ヒトモドキ

Open App
8/13/2023, 11:22:35 AM



一仕事終えた私はコーヒーを入れる。
焙煎され、その身に深いコクと香りを宿した黒い宝石たちをミルに納めハンドルを回す。ゴリゴリと気味いい音と感触が消えた頃にはミルの下にチョコレート色の粉末が現れる。
その粉末を砂金のように丁重にドリッパーに移し、グラグラと湧き立ったお湯を鉢植えに水をやるように丁寧優しく注いだ。

瞬間

鼻腔と脳を官能的に揺さぶる香りが辺りに湧き立つ。
ドリッパーからは、漆黒に染まった液体が黒真珠のように艶かしい雫をこぼし、星のない夜空を映す海を作っていく。
暫くして、その海を真っ白な陶器に収めた私はゆっくりと陶器を持ち上げ気品と芳しい香りを漂わせる水面に口づけをする。

ひとくち

水面を啜り流し込む。口内にはコク深い苦味の後、いささかばかりの酸味が生じた。コクリとそれを嚥下し吐息をひとつ吐く。それを皮切りに唐突響き渡る呼鈴の音、私はひどく穏やかな気持ちで家族の元に向かうのだった。


退屈な紙束が渦高く積まれたテーブルで目を覚ます。
未だボヤける視界とふらつく頭を奮い立たせようと棚から土気色をした粉の詰まった瓶を取り出す。
茶色くくすみがかったカップに乱雑に瓶の中身を振りかける。年季の入った古めかしいポットに水を注ぎ火にかける。
ポットから不快なかん高い悲鳴が上がるまでの間、凝り固まったバキバキと音を立てながら体をほぐし、水垢があちらこちらに散らばる世界の自分と向き合い、最低限の身なりを整えた。
ピーっとやけに頭に響きわたる音が耳に入り未だ叫び続けるポットを持ち上げる。褪せたカップにそれを注ぎどかりと固い椅子に身体を倒した。
胸焼けを悪化させる忌々しい液体を体に入れる事に忌避感を覚えつつそれを流し込む。口内には強い苦味とえぐみを残す酸味が広がりそれが嫌々頭を夢から現実の世界に引き戻す。疲れを少しでも吐き出そうとため息をひとつ吐き出し書類に目を移す。こちらが目覚めるのを待ち構えていたとばかりに電話が騒々しい声で喚き立った。
頭に届き頭痛を引き起こさんとしている音をいち早く止めるため受話器を取る。
受話器をとっても頭痛の種となる話を終えるととある町外れの一角に向かった。

「状況は?」

町外れにある一軒家、その玄関に突っ立っている黒服に挨拶もそうそう声をかける

「失敗です。私たちは遅すぎました。」

背の高さとピシリと音がしそうなほど真っ直ぐな姿勢のせいで柱のように玄関前に刺さっている男が答える。

「状況を言えってんだよ。できるのはお勉強だけか?」

タバコを咥え火をつけながら改めて答えを求める

「一家全員亡くなっています。」

悔しさを感じさせる声が絞り出される。
背をピンと伸ばして上がっているはずの男の肩は見た目では上がっているにも関わらず深く落ちているかのように見える。

「はじめからそう報告しろよ。お前も俺もできることはした。切り替えて言えなきゃやってけないってことを肝に銘じとけ」

タバコを吸い入れる。心地の良い香りと煙が荒れた心に染み入る。

「健康に悪いですよ。それに仕事中です」

「仕事だからこそだ。お前も今回無理心中なんてした馬鹿野郎も真面目過ぎんだよ。体の側がどれだけ健康でもな心が不健康でい続けりゃ人は殺すし盗むし死ぬんだよ」

「それでも死なない強さがあるのが人だと思います。飢えようが人に慈しみを持って与える人もいれば、正義を貫く人間もいます。」

「強い奴はそうかもな。でもな、この世には弱い人間が大勢いるんだよ。俺たちはそういう人間を相手に仕事をしていくんだ。それが認められないなら向いてねえからこの仕事はやめとけ。俺たちは人間の弱さと醜さに向き合っていくのが仕事なんだからよ」

「善処します。」

視線は下に落としているが未だ見事な直立をしている男をみてため息をつきそうになる。どこまで馬鹿真面目なんだコイツは

「頭が硬えんだよお前は。奢ってやるから飲みにいくぞ酒でも飲んで忘れろ」

煙をくゆらせながら男に話しかける

「仕事中です。あと飲み過ぎは体に毒ですよ」

「うるせえよ。ここは飲みにくとこだろ。そういうアホみたいに真面目すぎるところを直せってんだよ」


翌朝
灰色の紙束を山とばかりに抱えた男が朝の静寂を打ち消さんばかりの声で道ゆく人に紙束を売り付ける。
その灰色の片隅には、町外れで一家心中が行われたという記事が綴られていたという

