〘待ってて〙
『ずっと待ってるから。』
君はそう言ってくれたけど、私が帰ることができる保証はなくて返事はできなかった。気がつけば、1、2、3、……年、長い間君を縛っている。
「では、◯◯さん、ゆっくり腕を上げてください。はい、そうです。痛くないですか?では、今度は同じ速度で下げて........」
一旦の帰宅後も病院での生活は相変わらず単調だった。白い壁面に、白いカーテンに、白いベッド、白の包帯、白一色で統一された四角い箱はかつて私から感情を奪い去ったので、一時は恨んだこともある年代物だ。それに悔いがあるわけではないけれど、最近はどこか物足りなくて堪らない。近い表現でいくと欲がないで、けど唐突に欲しくなる瞬間もあって、悲しいはずではないのに急に涙が出たり、気がついたらひとりで話していたり、笑いが止まらなかったり、いきなり同様する私は明らかに挙動不審だ。
単純な話、私の病気が治ることはなかった。なのに、生きたい、君の隣にいたいと思ってしまった。だからこんなにつらいのだ。神様がいれば、笑うだろうか、花ともいえぬ雑草が人に恋したなど。
外には雪が降っている。
病室には誰も訪れない。渡り廊下に音の響かないのとは対照に私の息は粗くなるばかりだった。誰か呼ばないと、誰か呼ばないと、だ..れか....ナースコールに手を伸ばすも届くことはなかった。
最期に君の幻覚が見えた。必死に私の手を握ってなにかをいって....い..る...。ね、泣かないで。あの日みたいに笑ってほしいのです。
〘伝えたい〙
君に伝えたいことがまだたくさんあって、もう喉の奥から音も出かけていて、つい何度もこの部屋を訪れてしまう。窓から桜の入り込む清潔感のあるさっぱりとした、むしろ何も無い部屋。俺は床に座りこみ、話をした。
「今日はな……」
………、他に誰もいない部屋にはやけに声が響く。誰もいない、そう君はもういなかった。それは理解っていた。それでも俺は語った、今日何があって、どんなに可笑しかったか、どんなに悲しかったか、いつか一緒に行こう、なんて。知っている、君がここにいない理由さえも。俺は知らないふりをした。だって、まだ桜は散っていないから。
−−−全て習慣だ。
俺たちは家が隣同士の幼馴染でいつも一緒に遊んでた。楽しいことも悲しいことも喜びでさえ共有している俺たちは一心同体と言ったほうが正しかったかもしれない。けれど、ある日君だけが病気になって、普通が普通じゃなくなってしまった。何日かたって会わせてもらったとき、俺は戦慄した。ベッドに繋がれている君は俺の知っている子じゃなかった。顔色は白どころか青に近く、線の細いまるで幽霊みたいだった。思わず逃げてしまいそうだったけど、
「…◯◯…君……?」
そう悲しそうな声で呼ばれて我にかえった。俺の前にいるのはいつもの君だ。
「何かあった?」
いつも通りに聞きかえせたはずだ。それから君は泣きながら病気のことを話してくれた。現代では治療可能なものだが、如何せん発見段階が遅すぎたということ、医者はそれでも可能性があると励まし程度に憐れんでいたこと、両親に迷惑をかけてしまうということ。それと、
「私、きっと桜が散る頃には死んじゃってるんだ。」
縁起でもない。俺は一瞬怒鳴りそうになってやめた。君は諦めた顔をしていたから。生きていける俺には到底想像もできないことなんだろう。けれど
「あと、もう来なくていいよ。」
その一言だけは頂けなかった。だって俺らは運命共同体だ。いつだって一緒にある。流石に死後の世界まではついていていけないけど、それまでは傍にいさせて。俺が君の目となり耳となり伝えるから。今まで通りだから。お願い。そう言うと君は驚いたようにしてそれから俺が泣いてるのに気がついて「そこまで言うなら…」と許してくれた。死にゆく間際でのうのうと生きていってる人間を見るのなんてつらかったはずなのにね。ほんと、お人好しだよ。
