息が白い。空間が冷たい。
上京して10年が経つが、今だに慣れない冬の寒さに鈍る動きを無理やり動かす。
また、今年もこの季節か…。
自転車で、30分くらいのカラオケ屋の夜勤のバイトを終えて家に帰るのだが、まだ、日の昇らない30分の帰路が永遠に感じる。
くそ、こんな事ならもっと家の近くのバイトを探せば良かった。
こんな時は、家に帰ってからの予定を頭の中で組み立てる。
家に帰ったらまず、暖房を着け、風呂にお湯をためる、その間に米を研ぎ、TVを着けてお湯がたまるのを待つ。
このお湯がたまるまでの時間が、また、もどかしい。
だが、その時間を経た後の風呂が身に染みる。
バイト中も寒かった。
カラオケ屋なのに階段が外にあるので、そこに繋がるドアは明けっ放し外からの風は入り放題。
部屋とキッチンの行き来くらいしか動かないし、服装は、ワイシャツと黒パンツなので正直、前やっていた交通誘導のバイトより寒い。
いつか、辞めてやる。と思いながら、もうバイトを始めて、2年ほどになる。作業にも慣れてきたので、また、別のバイトの作業を覚え直す手間を考えると、辞めるに至らないのが今の現状だ。自分でも矛盾してると思う。
そんな事を考えながら時間を潰していると、最大の難関、下り坂に差し掛かった。
ここを越えれば家まではもう、目と鼻の先なのだが、とにかく、下り坂は風が強く自分に当たるから余りスピードを出したくない。ただ、スピードを出さないのは出さないので、結局、寒いのは変わらない。
一時の寒さを我慢して、ひと息、気合いを入れて坂を下りおりる。歯がカチカチと無駄にリズム良く音を鳴らし、ハンドルを握る手は氷の中に手を突っ込んだみたいに痛寒い。
瞬間、自分では何が起こったのか分からなかった。しかし、気づいたら背中に冷たいアスファルトの硬さを感じ、視線の先には澄みきった夜空が広がっている。
どうやら、なにかに躓いて自転車が横転したらしい。足やら頭やら手やらが、痛いのだが、冬の寒さによるものなのか、横転によるものなのか、分からない。
吐いた息の白さが雲と重なり、空と地上との境界が曖昧になってきた。
スグに起きあがる気がおきずに暫くの間、夜空に浮かべた吐息を眺めていた。
すると、ワン。と犬の鳴き声と犬を散歩している飼い主のどうしました?
という問いかけが聞こえた。
ハッと意識を戻すと、急に恥ずかしさが込み上げてきて、何でもないです。と、スッと立ち上がり、自転車を漕ごうとするが、ちょっと、足を捻ったらしい。
少し痛みを感じるが、それでも、恥ずかしさが勝ち捻っていない、逆の足で無理やり自転車を漕いで残りの坂を下った。
坂をくだりきり、マンションの駐輪場に自転車を停め、マンションの2階にある自分の部屋まで、捻った足を思ってエレベーターを使う。
2階に着くと自分の部屋まで続く通路に冬の陽の光が差し込んでいる。多少の眩しさと痛みを感じながら、数時間後の夜勤のカラオケを考えていた。時間までに足の痛みは治るだろうか…。
12月31日深夜、年末年始特有の変なテンションで僕は、初日の出を見に港へ行こうと思い立ち、ギーギーとうるさい母のママチャリを、家族を起こさないように慎重に漕ぎ出した。
少し、家から離れるとここがチャンスだとばかりに立ちこぎで、思いっきり漕ぎ出す。
家から、港までだいたい1時間。日の出まであと、45分ほどだが、急いで行けば大丈夫間に合うはずだ。
母にバレると、子どもが、深夜に出歩くな。だとか、言われて年始からなんだか、縁起が悪い、なんとしても、母が起きるであろう2時間後の6時には戻らなくてはならない。
口の中に石炭でも焚べたのか、というぐらい白い煙を吐き出しながら右左と体重をかけて、グングン進んで行く。
畑の間の道を通ると、ギーギーというママチャリの音に対して、カエルの鳴き声がやかましく追いかけてくる。
本物のカエルの歌は煩わしく、聴けたものでは無いな。
こんなに寒くても、カエルはまだいるんだ。
地球温暖化って思っているよりもずっと進んでいるのかも知れない。などと物思いにふけながら、空を見上げる。
空には満天の星。その1つが、ママチャリのスピードのせいか流れ星に見える。
流れ星は僕とほぼ並行に飛んでいる。
ヨシ!僕は気合いをいれると、流れ星を後方に置き去りにした。
港まであと、少しの丘までやって来た、ここを越えたら港はもうすぐだ。
その時、さっきの流れ星が僕を追い越していった。
追い抜かれた僕は、流れ星を見つめる。
流れ星は、港の向こう先の小さな島に落ちていった。
瞬間、けたたましい音とともに今まで見たどの明かりよりも明るい光とどの熱さよりも熱い熱風が僕にぶつかってきた。
