ヒトモドキ

Open App



一仕事終えた私はコーヒーを入れる。
焙煎され、その身に深いコクと香りを宿した黒い宝石たちをミルに納めハンドルを回す。ゴリゴリと気味いい音と感触が消えた頃にはミルの下にチョコレート色の粉末が現れる。
その粉末を砂金のように丁重にドリッパーに移し、グラグラと湧き立ったお湯を鉢植えに水をやるように丁寧優しく注いだ。

瞬間

鼻腔と脳を官能的に揺さぶる香りが辺りに湧き立つ。
ドリッパーからは、漆黒に染まった液体が黒真珠のように艶かしい雫をこぼし、星のない夜空を映す海を作っていく。
暫くして、その海を真っ白な陶器に収めた私はゆっくりと陶器を持ち上げ気品と芳しい香りを漂わせる水面に口づけをする。

ひとくち

水面を啜り流し込む。口内にはコク深い苦味の後、いささかばかりの酸味が生じた。コクリとそれを嚥下し吐息をひとつ吐く。それを皮切りに唐突響き渡る呼鈴の音、私はひどく穏やかな気持ちで家族の元に向かうのだった。


退屈な紙束が渦高く積まれたテーブルで目を覚ます。
未だボヤける視界とふらつく頭を奮い立たせようと棚から土気色をした粉の詰まった瓶を取り出す。
茶色くくすみがかったカップに乱雑に瓶の中身を振りかける。年季の入った古めかしいポットに水を注ぎ火にかける。
ポットから不快なかん高い悲鳴が上がるまでの間、凝り固まったバキバキと音を立てながら体をほぐし、水垢があちらこちらに散らばる世界の自分と向き合い、最低限の身なりを整えた。
ピーっとやけに頭に響きわたる音が耳に入り未だ叫び続けるポットを持ち上げる。褪せたカップにそれを注ぎどかりと固い椅子に身体を倒した。
胸焼けを悪化させる忌々しい液体を体に入れる事に忌避感を覚えつつそれを流し込む。口内には強い苦味とえぐみを残す酸味が広がりそれが嫌々頭を夢から現実の世界に引き戻す。疲れを少しでも吐き出そうとため息をひとつ吐き出し書類に目を移す。こちらが目覚めるのを待ち構えていたとばかりに電話が騒々しい声で喚き立った。
頭に届き頭痛を引き起こさんとしている音をいち早く止めるため受話器を取る。
受話器をとっても頭痛の種となる話を終えるととある町外れの一角に向かった。

「状況は?」

町外れにある一軒家、その玄関に突っ立っている黒服に挨拶もそうそう声をかける

「失敗です。私たちは遅すぎました。」

背の高さとピシリと音がしそうなほど真っ直ぐな姿勢のせいで柱のように玄関前に刺さっている男が答える。

「状況を言えってんだよ。できるのはお勉強だけか?」

タバコを咥え火をつけながら改めて答えを求める

「一家全員亡くなっています。」

悔しさを感じさせる声が絞り出される。
背をピンと伸ばして上がっているはずの男の肩は見た目では上がっているにも関わらず深く落ちているかのように見える。

「はじめからそう報告しろよ。お前も俺もできることはした。切り替えて言えなきゃやってけないってことを肝に銘じとけ」

タバコを吸い入れる。心地の良い香りと煙が荒れた心に染み入る。

「健康に悪いですよ。それに仕事中です」

「仕事だからこそだ。お前も今回無理心中なんてした馬鹿野郎も真面目過ぎんだよ。体の側がどれだけ健康でもな心が不健康でい続けりゃ人は殺すし盗むし死ぬんだよ」

「それでも死なない強さがあるのが人だと思います。飢えようが人に慈しみを持って与える人もいれば、正義を貫く人間もいます。」

「強い奴はそうかもな。でもな、この世には弱い人間が大勢いるんだよ。俺たちはそういう人間を相手に仕事をしていくんだ。それが認められないなら向いてねえからこの仕事はやめとけ。俺たちは人間の弱さと醜さに向き合っていくのが仕事なんだからよ」

「善処します。」

視線は下に落としているが未だ見事な直立をしている男をみてため息をつきそうになる。どこまで馬鹿真面目なんだコイツは

「頭が硬えんだよお前は。奢ってやるから飲みにいくぞ酒でも飲んで忘れろ」

煙をくゆらせながら男に話しかける

「仕事中です。あと飲み過ぎは体に毒ですよ」

「うるせえよ。ここは飲みにくとこだろ。そういうアホみたいに真面目すぎるところを直せってんだよ」


翌朝
灰色の紙束を山とばかりに抱えた男が朝の静寂を打ち消さんばかりの声で道ゆく人に紙束を売り付ける。
その灰色の片隅には、町外れで一家心中が行われたという記事が綴られていたという

8/13/2023, 11:22:35 AM