今すぐ海に飛び出しに行きたくなるような
晴れの日だった。
空が恥ずかしいほどに青くて清々しくて
太陽に裸を見られているような、そういう感覚。
流しっぱなしのテレビ画面には
フリーアナウンサーが出演していて
毎日大声で頑張っている。
綺麗なのに、芸人みたいに走り回ってる。
…この人って、なんの人だっけ?
二階から物音がする。カレが起きてきた。
いつもの伸び切ったユニクロのTシャツを着て。
下はゆるゆるのトランクス。
私の存在に気づいているのか気づいていないのか
カレは起きたての寝癖がついた頭で
スティックコーヒーを雑にマグカップにいれて
ケトルから熱々の熱湯を淹れた。
そしてポツリと呟いた。
「俺、この人嫌いだわー。」
…私も、正直そう思う。
最近の活動を見ているとぶれまくっている気がする。
他人のブレはこんな風に醒めてよく見えるのに
どうして私達は、わからずやなんだろう。
チリン、と風鈴が鳴った。
一度だけ。
一昨年、一緒に夏祭りに出かけた時の風鈴。
ピンクの金魚が描かれている。あのときは心底可愛いと思って買ったのに、今見ると悲しくなってくる。
衝動にも似たような可愛いって気持ちはきっと病気だよね。
そういえば私は朝、あのワンピースを着た。
白地に小さめの黄色い花がプリントされているブランドもの。
着て、鏡に立って確認したら自分の思う以上に似合っていなかった。本当に可愛くなかった。
驚愕して、スマホの写真を見返したらカレと付き合いたての時の写真が出てきた。写真の中の私はかき氷を見つめながら、カレの目の前で笑っていた。ワンピースが映えてる。
もうこんな顔、出来ない。
私はワンピースだったものを脱いで、
黒のTシャツとデニムに着替えた。
カレは相変わらず、テレビを眺めながら
コーヒーを飲んでぼーっとしている。
以前はこれも可愛く思えた。
テディベアやうさぎのぬいぐるみのように。
私がカレから可愛さを奪ったのか
カレが私から魅力を奪ったのか
わからないよね。
わからなくしておこう。
終わりにしよう、って
言いたくなかったけど
終わりにしよう、って
言わないといけない気がする。
「悲しみに暮れるな 人生は短いぞ」
息の出来ない海の底で
年老いた声が聴こえた。
苦しくて、口を開けるたびに海の塩水が入り込んできた。
残響を感じながら、確実に死が迫っているのを感じた。
「悲しみに暮れるな 人生は短いぞ」
朦朧としていく意識の中で
何者かが海に呟いたこの言葉を思い出していた。
僕にも、曲がりなりにも人生があった。
生んでくれた母が居たし
父との思い出だってある。
僕は確かに人生をやったんだろう。
ただ、残せたか?
なにかを。
意義はあったのか?
この人生の中で。
悲しみに暮れるな、と
ひとりぼっちで死にゆく海の中で今更言われても。
後悔ばかりが浮かんでは消えていった。
マッチをするように
最後の、最後の後悔を悔やみ終わった瞬間に
真っ白くなった。
ついに死んだのだと思った。
…目が覚めると、
と期待したけれど
そこには何もなかった。
悲しみも人生も
あの海の中に置いてきてしまったんだ。
今は行き止まりになっている壁の前で
ただ、何者かになって
今度はずっと立っている。
泣いていいよ
そう自分に問いかけたのはいつぶりだろう。
感情が決まりきらないうちに泣くのは、あまり良くないことだと思っている自分がいることに気付いた。
汗のように瞳から吹き出してくる涙がダラダラと耳の奥まで入り込んでくる。
プールの後のあの妙な感覚になってきた。
10分かそこらで着替えて髪も長かったのによく乾かしたよな、と学生だった頃の自分に感心した。
こんなとりとめもないことを書く自分の時間がとても大切で、アイデンティティを喪失させないための重要な事柄だということに七夕も終わる夜明けに気付いた。
夜、短冊に書くならどんな願い事をしようか
なんとなく考えていた。
他力本願で頼みたいことが何ひとつ出てこなかった。
誰かを信用してないんだなと、それも悲しくなった原因かもしれない。
リアルでサバイブな、自力でやることばかり。
ドラえもんがほしいとか、そういう思想が死んでもでてこなかった。
オトナになっちまってる。
こどもが短冊に書くような
そういうやさしいかわいい健気な願い事がほしいなと
そういう願い事を心のなかで祈った。
子供の頃は、何か悪いことをしたら
ごめんなさい。
もうしません。
こんな言葉を幾度となく親から言うように求められたものだった。絶対に思っていなくとも。
大人になった今、謝りなさいと言われる場面は
余程の大失態がない限り無いだろう。
ふと、今までの元カレが頭に浮かんだ。
夜明けの夢で、かつて付き合っていた健吾が出てきたからかもしれない。健吾は会えばいつも笑っていて、暑苦しいほどに愛してくれていた気がする。私の気持ちと釣り合いが取れなくてアンバランスな関係に嫌気が差してお別れしたのだった。
その後、不埒な康史という男に出会って、追いかける喜びを知った。健吾が私を追いかけたように、私は康史を追いかけた。康史に対して色んな感情を見つけ出す度に、私はどこかで健吾に共鳴していたような気がする。
康史の度重なる浮気によって、結局別れてしまった。
どちらも半年と持たなかった。
康史に対しては、こちらも半分期待しないで付き合った訳でこうなることはどこかで予感していた。
あの日から半年経った。
1人でカフェに行って、
デートで訪れているカップルに対しても
なんの感情も抱かなくなった。
ただ、あの時こうしたらよかったな
ということだけがジワリと心に染み入ってくる。
自分が悪いわけではない。
だけど
ごめんなさい
自然に出てくる言葉はこれしかなかった。
次に出会う人には
こんな謝り方、したくない。
愛があれば何でもできる?
んなわけない。
愛にはそれを保持する原動力が必要だ。
そしてそれは理屈で説明できるものではない。
反射的に感じるものだ。
全うに生きていればそれを体感する日が
少なくとも数回は訪れるだろう。
原動力が
義理や意地によるものだとしたら
ただの痩せ我慢。
何かをしたとき
振り返ってみたら
存在していたのが愛なんだ。
愛のためだから出来るはずと
理由付けしてこじつけて
苦しむことは勧めない。
できる、んじゃなくて
愛であるなら
やりたい、だから。