もうすぐ12月だ。
意気込んで買った自己実現系書き込み型の手帳は
8月から書けた日の方がめっきりと少なくなっている。
とてつもないあの日は訪れた。
一生に一回しか感じえないだろう感情を引き連れて。
…それからというもの、手帳に日々のことを書き込むこともままならず、ココにも辿り着けなかった。
この世に生きているのに
息をしていないような
時が止まったままで
彼は時折、写真の中から笑いかけてくる。
ありがとうなのか
悲しいなのか
ごめんねなのか
心の中にある感情を探って
正解を見つけようとしても
時間だけが過ぎていく。
忙しさだけが目の前にある。
心がふらふらしているのが分かった。
あの日以来、心を落ち着かせて文字を書ける日が
全くと言っていいほど無い。
自分の中の好きな静寂が訪れないのだ。
冷蔵庫の稼働音だけがかすかに鳴っていて
唐突に誰にも話しかけられることもなく
カフェインのない何らかのお茶が淹れてあって
ああでもないこうでもないと
字を探索している
私の好きな静寂。
ああ、私、静寂ってものが
好きだったな。
たった今、
私の好きだったものを一個感じることができたから
またここから歩いていけるような気がした。
一筋の光は
見えなくても近づいていくもの。
黒よりかはグレー、そして薄い灰色を見つけるように。
冬あたりに髪を伸ばしては、
夏にドライヤーで乾かすのが辛くなって
ばっさりとショートにカットすることが
ルーティンになっていること。
…さっきお風呂から出て
ヘアミルクを毛先につけていたら気づいてしまった。
私の知っている
ロングヘアの似合う素敵な人は
足の爪先から頭のてっぺんまで
手入れが行き届いていて
余裕があって
しとやかな雰囲気が出ると同時に
その人の周りが無重力に感じられるほど
明るくて、快活だ。
踊るように生きているように見えて
ロングヘアが最初から彼女に備わっているみたいに
自然体なのだ。
比べるわけではない。
比べるわけではないけれど
汗だくになって乾かし終えたあとの
必死な自分の表情を目の当たりにすると、たまらず
毎年夏の終わりには馴染みの美容室の予約を入れている。
「また、切りたくなっちゃって」
「今年の夏は特に暑いからねぇ」
何年も同じ会話を繰り返しているような気がして
美容師に対して、気恥ずかしさとありがたさが同居する。
温かいお湯が頭にかけられて
たまにしか嗅げないサロン用のシャンプーの香りが店内に充満していく。
…さて、どんな髪型にしてもらおうかな。
私はまた今年の秋に向かって進んでゆく。
私はどうして欲しかったんだろう。
目を合わせることもできなくて
ありがとうも
ごめんなさいも言えなくて
ただ、ぶっきらぼうに
心と裏腹に
嘘をついて
その場をごまかしていたんだ。
何年も 何年も
変われる時は
あったはずなのに
今の今まで
気が付かなかった。
あのとき
私はどうして欲しかったんだろう。
言葉はいらない、ただ・・・
抱きしめてほしかったんだと思う。
子供じみた、愛情に飢えた
等身大の私を認められなかった。
温かさを求める自分を認めるところから
始めるほかない。
あなたを失ってから、気づいた私は
愚かなのか
まだ間に合うのか
それは生きてみて
最後に分かるはずだから。
どこかで
あったかい陽の当たる場所で
私を待ってて。
「もう、会えないと分かってたら
大切にできましたか?」
雨の降る晩、私の枕元に来て
問いかけてきた いつかの女の子。
私は何と言っていいのか分からずに
目を閉じながら、じっとしていた。
…ありがとう、と言いたいのに
言いたかったのに 言えなかった。
またあの時に戻ったら
ありがとうって言えたのかな?
また同じように壊れていたんじゃないのかな。
あの人が過ごしただろう壮絶な人生を想像すると
さっき病室で見た、赤ちゃんに戻っていくような寝顔は
この世での戦を終えて、次の目的や目標に向けて
備えているようなそんな感じもした。
もうきっと、喋れないんだな。
もうこの世界では…
朝起きると、枕がぐしゃぐしゃに濡れていた。
不思議な爽快感と焦燥感に駆られながらカーテンを開けた。
スズメが一斉に羽ばたいた。
数十羽は居ただろうに、一瞬でいなくなってしまった。
鳥のように、もうすぐあの人は旅立つ。
あなたに大切にできなかった分を、誰かに
そしてあなたからもらった希望と命を糧に
あの女の子だった私に微笑んでくれたことを思い出して
今、心のなかで ありがとう って叫んでる。
眠れない夜に…
いつもは悪いことばかり考えるのだけど
今夜は幸せなことを考えていた。
今、私が持ってる幸せ
今、私が感じられる幸せを
虚ろ虚ろに指折り数えてみる。
こうやって文字を書いていることとか
今日食べて美味しかったもの
思いがけなく笑ったエピソード
明日食べる予定のご褒美おかし
失敗する前に分かって良かった気づきとか…
想像しているよりも結構、むしろ沢山あった。
それでも
満足しない感じがあるのは
きっとほんとうの幸せを遠くに感じているからだと思う。
日本語は、ときに美しすぎて尊すぎて
「愛している」
を簡単に言えないように、
幸せも
大抵の日本人には
大きくて歯がゆく感じさせるシロモノなのかもしれない。
幸せは
感じるものではなく
こびりついて剥がれなくて、見えなくなっているもの
だとしたら?
いつまでも捨てられないものって
実は 幸せ
そのものなのかもしれない。