4/20/2023, 5:17:57 PM

「何もいらない」夕刻の山で会った人に欲しいものを聞かれた時はそう答えるように
これが、大人達の言う「古くからの村のしきたり」の一つだ
僕たちの村の山には山神様が住んでいて、気に入られれば欲しいものと引き換えに連れて行かれてしまうからだとよく話をされたのを覚えている。
AIなんかが実際に登場し始めた現代の子供としては、こんなものは与太話にしか聞こえない。しかしながら、暗くなり始めた山や不審な人物に警戒を持たせるためにこういった話を子供にするのはよくある事なんだろう。
そう思い至ってしまう程、情報に対してのリテラシーを備えてしまったおませな現代っ子が僕である。
ネットで様々な情報に触れ、自分がまるで世の中の全てを知っているような、振り返ると顔から火が出るような愚かで微笑ましい全能感に似た何かを持て余していたのが僕と言う子供だった。
当時は、直接体験した事のない事柄をただ見ただけで知った気になり、様々な情報を精査して得たその知識は絶対に正しいものだと思い込んでしまうような、世間を知らないが故の傲慢さを持て余していた。

そんな僕の恥ずかしい思いを変えさせるきっかけとなったのが件の山神のしきたりだ。
ネットやゲームと同じく体を動かすのも好きだった僕はよく学校の同級生と田舎の広大な野山を駆け回って遊ぶこともそれなりにあった。
中学の頃には、いささかガキっぽく感じるかもしれないが探検や秘密基地にはまり山や林を探検したものだった。
そんな中で事件は起きた。
山に探検に向かった同級生3人の内2人が行方不明となった。村人総出で山狩を行ったが、身につけていたものはおろか山に入ってからの痕跡すら見つけることができなかった。
大人達は、その2人が山神様に連れて行かれたと口々に話し合っていた。全くバカバカしい、いい歳をした大人が何を言っているのだと遠巻きに騒動を眺めていた僕は、件の山に山神とやらが本当にいるのかを暴き、大人達にそんな愚かな事にかまけていないでもっと現実的な方法を取るべきだと言うことを示そうと夕暮れ時の山へ分け入った。
日が落ちかけ街灯が少ないがために山の中はかなり薄暗く見える。まるで大きな怪物が開いた口の中に入っていくような恐怖とワクワクした気持ちを抱えて山に入る。
通り慣れた山道を軽快に進み人に出会わないか注意深く辺りを見回していく。あらかたの道を巡り、やはりそんなものはいないと言う結論が改めて自分の中で出て山を出ようとした時にソレを見つけた。
黒い人形の影のようなものが夕日が形作る木陰の薄い影に更に濃い影を写すように揺れていた。
視線が影に吸い寄せられる。体が動かない。周りから音が消えて僕とソレだけがいる世界が形作られる。
木の下で揺れるそれは木の枝を胸に生やしそこから何かを垂らしている同級生の1人だった。
何が起きているのか理解が追いつかない。僕は今何を見ているのか目の前にある現実がなんなのかが分からない。
そんな逡巡を繰り返しているうちに不意に耳元で何かが囁いた

「あなたは何がいるの?」

何人もの人々の声が重なったような違和感を感じる声がした。前のめりで半ば転げるようにその場を飛び退き声の主に振り返る。

僕の瞳に写り込んでしまったのは、黒く乾燥した皺がれたミイラのような乾いた皮膚と人を繋ぎ合わせたような歪な形をした何かの集合体だった。

そこれから先はよく覚えていない、気がつけば山の入り口まで息を切らせながら倒れ伏している自分の体があった。身体のあちこちを擦りむいていてやっとその痛みが感じられた。後にも先にも痛みを感じられることをこれほどありがたいと感じる事は無いだろうと今だ混乱している頭で考えていた。

それから何日経とうとも同級生は見つかることがなかった。
僕はあの日のことは誰にもしてはいない、話したところで村の大人は馬鹿な伝承を信じるだろうし、同年代の子供に至ってはからかわれるのがオチだろう。
僕だけが真実を知っている。経験して生き延びた僕だけが知っているのだ。
山神と呼ばれるものは既に人の姿をしていない事、そしてあれが気にいるのは人ではなく人体の一部であること、問いかけは何が欲しいかではなく何が自分にとって必要かという意味である事を。

