昔から夜景を見るのが好きだ。
昼間とはまた違って、夜の静けさを纏った光景が。
特に私は、父が運転する車の中から見える高速道路の夜景が大のお気に入りだった。
父厳選のカセットに入った吉田拓郎の懐かしいフォークソングの数々が車内に流れる中、ただボーッと何も考えずに通り過ぎ行く景色を眺める。
時期によって異なる色のゲートと化す明石海峡大橋、真っ赤に聳え立つ神戸ポートタワー、ひたすら続くコンクリートの道をぽっかりと照らし行く橙色の街灯、きらびやかとした光を放っては存在感を主張する有名企業の大きな看板。
正月とお盆の年2回、父の故郷である徳島から関西の自宅へ帰る時にしか見れなかった光景だからこそ、何だか特別感があって好きだったというのもある。
なので、吉田拓郎の曲を聴くたびに今も思い出す。
ちなみに今はもう滅多に流れていないであろう、テレビの深夜の道路中継も実はお気に入りの一つだ。
しかし、何故それがこんなにも私の心を擽り、謎の安らぎ感を与えるものなのかは不明である。
【花畑】
「此処ね、死んだお父さんが昔好きだったの」
何処か遠くを見るような眼差しで彼女は口を開く。
亡くなった父親はかつて世界で有名な画家の1人で、数々の作品を世に送り出して来たらしい。
日本でも何度か展示会を開き、各著名人が高値で何枚もの絵を買って行ったことがあるそうだ。
自分も幼い頃は父のような偉大なる画家を目指して絵をたくさん描いて来た。
父は普段とても温厚で優しかったが、一度絵のことになると鬼のように厳しく、よく母に泣き付いては慰めて貰っていた。
そんな父親が好んでよく来ていたのがラベンダー畑であり、いつも絵を描く際は決まってこの場所だったと彼女は言う。
「懐かしいな……」
彼女の真っ黒なショートヘアが初夏の若干湿気った生暖かな風に乗って軽やかに靡くと共に、ラベンダーの華やかで独特な香りが鼻腔を擽る。
閑散とした其処は今、僕と彼女の2人だけだ。
“まるで世界に自分たちしか居ないみたい”
なんて、ありふれた言葉が脳裏を過る。
「……お父さん……」
ふと彼女に大きな悲しみがのし掛かり、膝から崩れ落ちて泣き出してしまった。
両手で顔を覆い、肩を震わせて涙を流す彼女をただ呆然と立ち尽くして見下ろすことしか出来ない。
こんな時、彼女を優しく抱き締めて慰めてあげることが出来れば。
グッと下唇を噛み締め、悔しさに拳を握り込む。
この密かに想い抱いている気持ちに彼女はいつ気付いてくれるのだろう。
泣きたいのは、こっちの方だった。
“貝殻に耳を当てて澄ませると、波の音がする”
最初にそう言い出したのは誰だろう。
海に初めて触れたのは小学校高学年の自然教室。
そのときは残念ながら貝殻どころか欠片すら見つけることは出来なかった。
“海には必ず貝殻がある”と思い込み、貝殻に耳を澄ませることに夢を抱いていた私はショックを受け、しょんぼりと肩を落とした。
せっかく遠泳で400m泳げたのに。
だが、小学生の思春期真っ只中であった私にとってはそんなことなどどうでも良かった。
それから時は流れ、機会は再び訪れた。
中学校3年生の修学旅行で沖縄へ行くことになったのだ。
ずっとずっと憧れだった南国の島。
今度こそ!と私は1人息巻いた。
“沖縄の海になら貝殻の1つや2つあるはずだ”
昔から何かと夢見がちな私は、またもやそんなイメージを抱いては胸に期待を膨らませていた。
いざ現地に到着し、初日は観光名所を巡る。
季節は春なのに沖縄は真夏の気候でジリジリと日差しが照りつけ、しっかり日焼け止めを塗っていても肌が焼けるのではないかと思う程だった。
そして、いよいよ2日目。
天候は曇り。本場の海は思っていたより透明ではなかったのが少々残念であったが、問題は貝殻だ。
教師に自由時間を与えられた生徒たちは散らばり、私もデジタルカメラを首にぶら下げて友人と砂浜へ走った。
波打ち際に近づき、しゃがんで貝殻を探し始める。
……うーん、なかなか見つからない。
「(友人の名前)ちゃん、そっちどうー?」
「んー、なーい!」
「そっかぁ……」
「もう探すのやめて遊ぼ~!」
「ごめん、もうちょい探してみる」
変なところで諦めが悪い私。
友人は肩を竦めてクラスメイトの仲良い男子たちのところへ行ってしまった。
(これで見つからなかったらもういいや……諦めよ……)
そのあとも1人で探索してみるものの見つからず。
あーあ……此処にもなかったか……とのろのろと立ち上がり、男子たちと遊んでいる友人と合流した。
修学旅行に同行していたカメラマンにカメラを向けられ、イェーイ!とダブルピースではしゃぐ私と友人。
ふと、足元に何か感触がして其処を見ると小さな白い貝殻が落ちていたのだ。
「あ、あったー!!」
目をこれでもかというくらい大きく見開いて驚き、声を張り上げる私。
友人もまさかこんなところで見つかるとは思わなかったのだろう。ぱちくりと目を瞬かせながら呆然と隣で立ち尽くしている。
早速貝殻を拾い上げると、サイズは手のひらより一回り小さい。
それでも私は心臓をドキドキと高鳴らせ、そっ……と耳に近づけて神経を集中させる。
「……どう?何か聞こえる?」
「…………何も聞こえん」
「だよね~」
「こんなちっさいしね~」
けらけらと友人と顔を見合わせて笑い、貝殻を再び砂の中へ戻す。
何も聞こえなくて当然だ。
もしあれより大きな貝殻が見つかって本当に波の音が聞こえるなら、それはそれでロマンがある。
またいずれ海へ行くことがあれば、夢見の少女時代の自分を連れて一緒に探してみようか。
“ねぇ、貝殻探しの旅に出掛けよう”
新しい物事に触れたり、知識を得たとき、世の中にはこういう楽しいものや素晴らしいもので満ち溢れているのかと一気に自分の世界が煌めき始める。
あれも知りたい、これも知りたい。
探求心が芽生えて其処で得たものを取り込んで行くのは面白いし、何よりワクワクするのだ。
当時仲の良かった上司と初めて終電まで飲んだとき、別れ際に「うっかり終点まで行かないように気を付けてね」と言われたことがある。
私の最寄り駅は職場から4つ目。
大丈夫、所要時間は約10分程度だし全然眠くない。
ほろ酔い気分だけど、意識はハッキリしている。
いつも通りに降りるだけ。
そう自分に言い聞かせ、iPod nanoでお気に入りの音楽を再生する。
1つ目……2つ目……次の次だ。
ちょっと眠くなって来たけど、まだ大丈夫。
3つ目……よしよし、次だな。
『次は○○駅、○○駅』
あー……何かめっちゃ眠い……帰ったら化粧落としてすぐ寝……お、この曲やっぱいつ聴いても良いなぁ……好きだわー……
『――左側の扉が開きます。ご注意ください――』
…………え、今どこだったっけ!?
微睡んでいた状態からハッと一気に引き戻される。
電車は最寄り駅で停まっているではないか。
慌てて電車からかけ降り、危なかった……と心底ホッとした溜め息を吐く。
まさに間一髪の出来事だった。