怨霊化し、鎮静を図りましたが抵抗が激しく、討伐に至りました。死者は出ませんでしたが、依頼者が負傷。命に別状はありませんが、念の為帝都の病院に入院しています」
「そうか、良く帰還したな。精進せよ。……次の任務はこれだ」
「はい。失礼します」
 上司と対峙しているのは息が詰まる。
 早々に退室した涼風は、新たな資料を手に自室へ戻る。
「あっ、先輩! 起きてたんですか!?」
「ハナちゃんじゃん。久しぶり」
 廊下の途中でふわりと桃色の髪を揺らし駆け寄って来たのは、後輩のハナちゃんだ。
「ハナちゃんじゃなくて、花崗ですっ! あんなに怪我してたのに、五体満足復活……!?」
「ツネちゃんが手伝ってくれたんだよ。心配してくれてありがと」
 ハナちゃんの突っ込みはいつも通り無視して、その頭を撫でる。
「あの土地神、中々やりますね……っておかしいですよ! 絶対死んでる傷の深さだったのに」
「そんなに俺に死んで欲しかったの?」
「そんな訳ないんですけど!」
 素直な後輩を揶揄うのはよせ、といつもならツネちゃんが諌めるところだが、今日はいないのだ。自重するべきか。
「というか、俺の怪我ってそんなに酷かったんだ」
「そうですよ!」
 手を下ろして問うと、食い気味に詰められた。
 ハナちゃんは救護班で、口振りからするに涼風の手当を担当してくれたのだろう。
 思い出したのか、呆れたように続ける。
「先輩の傷酷過ぎましたよ? 右目は潰れてましたし、左腕は肘から下が欠損。腹が半分抉られて、左脚は腿から下が切り刻まれてました。それに、背中に怨気のこもった矢を六本受けた上に、全身の小さな傷も馬鹿にならない数で……」
 怨気、というのは怨霊の攻撃に付随する力で、直人が受ければ魂を穢される。
 魂が穢された者の多くは、殺人衝動に襲われたり常軌を逸した言動を取るようになる。
 除霊師にはそういったモノに対する抵抗がある程度備わっているが、傷口から直接体内に侵入して来た怨気は強力だ。
 正気を保っていられる涼風の方が、この場合は不思議だろう。
「手当しても傷が多過ぎて……一体何をしたらああなるんですか!」
「怨霊化したのを除霊したらああなったんだって」
「うぅ〜……もっと自分を大切にして下さいよ!!」
「わかってはいるんだけどなぁ……ま、気を付けるよ」
 ハナちゃんが強く言えないのは、涼風の任務内容が過酷なものだと知っているからだ。
 今回の任務も涼風一人に任されたのだが、その時点で人手不足と最前線の厳しさが伺える。
 本来霊の捜索から始まる依頼というのは、最低でも二、三人で行うもの。
 それを一人で行うのは大きな負担だ。
 また、怨霊を発見した涼風が応援を呼んだが、すぐに駆け付けなかったということも聞いているのだろう。
 それだけ人手が足りていないのに、依頼は幾らでもあるのだ。多少は無理をするのもやむを得ないが、涼風は余りにも危機感が足りなかった。
 それを常々思うハナちゃんは、口酸っぱく注意喚起をするのだ。
「いいですか! 今度無茶しても知りませんよ? 治してあげませんからね!![#「!!」は縦中横]」
「そんなこと言わないでくれよ〜! ハナちゃん以上に腕の立つ救護班の人なんていないんだからさぁ、また今度も頼ませてくれよ」
 ハナちゃんは創立屈指の実力者で、最前線に立つ能力はなかったものの救護班のエースとして活躍している。
 人体構造の理解と、回復を促進する術式の構築が得意なのだ、と本人から聞いたことがあった。
「……まあ、仕事で振り分けられたら回復してあげますけど。怪我減らして下さいよ?」
「善処しまぁす! ……んじゃ、そろそろツネちゃんが起きるだろうから戻るわ。ハナちゃんまたな、ありがとう」
「はい! 任務お疲れ様でした」
 先程受け取ったばかりの資料を持ち直し、自室へと向かう。
 扉を開け中に入ると、見慣れた執務室である。
 当然だ、涼風の執務室なのだから。
「——……ツネちゃん?」
 その声に、伏せていた顔を上げ、胸に飛び込む。
 涼風だ。
「ツネちゃん、おはよう」
『涼風っ、おはよう! 涼風!』
「どしたの? 今日は熱烈だなぁ」
 椅子に座った涼風の膝の上で丸くなると、手に頭を擦りつけてくる。
「なんだ、撫でてほしいのか〜? よしよし、起きて独りでびっくりしたんだろ。ごめんなぁ」
『涼風が居てくれるなら、何でもいい! 涼風っ、どこにも行かないで』
「あぁ…………うん、そうだな」
 涼風は小狐の背をを撫でながら、資料を手に取った。
「……ありゃ、これ、期限明日までじゃね?」
『うん! 今から任務行こっ』
「忙しいのなんのって! ツネちゃん、手伝ってくれな」
 ご機嫌な狐を肩に乗せて、涼風は任務へと向かった。
 