3/30/2023, 5:25:51 AM

ぼやけた視界の中であなた達の顔が浮かぶ
掌を包む温もりを感じながら、愛しいあなた達と共にいられた事を幸せに思う
私の人生はありきたりなものだったかもしれないけれど
ありきたりな幸せは充分私を幸せにしてくれた
私の人生はここで終わり
私の幸せは一旦ここで終わり
あなた達のエンディングがハッピーエンドと言えるものでありますように

3/3/2023, 5:23:39 PM

ひなまつりに用いられる雛人形というのはその家に降りかかる厄災を代わりに受けてくれるのだという。
一方で、とある地域では雛人形に触れ、自身の穢れや業、災いを移し川に流すことによって息災を祈るそうだ。

「このように人形というのは形代、いわゆるところの身代わりに用いられる物なのです」

と、高々に高説をたれている我が部の部長、吉田を尻目に人差し指程の背丈の雛人形を手のひらで遊ばせる。
その体型は一般的な雛人形に比べ細長く、身にまとう十二単が貧相に見えてしまうほどである。また、装飾も大雑把であり、古ぼけて色がくすんでしまっていてはいささか同情してしまいそうになる程だ。
加えて、嫌にひんやりした温感と大きさに比べやたら重く感じる重量感は、まるで引き受けた厄を溜め込んでいるためだと感じさせるようで薄気味悪さを感じさせる。

「それは土雛というんだよ」

今更ながら手のひらに転がっている人形の不気味さを感じ始末に悩んでいると唐突に声をかけられた。

「土雛?初めて聞きますね。これも雛人形の一種なんですか?」

内心の動揺を悟られぬよう部長に質問をぶつける。

「山本君が知らないのも無理はないよ。これは一部の地域の風習で作られていた物だからね」

知識をひけらかし、君が知らないのは当たり前だというような発言に苛立ちを感じつつもなんとか取り繕いさらに問うてみた。

「作られていた?もう作られてないって事ですか?」

「ああ。風習が廃れつつあるし、何より作っている職人がもういないそうだ。これは僕が祖母のつてで借りてきたものだがこれを作った職人も2年前に亡くなったらしいしね」

「なるほど。確かにこんな姿の人形じゃ今はなかなか売れないでしょうね。飾りたいとも思えないし」

自分の感じた気味の悪さを肯定するように部長に返事を返す。

「僕は割と好きなんだけどなー。なんというか呪物みたいで好奇心がそそられる見た目じゃないかい?」

目を輝かせながら部長が答える。流石オカルト部の部長着眼点がおかしい。

「ひなまつりに呪物を飾りたがる人間がどこにいるっていうんですか」

「あはは。確かにそうだね。でもこの雛人形に至っては順序が逆なんだけどね。」

「え?」

猛烈に嫌な予感がする。そしてそんな予感に呼応するように手のひらの人形がムズムズと動き出しているような気がし始めた。聞かなきゃよかった。後悔。

「この人形はね、ひなまつりに飾らせる事で不幸を招くように呪い(まじない)がかけられてるんだよ。その家の人間の幸福を吸い取り、自らが引き受けた筈の厄災を
飾られた家に移すっていう」

「ッ!」

半ば放り投げるように人形を机の上に手放す

「なんてもの触らせるんですか」

部長に抗議をする。本当に何考えてんだこの人

「あはは。山本君は大丈夫だって。だって君、女の子でしょ?」

いや、大丈夫な要素が分かりませんが?というかどういう神経してんだこの人

「男にしか厄災は降りかからないんだよ」

未だ抗議の視線を向けている私に部長は告げた。

「この人形はね逆になってるんだよ。不幸を移すのも幸福も吸うのも本来は逆だろ?だからそれをうつされるのも男の子なんだよ」

「でも雛人形というのは家に降りかかる厄災を肩代わりするものですよね?」

「山本君。僕の話聞いてた?まあいいや。さっきも言ったけど雛人形というのは家に降りかる厄災というよりもひなまつりの主役と言える女の子に降りかかる厄災をかぶるものなんだよ」