あれから、ずっと俺は君の部屋に通い続けた。毎日、毎日話すもんだから似たような話ばっかでつまんなかったかもだけど、笑ってくれた。何よりだった。むしろ君より、俺のほうが救われてたのかもしれない。1、2、3……年
、思ったより長い闘病生活だったね。けど、その分つらかったはずだ。安らかな眠りについていますように。
冬が終わりに近づくと、君の言葉を思い出す。「私、きっと桜が散る頃には死んじゃってるんだ。」いいや、違う。君は戦い抜いて、頑張って生きたんだよ。それを合図に俺はあの部屋に向かうのだ。
〘誰もがみんな〙
「あの子になりたい。」
小学生の頃、彼女といっしょのクラスになった女の子たちは口々にそんなことを言った。当時、私だけその子を知らなかったので、「あの子ちゃんって、誰?」と聞いたしまったのは苦い思い出ではあるが、とりあえず彼女はみんなの注目の的だったらしい。
曰く、かつての天才ピアニストの子供で全国コンクールで最優秀賞をとったとか、模試も上位の成績を修めているだとか、ハリウッドの映画監督が彼女を見初めたとか、はたまた武道の心得があり、不審者を撃退しただとか、私たちとは世界線が違うレベルの優等生だった。それだけでも、へぇ~と感心したものだけれど、女子の眼中にあるのは別のことらしかった。当時、クラスにK君という(周りとは格が違う)イケメン優男がいたのだが、彼がその子(仮にNちゃんとしよう)を一頭気に掛けていたらしい。
それが羨ましいのだとか、綺麗でお似合いだけど気に食わないのだとかよくそんなことばかり言い続けられるな、と密かに考えていたのは覚えている。
数日後、宿題を取りにに教室へ戻ろうとすると、中にNちゃんの姿を見かけた。声をかけようとしたけど、いつもと違う鬼気迫るような表情をに恐怖に感じて、私は思わず後ずさって逃げた。途中の廊下でK君にぶつかってしまった。彼は謝罪の後にNちゃんの場所を聞いてきた。私は疑問に思いながらも答えた。その後のことは知らない。宿題は忘れた。
次の日からNちゃんはいつも通り、ニコニコした優等生だった。彼女の身体に傷は一つも見当たらない。
人はみな、誰しも言えないことがあるのだと思った。
〘花束〙
花束を持って、僕はその墓の前に立っている。それは随分と昔に亡くなった友人のためだった。彼は普段、神経が太すぎるくらいでそれ故に撲や彼女は胃を痛めたものだったが、………こうして居なくなってしまうとそれはそれで寂しいと思ってしまった。一呼吸おくと、僕は"妻"と友人の墓へ花を手向け、それから手を合わせた。
僕らはいわゆる三角関係というやつだった。僕と彼が彼女を好きで、彼女は僕らの両方が好きで、どうしようもなかった。だから、じゃんけんで分けることに決めた。勝った方が生前に負けた方が死後に彼女を娶る。勝ったのは、僕だった。僕は彼女の生涯を共にした。予想外だったのは彼が若くして逝ってしまったことぐらいだろう。僕らはずっと幸せだった。
先日、妻が天寿を全うした。老衰だった。
子や孫らは悲しんでいて、勿論それが一般的なのであるが僕は同時に安心したのだ。彼はあちらで僕らをずっと待っている。だけれど、僕らには死の兆候が見られなかった。僕らだけが幸せのまま。彼に申し訳がたたない気がしていた。けれど、ようやく恩が返せるのだ。喜びで涙が溢れた。彼女は最期に「お祝いしてね」と静かに息を引き取った。春のことだった。僕はそれを最後の仕事だとばかり老いた身体を酷使した。"世界で一番の結婚式を"それだけだった。(ウェディングドレス風の)エンディングドレスに二人の墓の手配、家族に理解を示してもらうのに一番苦労した。そして、今日が彼らの結婚式だ。参列者は僕1人。
他には誰もいない。けれど、幸せだった。さあ、彼らが呼んでいる。
「今、いくよ。」