 涼風の主な得物は剣だ。
 斬る為には接近する必要がある為、ツネちゃんが術式で結界を展開してくれていなければ、今頃多くの傷を負っていたことだろう。
 どれほど場が緊迫していても、ツネちゃんが焦ることはない。土地神と言えども神様だからだろうか。
「涼風! 後ろっ」
「——これで最後だッ!」
 仲間の声も聞きながら、涼風は剣を振るった。
 これで今回は依頼完了である。
「お疲れ様、ツネちゃん」
『涼風、帰ろう』
 涼風は嬉しそうに笑って、仲間の元へ向かった。
 
 毎日、依頼が幾らでも積まれていく。
 その多さに辟易しながら、ツネちゃんは資料を摘んだ。
「ツネちゃん、疲れたの?」
『うーん……』
「そっか。なら、もう、止める?」
『止めない』
「なら、ちゃんと責任取ってくれよ〜」
『……取る』
 似たような会話を日々重ねた上でのこの会話だ、涼風も苦笑い気味である。
「俺がぶっ倒れた日からもうすぐ三十日経つか……」
『涼風、涼風』
「そろそろ重要な仕事、行くっきゃないな?」
『涼風——』
 ツネちゃんは嫌な胸騒ぎがした。
 
 涼風がまた無茶をした。
 その報せを聞いた花崗は、軽負傷者の治療を他の人に渡して、重負傷者の運ばれた部屋へと走った。
 幸い涼風の他には大きな怪我はなかったようで、扉を開けてすぐの寝台に寝かされていた。
 花崗は努めて冷静に診察を始めた。
「先輩また怪我して……あれっ? 傷が、ない……?」
 大きく服は裂かれているものの、血が付いているだけで傷口がない。また、怨気も残されていなかった。
 それを認めて、花崗は部屋を飛び出した。
「江藤先輩ー! どこにいるんですか、江藤先輩!?」
「おー、どした、花崗」
 江藤も涼風の話を聞いたのか、こちらに向かって来ている途中だったようだ。
「聞いて下さいよ! 涼風先輩に傷がなくって……!」
「おー……おー? それはいいことなんじゃないのか」
「よくないですよ! 救護班でもない先輩が、傷をどうやったらすぐ消せるんですか」
「あれだろ、今回は最初から怨霊を祓いに行ってるから……形代を使ったんじゃないか?」
 形代とは、除霊師の使う術式の一つだ。
 予め人型の紙に術式を書き込んでおき持っていれば、霊力を大きく消費するが好きな時に発動できる。
 発動していれば、次に来る怨霊の攻撃を形代の紙に肩代わりさせられるのだ。
 例えば、避けられない攻撃が来た時に、その一撃を浴びる前に形代を発動していればその傷は紙に移される。つまり、無傷で済むのだった。
「最初は僕もそうかと思ったんですけど、致命傷に成りうる大きな切り口が五つ在ったんです。血も付着していました」
「血は他の奴のかも知れんが……形代発動に、めっちゃ霊力喰った筈なんだけど」
「そうですよ。三十日程前に先輩に聞いた時は、一日で三枚発動するのが限界だって言ってました。それもツネちゃんの力を借りた上で、だそうです」
「なら無傷は可笑しいよな……他の奴に追加で複数掛けてもらう程、自分が生き残ろうとは思ってない奴だしな。あいつは自分の実力を過信してるし」
「そうなんですよ……なんか、変ですね。何かを見落としている様な気がしてならないんですけど」
「本人に聞くのが早いだろうが、難しいよなぁ……。まあ、取り敢えず様子見に行こうぜ」
「あ、はい! 多分まだ寝てると思いますけど……」
 江藤と花崗は涼風の元に向かった。
「あ?」
「えっ?」
 だがそこには既に涼風の姿はなく、小さな紙が置かれていた。『傷はツネちゃんに治してもらったから、また今度よろしく〜』と書かれた筆跡は、涼風のものだ。
「勝手に出て行くなんて許せません! けど、他の負傷者もいますので僕は一旦これで失礼します!!」
「お、おう……」
 怒り心頭の後輩に、江藤は気圧されながら返す。
「……にしても、ツネちゃんって何者だよ」
 その呟きまでを拾って、狐は立ち去った。
 終わりを、悟って。
 
