「もう、会えないと分かってたら
大切にできましたか?」
雨の降る晩、私の枕元に来て
問いかけてきた いつかの女の子。
私は何と言っていいのか分からずに
目を閉じながら、じっとしていた。
…ありがとう、と言いたいのに
言いたかったのに 言えなかった。
またあの時に戻ったら
ありがとうって言えたのかな?
また同じように壊れていたんじゃないのかな。
あの人が過ごしただろう壮絶な人生を想像すると
さっき病室で見た、赤ちゃんに戻っていくような寝顔は
この世での戦を終えて、次の目的や目標に向けて
備えているようなそんな感じもした。
もうきっと、喋れないんだな。
もうこの世界では…
朝起きると、枕がぐしゃぐしゃに濡れていた。
不思議な爽快感と焦燥感に駆られながらカーテンを開けた。
スズメが一斉に羽ばたいた。
数十羽は居ただろうに、一瞬でいなくなってしまった。
鳥のように、もうすぐあの人は旅立つ。
あなたに大切にできなかった分を、誰かに
そしてあなたからもらった希望と命を糧に
あの女の子だった私に微笑んでくれたことを思い出して
今、心のなかで ありがとう って叫んでる。
眠れない夜に…
いつもは悪いことばかり考えるのだけど
今夜は幸せなことを考えていた。
今、私が持ってる幸せ
今、私が感じられる幸せを
虚ろ虚ろに指折り数えてみる。
こうやって文字を書いていることとか
今日食べて美味しかったもの
思いがけなく笑ったエピソード
明日食べる予定のご褒美おかし
失敗する前に分かって良かった気づきとか…
想像しているよりも結構、むしろ沢山あった。
それでも
満足しない感じがあるのは
きっとほんとうの幸せを遠くに感じているからだと思う。
日本語は、ときに美しすぎて尊すぎて
「愛している」
を簡単に言えないように、
幸せも
大抵の日本人には
大きくて歯がゆく感じさせるシロモノなのかもしれない。
幸せは
感じるものではなく
こびりついて剥がれなくて、見えなくなっているもの
だとしたら?
いつまでも捨てられないものって
実は 幸せ
そのものなのかもしれない。
努力しなくても
元々、持ち合わせているものこそ
あなたの誇らしさ
いつかだれかに無邪気に微笑んだ
その表情こそ
あなたの持つ本来の誇らしさ
今は笑えなくても
最初から決まってた
やりたくない努力なんて
ずっとは続かないこと
努力なんて言葉が出てこないくらい
気付いたら手足や頭が動いている
そういうことしか
続かない
続けられない
やりたいことをやろう、とことん
見つからないなら
ちょっとだけ興味のあるものを
探してみる
そのうち続けられることが
見つかってくるから
それは100個のうちの1個かもしれないけど
でも見つけたらもう、強いよ
顔が見えなくても
この地球のどこからか
君を応援してる
誰かのためになるならば
出来れば人を傷つけたくない
だけどどうやったって人を傷つけてしまう場合もある
ここだって
自分の発した言葉が原因で
誰かを悩ませたり、悲しくさせたりするかもしれない
だけどそれ以上に
誰かのためになるならば
なんでもいいから言葉を紡いで
また明日、生きてもいいかもって感じてもらえる人が
たった一人でもいるのなら
書く意味があると思う
みんな、誰かのために書いてほしい
自分自身のためにでもいい
書いたら、何かがきっと変わるよ
私はそうだった