はちみつミルク

Open App

【花畑】

「此処ね、死んだお父さんが昔好きだったの」

何処か遠くを見るような眼差しで彼女は口を開く。
亡くなった父親はかつて世界で有名な画家の1人で、数々の作品を世に送り出して来たらしい。
日本でも何度か展示会を開き、各著名人が高値で何枚もの絵を買って行ったことがあるそうだ。

自分も幼い頃は父のような偉大なる画家を目指して絵をたくさん描いて来た。
父は普段とても温厚で優しかったが、一度絵のことになると鬼のように厳しく、よく母に泣き付いては慰めて貰っていた。
そんな父親が好んでよく来ていたのがラベンダー畑であり、いつも絵を描く際は決まってこの場所だったと彼女は言う。

「懐かしいな……」

彼女の真っ黒なショートヘアが初夏の若干湿気った生暖かな風に乗って軽やかに靡くと共に、ラベンダーの華やかで独特な香りが鼻腔を擽る。
閑散とした其処は今、僕と彼女の2人だけだ。
“まるで世界に自分たちしか居ないみたい”
なんて、ありふれた言葉が脳裏を過る。

「……お父さん……」

ふと彼女に大きな悲しみがのし掛かり、膝から崩れ落ちて泣き出してしまった。
両手で顔を覆い、肩を震わせて涙を流す彼女をただ呆然と立ち尽くして見下ろすことしか出来ない。

こんな時、彼女を優しく抱き締めて慰めてあげることが出来れば。

グッと下唇を噛み締め、悔しさに拳を握り込む。
この密かに想い抱いている気持ちに彼女はいつ気付いてくれるのだろう。

泣きたいのは、こっちの方だった。

9/17/2024, 4:14:47 PM