 あれから二十日後。
 任務を四つ片付けた後、夕闇の中涼風は神社に来ていた。
 過去に一度だけ、涼風が訪れたことのある神社だ。
「……ツネちゃん」
『涼風、先に行ってて』
 涼風は足を止め——闇に消えた。
 鳥居の下に続く石段を登って、彼は辿り着く。
 百の鳥居を潜った先にあるのは、社だ。
 帝国で最も広く知られている神が祀られている社。
 常磐神社だ。
「——涼風」
 その声に振り返ると、石段を上がってくる人影があった。
「ツネちゃん……!」
 ツネちゃんは、小狐の姿を取っていただけである。
 本来の姿は、こうして、人に近いものであった。
 白髪を揺らして、無垢な瞳で涼風の姿を認めた。
「涼風、遅くなってすまない」
 狐の姿をしていた時は制限されるらしい、神本来の意識が、今のツネちゃんにはある。
 その為、幼さも抜け、威厳のある神になるらしい。
「遅いけど……まあ、まだ間に合うからいいよ」
「そうか。ならば、疾く終わらせよう」
 目を伏せたツネちゃんを、涼風は抱き締める。
「嫌なことさせてごめんな。でも、もうそろそろ俺が意識を保ってられないんだ。あと十分も持たないかな、多分」
 ——霊は命日から四十九日を魂が穢され怨霊化する。
 涼風は、あの日。
 とうに死んでいたのだった。
 それを受け入れられなかった神は、騙ることを決めた。
 涼風と、伊達に四年間過ごしていないのだ。
 癖も何もかもを把握していた神だからこそ、できた芸当と言えよう。
「ツネちゃん、時間がない。もういいよ、俺は十分過ぎる程幸せだった」
「涼風」
 涼風なら、どうするのか。
 その答えをわかっている神だからこそ、苦しんでいた。
 涼風の愛刀を、抜く。
「ツネちゃん。俺、できるだけ消えないようにするから。忘れないで」
「忘れるものか」
 陽の落ちる瞬間、神は剣を下ろす。
 
「先に行って待ってるから、疲れたら俺のとこ遊びに来てね。ありがとう——常盤様」
 
 最期に、やっと名前を呼んでくれた彼を想って。
「——涼風、颯」
 消えた涼風の証を探すように、常磐は、神しか知らない名前を口にする。
「なぁ、教えてくれ。我に何故守れなかったのだ」
 帝国の守り神であり、現世と常世を統べる神は。
「颯」
 常磐様は、それでも消える訳には行かないのだ。
「颯」
 仮令、大切な者を守れなくとも。
 

2/28/2024, 9:44:54 AM