1月1日、ある地方の島に一機のミサイルが着弾。後に政府は、これを隣国の軍事演習だと発表。隣国に抗議をするも隣国は、これを否定。これに対して、友好国や隣国周辺の国々を巻き込む形で、隣国に対して宣戦布告。
これに隣国は、猛反発。
第三次世界大戦の始まりとなった。
いつかここでは無いどこか別の星に行きたい。
そう、素直に思えた頃が羨ましい。
あの頃は、根拠の無い、なんでも出来る感が確かにあった。
それが今では、気持ちは、すっかり推進力を失い、停滞、下降へと一直線だ。
ついに夢を叶えられると気をせいて、点検もせずに発進したのが過ちだった。
今、私の乗っている宇宙船は、月を過ぎた所で故障し月の引力に引っ張られて、もうすぐ、月面に激突する。
私は図らずも自ら星と化すのだ。
タッタッタ ドテドテドテ てくてくてく
夏に聴こえる足音は数あれど、冬の足音は、雪を踏みつける。ザクザクザクのイメージ1択の気がする。
男は、そんな思考の無駄使いをしながら眠気と空腹を紛らわせていた。
今、動けば奴を見逃してしまうかもしれない。
男は刑事としてのプライドで、チラチラと雪の降り始めた道路脇の電信柱の影に身を隠しながら犯人の帰りを今か今かと待っていた。
あぁー、こんな時に車があればな…
誰に聞こえるでもないのに心の中だけでボヤく。
警察車両は、ある重要事件だかの捜査で一昨日から居座っている、本庁の1課のエリートの方々が使っていて、所轄の刑事の自分らには1台も残されていなかったのだ。そもそも、車を1台使うにもいちいち書類やらの手続きが必要で、こんな空き巣を2〜3件したぐらいの犯人逮捕のために貸し出すわけもないのだ。
さっきまで、心のよりどころだった、今じゃ氷の塊のように冷えきった缶コーヒーをコートのポケットに戻し、靴先に積もった雪を蹴り払う。
早く、来い!でなければ俺自身がポケットに入れた缶コーヒーみたいに冷えきってしまう。
もう、つま先の感覚も定かではなくなった、その時…犯人らしき人物が目の前に現れた。
すぐさま、近づき逮捕令状を突きつける…ハズなのだが、手が悴んで、もたつく。
瞬間、犯人は、背を向けて逃げようとした。
男は、逃がしてなるものかと追いかける。
降ったばかりの雪の上を駆けたのでキュッキュッと音が鳴り進む。ザクザク以外にも音はあったなぁ。と思考が飛びそうになるのを抑えながら、冷たい住宅地の中をキュッキュッと駆け進む。
犯人のキュッに男のキュッが追いつく、男は犯人の上着の襟を掴み手前に引き倒した。
右手にハァーと吐息をかけてから逮捕令状を出すと、ガタガタとリズムを刻む口では喋れないと踏んで、倒れ込んだ犯人の顔に令状を押し付けた。と同時に逆の手で素早く手錠を取り出し犯人の両手に掛けた。犯人が一瞬ヒャッと手錠の冷たさに驚いたが、男には、もう、何も感じていなかった。
とりあえず、今は、暖を忘れた身体に熱を加えたい。
男は犯人にかけた手錠を引きながら署までの道をザクザクと急いだ。
むかし、寒空の下で夜空に輝く星が異様に明るくそれを眺める私は思わず、
温かいなぁ。
と口走ったことがある。
街灯がさびしい田舎のあぜ道を母と2人、寒さを噛み潰しながら家まで歩いた時のことだ。
それを聞いた母は、ハァ。と溜め息とも笑いと取れぬ素っ頓狂な音をだすと、
お前は不思議なことを言うねぇ。でも、あの星がある宇宙っちゅうんは…
と、宇宙の気温が、およそ想像がつかない、マイナスうん百℃もするくらい寒いだの。そんな宇宙なのだから、そこにある星の中には氷だらけの星もあるだの。夢のない話しをペラペラと白い息まじりに話してきた。
この母親は子ども相手になんて事を言うのだろう。と子どもながらにガッカリしたのを覚えている。
あれから40年以上たった。
今、母は鉄の扉の向こうで温められ白い煙とともに天に昇っている。
それを見上げる私の横で息子が、ふと、
おばぁちゃんは、これからお星さまになるんだよね。宇宙に行けるなんていいなぁ。
と、どこぞの大人に吹き込まれたウソっぱちを鵜呑みにしていた。
私は、それが聞こえると。一瞬、鼻で笑って。
まぁ、でも宇宙っちゅうんは…。
と、宇宙の気温や氷ばかりの星のことを話してやった。子どもに言う事ではないのだが、昔、母と歩いた、あのあぜ道のことを不意に思い出してしまった事と、なんだか、それが、母への弔いの様な気がして、あの時の母の真似をしてしまった。
それを聞いて息子は、
涼しそう。
と、一言。
鉄扉越しの炎の音さえ聞きたくないくらい暑い。夏真っ盛りの8月のことである。