クリスマスソングが
今年も街に鳴り響き始めた。
ああ。
強制的にクリスマスモードにさせられる、この感じ。
平和と言えば平和なのだろう。
鮮血を見なければならない場所なら
きっとこんな音楽は鳴り響かない。
平和というのは、ぼんやりとしていて少し物足りない。
もしくはつまらないと感じるようなものなのかもしれない。
許容範囲の刺激を日々感じることで
現代人は平和ボケを回避しているのだろう。
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今まではクリスマスだと何かしら飾っていたのだが
今年はちっともやる気が起きない。
子供が居るわけでもないし
初々しいカップルの当事者でもないからだ。
他の理由もあるといえばある。
最近の年の瀬といえば、
この1年どれだけやれたのか反省をするような時間に
なりつつある。
あれはやった、コレはまだ途中
やっぱりあの計画は達成できなかった…などなど。
毎年12月が来るたびに
己の老化と対峙するような気がして
落ち込むというのもある。
うん。あまりいい季節には感じないな。
ただ毎年一つ、思い出すことがある。
それはサンタクロースの ある顔だ。
外国の白い髭を生やした、テンプレなサンタクロース。
コーラのCMだったと思うのだけど、ひと仕事を終えて
シュワッと炭酸のよく効いたコーラを飲んでリフレッシュしながらソファで寛いでいる彼を思い出す。
毎年毎年、飽きずに子供にプレゼントを届けて
達成感のある顔をして、もう思い残すことはない!
というような充実感のある表情。
まあ大人だし、プロだよね。
(なんか見返りでお菓子とかもらってたような気もするが)
あれは私達オトナに向けて
「オイ!おまえたちいい仕事してるか?」
等のような意味合いを発信しているのではないだろうか、と巷のgeminiに聞いてみたくなるのだった。
…そんなことを考えながら、車のエンジンを切ってコンビニに入った。ファミチキが揚げたてだった。匂いがぷんぷんする。
ぱっとコーラが目に入る。
あの顔がツヤツヤなサンタが目に浮かんだ。
『良いじゃないか
それなりにやれた1年だったよ
多分コーラ、うまいよ』
喉が渇いていたのを
サンタからのお告げ、と言い訳しながら
コーラを買って家に帰った。
その日、大げさじゃなく
自分自身に 愛を注ぐように
グラスにコーラをゆっくりそそいだ気がする。
12月はコーラのいちばん美味い月、ということで。
マイナスなことには左右されるな、とか
プラスの感情でしか前に進めないとか
否定的な気持ちは原動力にはならないっていうけどさ
そんなこともないんじゃないのかなと思って
書いてます。
現に今、ちょっと怒っている。
表面的には泣いたりもしていないし
何か衝動的な行動に至ってもいない
だけど一瞬で心の奥深くまでざわついたことがあった
それらはいくつものバイアスが絡んでいて
加害者に見える彼らが危険信号のマークのように
時折、被害者に見えるような
そんな世知辛さだった。
私は誰かと同じとか
似ているとか
ジャンル分けしてカテゴライズされるのが
あまり好きではないんだけど
同じようにどこかで
何かをジャッジしているんだと思うと
目の前の加害者に対して
生煮えの怒りがこみ上げてきては、また落ちて
作業をとめるとまたふっと、ナンセンスな発言に
落ち込んで、レッテルを貼られた感覚に憤りを覚えた。
一瞬で、悲しくなるような人間とは
もう線を引いているのだけど
時たまそういう未確認飛行生物と出会うと
こんなふうに、怒ってるんだな、という感情を思い出して
わたしを人間らしいと思ったりもする。
泣かないでっていうほどでもない
小さなささくれみたいな日常の事件に対して
今後も真摯に向き合っていくことが
わたしに対する私への責任かなと
思っている、11月の終わり。
もうすぐ12月だ。
意気込んで買った自己実現系書き込み型の手帳は
8月から書けた日の方がめっきりと少なくなっている。
とてつもないあの日は訪れた。
一生に一回しか感じえないだろう感情を引き連れて。
…それからというもの、手帳に日々のことを書き込むこともままならず、ココにも辿り着けなかった。
この世に生きているのに
息をしていないような
時が止まったままで
彼は時折、写真の中から笑いかけてくる。
ありがとうなのか
悲しいなのか
ごめんねなのか
心の中にある感情を探って
正解を見つけようとしても
時間だけが過ぎていく。
忙しさだけが目の前にある。
心がふらふらしているのが分かった。
あの日以来、心を落ち着かせて文字を書ける日が
全くと言っていいほど無い。
自分の中の好きな静寂が訪れないのだ。
冷蔵庫の稼働音だけがかすかに鳴っていて
唐突に誰にも話しかけられることもなく
カフェインのない何らかのお茶が淹れてあって
ああでもないこうでもないと
字を探索している
私の好きな静寂。
ああ、私、静寂ってものが
好きだったな。
たった今、
私の好きだったものを一個感じることができたから
またここから歩いていけるような気がした。
一筋の光は
見えなくても近づいていくもの。
黒よりかはグレー、そして薄い灰色を見つけるように。
冬あたりに髪を伸ばしては、
夏にドライヤーで乾かすのが辛くなって
ばっさりとショートにカットすることが
ルーティンになっていること。
…さっきお風呂から出て
ヘアミルクを毛先につけていたら気づいてしまった。
私の知っている
ロングヘアの似合う素敵な人は
足の爪先から頭のてっぺんまで
手入れが行き届いていて
余裕があって
しとやかな雰囲気が出ると同時に
その人の周りが無重力に感じられるほど
明るくて、快活だ。
踊るように生きているように見えて
ロングヘアが最初から彼女に備わっているみたいに
自然体なのだ。
比べるわけではない。
比べるわけではないけれど
汗だくになって乾かし終えたあとの
必死な自分の表情を目の当たりにすると、たまらず
毎年夏の終わりには馴染みの美容室の予約を入れている。
「また、切りたくなっちゃって」
「今年の夏は特に暑いからねぇ」
何年も同じ会話を繰り返しているような気がして
美容師に対して、気恥ずかしさとありがたさが同居する。
温かいお湯が頭にかけられて
たまにしか嗅げないサロン用のシャンプーの香りが店内に充満していく。
…さて、どんな髪型にしてもらおうかな。
私はまた今年の秋に向かって進んでゆく。
私はどうして欲しかったんだろう。
目を合わせることもできなくて
ありがとうも
ごめんなさいも言えなくて
ただ、ぶっきらぼうに
心と裏腹に
嘘をついて
その場をごまかしていたんだ。
何年も 何年も
変われる時は
あったはずなのに
今の今まで
気が付かなかった。
あのとき
私はどうして欲しかったんだろう。
言葉はいらない、ただ・・・
抱きしめてほしかったんだと思う。
子供じみた、愛情に飢えた
等身大の私を認められなかった。
温かさを求める自分を認めるところから
始めるほかない。
あなたを失ってから、気づいた私は
愚かなのか
まだ間に合うのか
それは生きてみて
最後に分かるはずだから。
どこかで
あったかい陽の当たる場所で
私を待ってて。