しまった。話に飽きていてきちんと聞いていなかったのがこんな所でバレるとは。とにかく変なことは起きなさそうだしまあいっか。

「あれっ?じゃあ部長って大丈夫なんですか?まあ確かに女の子みたいな見た目だけど」

安堵しつつふと疑問に思い聞いてみた。

「山本君...口は災の元って諺知ってる?確かに僕はれっきとした男だよ。でもね、生憎だけど僕は呪いなんてもの信じてないんだ」

思わず口が開いてしまう程唖然としてしまった。今の私はきっと凄く間抜けな顔をしてるに違いない。
呪物がカッコいいとか言いつつ信じていないのかこの人。前々から思ってたけど結構な天邪鬼なんだよなうちの部長。

「まあ払い屋をやってる祖母の知り合いがお祓いをしたらしいからどのみち大丈夫だけどね」

思い出したかのように口を開いた。本当になんなんだこの人

「あの。でもそれって多少は信じてるってことなんじゃないですか?」

こっちは散々動揺させられたのだ、最後に少しくらい勝ちを譲ってもらってもバチは当たるまい

「あると思えば存在するし、ないと思えば無くなってしまう、それが呪いっていうものだよ。だから僕は呪いなんてものは存在していないことにしてるんだよ」

そう答えた部長の作り笑いのような笑みからはいつもの嫌味は消えて、その代わりに切なさと何か後悔めいた感情が感じられた。

「さてと、そろそろ暗くなってしまうし帰ろうか」

机の上に投げ出され散らばった人形を木箱にしまいながら部長が告げる。思いの外早く過ぎていた時間に驚きつつ準備をして学校を後にする。

「ないと思えばなくなってしまう」

帰り道、思い出したかのように部長の言葉を反芻する。
いつもと違う笑みを浮かべた部長。そのすぐ後ろでは天井からぶら下がった男女が囁いていた。

「お前が呪われる筈だったのに」

ボソボソと聞きとり辛い言葉の羅列から私が拾ってしまった言葉。

きっとそれは私が思い込みで見た幻覚なのだろう。
私と彼がそう思えば彼らはきっと消えてしまうのだから。

3/1/2023, 5:00:10 PM

20xx年人類は欲望によって文明を進めてきた。
衣食住を得る為の本能的な欲望を満たす中、文化が生まれ、人々は更なる欲望を手に入れた。それはやがて争いを生み、いくつもの文化を破壊しては人々の欲望を半ば強制的に本能的なものに近づけた。そうしてまた、本能的な欲求が満たされれば、それ以上の欲が湧くというサイクルを繰り返すうち人類は進歩し、和平を望むようになった我々の欲望は安定しつつあるのかもしれない。そして、いまやそれ以上に、世界は我々の欲望をコントロールしているように思える。いや、今に始まった事ではないのかもしれないが。
我々の欲望は何かしら管理されたものなのかもしれないというのは昔からよく聞く陰謀論ではある。それが世界的な権力者か、我々人類の支配者たる宇宙の何某か、はたまた創造主たる神なのかは考えるだけ無駄な事だろう。しかし、近代化の進んだ現代で話をするなら、さらには直接的なものに限定するのならば、皮肉な事にそれは既に人の手から離れつつある人工知能と安定化を図る薬物だ。
2000年代初期、人々の欲望は安定に向かいつつも、それ故に既存の欲望のサイクルを外れ淀み始めていた。
大きな争いが減り発展していた国では人々の欲望が本能的なものに回帰する事なく、そこから枝葉のように別れた様々な欲望がひしめきあい混沌としていたらしい。
本能に起因する欲求が薄くなったが故に、人々の多くは自らの欲望に絶望させられることになったのだった。
進化を重ね、地球を支配する種となった人類は、自らの欲望に対しての進化を求められるようになったのである。
そしてそれは非常にネガティブな形で達成されたと言えるだろう。ひたすら効率を重視する機械のように感情が欠落した思考で形成された文明によって、人類は欲望の沈静化と統一化を計ったのである。
古い世代の人間から見ればこれがまさにディストピアと呼べる情景なのかもしれない。
世界からは次々と無駄が省かれ、物事はより効率的になった。人々は争いを行わなくなり、飛躍した科学技術は世界のさらなる安定化をもたらした。
現在の人類は、一定の数を保ちつつ様々な個性をもった独立したAIと共生し、その保守管理を役割に応じ効率的に全うしている。この社会は我々の欲望をAIが引き受けているからこそ成り立つだろう。


欲望研究AI d2875ac 補助脳員検体 d2875ac-a3
識別固有名称 大竹 和男
検体状況 人格データ及び脳の保存
生体劣化 保存より146000日経過

当資料に関して、AI倫理管理の観点から資料の削除と共に検体の速やかな投棄が求められている。

Next